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イスタ火山、絶弦を成すは王の牙編
54.事実と真実1
しおりを挟む「ヒルダさん、待って下さいっ! 本当にドー……あの熊が、ヒルダさんの大事な人を殺したんですか、どうしてそれが解ったんです!?」
「そんな事、今はどうだって……」
「話してくれないと判らないですよ!!」
なんとか口だけで終わらせる事は出来ないか。
俺だって男だ。声を張る事で相手を萎縮させる事ぐらいは出来る。そう思って強めの声を出すが、ヒルダさんは少しも動じてはくれない。
だけど、俺の言葉を聞いて動きは止めてくれたようだ。
やっぱり彼女は心から人を殺したいと思ってる訳じゃない。止められる物なら止めたいんだ。だから、俺の怒声に止まってくれたんだろう。そう信じたい。
しかしそんなヒルダさんに、俺の背後から声が掛かる。
「話す必要はない……そうでしょう? 理由を説明してどうなるんです。貴方の心が晴れるとでも? 言い訳をされるだけなのが目に見えていますねえ」
「っ……!」
ギアルギンめ、痛い所を突いて来る。
確かに、何か矛盾が有るならそこを突いて冷静になって貰おうと思っていた。
もしかしたら何かの勘違いかも知れないって事も有るじゃないか。だったら、まずは話を聞いてみても遅くは無いはずだ。そう思ったんだけど……ギアルギンが先回りして俺の思惑を潰してくる。
どうしよう。このままだと何も変わらないじゃないか。
「ああ正直ですねえ、ほら見てごらんなさい、苦虫を噛み潰したような顔をしてますよ。大方、何か難癖でも付けて貴方を惑わす気だったのでしょう」
「ぅ……」
「あの大熊は間違いなく貴方の夫を殺した仇ですよ。その証拠に話をしたし、熊の姿であるのに角だって生えていたでしょう」
「そう、ね……そうよね……」
立ち止まっていたヒルダさんが、額に手を当てて細い指で汗をぬぐう。
迷っている。それは解るのに、俺には何も言えない。
そもそも、何を言えばいいのだろう。
命乞い? 殺さないでくれってお願いするのか?
だけどそんなの、ヒルダさんからしてみれば悪足掻きにしか見えないだろう。
頭に血が昇っている状態では何を言ってもただの反抗にしか思えない。仇を討つと言っているヒルダさんにそんな事を言えば、更に激昂するだけだろう。
俺が言える事など無い。それをギアルギンも解っているのか、さっきはドービエル爺ちゃんを見て呆然としていたってのに、今はもう正気を取り戻して、ヒルダさんを誘導して早くクロウを殺せと急かしている。
こんな時、ブラックなら何か言い返せたのだろうか。必死で回避できる言葉を考えようとしても、まったく思い浮かばない。それが悔しかった。
「情に流されていたら何も遂げられませんよ。それとも、貴方の息子を窮地に追いやった子供に義理立てでもするつもりですか?」
「ッ……!」
ヒルダさんの顔が、再び怒りに歪む。
目を見開いて綺麗な水色の髪を逆立てるように息を吸う姿は、憎い敵を睨む人そのものだった。そこにはもう、一部の優しさも無い。
命乞いすら、失敗してしまったんだ。
「ヒルダ、さ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ツカサさん……でも、味わって……そうよ、貴方も味わえばいいの、そうすれば解ってくれるわよね……? 私の絶望を、憎しみを、恨みを、どうしようもないこの気持ちを……!」
再び一気に近付かれる。
だが、もう、その刃を受ける訳にはいかない。
俺は左腕の痛みを堪えて、一気に立ち上がる。目の前に迫っていたヒルダさんの腕を掴み、彼女の全体重を受け止めた。
「ぃ゛ッ、うぐ……ッ!!」
腕に痛みが走って思わず呻く俺に、ヒルダさんはヒステリックに叫ぶ。
「離してッ!! 離しなさい!! あなたも殺しますよ!!」
