異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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ラゴメラ村、愛しき証と尊き日々編

  熊、つがいを望む1

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「ただいま」

 扉を開けながらそう言えば、部屋の奥から可愛い声で「おかえりー」と間延びした声が返ってくる。それがここ最近ではいつもの事で、クロウはその些細なやりとりが好きだった。

 ツカサが自分に向けて声を帰してくれるのも嬉しいが、それ以上に思うのは……

(つがいのようでなんだか興奮する)

 そう。クロウにとっては、このような小さなやりとりこそがつがい……人族で言うなら「夫婦」と言う物のやりとりのようで、なんだか嬉しかったのだ。
 だが、今日に限ってツカサの「おかえり」が帰ってこない。
 どういう事だろうかと鼻を動かして――強烈な甘い匂いと、ほんの少しだけ漂う酒特有の匂いを感じとり、クロウは疑問に眉根を顰めた。

(ムゥ……。夜ならわかるが、何故昼間に酒の匂いがするんだ? たしかブラックは帰って来ていないと思ったのだが)

 ブラックは、ツカサに何やら贈り物をする為にはりきっている。
 いつから考えていたかはクロウには解らないが、初めて狩りに出た時に偶然鉱石を見つけてケッコンだの何だのと言っていた所からして、どうやらツカサに婚姻を申し出るつもりらしい。

(人族は、つがいになる時は指輪を贈るらしいな。大方、原石でも見つけて興奮していたのだろう)

 無論、クロウは別にやっかんではない。
 むしろ「やっと身を固めるつもりになったか」とすら思っていた。

 実際、人族は頭がおかしいとクロウは思う。何故なら、婚姻を交わす前から他者と交わり、好き放題に子種をぶちまけるからだ。
 獣人族も他人を犯す事はあるが、そう滅多やたらに種をまく事はしない。
 街中を歩いていて「お兄さん、私と良いコトしない?」などと声をかけてくるようなメスは、獣人の国ではまず見かけた事は無かった。

 何故なら、まともな獣人なら道端で声をかけて来る売女など相手にしないからだ。ついメスに誘われたがゆえに部族間のいさかいが起こる……などという事態も多い獣人の国では、メスを見極める事が殊更ことさら重要視される。
 そのため、多くのオスは決して道端で誘うはしたないメスなどにはなびかないのだ。
 まあ、ブラックのような男なら、性欲を発散させる為に求めるかもしれないが。

 ……とにかく、だからこそクロウは祝福する事は有れど嫉妬する事などは決してなかった。ブラックがツカサをちゃんと縛ってくれなければ、二番目の雄と言う立場を主張したクロウも困るからだ。

 群れと言う物は、立場をはっきりさせ統率を取らなければ、立ち行かない。
 ツカサという“つい奪いたくなるほどの存在”が群れの中の唯一のメスであれば、尚更なおさら今後の事を考えてもつがいになって貰わねばならなかった。
 そうでなければ、二番手になった意味が無いのだから。

(二番手は、群れにいて“二番目にツカサを自由にできる権利を持つ夫”という地位に就いている事になる。ツカサをつがいとして手に入れられる立場になるまでもう少しと言う所になって、他にかっさらわれる事など我慢ならん。なんとしてでも、ブラックにはツカサを射止めて貰わねば)

 幸い、ツカサはクロウの事も憎からず思ってくれている。
 しかも体に触れても嫌がる事は無いのだ。
 他のオスに対する態度とは全く違う、ブラックに対するそれと同じような態度。
 その態度こそが、ツカサが自分を受け入れてくれているという証拠だった。

 だからこそ、愛しいツカサを確実に手に入れる為に、ブラックには早い所ツカサと婚姻を結んで群れの立場をはっきりさせてほしかったのだが……――

(……と、いかんいかん。そんな事を考えている場合では無かったな。ブラックが帰って来ていないという事は……この酒の匂いは何なんだ?)

 まさか、ツカサが酒を飲んでいるのだろうか。
 だが、確か彼はブラックに酒を飲むことを禁じられていたはず。
 クロウはツカサが酒を飲んでどうなるのかはしっかり見てはいなかったが、妖精の国で少しだけ見た限りでは、かなり陽気になっていた覚えがある。

 ゆえに、笑い上戸みたいになってしまうと勝手に思っていたのだが……それならば、陽気に返事をしてくれても良さそうな物だが。

(ブラックのニオイは無いし、ツカサの匂いしかしないし……ううむ……もしかして酔って寝てしまったのだろうか?)

