異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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イスタ火山、絶弦を成すは王の牙編

56.己に出来る事を手放してはならない

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「その程度って……どういう意味……?」

 何か信じられない物でも見るようにギアルギンを凝視するヒルダさんに、相手はフードの下から覗いている口をニタリと笑ませた。

「おや、何か悪い勘違いをしていらっしゃるようで。私が言いたかったのは、貴方が己の身内に対して抱く思いはその程度なのか、ということですよ」

 悪意が有るような返答に、ヒルダさんが小さく息を吸う。
 彼女がその悪意を感じているのかは解らないが、それでも予想外の事を言われたかのように、体が震えていた。

「さあ、ナイフを取りなさい。復讐を果たすのです」
「むざむざ息子と主を殺されると思うか? 悪しき者」

 俺達をかばうように、ドービエル爺ちゃんがこちらに背を向けギアルギンとレッドに対峙する。相手は少しも怯んではいないが、それでもドービエル爺ちゃんは息を吸い己の体を二回りほど大きく膨張させた。

 元は天を見上げるほどの巨体である事を知っているからか、多少大きさを取り戻してもまだ小さく見える。だが威嚇の意味は有ったようで、レッドは腰を落として剣を構え、ギアルギンは体勢を整えた。

「てっきり死んだとばかり思っていたのに、まさか生きているなんて予想外でしたよ。貴方の息子に“死んだ”と嘘を言ってしまったではないですか」
「それに関しては感謝しておる。息子に負担を負わせずに済んだからな。……だが、お主のやったことは許せぬ」
「殺しをさせた事をですか」
「あの戦士を騙して、決闘にもならぬ決闘をさせた事だ」

 ぶわ、と毛を逆立て膨張させながら、爺ちゃんはうなる。
 声音からして、もううに老いているだろうに、それでもがっしりとした獣の体は衰えなど微塵みじんも感じさせず、剥き出しにした牙も鋭く尖っていた。

 今の爺ちゃんは、真実しか話せない。その怒りも本物なんだ。
 だけど、その怒りなど物ともせずにギアルギンは笑う。

「下手すれば殺されていたかも知れないのに、そんな事を思っていたと? ははは、笑えますね。さすがは無様に逃げ回っていた獣だけある」
「ああそうだな、わしは無様だ。お主の命令に縛られ、弱った相手と戦ってしまった。戦士としての誇りを捨てて、あの立派な御仁の命を奪ってしまったのだ。獣人としても、戦士としても、恥ずかしくて仕方がない」

 唸りながら、その太くしっかりとした前足から黒く鋭い爪を出す。
 何が有っても二人と戦うつもりなのだと解り、俺はクロウをみやった。
 ……クロウはまだ目を閉じて苦しそうにしている。誰にもマークされていないが、だからこそ、近くにいて何があっても守れるようにしておかなければならない。

 俺は慎重に周囲を見て、誰もこちらを気にしていない事を確認すると、クロウの方へと音を立てずに素早く近付いた。

「ぎ……ギアルギン、まさか本当に……本当に、あの人をそんな風にして、殺したの……? 貴方が、バルクートを殺したって……」
「おやおや、敵の言い訳に信頼できる分があるとお思いですか?」
「その熊は……嘘が言えないように、ツカサさんが命令したのよ……」

 ヒルダさんの搾り出すような声に、ギアルギンが口を少し動かす。
 動揺したようにも見えたその動きに、ヒルダさんが畳みかけた。

「そんな顔をするって事は、やっぱりこのドービエルっていう熊が言っていることは、本当なのね……。貴方……私を騙していたの!?」
「騙していませんよ? 彼が貴方の夫を殺したのは本当の事です」
「だけど真実はそれだけじゃない!! 全部貴方が指図した事じゃないの、なのに、貴方は私を騙して、自分だけ責任を逃れようと……ッ!!」

