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序章

8.臆病者の蛮勇

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「う、うわぁああ!! 熊族だっ、なんでこんなところにぃ!?」
「熊どものナワバリはもっと北の方だろ!?」
「クッ……くそっ、逃げるぞてめぇら!」

 “砂犬族”の親分であるラガルさんの言葉に、子分三人は即座に体勢を立て直す。犬と言うだけあって、さすがの素早さと統率のとれた動きでその場から駆け出した。
 は、早い。砂の上だってのに、マジで地面をダッシュしてるみたいだ。

 どうしてこんなサラサラの砂の上を駆け抜けられるんだろうと思ったけど、そんな事を考える暇など無い。何故なら。

「ぎゃあああ! おおおおおやぶん来てます追って来てますううう!!」
「食われるっ、うわあヤダーッ、大熊になんぞ食われたくないぃいい!」
「不名誉だけは勘弁ッスー!!」

 子分三人衆は三者三様に叫んで、めちゃくちゃに籠をゆすっているからだ。
 そのせいで俺は上下左右に揺さぶられて、籠から今にも飛び出しそうなのだ。必死に手足を突っぱねなければ落ちる。考えている余裕なんてない。

 だってのに、背後からはズドズドズド、なんていうとても足音とは思えない豪快な音がして、時折思いきり踏み込んだせいなのか砂が籠の中に入って来る。
 日よけがわりだった折り畳み傘は、今や砂が頭上から籠に降り注がないための蓋になってしまっていた。

 近くにいるっ、つーかこれ絶対もう目と鼻の先に熊がいるうううう!

 つーかなんでクマ!?
 なんで砂漠に飢えた獰猛なクマがいるんだよー!!

「ももももうダメぐぶべっ」
「オイ、ドルゥッ、ぐわあっ!!」
「ゴルうびゃあああ!」

 急に、籠が傾く。その刹那、三人の叫び声が聞こえて――――

 俺は、学生鞄と共に籠から思いっきり投げ出された。

「ぶはーっ!!」

 思いきり突っ込んでしまったが、倒れている場合ではない。
 なんとか鞄を胸に抱いて、俺自身驚くほどの速度で起き上がり振り返る。
 だがもうそこは、逃げて収まるような事態ではなくなっていた。

「ギャーッ!! 親分っ、親分ーっ!!」

 誰かが叫んでいる。
 これは、一番年下っぽかった語尾に「ッス」を付けてる子分の声だ。

 慌てて立ち上がった俺が見たのは――――その年下の子分に爪を立てて地面に押し付けている熊と……それを死に物狂いで弾き飛ばしたラガルさんの姿だった。

「らっ……ラガルさん!!」
「テメェこの俺の群れのガキに何しやがる!!」

 ラガルさんはそう叫んで熊の手を蹴っているが、弾き飛ばした巨大な手はたったの数十センチしか隙間を明け渡してない。人が三人束になったほどの大きさのあの腕では、いくら身体能力が高い獣人でも動かしきれないんだ。
 それほどの重量と力がある存在が、いま目の前にいる。

 肌を刺すような感覚になる日差しが照りつけていると言うのに、俺の体は言い知れない寒さに身の毛がよだった。

「グレウ、ゴル、ドルゥ! 今のうちにあのエサ抱えて逃げろ!! 街の中まで入ればクソったれの国の群れが対処してくれる!!」
「そんな! 親分だめです!」
「うあ゛ぁあ゛あ゛ん親分いだいっ、背中いだいッスううう!!」
「おらバカドルゥさっさと行くんだ! ゴルも!!」

 目の前の光景は、本当に現実なのだろうか。

 当たり前の事なのに、あまりにも現実味が無いせいなのかそれとも俺が現実逃避しているのか、少し遠い場所にいる彼らの光景が幻想のように思えてくる。

 だって、一人は背中を爪で押さえつけられて怪我をしてて、それを他の子分たちが必死に引き摺って逃げようとしてて、ラガルさんが……トラックの大きさにも負けないほどの巨大な熊を相手に、砂漠で必死に戦ってて……。

 …………現実……これ、本当に現実なのか……?

