異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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イスタ火山、絶弦を成すは王の牙編

  熊、惑い求める

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   ◆



「……それで、お前はツカサを置いて来たのか」

 横でうるさいくらいに風に髪をなびかせる優男が言う。
 先ほど説明してやった事を何度も繰り返すのが鬱陶うっとうしかったが、クロウは怒らずに頷いてやった。このくらいで怒るなんて、ばかばかしい。

 そんなクロウの態度は透けてはいないだろうが、それでも常に無表情なこちらにはあまり良い感情を抱いていないのか、傲慢ごうまんな貴族はしかめっ面をしながら先を見る。
 その視線に同調するかのように、いつも以上につまらなそうな無表情になっているオーデルの薬師が、傲慢な貴族の隣で同じ場所を見ながら呟いた。

「まったく……もう少し色々とやりようがあったのでは?」
「仕方がないだろう。お前らはツカサがああなっても、引き留めないのか」

 そう言うと、二人不機嫌を明確に表したような表情で黙り込む。
 さもありなんとクロウは思った。

(当然だ。オレがやって、お前らがやらない訳が無い)

 この場にいる三人ともが、ツカサを想っている。
 そりが合わなかろうと、愛しい相手を想う恋慕と言う物はそう変わりは無い。嫉妬も種族に限らず同じように存在するものだろう。
 だとすれば、クロウのやった事をこの人族どもは責められまい。

 解り切った事を考えながらじいっと二人を見やるクロウに、それでも、と言いたげに胡散臭い眼鏡の薬師が口を開こうとして――ふと、何かに気付いたように問うた。

「そう言えば……貴方もツカサ君から自在に曜気を引き出せるんでしたね」
「何か問題が有るか」
「まあ……問題が有ると言えばまあそうなのですが。考えて見れば、貴方はグリモアではないのに、何故そんな事が出来るのだろうかと」

 …………そう言われてみれば、そうだ。
 周囲の話を聞く限りは、どうやらツカサの体内から創造される曜気を自在に奪う事が出来るのは、“魔導書グリモア”を獲得した人族に限られると言う話のようだった。
 だが、クロウは違う。醜悪な存在でもないし、そもそも人族でも無い。
 それなのにツカサの曜気を引き出して喰らえるのは、確かに妙とも言える。

 しかし、その事に関しては仮説など幾らでも立てられるだろう。

「オレは、ツカサにとって大事な存在だ。その事が作用して無意識に搾取を容認しているのかもしれんぞ」
「貴方よくぬけぬけと言えますね」
「ツカサがオレに“とても大事で一緒にいたい”と言ったんだ。オレは、グリモアなどと言う醜悪な存在とは違う。オレとツカサの関係こそが、純粋な関係と言える。だからこそ、ツカサもオレにグリモアと同等の権利を与えているのだ」

 そう。自分は、グリモアではない。選ばれた存在ではない。
 けれども、ツカサは自分と「ずっと一緒にいる」と約束してくれた。
 クロウを信頼しているからこそ、彼は自分にもグリモアと同じような権利を与えてくれたのだろう。まさに、ツカサがクロウを思えばこそ、だ。

 だから、今更それを反故ほごにさせる気はない。誓ったのなら、一生貫いて貰う。それを愚弄する事は、誰であろうが許さない。
 クロウは、ツカサを奴隷のように扱う人族とは違う。
 認めないと言うのであれば、協力者と言えども敵対せざるを得なかった。

 そんな物騒な事を考えていたせいか、いつの間にか眉間に皺を寄せて睨むような顔になってしまっていたクロウに、人族二人は同じような顔を向けて来た。

「ほう? 言うではないか本能だけの下賤げせんな獣人が。ツカサに異変が起こっているのに気付けなかった矮小な存在が、輝かしい【黄陽おうようのグリモア】の俺と同等扱いとは、笑わせる。寝言は小屋の中で言え」
「……ツカサ君が頼りにしているのは、貴方だけとは限らないんですけどねぇ。彼の体の事も知りもしないで信頼だ一番だなどと、いや、実に面白い笑い話だ」