 ヒルダさんは泣き顔にも見える酷く辛そうな表情で、落ちていたナイフを拾う。
 その刃は、爺ちゃんではなくギアルギンに向けられていた。しかし、ギアルギンはすぐに口元に笑みを浮かべて表情を隠し、ヒルダさんに肩をすくめてみせる。

「仮に私が貴方の夫を疲れさせるような事をしたとして、それが何の罪になるというのです? 決闘を申し込んだのも、その勝負を降りなかったのも、すべて貴方の夫の意思ではないですか。そして、そんな彼を殺したのがこの熊の獣人。私に罪が有るとしたら、二人を引き合わせた事だけ。それは罪になるんですかね?」

 言い逃れだ。そんなの解っている。
 だけど、そう言いきられてしまったら激昂しているヒルダさんには何も言えない。

 感情が暴走している時は、相手が滅茶苦茶な事を言っていても、断言されると何も言えなくなってしまう。本気で怒っていればいるほど、付け入る隙が多くなってしまうのだ。言い逃れをする為に“自信満々で断言するような言葉”を相手に言われ続けてしまえば、どう返そうかと頭が混乱して、今以上に隙を作ってしまう事になるのだ。

 ……本当に、どこまでも汚い。
 どれほど前から、この男は自分を逃すための策を講じているのだろう。今この事態になった事すらアイツの想定通りだったように思えてくる。

 人を操ってそそのかして、自分は決して手を汚さない。
 誰かに糾弾されようとも、決して自分がやり玉に上がらないように何重にも逃れる術を張り巡らせている。それが他人のためであれば素晴らしい手腕だが、悪事を行いそれを他人に被せるためにやっている事では、ただただ憎らしいだけだった。

 だけど、ギアルギンはそんな他人の憎しみすら手玉に取る。
 ヒルダさんもまた、アイツに呑まれようとしていた。
 しかしそれを……ドービエル爺ちゃんが冷静に制した。

「……貴女がこの男のために怒ることは無い。殺したのは間違いなくわしだ。貴女が仇を討とうと思うのなら、わしを殺すべきだ。その事を間違えてはいけない」
「ッ……!」
「だからこそ、この男はわしが討つ。戦士の誇りを失い、敗者に甘んじていたわしが、今更何を行ったとてもうこれ以上落ちる事は無い。貴女は今。なにをしてどうすべきかを冷静に考えるのだ」

 自分が彼女に殺されるかもしれないのに、クロウが危険な目に遭うかも知れないのに、それでも爺ちゃんはヒルダさんを落ち着かせようとしている。
 まるで味方のように、己を見失うなとヒルダさんを諭していた。

 だけどその言葉は、ヒルダさんにとっては思いもよらぬ言葉だったようで。
 ナイフを握り締めたまま、ドービエル爺ちゃんの顔を見上げていた。

「まるで味方のようですね」
「少なくともお主らの味方ではない。わしは、様々な事で多くの罪を犯した。だからこそ、今その罪と向き合わねばならん。そこにお主がのうのうと生きておられたら……困るのだよ」
「だから、敵となって私を殺す……と? おやおや、今度は仲間殺しとは見下げ果てたプライドのない戦士だ」
「なんとでも言え。お主が死ねば全ては捻じ曲がらずに進むのだから」

 言いながら、ドービエル爺ちゃんは少し屈み飛び掛かる前のような格好になる。
 敵対する、と示しているような姿に、ギアルギンはレッドの方を見やった。

「お願いしますよ、レッド様」
「…………」

 レッドに戦えと言っているのだろうか。
 だが、レッドは乗り気ではないようだった。

「ほう。お主……嗅いだことのないニオイがするな。苛烈で、それでいて……迷いを含んでおる。剣に一途さがないぞ」
「……煩い……。業火に焼かれ切り捨てられたくなければ、黙っていろ」

