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ラゴメラ村、愛しき証と尊き日々編
熊、つがいを望む2
しおりを挟む子供のようにずっと泣き続けながら、ツカサはクロウをじっと見上げている。
これまでも泣きじゃくる事はあったが、未だかつてこのように素直なツカサは見た事が無い。これがいつものツカサなら、限界まで我慢してやっと泣いていただろう。今みたいに怯えたような色を滲ませた顔で、必死に自分を見つめて来る事など無く、これから先の事を考えて「恥ずかしい」と顔を背けたに違いない。
だが、今のツカサは、そんな余裕すらも無い。ただクロウを縋るように見つめて、ひっくひっくとしゃくりあげるように嗚咽を漏らしている。
……きっとこれが、理性を取り払ったツカサの本来の幼さなのだろう。
けれど、それを知っても今更ツカサを手放す気にはなれない。
ツカサをどうにかして落ち着かせてやりたいのは、本当の気持ちだ。
だがそれ以上に自分は――今のこの状況に、浅ましい興奮を覚えていた。
「ツカサ……今から何をするか……オレが何をしたいか、解るか」
クロウがそう言うと、ツカサは涙を零しながら目を細める。
いつもなら赤面して戸惑うだろうに、ツカサは全くそんな様子は見せない。
それどころか。
「ごめ、なさっ、わかっなっ、っぅ、ううっ……ごめ、なさぃ……」
赤子の啼き声のように語尾を引き摺って泣くツカサ。
無様な姿だとツカサは思うだろうが、いつもとは全く違うその可哀想で怯えた姿は、クロウにとって劣情を催す哀れな光景だった。
あの意地っ張りなツカサが、ここまで弱って自分に縋っている。
縋って、一人にしないでと睦言のような言葉を何度も口にして、クロウが行おうとしている行為を怯えながらも受け入れようと健気にこちらを見続けているのだ。
ああ、なんと哀れで可愛い姿だろうか。
命乞いをする獲物でもこれほど扇情的ではあるまい。
ツカサが自分に温情を求めているのは理解しているが、抱き締めるだけで彼が救われると判ってはいるが、それでも――目の前の堕ちて来た獲物に見て見ぬふりをして優しさを振りまく事など、獰猛な獣であるクロウには出来なかった。
「ツカサ……怖くないぞ……。オレが今からお前に触れて、思う存分愛してやる。何も怖がることは無い……約束しただろう? お前から離れないと……だから、オレの手を拒むな。悲しいことも、怖いことも、言っていいんだ」
柔らかな髪を何度も撫でて梳きながら、優しく笑ってやる。
すると、ツカサは感極まったような顔をして、クロウの胸にまた縋って来た。
(ゥグ……っ。か、可愛い……っ)
酒を飲むとこんなに素直に甘えるようになるなんて、知らなかった。
このツカサの姿をブラックが独り占めしていたと思うと妬けたが、しかし群れの長が番を独り占めするのは仕方のない事だ。
ぐっと堪えて、クロウは縋りつくツカサを優しく剥がすと、頬に何度も優しくキスを落としながら再び彼をベッドへと押し倒した。
「くろう……」
「心配しなくていい……一人にしないと言っただろう。何を話しても、オレはツカサの傍にいる。だから、苦しいことは全部話してしまえ。それとも……オレは信用出来ないか? オレは、ツカサにとってその程度の男だったのか……?」
彼が言い逃れできなくなるように、わざと意地悪な言葉を掛けてみる。
すると、ツカサは眉を寄せて困ったような顔をしていたが……酒のせいでよほど理性が弱まっていたのだろうか、震える口をゆっくりと開いて、話しだした。
「お……俺……おれ、は……」
「うむ。……落ち着け」
軽く抱いて背中を浮かせると、背を撫でてやる。
何度も撫でてやっていると少しは落ち着いてくれたのか、嗚咽もかなり収まって来て、ツカサは言葉を閊えること無く語り出した。
「ブラックが……ブラックが、俺の事、いらなくなったらどうしようって……クロウにも嫌われたら、俺独りになっちゃうから、だから……」
「――?!」
いらなくなる。嫌う?