 岩だらけで風もよく通る場所だというのに、気分が悪くなるような雰囲気が流れる。だがここで三人を諫めるものなど誰もおらず、クロウと人族二人はお互いを睨みつけながら立ち上がった。

「……今ここで二人とも殺してやろうか」
「面白い。ちょうどいま“自惚うぬぼれて図体ばかりがデカい獣”を狩りたかったところだ」
「別に構いませんよ? ですが、二つも死体が転がるとなると後が面倒ですねえ」

 お互い、自分が負けるなどとは露ほども思ってはいない。
 しかしそんな相手の態度が余計に胸をむかつかせて、クロウはいけ好かない下等な人族二人と睨み合いながら、歯噛みをした。

 どう殺してやろうか。そう思いながら、今まで人族と同じように偽装していた爪を、己の本来の爪である黒い刃のような物へと変化させようとする、と――――

「――――ッ」

 前方からの羽音、いや、これはファイア・ホーネットの警戒音。
 一気にこちらに直進してきた三匹を視認して、クロウはそちらへ飛んだ。
 と、視界の横で同じように地を駆ける金の流れと、恐ろしい速度で伸びる緑の蔓が見えた。だが構わず、クロウはそのまま即座に空で体をひるがえし、目の前に迫った蜂を爪で一気に引き裂いた。

 その、蜂の残滓ざんしの流れる空間の端で、剣戟によって同じように真っ二つになった蜂と、蔓によって醜く絞め殺された“なにか”が動く。
 クロウ以外の男どもも、どうやら一撃で敵をたおしたようだった。

(……この程度の雑魚、ツカサを守るのなら簡単に斃せて当たり前だが……)

 やはり、いけ好かない。

 軽く地に着地したクロウと、姿勢を正して立ち上がった貴族に、遠距離から攻撃を仕掛けていた胡散臭い薬師が近付いて来る。
 その顔は、興を削がれたと言わんばかりのつまらなそうな顔だった。

「……喧嘩している場合ではありませんでしたね。早く調査して帰りましょう。あの蜂がツカサ君の予想通りに飛んできたという事は、やはりこの周辺に何らかの入口が有る可能性が有ります。さっさと探って帰りますよ」
「…………フン」

 互いに互いがいけ好かないし、許されるのであれば排除したい。
 しかし、薬師が言う通り今はそんな事にかまけている場合では無かった。

 今、ツカサは宿屋で眠っている。そのはずだ。
 そんな彼を少しでも休ませるために、クロウは強引に彼から曜気を奪って気絶させたのだ。今更ツカサに嫌われたかも知れないと思ったが、そんな事を考えても、もうどうしようもなかった。

(……いや、一番どうしようもないのは……嫌われても構わんと思っているオレ自身かもしれんな……)

 どうせ、ツカサに拒否権は無い。
 自分達は確かな約束を何度も交わした。例えツカサがクロウの事を厭う事に成ろうが、最早この絆は誰にも引き千切る事は出来ないようになっている。
 ツカサが泣き喚いて恐れようが、彼はもう自分からは逃げられないのだ。

 ……だからクロウは、嫌われても良いと、思ってしまうのである。

(無知とは恐ろしいものだ。しかし、そのお蔭でオレはツカサを捕まえた)

 ツカサは知らないだろう。
 獣人の約束は命をかけて行うものであり、果たされなければ命を失うという事を。
 何を奪われようが文句は言えない。そういうものなのだという事を。
 だからこそ、ツカサは純粋な気持ちで誓ったのだろうが……今更、遅い。

 自分のような悪い大人に捕まったのに、そんな悪人を純粋に信じてしまったツカサの無知さが、悪い。そのせいで、クロウとツカサを結び付けてしまったのだから。

(だから、そんな約束をさせてしまった代わりに……オレは絶対にお前を離さないし、未来永劫お前の味方だと誓っている。オスとして、お前を守る事だって当然だ)

 そう。それは全て、自分に「一緒にいる」と誓ってくれたツカサに対しての、当然の行動だった。だからこそ、ツカサがブラックのために駆けだした時、激しい憤りと嫉妬を感じたのだ。


