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首都ディーロスフィア、黒曜の虜囚編
5.謎の人物
しおりを挟む――レッドがギアルギンと出会ったのは、アランベール帝国の西方にあるという【修練の牢獄】と言われる深い谷だった。
【修練の牢獄】は、険しい山脈の間にあり村落も離れた場所に一つだけという帝国屈指の秘境であり、また“曜術を吸収し著しく弱体化させる”という特殊な岩肌の性質から、大昔は曜術師たちが修行の為に籠り日々研鑽を積んでいた場所らしい。
今は学術院が設立されたので訪れる者はなく、また近隣の村も廃村になってしまったため、再び秘境としてひっそりと眠っていたという。
レッドがそんな場所を訪れる事になったのは、やはり【紅炎の書】のせいだった。
アタラクシア遺跡での一件の後、レッドは故郷に戻ったものの、妙な事に感情が不安定になり、少しイラッとしただけでも炎を撒き散らしてしまうという、大変危険な状態になっていたらしい。そのため、次期統主であるレッドはその力を制御するために、数人の指導役とともに谷に籠っていたらしい。
しかし、あんだけセキュリティの固い場所に有った魔導書を読んで御咎めナシとは、何かイラッとするな。お父様がお偉い奴は、ロクデナシでも人生イージーモードなんだな。ブラックは十八年も閉じ込めておいて、息子は“寛大な処置”かよ。
俺が怒ってもどうしようもないって解ってるけど、それでもブラックの事を考えたらどうしても胃がムカムカしてどうしようもなかった。
レッドに暴言を吐いたって仕方ないって解ってるから、何も言わないけどさ。
……ゴホン。それはともかく……。
その【修練の牢獄】で修行している途中、レッドはギアルギンに出会ったという。
どうしても魔導書の力を制御できずに苦しんでいたレッドに、ギアルギンはいとも簡単に制御する方法を教えた。
それから、レッドは見違えるほどにグリモアを制御できるようになったという。
だが、その指導料と言うのは決して安いものでは無かった。
ギアルギンは、制御するのを手伝った代わりに、今度は自分を手伝えと言うのだ。それで、今まで言うがままに従って来た……らしい。
なるほど、それは従わざるを得ないだろう。
だけど、ギアルギンが何故【修練の牢獄】に居て、制御を手伝おうと申し出たのか理解出来ない。逃亡犯が潜伏するような場所なのだろうか。
それに、アイツはどこでグリモアの制御方法なんて知ったんだ?
魔導書自体が秘匿されている存在なんだから、そもそも一般人は魔導書が存在する事すらも知らないだろうし、ましてや制御方法なんて……。
って、そういえばアイツ、黒籠石の事もどこで知ったんだかって感じだったし……一体なんなんだ……。
「……あのさ、レッド。ギアルギンが何者か知ってる?」
訊くと、レッドは首を振った。
「正直……解らない。プレイン共和国の神殿に簡単に入れるくらいだから、どこかの国の位の高い人物なのだろうし、俺の一族ですら知らなかった事を知っていた所からして、賢者か何かの末裔である可能性も有る。……だが、詮索するなと言われている以上、なにも訊く事が出来なくてな……」
「…………聞こうと思うくらいには、妙だと思ってるのか」
「ああ。さすがに俺もそこまで愚かじゃない。だが、あのままだと俺は確実に一族を滅ぼすか自滅していた。だから、悪魔に魂を売り渡してでもこの力を制御しなければならなかったんだ……」
それは、何の為だ。
ブラックを殺す為か。それとも、一族の為か?
どちらにせよ、今のこの状態を思うと憤りを禁じ得なかった。
レッドの事情も分かる。だけど、素性も良く知らない人間を信じて悪事に手を貸す事になってちゃ世話無いじゃないか。
俺みたいなバカでもあるまいし、一族の次期統主なら部下を使って調べ上げるとか色々方法はあったはずだろう。何より、ギアルギンはお尋ね者だ。世界協定に照会すれば、絶対に相手を信じちゃいけないって解ったはずなのに。
そんなに、その力が欲しかったのか。
ギアルギンに逆らえないなんて、お前はそんな情けない男だったのか。その凶暴な力でブラックを殺そうとすることは易々と出来る癖に。
目の前の申し訳なさそうな青年を見ていると、また怒りが湧いてくる。元はと言えばレッド自身が招いた事なのに、それが回り回ってまた俺達に災難を仕掛けてくる事になるなんて、俺達からすれば本当にとばっちりに他ならなかった。
なにより、ブラックは謂われない罪で逆恨みされているんだ。
虐げて閉じ込めて、その上にまだアイツを苦しめるって言うのかよ。
人の話も聞かないで、ずっと、ずっと…………。
「ツカサ……?」
目の前の相手が、恐る恐る俺の名前を呼ぶ。
怒っているのを悟られてしまったのだろうか。いかん。今は、レッドの機嫌を損ねないようにしなきゃ駄目なのに。
…………ああもう、堪え性のない俺も、誰かに似ていると思わせてしまうようなレッドの情けない顔も、嫌になる。
絶対に「似ている」と思いたくなんてないのに…………。
「あの……」
「あ、ああ、ごめん…………大丈夫……」
ふうと息を吐いて、俺は髪の毛をがしがしと掻き回す。
だめだ、ちょっと落ち着こう。冷静に、冷静にだ。
この話題は俺の心臓に悪い。だから、別の事を……そうだ、ギアルギンに関しての事が解らないなら、他の事を聞こう。
グリモアをどうやって制御したかとか気になるし。
「その……レッド、一つ聞いても良い?」
「な、なんだ? 何でも聞いてくれ、ツカサ」
だーもー嬉しそうにしやがって。だから、敵なのにそんな顔しないでってば!