 青い瞳でドービエル爺ちゃんを睨みながら、レッドは苛立ったような声を漏らす。
 そうして――――間を置かずに、一気に近付いて剣で切り上げようとした。
 だが、爺ちゃんはすぐに足を引いて剣で前足を切り上げられるのを防ぐ。その行動にレッドは舌打ちをして、指で剣を撫でた。

「我が【紅炎】を頂く真名によって命ず――業火の炎を宿せ……!」

 グリモアの前を詠唱した次の瞬間、炎の鎖のような物が空中から湧き出て、レッドが握っている剣の刃に巻き付き全体を包んだ。炎の刃だ。
 毛皮をもつドービエル爺ちゃんにそんな炎を向けられたら、燃え上がってしまう。レッドは確実に爺ちゃんを殺す気なんだ。
 どうしよう。なんとか、なんとかしなければ。でもどうやって。

 この状況を打破するには……レッドがさえぎっている炎の壁を消火すればいいのか?
 だけど、グリモアの炎を俺が消せるんだろうか。俺はグリモア達に「死ね」と命令されたら簡単に死んでしまうような存在だ。支配でもされればイチコロだろう。
 迂闊うかつに相手を刺激してその宣言をさせてはならない。

 ブラック達が来てくれたらすぐにでも決着が付くが、炎の壁を消す事はバクチ打ちでしかなかった。そうじゃない。戦いを終わらせるもっと確実な方法があるはず。
 だけど、俺にはどうしたら良いのか解らなかった。

 一刻も早くクロウを助けなければいけないが、まだヒルダさんが安全だと決まった訳ではない。爺ちゃんとレッドが激しく攻防を繰り広げているが、状況が変わればまたクロウが危険に曝される事も考えられた。
 まだ何も思いつかない。でも、戦いに巻き込まれないように端に移動しなければ。

「うっ……く……!」

 力を入れてクロウの体を持ち上げると、首筋に痛みが走る。
 まだ左腕と首の傷口が塞がっていないのか、クロウを引き摺って移動する度にじんじんと患部が痛んで熱を持ってしまうのが解った。
 ち、ちくしょう、首をちょっと切られたくらいでこうなるなんて情けない。

 己の不甲斐なさに涙しながら、剣と爪が激しくかち合い金属音を立てる戦場を背後にして、俺はクロウの胸に再び両手を当てる。
 何も出来ないのなら、せめてクロウを早く治すしかない。
 再びクロウの体を治療しようと思い、俺はクロウの体を

「…………やっぱり、腹の部分に黒いもやが掛かっている……」

 大地の気を送っても、土の曜気を送っても、その靄は消えない。
 間髪入れずに頭痛の原因である【アクア・レクス】を使ってみたが、その一瞬でも頭痛に襲われただけで、靄の全貌は見えなかった。ということは、直接的に体に作用する傷や腫瘍なんかのたぐいではないという事だ。

 クロウが目覚めないのは、やはりこの黒い靄のせいだよな……。
 だけど、どうやって消せばいいんだろう。俺は呪いを解除する術なんて使えないし、第一これが呪いかどうかも分からないんだ。
 どうにかして、これをクロウの体から追い出せないだろうか。
 追い出す……消す、無くなる……。

「…………そうだ」

 周囲に転がっていた水晶のように透明な石を取る。
 まだ綺麗にカットすらされていない原石達は、それでも立派に災厄を与える石としての機能を果たしており、小さな欠片を手にしただけで、体から曜気を奪おうと気をゆっくりと吸い上げていた。

「……これなら……」

 こんな特殊な性質を持つ鉱石なら……クロウの体に取りついている謎の黒い靄も、吸い取る事が出来るかもしれない。

 迷っている暇はない。一か八かだ。
 でも俺には「呪いを吸い取る」なんて術は無い。だから、作るんだ。
 今すぐに。俺が持てる想像力を持って、今ここで。

「くっ……や……やってやる……!」

 手のひら大の黒籠石を握って、それを黒い靄の辺りに近付ける。
 動きは無かったが、俺の手には妙な感覚が届いていた。
 もしかしなくても、これならいけるかも……!