「い、やです……ッ!! クロウは、俺の大事な……ッ、黙って、られない……ッ」
大事だから、庇う。そんなこと誰だってそうだ。
好きな人を痛みや苦しみから遠ざけたいと思うのは普通だろう。そのために自分が殺されるのであれば、それで全てが収まるのなら、一度はその事を考えるだろう。
ヒルダさんだってそうだったはずだよ。彼女は優しい人。館の人達には慕われて、この温泉郷だってずっと一人で守って来た。その頑張りは結果的に悲劇を起こしてしまったけれど、貴方が今まで頑張って来た事は間違ってはいなかったんだ。
なのに、どうして。どうして今、自分から足を踏み外そうとしてるんだよ。
嫌だよ。俺はクロウを殺されたくない。ヒルダさんにも人を殺して欲しくない。
どうしてこんな事になっちまったんだよ。彼女はこんな事をしでかす人じゃない。苦しかっただろうに、それでも俺を許して「同情しないで」と言ってくれたんだ。
心の中で俺を憎んでいたとしても、それを一度も表に出そうとはしなかった。
例えそれが今この瞬間のためにあった我慢だとしても、今のヒルダさんはひ弱な俺なんかの制止に動けないでいる。それは、あの言葉が嘘だったら絶対に在り得ない事だ。ヒルダさんは、非情にはなりきれなかったんだよ。
そんな人が、人を殺すなんて。
「殺して……ほしく、ない……ッ!」
「まだ言う……ッ」
力を籠めて、ヒルダさんが俺を押し切ろうとする。
だけど俺は必死に相手の腕を掴みながら、ずきずきと痛む腕に力を込めた。
「ヒルダさん、にも、人を、殺させたくないんです……ッ!!」
命乞いはしたくない。嘘なんて言いたくない。
俺はクロウを殺して欲しくないし、ヒルダさんにもそんな事させたくない。
嘘じゃない。これが、俺の本心だ。クロウの命乞いではない。そうしたい気持ちも有るけど、それと同じくらいに乞いたい事が有る。
俺にとっては、貴方が罪を犯す事も、とても悲しい事なんだよ。
「――――ッ!!」
そんな思いを込めた言葉を、必死に吐き出す。その必死さがヒルダさんに何らかの衝撃を与えたのか、彼女の腕から力が抜けた。
もしかして、分かってくれたのか……?
話し掛けようと彼女を見上げた所に、何か大きなものが崩れ落ちるような振動が体を襲って、俺は思わず姿勢を崩しかけた。
何が起こってるんだろう。分からない。
どの道、今はヒルダさんから目を離す訳にはいかない。
力を込めた俺の背後で、ばかなとギアルギンの声がする。
もしかして、ドービエル爺ちゃんがトライデンスを斃してくれたのか。
だったらもう安心だ。これでラスターとアドニスが危険に曝される事は無い。後はレッドとブラックだけだが……。
「レッド様!!」
恐らく何も敬ってはいないだろう敬称を付けて、ギアルギンが大声でレッドを呼ぶ。すると、背後から凄まじい剣戟の音が聞こえ誰かが毒づく声が聞こえた。
これは、ブラック?
なんだろう、どうしたんだ。ブラック、怪我なんてしてないよな。
思わず振り返ろうとしたと、同時。
「うわああ!」
「きゃあっ!!」
いきなり俺達の周囲に炎が出現し、少し距離を取ってぐるりと囲んでしまった。
「な……なに、これ」
「テメェッ! 逃げるんじゃねえ!!」
乱暴なブラックの言葉が聞こえたと思った途端、炎の一部が歪んで、そこから五体満足な誰か……レッドが入ってくる。それを見て、俺はこの高く燃え上がる炎の壁がレッドの曜術に因る物だと理解した。
きっとこれはグリモアの力で作られた物なんだ。
ブラックが「逃げるな」とあれほどヒステリックに叫んだのは、おそらくこの炎の壁を生半可な力では切り崩せないからだろう。でなければ、あんなに冷静さを欠いた声を出すはずが無い。という、ことは……。
「もしかして、炎の壁に囚われたって事……?」
レッドと、ヒルダさんと、ギアルギンしかいないこの場所に?