 よく解らないが、ツカサが酒を飲んだと解ればブラックが怒って面倒な事になる。
 クロウとしては酒ぐらい良いだろうとは思うのだが、怒られるツカサは見たくないので、なんとかして酒の匂いを散らしておかねば。
 そう考えて、クロウは匂いが濃くなる方向――寝室へと足を進めた。

 ブラックは人族なのでこの距離では感じないだろうが、部屋の窓は開けておかねば恐らく気付いてしまうだろう。
 帰ってこない内に証拠隠滅をしておかねば。

「ツカサ、入るぞ」

 扉を拳で軽く叩き、合図をしてから扉を開けると、そこには。

「…………」
「ん? ツカサ……?」

 ツカサは地面に座って、こちらに背を向けてなにやら体を揺らしている。
 眠りかけているのかと思ったが、しかし舟を漕いでいるかのようなゆっくりとした動きは、どうも寝ているような雰囲気ではない。
 どうしたのかと酒の匂いに包まれたツカサの肩を叩くと。

「……へにゃ?」
「にゃ?」

 思わず聞き返してしまったが、猫族の真似をするとは不覚だ。
 しかしツカサが猫族ならば可愛いなと思――いや、そうではない。そういう不埒ふらちな事を考えている場合では無かった。

「ツカサ、どうした。酒の匂いがするぞ」

 そう言いながら彼の顔を見やる。
 いつも見ている幼さを色濃く残した可愛らしい顔は、真っ赤になっている。しかも目はとろんと潤んでいて、口は愉悦に緩んでいた。
 息が、甘い。何故だと思い少し視線を話すと、ツカサの手に酒瓶が握られているのが見えた。もしかして……いや、やはり、酒を飲んでしまったのか。

 そう考えて、まずいぞと言おうとした矢先。

「あはっ、クロウだぁ~! おかえり~~~」

 甘えたような間延びした声を発しながら、ツカサは――躊躇ためらいも無くクロウに抱き着いて来た。それはもう、がっしりと。

「ンゴッ!?」

 思わず鼻の奥から出したような鳴き声を発してしまったが、許してほしいと思う。
 何故なら、ツカサが人型をした自分に、こんな風に積極的に抱き着いて来た事は今まで無かったのだから。
 しかも、それだけにとどまらず、ツカサは懐くようにクロウの腹に頭を摺り寄せてぐりぐりと押しつけて来る。そんな事をされれば、クロウはひとたまりもない。

「くろぉ~~~」
「いっ、いっ、いかんぞっ、つ、つかさ、そういうのはいきなりはっ」

 ツカサの甘くて熱い息が下腹部につらい。
 可愛らしい声が腹に押し付けられるたびに股間を刺激して、意図せずにツカサの喉元をズボンで突いてしまいそうだった。
 だが、そんな事をしていてはブラックに余計に怒られてしまう。

 とても離れ難かったが、しかし、仕方ない。
 ツカサを守るには自分が我慢するしかないのだ。

「ぐ、ゥ、ググ……つ、ツカサっ、いかん、いかんぞ……まずは離れるんだっ」
「やだ~! 離れたくない~」
「ングゥッ!!」

 そんな可愛い事を言われては、離れられないではないか。
 思わず鼻から何かが込み上げそうになって抑えたクロウだったが、しかし自分の腹に密着した状態でこちらを見上げて来るツカサは、あまりにも扇情的で。

 潤んだ眼と赤い頬は、最早誘っていると見られても仕方がないほどに欲望を煽る。間近に臨むツカサの酔った姿は、恐ろしい破壊力だった。普通の人族なら確実に理性を食い破られていただろう。

(なっ、なるほど……!! ブラックがツカサに酒を飲ませたくない理由が解った、コレだ……このツカサの凄い姿を他の奴に見せたくなかったのだ……っ)

 理解はしたが、もう遅い。
 猫のようにニヤッと笑うツカサは、悪戯を企んでいるような表情なのに、それでも愛らしくてたまらない。こんな状況でなければ間違いなくベッドに放り込んでいた。
 だが、そう言う訳にはいかないのだ。

(くっ……落ち着け、落ち着くんだ……っ。愛しい者を守る前に欲望に流されて、何がオスだ……! お、落ち着くんだオレ……ッ)

