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イスタ火山、絶弦を成すは王の牙編
恨むことは辛く苦しい2
しおりを挟む「ツカサ君……!!」
思わず、声が出た。
だが、そのまま駆け寄る訳にも行かず、真正面から剣を突き付けて来た憎き相手に真っ向から受けてその重さに腰を沈める。
多少は力が有るのが、本当に鬱陶しい。
作法通りの面白くない剣で興味など何一つそそられないのに、それでも相手をしなければいけないと思うと心がささくれ立った。
そう。ブラックが、相手をしなければならないのだ。
今のこの状況では、そうするのが一番いいと思った。だからこそ、ブラックは早く終わらせたいとヤケになる気持ちを抑えて、こうして戦っているのである。
……なにせ、紅炎のグリモアの術を抑えられるのは、自分しかいないのだから。
もし相手がグリモアの力を行使して来るのなら、この火山の膨大な曜気を使わないはずがない。そうなれば――下手をすると、この場だけでなく火山一帯が被害を受け崩壊する事すらあり得た。
だからこそ、ブラックはこの木っ端以下の存在から離れられなかったのだ。
しかし、それも間違いだったのかも知れない。
今ツカサは、危険にさらされようとしている。予兆すら無く出現した“準竜”のような見た目の、赤いトライデンスと似たようなモンスターに。
(くっ……もっと早く手を打っておくべきだった……)
視界の端で常に彼を追い、あの諸悪の根源が何かをしはしないかと警戒していたが、そんな視線だけの監視など無意味が無かったのだ。
後悔するが、剣を合わせて膠着状態に陥った最中ではどうにもできない。
いっそ剣でいなしている“面倒事”を殺せれば話は早く済むが、この場で殺せば何が起こるか分からない。あの狡猾な男がその事を考えていないはずは無かった。
それに――グリモアが死に際に暴走でもしたら、火山一帯が滅ぶ。
手加減も速攻の処理も出来ない今のブラックには、相手を引き付けておくことしか出来なかった。
「馴れ馴れしくツカサの名前を呼ぶな、下郎……ッ!!」
【嫉妬】の名を冠する、炎のグリモア。
その悪徳を象徴するかのように、目の前の小僧の目は真紅に染まっている。本来は青い目だったはずだが、己の力を制御出来ていない証だった。
(この目は……本当に、苛つく……ッ!!)
ツカサに何度その“眼”をさせたのだろう。
ツカサを支配して、何を望んだと言うのだ。
どうせこの男もツカサを手に入れる事を望んだのだろうが、しかし解り切っていた事であっても、腸が煮えくり返るようだった。
(殺したい……ッ。クソ……っ、あの後遺症が無ければ……)
今のブラックは、思ったように力が出せなかった。
――いや、もしかしたら自分が安定していないのではないかと考え、無意識に力を制御しすぎているのかも知れない。
だが、今のブラックにはそれをどうにかするほどの確実な力は無い。
不安定だと自覚している間は、無暗に己を解放する事は出来なかったのだ。
そんなブラックの状態を知ってか知らずか、相手はグリモアの能力を恐れず存分に使って、ブラックと剣を打ちあっている。
その無鉄砲で愚かしい行動は、いっそ羨ましく思うほどだった。
この男は、何も知らずに、グリモアの能力に振り回されている。
危うい綱渡りをしているとも気付かずに、その「振り回されている力」を行使し、制御出来ていると勘違いしている状態なのだ。こんな危うい状態を維持し続けている事には驚きだが、対峙しているブラックとしては、目の前の男はただの面倒臭い爆発物にしか見えなかった。
「クソッ……約束さえなければ、貴様など殺しているところを……ッ」
殺意を湛えた目でそう言いながら、相手は口惜しそうに顔を歪める。
約束。それは、ギアルギンと交わした約束だろうか。それとも、あの女領主か。
どちらにせよ、相手も何か制約によって縛られているらしい。
だが、その言葉は「約束が無ければ確実に殺せた」と言っているようで、ブラックにとっては屈辱を感じずにはいられなかった。
(調子に乗りやがって……クソガキ……ッ!)
こちらとて、あんな事が無ければ余裕で戦えていた。
実践も少なくお決まりの型しか知らない力でごり押しする素人並の剣技など、すぐに打ち倒してツカサの所へと向かえただろうに。
まったく、何もかもうまくいかない。
(何やってんだ、駄熊……早く起きてツカサ君を守れよ……!!)