 ……自分のツカサに対しての献身けんしんは、全てがあの男にかえる。
 その彼がクロウの事を振り向く事は、絶対にないのだと。


(…………そう、絶対に……ツカサは、ブラックの方へと行ってしまうだろう)

 ――どれほど違うと思い込もうが、最早それは避けようのない事実だった。
 ブラックが危険になれば、彼はクロウが止めても、傷付きボロボロになっても……ブラックの所へと、駆けだしてしまうだろう。クロウの気持ちなど、二の次にして。

 何故ならツカサは、ブラックの事を恋人として愛しているからだ。
 この世界でたった一人の、つがいとして認める大事なオスとして……。
 ……だからこそ、今度と言う今度は……許せなかった。

(…………どうかしている。今まで散々、自分は二番手だと納得して来たのに、今更二人の強い結びつきに嫉妬するなんて)

 それも、これも、世界協定の本部・カスタリアで、二人が通じ合ってからだ。
 あの時から、クロウは何故か置いて行かれたような気持ちになって、自分も結局はこの男達のように「仲間の内の一人」ではないのかと考えるようになってしまった。
 自分は所詮、ブラックには勝てはしないのだと。

 そうではないと思おうとしても、自分の中の弱さは消える事は無かった。

 ――結局、自分はツカサにとっての“一番大事な存在”ではない。
 何をやっても、ブラックに勝てる事など一つも無い。
 自分は、元々横恋慕をしていただけ。ツカサにとっては、結局それ以上ではない。
 彼がクロウに向ける思いは……好意ではなく、ただの厚意でしか、ないのだと。

(……哀れ過ぎて、自分でも笑えてくる)

 その事が、今まで約束して来た“ツカサとの特別な誓い”とあまりにもかけ離れた、情けなく惨めな負け犬の自分を映し出したようで…………
 酷く、悲しかった。

(ヤケになっているんだ。自分でも理解している。だが、だからと言ってどうすればいい? オレが冷静になろうが本性を曝け出して暴れようが、結局オレはツカサにとっては何の脅威にもならない。オレは所詮、その程度の存在でしかない。オレは、ブラックのようにツカサに思われるような存在ではないんだ。全てはアイツのため、ツカサはアイツのために動く。オレがどう懇願したとしても、ツカサは、ツカサは……オレを“いちばん”には見てくれない……!!)

 二番目でいいと思っていた。彼の傍に居られれば、それで充分だと思っていた。
 自分を理解して、受け入れてくれるその優しさが有れば、何百年でも待てる。そう思っていたのだ。……けれど、自分はそこまで清廉潔白ではいられなかった。

 想えば想うほど、慕えば慕うほど、衝動は肥大化していく。
 彼の一番になりたい。彼の肉をむさぼりたい。食事では無く、愛しいと思うがゆえの性欲をぶつけ、彼を愛するために抱き、果てるまで犯したかった。

 それが、叶わないと夢だと知っていても。

(…………ツカサは、今頃怒っているだろうか)

 強引に曜気を奪って気絶させたのだから、怒っているに違いない。
 だが、クロウはもう、あれ以上ツカサがブラックを想う所を見たくは無かった。
 満身創痍になろうとも必死で恋敵を心配する思い人を、見たくなかったのだ。

 ……決して自分には向けられないのだろう、優しさ。
 愛しいと思う相手がその優しさを他人に向けている様は、クロウにとって体中を刃で刺される以上に辛く、苦しい光景だった。

(……オレは……いつまでも、いちばんには……なれない。どこへ行っても……)

 生まれてからずっと、自分は何者にもなれなかった。
 望まれる事も出来ず、期待される事も無く、人の道を追って駆け背中を追い続ける事しか出来なかった自分は……結局、どこへ行っても“つぎ”でしかない。

(だが、オレは知っている……。この男達も、ブラックすらも知らない事を……)

 今は、それだけが心の支えになっているのかも知れない。
 そう思う自分が心底情けなかったが、ツカサの事を考えると自分の情けない感情にあらがう事も出来ず。

「…………行くぞ。少しでも、目星を付けておかねば」

 そう、冷静に呟いて、前を見据える。クロウは自分の弱さを振り切るように、蜂達がやってきた方向へと歩き出したのだった。












 
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