 今までで最大の忍耐力を駆使して、クロウは深呼吸を必死に繰り返す。
 鼻はもう限界だったが、なんとか理性は動き、クロウはギリギリと腕を動かして、自分を熱っぽく見つめて来るツカサの両肩を優しく掴んだ。

「ング……グ……。ツカ、サ……ま、まて、待つんだ……」
「なんれ……?」

 駄目だ。顔を見てはいけない。ツカサの顔を見たら理性が死んでしまう。
 本能に流されてはモンスターと同じだと奮起して、クロウは出来るだけゆっくりとツカサを体から引き剥がした。

「ふぇ……」
「ま、窓を……開けて、酒気を逃さないと……ブラックに、怒られるぞ……だから、な? 少し、待っていてくれ……っ」

 何とかツカサを無事に離す事が出来た。
 良かったと思いつつ、クロウはツカサの顔を見ないように妙な体勢で動き、窓へと向かおうと背を向けた。これならもう安心だ。
 さっさと開けてしまおうと思い、数歩進んだところで――
 急に、背後から服を引っ張られた。

「ッ!?」

 誰がやったかは解っている。驚く事は無い。
 だが、何故こんなことをしたのかと言う驚きが勝って、クロウはその場で足を強く踏みしめる。しかし服を引っ張る手は緩む事無く、それどころか……震えだした。

(なっ……ツカサ……?)

 何故、震えているのだろうか。
 だが振り返る事など出来ない。振り返ってしまえば、今度こそ自分は理性を失ってしまうかもしれなかった。
 けれども、ツカサは。

「っ、く……ひっぐ……ぅ、うぁ、あぁあ……っ」
「……!」

 泣いている。ツカサが、何故か泣いてしまった。
 先程まで上機嫌だったのに、どうして。

 戸惑うが、しかしツカサは更に強く服を掴んで離さず、嗚咽を漏らしながら哀れな声でクロウに向かって叫んだ。

「ごめ、なさ……っ、ごめんなさぃ……! お願っ、だからっ、一人にしない、ぇ……悪いとこなおすっ、なおす、からぁ……!」
「ツカサ……?!」
「ひとりになるのやだ、やだぁああ……!」

 叫びはやがて泣き声になり、やだと発した声は意味のない音に変わって行った。
 泣いている。ツカサが。だが、何故こんなに急に。

「つ、ツカサ、落ち着け!」

 慌てて振り返り、自分にしがみ付いたツカサを引き剥がそうとするが、相手は泣きじゃくる子供のように強い力で拒み離れようとしない。
 仕方なく上着を一旦捨ててツカサと距離を取るが、その事でツカサは一層悲しくなってしまったのか、涙と鼻水を隠しもせずに嗚咽を漏らしていた。

 いつものツカサとは明らかに違う、感情に素直な姿。
 年相応の姿ではあるが……とは思わなかった。

(ツカサ……どうして、急にこんな……)

 何か有ったのだろうか。もしかして、そのせいで酒を煽ったのかもしれない。
 ならば、それほど辛い事がツカサに襲いかかったという事だろう。
 あの我慢強いツカサが、こうなってしまう程に。

 だからこそ心配になってしまい、クロウは彼に近付こうとしたのだが――ツカサは、そんなクロウに再び抱き着いて来た。

「……ッ!!」

 思わず息を止めるクロウの胸元に、ツカサは強く顔を埋めると、涙に溺れるような声で、必死に訴えた。

「なん、でもする……っ、なんれも、する、からっ……! だから、きらわないで……一人に、しないで…………!」
「ツカサ……」

 どうして、こうなってしまったのか。
 一つだけ解る事は、ツカサが何かに酷く傷ついていたという事だ。

 ならば……――――

(オレが、聞いてやらねばならない)

 酒を飲んで忘れようとしたことを、自分が。
 ブラックにはきっと言えない事だからこそ、一人で忘れようとしていたツカサの為にも、自分が受け止めてやらなければならないのだ。
 二番目の、責任あるオスとして。

「……ツカサ、解った……。ベッドに行くぞ……」

 そう言うと、ツカサは何度も頷いた。
 まるで、捨てられまいとする孤児のように。

(ツカサ…………)

 そんな可哀想な相手を利用するのはどうかとは思ったが……肌の交わり合いが今は一番彼を救う事になるはずだ。
 ああそうだ、きっとツカサは、自分の肌を求めている。
 何故かそんな大それた思いが強く心の中に渦巻いていて、クロウは最早それ以外の選択肢を考える事など出来なかった。










 
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