あの横恋慕熊にこんな事を言うのは、酷く自尊心が疼く。
だが、今のこの状況でツカサを守れるのはあの男しかいなかった。
何が起こって倒れているのかは解らないが、ツカサについて来ると決めたのなら守って然るべきである。いくらツカサが死なないからと言っても、ギアルギンが目の前にいるのはまずい。刺されたくらいで、何故倒れたままで居られる。
「どこを見ている!」
「こ、の……ッ、鬱陶しいんだよお前はァアッ!!」
苛ついている所に目の前の相手の怒声が降りかかり、頭にカッと血が昇る。
何故こんな奴に手こずらなければいけないのか。こんな奴相手に力が出ないなどと言い訳を連ねるなんて、我慢がならない。
自制をしていたはずなのに、ツカサの傍に行けない事と“二番目の雄”とのたまう熊の不甲斐なさがそれを振り切って、拳に伝わる。
刹那、ブラックの体は動き、打ちあわせていた相手の剣を受け流すように斜め下へ比重を崩すと、そのまま剣を離して相手の右足を剣で斬り上げた。
「――――ッ!!」
虚を突かれたように、相手の顔が歪む。
体勢を保てず、相手はそのまま傷付いた片足を庇うように崩れ落ちた。
(これだから、技量のないお決まりの剣術は嫌いなんだ)
何度も何度もバカの一つ覚えのようにわざと膠着状態を作っていれば、こちらとてそれを悟らないはずが無い。
もっと早く、こうすれば良かった。己の力を過信するのも愚かだが、おそれて抑え込む事もまた愚かだ。解っていながらも、今の今まで大人しくなっていた自分が情けない。あんな熊を少しでも利用しようと思った自分が馬鹿だった。
いや……もしかしたら“利用”ではなかったのかもしれない。
だが、今はそれを考える事すら煩わしい。
「ぐっ……き、さま……ッ、こっちが手加減してやっていれば……ッ」
「それはこっちの台詞だ。いい加減、お前の頭の悪い勘違いにはウンザリしてるんだこっちは。今ここで殺さない事に感謝して欲しいくらいだね」
どれだけ力が有ろうとも、やはり技量の差は埋められない。
小手先の腕力などで受け流されるようなら、自分の過去は意味が無いのだ。
それを忘れてあの力に怯えていたとは、我ながら恥ずかしい。
だが、それを気付けただけでも僥倖と言う物だろう。
(それでも、体の動きが鈍い事は確かだ。……やっぱり影響はあるな……。それとも、ガラじゃなく炎の曜術を使い過ぎたからか)
思った以上に、あの隠し扉を見つけるのに体力が奪われていたらしい。
曜気が潤沢に存在しようが、結局己の体が耐え切れなければ意味が無いのだ。
しかし今はそんな事はどうでもいい。こうなったら、自分がツカサを救わねば。
そう考えて移動しようと思った所に、倒したばかりの相手が剣で体を支えながら、再び立ち上がって来た。
「これで……勝った、つもりか……ッ」
「そんなこと欠片も思ってないけど、お前の中では負けた事になってるわけ?」
「煩い……ッ!! 貴様、だけは……絶対に、許さない……!! ギアルギンに止められていたが、もういい……貴様はここで死ね……!!」
そんな世迷言を言いながら、紅い目を光らせる鬱陶しい相手。
やはり息の根を止めた方が良いのかもしれない。そう思い、剣を向けようとした。
――――その時。
甲高い悲鳴のような咆哮が、ツカサ達がいる方向から耳に飛び込んできた。
「ほら、折り重なっている。今が絶好の機会ですよ? 早く罰しておしまいなさい」
「う、ぅ……うぅ、う……っ」
クロウを守るために覆い被さった俺を見て、ヒルダさんが悩むように唸っている。
俺には見えない位置に立っているから表情は解らないが、しかし、ヒルダさんはきっと迷っているんだ。今は、俺達を傷付けることに気弱になっている。
ヒルダさんは、ギアルギンに唆されたに違いない。
だから最初はクロウを刺したけど、さっきより冷静になった今は、俺達を憐れんで攻撃を躊躇ってしまっているんだ。やっぱりヒルダさんは優しい人だよ。人を傷つけるなんてこと、本当はやりたくないんだ。
けれど、そんなヒルダさんをギアルギンは叱責するように説得を重ねる。
「貴方の家族への愛は、この二人に負けるのですか? そんな事はありませんよねぇ。夫と息子、どちらも貴方にとっては大事な事のはずだ。なのに、なぜ躊躇うのです? それでは彼らが浮かばれませんよ」
「だって、ツカサ君はやっぱり……」
「ハァ……仕方ないですねえ。では、こちらの熊男だけ先に処刑しますか。実際に刑に処せば踏ん切りもつくでしょう」
そう言いながら、ギアルギンはパチンと指を鳴らす。
すると背後に控えていた恐ろしいモンスターが悲鳴のような声を上げて、こちらに顔を近付けて来た。生臭い息がぶわっと髪を噴き上げて、鼻先が近付いて来る。
「貴方は私に手を貸せと言った。私はそれを実行しているにすぎません。すべては、貴方の傷ついた心を癒すためのもの……今更、後戻りはできないんですよ」
「……っ」
「憎いのでしょう? 貴方の夫の命を奪った存在が。……だったら、仇を討てばいい。理屈や気持ちは後から付いてきますよ。なに、人を殺す事なんて、貴族以外の皆々様は大体慣れっこです。気楽に考えたって問題はないんですよ」
だから、さあ。見ていて下さい。
そんな軽口を叩いて、ギアルギンがまた指を鳴らす。
けれど俺は別の事に心を奪われ、その言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。
――――夫の命を奪った存在が、憎い……?