馬鹿な。そんな事など一度も思った事など無いのに。
むしろクロウの方がツカサに嫌われやしないかと肝を冷やす事が多かったというのに、何故自分達がツカサを嫌わねばならないというのか。
意味が解らなくて動揺してしまい、クロウは己の顔が妙な表情になっていることを知りながらも、ツカサに出来るだけ優しく返す。
「ツカサ……何故そんな事を思う。オレやブラックがお前を手放すと思うのか?」
そう言うと、ツカサはまた涙を浮かべて――顔を逸らす。
「だ……って……俺……二人に迷惑ばっか、かけて、何もできないで、大変な目にばっかり遭わせて、え……えっちだって、ヘタ、だし、ブラックが、前はたくさんしてたのに、全然、しないし、だから、俺、おれ……っ」
「ツカサ……」
「面倒、だから……めんどうな奴だから……おれより、きれえな、女の人……が、いいんじゃないかって、だから、俺……や、で……怖くて、だから、独りにしないでって、お願……なんでも、する……わがまななとこ直すから、ブラックとクロウがしたいこと、していい、だから……ひっ、ぐ……だか、ら……ひとりに、しないで……やだ……ひとりぼっちになるのやだよぉ……!」
ぽろぽろと涙を流しながらクロウに訴えて来る、ツカサ。
その表情は孤独を怖がる子供以外の何物でも無く、クロウは絶句してしまった。
――なんて事だ。
ブラックがやっていた「ツカサを堕とすための我慢」は、結局ツカサを悲しませただけで、何の効果も無かったのだ。
……いや、ツカサが実際にこれほどまでにブラックに執着して「嫌われたくない、一人にされたくない」と思っているのだから、ある意味成功はしているのだろうが……しかし、クロウはこの状況があまりにも腹立たしかった。
(何が結婚指輪だ……お前がそんな愚物にうつつを抜かす前にさっさとツカサを堕としておけば、ツカサがこんな風に傷付く事は無かったではないか!!)
怒りが沸々と湧いてくる。
ツカサに感情をぶつける訳にはいかないと堪えようとするが、しかし、ブラックの愚鈍さを考えれば考えるほど腹の中が煮えくり返って堪らなかった。
(あのクソ人族め! なにが長だ、これだけ好かれておいて、ツカサの気持ちなど何一つ判らない有様でどう婚姻を済ませようと言う!? これだから人族のオスは下等だと言うんだ、番を傷付け悲しませるような準備など、世の中に有ってたまるものか!!)
まったくありえない事だ。
片方が周りを見もせず準備にばかり目を向けて楽しみ、もう片方がそんな相手の理不尽で不可解な行為に悩んで、相手が他の者に懸想して自分を捨てるのではないかと怯え傷付いているだなど。
例えそれが幸せになる為の「隠し事」だとしても、愛する者をこれほどまでに追い詰めることなど言語道断だ。
人を悲しませた後に喜ばせれば、誰だって簡単に喜ぶだろう。
だが、喜んだからと言って、その者の悲しさや辛さが消える訳ではない。人を誠に喜ばせたいと思うのなら、相手を悲しませるところから始めてはならないのだ。
なのに、あの畜生にも劣る男は。
「く、ろう……」
「っ……! す、すまん、ツカサ……違う、違うんだ。お前に怒っていた訳じゃない。お前にそんな勘違いをさせたブラック……いや、オレに、怒ってたんだ」
「ほんと……?」
怯えたような表情で見上げて来るツカサに、頷いてやる。
とにかく今は、彼を安心させてやらねば。
そう思い、クロウはツカサに圧し掛かって、髪を撫でながら何度も額や頬にキスを落とした。まるで、親が子供にそうするように。
「大丈夫だ……オレもブラックも、お前の事を置いて行ったりはしない。ずっと傍に居てやる。第一約束しただろう。ツカサはオレから離れないと」
そう言うと、ツカサの目がうかがうようにクロウを見上げて。
「独りに……しない……?」
控えめに、可愛らしい口調で聞いて来るツカサに、また熱が疼いて来る。
さきほど憤ったばかりだというのに……いや、憤ったばかりだからこそ、体が酷く興奮していて、ツカサの愛らしい表情を見るだけで再び熱が込み上げてきた。
「ああ……ずっと一緒だ、ツカサ……」
「二人とも……?」
自分がこれほどまでにツカサに執着しているのに、クロウよりも度を越した人族のブラックが、ツカサを手放すわけが無いではないか。そんな事になったら、天変地異が起きて大陸が沈む。
けれど、今の酔って怯えきったツカサにそれを伝えても納得しないだろう。
だから……――。
「どれほどお前を愛しているか、今からたっぷりと教えてやる」
「え……」
「直に肌で感じれば、解るだろう?」
「あ……で、でも……」
心が落ち着いた事でほんの少しだけ酔いが冷めたのか、ツカサは赤ら顔のままで、困惑したかのようにクロウを見上げて来る。
だが、そんな顔をしても止めてやる気にはならなかった。
「オレが……いや、オレとブラックが、お前をどれほど愛しているか知れば、お前も安心できるだろう。……不安に思うのなら、確かめてみる事も大事だぞ」
そう言うと、ツカサは……小さく、頷いた。
クロウの言葉がどんなに邪な思惑に満ちているかなど、考えもせずに。
(本当に素直だな、ツカサ……)
酒のせいで考える力が無いのだと判っていても、今はその子供のような素直さに感謝せずにはいられなかった。
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