そんな危険な場所に、俺と横たわるクロウだけが、取り残されたなんて……
い、いや、ヤバいじゃん! ヒルダさんはともかく、ギアルギンとレッドは俺達にとっては厄介な敵なんだぞ。そんな奴らと実質一人でここにいるなんて。
ヤバい。明らかにヤバい。
このまま攻撃でもされたらクロウを庇いきれない。それに、支配されたら……。
ヒルダさんを捕えたままで、どうすべきかと考えていると、天井まで燃えそうな程高く燃え上がっていた炎の壁を背景にして、ギアルギンがニヤリと笑った。
「さあ、邪魔する者はもうその少年だけ。私達が手伝いますから、引き剥がしてこの獣人を殺してしまいましょう」
クソッ、どうすれば……っ。
ヒルダさんから腕は離せない。この状態でギアルギンとレッドが動いたら終わりだ、確実にクロウが殺されてしまう。
こうなったら、俺がまたクロウに抱き着いて庇うしかない。俺なら何度やったって傷は治るんだ。その手を使わない手は無い。例え串刺しになったって、いい。相手の気が済むまで刺されていれば、ヒルダさんもきっと理解してくれるはずだ。
クロウは人族の領域を無闇に侵すような事はしない。
理由もなしに誰かを傷付けるなんて事は無いんだ。何としてでも守らないと。
こんな無防備な状態のクロウを殺したって、ヒルダさんも本意じゃないだろう。
守らなきゃ。そう考えたと同時、炎の上の方から、巨岩のように大きな“何か”が体をねじ込んで、炎の壁の中に入って来た。
誰だと思う間もなく、また地面が激しく揺れる。この揺れ、もしかして。
「ドービエル爺ちゃん!?」
「おう、今戻った! モンスターは全部倒したぞ。だがしかしこんな風に分断されるとはな……この壁、生半可な力では通り抜けられない上に消えぬぞ」
「解ってる、でも今手が離せなくて……!」
ドービエル爺ちゃんが入って来た途端にまたヒルダさんの体の力が入る。
このままだと、押し負けてしまう。彼女もラスターのように戦う訓練を受けた貴族なのだ。素人で何時まで経っても筋肉が付かない俺では抑えられないかも知れない。
どうにかしなきゃ。もういっそ、ナイフを体に突き刺して抜けないよう力を籠めるとか……痛いけど、怖いけど嫌だけどもう確実に相手から凶器を奪う方法はこれしか無いんだ。説得もほとんど通じないのなら、最早体のぶつかり合いしかない。
だが、そんな俺の心配とは裏腹に、ヒルダさんはクロウと俺ではなくドービエル爺ちゃんを見上げて、わなわなと体を震わせていた。
「よ、くも……良くもぬけぬけと、人の前でしゃべれるなあ!!」
鋭い怒声。
そのヒルダさんの声に、ドービエル爺ちゃんがこちらを見る。
角も牙も立派な熊の顔で、ヒルダさんを見るために目を細めた。
「お主は……まさか……」
ヒルダさんを見止めたのか、爺ちゃんの態度が変わる。
それが何による反応なのかヒルダさんは理解しているのか、言葉を吐き付けた。
「そうよ……貴方が殺した、勇者バルクートの妻……貴方を殺す女よ!!」
そう言って、ヒルダさんは――――急に体制を変えて俺を引き寄せる。
「え……」
何が起こったのか解らないまま、俺は彼女の胸を背中に感じて……首筋に、冷たく鋭い物が当たった事に気付いた。
これって、まさか……ナイフ……。
「…………お主が、あの者の妻か」
ドービエル爺ちゃんの声が固くなる。
それは、間違いなく全てを理解している声だ。誤解だと思いたかったのに、爺ちゃんは肯定するかのように、ただヒルダさんを見ていた。
「良かった……本当だったのね……。だったら、貴方にも思い知って貰うわ。貴方の最愛の息子が、今から死ぬ所を……!!」
――――――え……?
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