俺は彼女の夫と面識はない。だとしたら、今攻撃されているクロウこそがその言葉に当て嵌まる人物になる。でも、それっておかしいじゃないか。
クロウは俺達に出会うまでずっと鉱山で奴隷として働いていたんだぞ。幾ら勇者の名を持っていたヒルダさんの夫でも、クロウ達が居た場所にまでは辿り着けていなかったはずだ。発見していたら、もっとセキュリティが厳しくなってただろうしな。
だから、クロウはヒルダさんの夫に会えなかったはず。
もしクロウが彼と出会っていたのなら、ヒルダさんに会っても何も言わなかったのはおかしい。記憶力も良いし獣人の特殊能力である鋭敏な五感を有している存在なのに、ニオイに気付かない事なんてありえない。
それに、クロウは真面目で優しい。もしクロウがヒルダさんの夫を殺したとしても、彼女の屋敷に入っても何も感じなかったなんて事は無かったはずだ。
そもそも……なんで、そう思うんだ。それもギアルギンに唆されたのか?
だけど、そう思うには何かしらの確証が得られる根拠が有るはず。
……そうか。だから、ヒルダさんはクロウを仇だと勘違いして、刺したのか。
…………でも、いつ仇だと思ったんだ。途中からか? それなら、ギアルギン達が情報を与えたり、手伝ったって事で……どうしてそんな事を手伝っていたんだ……?
ああチクショウめ、腕が痛くて考えがまとまらない!
「……そうね。だけど、モンスターを使うのはやめて。私が成したいことは、相手を壊し、夫への罪を暴く事……―――」
ヒルダさんの言葉が、どんどん右肩下がりになって来ている。
このまま怒りを鎮めてくれないだろうか。そう思ったが相手がナイフを構えた所で俺は絶望した。それほどまでに、彼女達の憎しみは深いと言うのか。
でも。なんで。どうして。
「ヒルダさん、目を覚ましてよ! どうしてクロウなんだ、クロウは何も悪くない、ヒルダさん達の事も知らなかったんだよ!」
最初からクロウのことを疑っているのなら、視野が狭くなることも致し方ない。
だけど、どうしてそう思ってるのか解らないままで離れられないよ。
絶対にクロウを刺させやしないとヒルダさんを見上げた俺に、彼女は困惑したような、悲しそうな表情をして頭を横に振った。
「目は覚めてるわ、ずっと前からね。だけど、ごめんなさいねツカサさん……私は、どうしても彼が……いや……彼の一族が許せないの。根絶やしにしたいくらいに」
「それは……クロウが殺したって思ってるから……?」
どうしてそんな風に思うんだ。
悲しくなって顔を歪めると、ヒルダさんは沈痛な面持ちで眉間に皺を寄せた。
「話しても、きっと解って貰えないわね。……ごめんなさい。だけどもう、遅いの。私は仇を討つ事に決めた。例え私がどうなろうとも……」
言いながら、ヒルダさんは俺の左肩を掴んだ。
「ぐあぁっ!!」
痛みで思わず悲鳴を上げるが、彼女は構わず俺をクロウから引き剥がす。
女性とは思えない腕力は、貴族として剣術を学んでいたからなんだろうか。でも、今はその力をこんな事に使おうとしている。
違うのに。クロウは何もしてない。違うんだ……!
「まずは、子を失う苦しみを、味わって貰う。そう決めているの。本当に……ごめんなさい、ツカサさん」
子を失う苦しみ?
それ、どういう…………――
「死ね……!!」
硬直する俺に構わず、ヒルダさんは再び血塗れのナイフを握る。
そうして、クロウの前に立って……その刃を、振り下ろそうとした。
「さあ、今度こそ眷属とお別れですよ」
ギアルギンが悪意に満ちた言葉を吐き付ける。
お別れ。
クロウと、こんな状態で動けないクロウと、お別れ……?
そん、なの。
「い、やだ……いやだあぁああああ!!」
手を伸ばし、クロウを庇おうと体を跳ばせる。再びナイフが振り下ろされようとする所に勢いよく滑り込もうとするが、間に合わない。
今度こそ、クロウに。クロウの胸に、ナイフが付き立てられてしまう。
嫌だ。嫌だいやだいやだ嫌だ嫌だ!!
「アーデント、邪魔なそこの子供を狩りなさい」
クロウに再び飛びつこうとした俺に、そんな冷酷な声がかかる。
駄目だ。間に合わない。もうどうしようもない。
クロウは動けない。今度こそ、間に合わないかも知れない。庇ったとしてもギアルギンが居る限り俺達に勝ち目はない。クロウが死んでしまう。そんなのいやだ。どうして、こんなの嫌だよ。せっかくクロウと仲直り出来たのに……!!
俺が、もっと強ければ。
もっと冷静で、強くて、なんでも出来る存在だったら。
そう強く願うが、もう遅い。
ヒルダさんのナイフが、横から赤く大きな口が、襲う。
もし俺に、力があったのなら。
考えて、強く願った。
刹那。
「――――!!」
まるで閃光弾でも落とされたかのような強烈な青の光が、視界を覆った。
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