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首都ディーロスフィア、黒曜の虜囚編
14.小さな齟齬と思惑の相違
しおりを挟む――俺がレッドの部屋に行きたいと言ったのには、訳が有る。
それは、「この工場の地図を少しでも広げる」という目的も有ったが、俺としてはもっと他の情報が手に入るかと思ったからだ。
情報、と言っても、それは様々な種類が有る。
例えば換気ダクトの位置や、レッドの部屋に危険な物が有るかどうか。そして……あわよくば、レッドに知らされているだろうこの工場の情報。
書類なんかが有ればなお良い。
レッドに取ってはゴミかも知れない物だって、俺には大事な情報源だ。
とにかく、何でも良い。
何でも良いから、ブラック達を助けるための手がかりが欲しかった。
そうやって内心で焦っている俺の事など知らずに、レッドは自分の上着を再び俺に掛けると、望み通りあの部屋から連れ出してくれた。
……まあ、やっぱりお姫様だっこだったんだけど。
俺最近この抱えられ方ばっかりしてんな……重かったら脇に抱えてくれてもいいと言うかむしろ歩きたいんだけど、レッドはそれは許してくれなかった。
あの、俺一応男なんですけど。ちゃんと歩けるんですけど!!
まあしかしそんな癇癪を起こせば元気なんだなと言われかねないわけで、俺は憤りを必死に抑え込みつつ、ぐったり感を演出するためにレッドの胸に頭を預けている事しか出来なかった。
またもや兵士とすれ違うたびに凄い目で見られたが、もう気にしない。
気にし始めたらまた泣きそうだし。
――そうして、俺の部屋から少し離れたレッドの自室に到着すると、俺はふかふかの椅子に座らせて貰った。どうやらレッドの部屋は工場の中でもかなり豪華らしく、俺の部屋よりも煌びやかな調度品が有って、壁は鉄壁じゃなくちゃんと壁紙が貼ってあった。絨毯もふかふかだ。
ベッドも机と椅子一式だって木製の粗末なものでは無い。部屋には洗面所に加えてレッド専用の風呂があり、部屋もあと一つはあるらしく、約束で縛られているというワリにはかなりの高待遇だった。
当たり前だが、ドアも内側から鍵をかける仕様だ。……まあ、レッドもまだ俺に隠している事がありそうだし、その兼ね合いでここまで優遇されてるのかもな。
そもそも、レッドの行動は色々と矛盾してるんだから。
……とにかく今は、媚を売って隙を作らせるのが重要だ。
初めて会った時のレッドだったら、俺の大根役者な演技もすぐにバレただろうが、なんだか様子がおかしい今の相手なら騙し通せるはずだ。
情けない事にキスは出来なかったけど、今度こそ。
そう意気込んでいると、予告も無しに部屋のドアが強い音でノックされた。
いや、ノックと言うよりもこれは「出てこい」という恫喝に近い。
反射的にびくついてしまったが、レッドは俺の両肩を抑えて優しく擦った。
「大丈夫、お前の事は俺がなんとか話してみるから」
「あ……」
その言葉に、ドアの向こうの相手が誰なのか理解する。
あれは多分……ギアルギンなのだと。
俺には椅子に座っているようにと言い、ドアに近付いたレッドがゆっくりとノブを回すと――目の前のレッドを弾き飛ばさんばかりに、ギアルギンがドアを開いて来た。そうして、目敏く俺を見つけると苛立った様子で近付いて来ようとする。
が、レッドはギアルギンを頑として部屋に入れず、そのまま外へと連れ出した。
「…………」
がちゃん、とドアが閉まる。
だが、ドアの向こう側からはギアルギンの怒声のような物が聞こえて来ていた。
……座っていろと言われたけど、やっぱりここは聞き耳を立てるしかない。
だって、俺の目的は情報収集なんだから。
「……よ、よし……」
ごくりと唾を飲み込んで、そっとドアに近付く。
床は赤く温かい絨毯を敷き詰められていたおかげで、足音は立たない。
比較的容易にドアへと辿り着いた俺は、ドアに耳を押し付けた。
――……おお、なんとなく聞こえるぞ。この工場、木製のドアはわりと薄いな。
変な事に感心する俺を余所に、外の喧嘩は一層激しくなっていったようだった。
「ッ……だからっ、何を勝手な事をしているんだと言っている!!」
この声は、ギアルギンだ。
俺に向ける嘲笑うような声とは全く違って、かなり感情的だ。
やっぱり、ある程度レッドには信頼を置いているって事なんだろうか?