落ちつけ俺、普段通りに、普段通りに聞くんだ……!
「えっと……その……グリモアを制御する方法って、何だったんだ……?」
そう訊くと、意外にもレッドはすんなり教えてくれた。
「ああ……意外と簡単な事だったな。感情を制御する術を探せば良かったんだ」
「んん……?」
「要は、グリモアの力を引き出す感情を内在させ、それを自在に引き出すもの……鍵を見つけて、その時の感覚を忘れなければいいんだ。しかし、言葉では簡単なことだが、鍵を探すのもそれを使って感覚を制御しきるのも難しい。……俺があの力を制御できたのは、奇跡だ。……ギアルギンは、そう言っていた」
感情をコントロールできるような象徴を探して、常に心の中に思い浮かべる事で、グリモアの膨大な能力をその存在を制御するって事かな?
あれか、ようするにボリュームを上げ下げするつまみみたいな……。
だけど、そんな修行方法なんて聞いた覚えがない。
いやまあ、俺が出会ったグリモアは全員力を使いこなした痕の人達だし、ブラックはブラックで過去の事はまだ話してくれないからなあ……。グリモアの事なんて、地雷中の地雷っぽいし……。
まあ実際にレッドが制御できてるんだから、その修行方法は正しかったんだろう。
でもそうなると……余計にギアルギンの正体が判らなくなる。
ああ、こんな時にブラックかシアンさんが居ればなあ……。
「と、所でツカサ……朝から何も食べてないが、大丈夫か。腹は減っていないか」
「え? …………あ、そういえば……」
確かに、朝からみっちり気色悪い事をされてたせいで、昼も朝も食べてない。
疲れすぎてて全く空腹を感じなかったが、今日はもうこれ以上何もないと解ってしまうと、なんだか腹が減って来た。
こんな時でもお腹は減るんだから人間って悲しいな……。
「その様子では空腹を自覚したようだな。……どれ、俺が飯を持って来てやる」
「あっ……お、俺も……付いて行っちゃだめかな」
「え?」
そう言うと、レッドは意外そうに目を丸くした。
……あれ、なんかおかしかったかな。
でもこれは千載一遇のチャンスだし、俺もまだ気力は残ってるし、なんとかして外の情報を一つでも多く取得して置かないと……。
よ、よし、ここは媚び媚び作戦だ! プライドが死ぬし後から死ぬほど恥ずかしいが、相手が俺に好意をもっている状態を利用しない手は無い!
頑張れ、頑張れ俺!!
「俺……正直、一人じゃ不安で…………だから、あの、逃げるかもしれないと思うなら、レッドの好きな方法で拘束して良いから……実験する所じゃなくて、少しでも人の多い所に連れて行って欲しいんだ……ちょっとの時間だけでいいから……」
レッドを見上げて目を潤ませ、とどめに、恥じらいながらこう言ってやる。
「お願い、レッド……」
――――ああ、吐きそう…………。
だがそんな事を考えて内心リバースしている俺に、レッドは先程までの不安そうな顔はどこへやらの明るい顔を見せ、嬉しそうに俺に笑った。
「そ、そ、そうか……! 解った、少しだけだが散歩がてら食堂に行こう」
……この手、前にも使った事が有るけど……やる度に男としてのプライドを失くしそうで嫌になるなあ……。
しかもコレで乗ってくれる相手にも「正気ですか」と言ってしまいそうになる。
だけど、今の俺にはこれしか武器が無いんだから仕方がない。
命中率も攻撃力も高いコスパが良い武器なら、不格好でも使うのが常識だ。
もうそれはどうしようもない事実なのだ。
「では、その……足を縛るが、いいか。歩く事は出来ないが、俺が食堂まで連れて行ってやるから」
「ど、どうやって連れて行くの?」
「もちろん、横抱きにして」
そう言いながら「お姫様抱っこ」のジェスチャーをやるレッドに、俺は何度目だよと泣きながらツッコミを入れたくなったが……目隠しをされないだけマシだと思い、レッドの申し出にこっくりと頷いたのだった。
→
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