「――――――ッ……!」

 頭が呆けそうになって、慌てて俺は自分の頬を力任せに叩く。
 痛い。
 ……そうだ、痛い、これは現実だ。心から先に逃げてどうするんだ。

 どうにかしなきゃいけないじゃないか。
 この人達も襲われてる、巨大な熊が今にも俺達を食い殺そうとしているんだ。
 それをどうにかして乗り越えなきゃ行けない。だけどどうする、どうしたらいいんだ。

 子分の一人が怪我をして動けないなら、逃げたってそれほど距離は稼げない。仮にラガルさんが犠牲になったとしてもそれは無駄な犠牲になる。
 子分達も完全に正気を失っていて、思うように走れていない。俺を連れて逃げろとラガルさんに言われていたけど、それじゃ追いつかれてしまう。

 それに、俺とあのドルゥって怪我をした子分を背負って逃げるとしたら、どのみち血の匂いでアイツは俺達を追って来る。逃げたって完全に振りきれない。
 親分であるラガルさんを失った彼らも、冷静ではいられないだろう。

 どう考えても、誰も助からない。
 全員が助かる道が無い。だったらどうする。どうすればいいんだ。

 子分三人衆もラガルさんも、出会いはかなりヤバかったけど……でも、彼らは俺を弄びたいわけじゃなくて、ただ食べて糧を得たかっただけで。
 それを抜かせば律儀だし話も分かるちゃんとした人達だった。俺に対しても、時々熱くないか話し掛けてくれたし、気の良い人達だったんだ。

「早く行けっ、行け――――ッ!!」

 ラガルさんが吼えながら、熊の視線が他へ行かないように顔を攻撃している。
 砂地だと言うのに高く飛び軽々と大熊の顔へ攻撃を入れる彼は、確かに“砂犬族”の名に相応しい獣人だった。

 だが、相手は攻撃を鬱陶しがって気を引かれているだけで、少しも怯んでいる様子が無い。ラガルさんの攻撃は、まったく効いてないんだ。

 それなのに、それを解っているはずなのに、ラガルさんは……。

「おい餌っ子ォ!! 逃げるぞ、おまえちっこいからゴルの背中に乗れ!」

 近付いて来る子分達が叫ぶ。
 逃げるしかないのか。なんとかして、逃げる事しか出来ないのか?

 そう思って、熊を見た。と、同時。

「…………!」

 熊の大きな黒い鼻がスンと動いたと思ったら、その目が――――
 俺の方を、しっかりと捉えた。瞬間。

「があ゛ぁあ!!」
「ラガルさん!!」

 再び熊の顔を狙おうとしていたラガルさんを、熊の手が――叩き落とした。
 俺よりも大きいはずの大人の体が砂飛沫を立てて砂漠に埋まる。

「うあああああ!! 親分ッ、親分ーッ!!」
「くそっ、この熊野郎ぉお!!」
「だ、ダメッス、逃げるんす、親分に言われたことしなきゃダメッスよお!」

 ドルゥさんがそう言うけど、彼はグレウさんの背中で泣いている。
 背中が痛いだけじゃない。きっと彼は、あの大熊の攻撃を受けた事で「もう親分は助からない」と確信して泣いているんだ。

 だけど、親分に助けられた命を捨てちゃいけないと思って、必死に他の二人を逃がそうとしているんだろう。そうしないと、ラガルさんが無駄死にになってしまうから。
 解ってる。みんな、逃げなきゃ行けない事は解ってるんだ。

 けれど、この絶望的な状況のせいでヤケを起こす寸前までいってしまっている。
 子分の二人は、自分達の群れの長であるラガルさんを痛めつけられて、恐怖と怒りに駆られ何をすればいいのか分からなくなってきているんだ。

 このままじゃ、駄目だ。
 逃げなきゃ。街まで逃げないと、ラガルさんの頑張りが無駄になる。

 だけどこのままじゃ。

「だぁあああ!! ガキども見てんじゃね゛ぇぞクソ熊ああぁああ!!」
「親分!!」

 ざっ、と音を立てて砂柱が立ち上がる。
 いや、違う。あれは飛び上がったラガルさんの落とした砂だ。

 彼は未だ生きている。満身創痍だけど、生きてるんだ。

 その姿を見て――――――

 俺は、ある事を思いついた。

「…………助かる、方法……」

 さっきの熊の視線。
 気が付けばこちらに来ようとして鼻を動かす仕草。

 ……見間違いかも知れない。そうできないかも知れない。
 だけど、この世界が「獣の世界」なら、そのセオリーは俺の世界と同じなはずだ。

 弱肉強食、弱い肉を強い者が喰らう。
 ラガルさん達がそうして俺を捕えたように、俺の事を「肉も食いたいが」としきりに言っていたのと同じように、この飢えた熊であれば……――――

「ッ……グレウさん!」
「ぬわ?! な、なんだぁ?!」
「ラガルさんから熊が離れたら、四人で逃げて下さい。砂犬族の足なら、きっと逃げ切れる……!」
「に、逃げ切れるって、お前……」