 だとしたらここからは俺の想像力頼みだ。靄が見えているんなら、イメージは簡単なハズ。後は名前、名前だけだ。術を名付けて定着させなくては。
 何かを吸い取る、毒を吸い取る、水みたいに流れ込む……。

「身の内に巣食う邪悪をこの石に封じたまえ――――【アクア・ドロウ】……!」

 破れかぶれでそう発した瞬間――――
 周囲に魔方陣が幾つも現れ腕に一気に青い光の蔦が何本も巻き付いて来た。
 肩にまで侵食して来るその蔦に驚きながらも、俺は必死でイメージを繰り返す。
 ポンプのように、石の中に靄を汲み上げる。悪い物だけを汲み上げるんだ。頼む、これで目を覚ましてくれクロウ……!

 そう強く念じながら、クロウの腹に巣食っている黒い靄に黒籠石の水晶を向ける。と――――その靄が、動いた。

「……!!」

 大仰なエフェクトまで付けて発動した術に、黒い靄が照らされ引き摺られている。
 黒籠石に靄が集まり始めて、お腹の靄がだんだんと薄くなっていった。
 やった! これならクロウも助か

「困るんですよねえ。そう簡単に助かってしまわれると」

 声が、近くで聞こえた。

「え……」

 思わずそちらの方を見て、急に視界に陰が掛かった。
 何が起こったのか解らず声がした方を向くと、そこには誰かの背中が有って。
 それが、赤い液体を流しながら――――その場に、倒れた。

「チッ……余計な事を……」

 誰かが倒れた少し先に、ギアルギンの姿が見える。
 視界の端では、レッドとドービエル爺ちゃんが一進一退の攻防を繰り広げていた。
 そう、あの二人ではない。じゃあ、もう……一人しか……いないじゃないか……。

「ヒルダ、さん……」

 倒れた相手を見ると、それは紛れも無くヒルダさんで。
 彼女はみぞおちの辺りに刃を受けて、痛みに顔を歪めながら倒れ込んでいた。

 クロウのお腹の靄が、完全に黒籠石に吸い込まれる。
 それでやっと俺は硬直から解放されて、慌ててヒルダさんに近寄った。

「ヒルダさん! ヒルダさん!!」

 何度も呼びかけるが、返事が無い。彼女は青い顔をして、患部を抑え込んでいた。

「はー……。ここまで愚かだとは思いませんでしたよ、ヒルダ・パーティミル」
「テメェ……!!」

 ヒルダさんを仰向けにして、回復薬を取り出しながらギアルギンを睨み付ける。
 だが相手は笑ったままで見せつけるように肩を竦めた。

のあるこの熊を殺すために、わざわざ教えてやったのに、結局自分の仇討ちすらも完遂できないほど使えない女だったとは……その上、仇討ちをする相手に情を向けてかばうなんて、復讐者失格ですね。本当に使えない女だ」

 ヒルダさんの優しさが、使えない?
 ……なんだよそれ。何を言ってるんだよ。

 俺達を守るために、ヒルダさんはかばってくれたんだ。
 それを、おろか? 失格……?

「……ギアルギン……」
「あなたには治癒能力が有るから平気なのにねえ。……無駄死にでしたね」

 にっこりと、ギアルギンの口がわらう。
 だけど俺はその言葉に一気に頭に熱が上がり、何も叶えられなくなる。
 ただ目の前の敵を退けようと言う気持ちだけが一気に頭を支配して。
 それから、俺は……――――――

「お前……絶対に、許さない……!!」

 気付けば、俺の両腕には緑光の蔦が幾重にも絡みつき、地面には再びあの魔方陣の群れが出現していて。
 それからは、もう……頭が、真っ白になった。











 
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