よく解らないなと思いながら耳を欹てていると、レッドが冷静に言葉を返した。
「勝手なのはお前だろう。……この前から、おかしな事ばかりだ。お前は、この計画に俺を乗せるために、様々な事を手伝えばツカサを渡してくれるという契約を結んだはずだ。……なのに、何故ツカサにあんな事を言った。組み込むというのは、あくまでも一時的な事だったはずじゃないのか? どうなんだ、答えて見ろ!」
レッドも段々と苛立ってきたようで、言葉尻が激しくなる。
その様子に、ギアルギンが呻くような小さな声を漏らしたようだった。
「それは……あの男を完全に屈服させるための、方便ですよ……。いくらレッド様がグリモアの力を発動させる事ができたとて、ツカサは既に【紫月】に絡め捕られている。レッド様の強制力を以ってしても、心の芯が折れて壊れていなければ貴方の物にならないんですよ」
「何を証拠にそんな事を言う」
不機嫌なレッドの声に、ギアルギンの様子が変わったような気がした。
……そう言えば、なんだかドアの向こう側がおかしいような。
なんか……何と言うか……。この感覚は……あれだ。レッドが最初に【紅炎のグリモア】として俺達に立ち向かった時みたいな、感覚が……。
「……あの男は、暴力では折れない。それは、自分が“男”であると強く認識しているからです。それに、冒険者ともなれば暴力など日常茶飯事。仮に拷問を加えたとしても……ああ、いえ、貴方様の許可が無ければやりませんが……そういう事をしたとしても、あの手の少年は決して折れないのです。それが当然なのですから」
「……だから何だ?」
俺が気を取られている間にも、ギアルギンは妙な弁解を行う。
だけど、その答えではレッドは「答えになっていない」と不機嫌になるばかりだ。
俄かにドアの向こうの空気が緊張して来たが、ギアルギンは言葉を続けた。
「貴方のグリモアは、苛烈な感情の権化です。そして、実際の貴方もまだグリモアを扱うには不安定だ。それ故に、ツカサは未だにレッド様の虜にはなっていない……。暴力的な衝動は全て弾かれる。黒曜の使者に“選ばれる”には、今のレッド様は様々な要素が不足しているのです」
「…………ッ」
レッドの舌打ちが聞こえる。
だが、その苛ついたような行動に反して、ドアの向こうは少しだけ和らいだような気がした。レッドの怒りが落ち着いたんだろうか。
ホッとしたけど……でも、俺に“選ばれる”って、なんだ。どういう事だ?
「ですから、私は……まあ、【機械】のためでもありますが、レッド様のためにも、あのツカサの心を一度完膚なきまでに壊して、貴方を受け入れる為の心の隙間を作る必要が有ったのですよ。暴力と共に、あの男が最も心に傷を受ける“性的な恥辱”と言う要素を取り入れてね」
「……だが、そのせいで……ツカサは、心を病んでしまった」
「良いではないですか。良い兆候です。レッド様に依存し、部屋に連れ帰ったのでしょう? ならば、今あの男は心が弱っている。レッド様に対して、全てを許そうとしている。それが、我々の悲願を叶える兆しなのです。だから、早く彼を渡し……」
「いや、駄目だ。弱っているからこそ、危ないんだ」
ギアルギンの性急な言葉を遮って、レッドがはっきりと拒否を示す。
……レッドが言っていた「俺を貰う」っていう約束が本当なら、このまま【機械】に組み込んで、その後俺を頂けばいいだけの話なのに……一体、どうして。
息を呑む俺の耳に、レッドの落ち着いた声が聞こえてきた。
「さっきも言ったが、今のツカサは憔悴しきっている。連日の身体測定も、外傷は治ったと言えど……下賤な兵士どもに連日視姦され触れられた事で、心の傷は深まるばかりだっただろう。それが、今回爆発したんだ。……お前のせいでな」
「…………」
「ツカサは全ての曜気を無尽蔵に放出できる。だが、それが引き起こされるのが人の体である以上、ツカサもまた曜術師の理から外れられないはずだ。……曜術師は、動揺や恐怖に意識を捕らわれると、曜術を発動できない。と言う事は、ツカサも“黒曜の使者”と言えど、安定的に曜気を供給できないのではないか?」
レッドのその言葉に、ギアルギンは息を呑んだようだった。
……曜術師の理……。