 みなまで聞いている余裕が無い。
 俺は立ち上がった足で、砂を蹴ってその場から駆け出した。

「お、おい! 餌っ子待てっ、おい!!」

 グレウさん達の声がする。だがもう止まれない。
 これしかない。

 獲物だった俺が言うのはおかしいかもしれない。でも、彼らはもう死んでほしくない人達になってしまったんだ。目の前で人が死ぬなんて、絶対に嫌なんだ。
 だからもう、こうするしかない。

 怖いけど、悔いは有るけど、でも目の前の人を助けられずに死ぬなんて、そのために自分が出来る事をしないなんて、そっちの方が死ぬほど嫌だ。
 そんな腰抜けで家に帰れたって。この世界から脱出出来たって――――!

「親にも婆ちゃんたちにも顔向けできないんだあああああ!!」

 ありったけの声で、喉を震わせる。
 そして俺は――――熊の方へと、ありったけの力を籠めて足を動かした。

「ばかっ!! 来るな、来るんじゃえ逃げろ!!」

 ラガルさんの声がする。
 だけどもう、アンタ達が助かるにはこれしかない。

 俺は、アンタが「うちのガキ」と言った人達が死ぬのも見たくないし、その人達が親のように慕っている人が死んで嘆くのもみたくないんだ。
 蛮勇だろうが無謀だろうがもうどうでもいい。これは、俺の自己満足だ。

 泣いている人なんて見たくない。もう自分を責めたくない。
 そんな自分勝手な理由で動いてるんだ。だから、頼むから放っておいてくれ。

「ラガルさん、俺がコイツをひきつけるから四人で逃げて!!」
「お前ッ……」
「大事な家族が死んでもいいのかよエサなんざ放っておけええええ!!」

 熊に対峙しているラガルさんから離れた場所で、俺は熊の前に立つ。
 やっぱり相手は明らかに俺を見ている。俺を「おいしい獲物」だと思ってるんだ。
 いいぞ、こっちに来い。充分に俺を見ろ。

「おいっ、ツカサ……!」
「結構優しくしてくれて、ありがと……あと、恨んでないからな!」

 なんか気にされそうだったのでそう言って笑ってやると、俺は持っていたカバンを力いっぱいに熊の顔に投げつけた。

「ッ……!」

 控えめな衝突音がして、砂漠に落ちる。
 だがもうそれを見ている暇はない。俺をじっと見つめている熊を見返しながら、俺はラガルさん達が居る方とは反対の方へと再び走り出した。

 ――――背後から、ラガルさん達の声が聞こえる。

 だけど、追って来てはいない。
 きっと俺の覚悟を分かってくれたんだろう。

 そう思い、俺は熊がこちらへ動いてくる音を聞きながら走り続けた。

「お……俺……っ、はっ、ハァッ、はっ……! さ、最期は、かっこ、良かった……か、っ、ハッ……かな……っ!」

 再び、大熊の砂を踏む音が聞こえてくる。
 二三歩でもう俺の体に大きな影が掛かって来て、俺は無意識に笑った。

「はっ、はははっ……!」

 情けない死に方だ。
 だが、何も出来ずに死ぬよりずっといい。

 元々俺はこの砂漠で干からびて死ぬ運命だったのだ。きっと、そうに違いない。
 きっとこれは、俺に対する閻魔様か誰かの罰なのだろう。

 だけど、その最期は誰かの為に死ぬことが出来た。
 無意味だったのかも知れないけど、それならそれでいい。

 ただ死ぬよりも、ずっとよかった。

「ああ……っ、マジ今の俺……ッ、しゅ、主人公っ、みたい……っ!」

 何の力も無い、ただの異世界人だったけど。
 恐らく俺は名前すらないモブみたいな存在だったろうけども。

 でも、今の俺は間違いなく主人公みたいに格好良かったはずだ。

 自分で素直にそう思えて、俺は――――強い風によって、その場に倒れた。

 ……次に襲いかかって来るのは大熊の手だろう。

「はっ……ははっ、 ハァッ、は……も……う、うごけ、ね……」

 影が濃くなる。獰猛な獣の吐息が、俺の体全体にかかった。


 ――――ああせめて、痛くないように食われればいいのだが。


 そんな事を思いながら、俺は食われるために体を仰向けにひっくり返した。












ワ・ラガル→砂犬族の親分。オッサン。
グレウ→てぇはぁと語尾小さい男。子分の中で一番強い兄貴。
ゴル →冷静中堅。二人をなだめる役。実は一番年下。
ドルゥ→「スッ」て語尾。一番したっぱ。

 
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