そうだ、俺は確かに……曜気を誰かに渡す場合や自分で使う時は、集中したり強い意志を持って力を行使していた。何かに慌てたり、恐怖に縛られたままで発動した事なんて、一度だって無かったんだ。
だとしたら……レッドの言う事にも一理あるよな……。
そもそも、心が弱いままなら誰だって失敗しやすくなるし、手が震えるものだ。
今の状態の俺を【機械】の材料にしたら、何か不具合が起こるかも知れない。
「…………たし、かに……そう、ですね……」
「心が弱い少年だからとやり過ぎた事が裏目に出たな、ギアルギン。お前はどうも他人の事を曜具のように扱い過ぎる」
「……はい」
驚くほど大人しくなったギアルギンに、レッドは再度提案した。
「……ツカサの心を安定させて、約束を果たすためにも、休ませてやれ。……相手が心を折ったというのならば、もう非道な行いをする事もあるまい。だから、俺が必ずツカサを虜にして、計画を進めて見せる。それまで待て」
「……解りました。二三日、様子を見ます。ですが、計画は一刻も早く進めねばならないのです。【楽園】を作るため、この世界から早く“黒曜の使者”という、神に仇なす存在を消滅させるために……」
素直に「解りました」と言ったのに、やはり言葉が不穏過ぎて怖い。
思わず青ざめてしまった俺だが……ノブが軽く回った音に気付いて、慌ててドアから飛び退いた。あ、危ない。盗み聞きしてる所がバレる。
少し距離を置いて、こちら側に開くドアを見ていると、レッドがその隙間から俺を見やって、驚いたように目を丸くした。
「ツカサ……! 椅子に座っていろと言っただろう!」
……先程の話を聞かれたのかと思ったのか、声が固い。
だけど、俺だってその疑念への対処法はちゃんと心得ていた。
「…………ひとりが、怖くて……」
俯いて目を伏せ、服の裾を握る。
そんな俺に言葉を失くしたレッドに、俺は駆け寄って抱き付いてやった。
「あっ……! つ、ツカサ……っ」
「ごめんなさい……俺のせいで、怒られたよね……。分かってる、俺、寝るときは、レッドに迷惑かけないようにあの部屋に戻るから。だから……」
必死な声音を出してレッドに縋りつく演技をする。
自分の鼻に掛かったような甘えた声が、心底気持ちが悪い。本当の自分の仕草や声を思うと、毎度のことながら吐き気が込み上げてきた。
……本当なら、美少年でもなんでもない俺がこんな事しても誰も靡かない。
数人特殊な例がいるけど、あれだってこの世界だから変人が沢山いるってだけだ。
レッドが今……ほら、こうやって騙されて、俺を抱き締めて来るのだって、相手がどこか普通じゃないから成立してるんだ。
レッドが俺に好意をもっているという確信が無ければ、こんな事絶対に出来ない。自分が「可愛い女の子」や「美少年」の真似事をしているんだと思うと、本当に自分で自分を殴り飛ばしてやりたかった。
女子にもモテないエロ猿が、何を調子に乗っているんだと。
……そうやって怒られるのが、普通のはずなのに。
「すまない、ツカサ……。これからは一緒に居る。もう、離れないから……」
俺の演技に簡単に騙されて、レッドは俺を抱え上げる。
椅子までたった数歩の距離だったのに、それでも相手は俺をお姫様抱っこして、熱っぽい視線を向け微笑んでいた。
「レッド……」
「そうだ、喉が渇いただろう。高級な茶葉があるんだ、ヒノワの人族が飲む“緑茶”と言う奴だぞ。ツカサもヒノワの人族だから、馴染みが有るだろう? 少しばかり待っていてくれ。すぐに淹れるからな」
そう言いながら、レッドは俺を椅子の上に優しく降ろして、腕まくりをする。
ティーポットが置かれた少し離れた場所のテーブルに向かうその背中を見ながら、俺は今の発言に違和感を覚えて眉根を寄せた。
「…………ヒノワの、人族……?」
どういう事だ。レッドは俺が“黒曜の使者”だと知っているんじゃないのか?
黒曜の使者って事は、異世界から来た存在なんだぞ。
神に敵対する存在ってのはそう言う物だと、ギアルギンに教えられたんじゃなかったのか。なのに、どうして俺をヒノワの人間だと…………。
……ギアルギンは、一体何を目論んでいるというんだろうか。
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