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拾 棚機ノ章

拾ノ参 棚機津女を襲った妖怪

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 ヒナはお役目をもらったその足ですぐ、棚機津女に会いに行きました。

 村にいる同じ年頃の娘と何か特別違うでもない、ごくごく普通の娘です。
「棚機津女は儀式のために織物おりものをする特別な人だ」と聞かされていたので、思ったより身近な存在のようですこし安心しました。

「はじめまして。わたしはヒナ。陰陽師のお兄さんたちに、聞きたいこと代わりに聞いてきてほしいって、たのまれてきたの」

「はじめまして、私はキヌ。私のためにわずらわせてごめんなさいね」

 キヌは手で口元をおおうようにして、うつむきがちです。顔色もあまりよくなくて、ヒナは心配になります。
 借りた机に紙と筆を広げて、キヌに問いかけます。

「キヌお姉さんは、どんな妖怪さんにあったの。何かされて、だから苦しいの? 思い出すの辛いかもしれないけど、ひとつでもいいから、相手が何なのか知る手がかりがほしいの」

 単刀直入に聞かれて、キヌは頭を左右にふります。

「私、私は……棚機津女に選ばれてしまったけれど、ほんとうは、辞退したほうがいいの。私の他にいた候補の娘《こ》のほうがふさわしいわ」

「どうして? 村長さんが言っていたわ。タナバタツメになれるのはホマレでホコリなんだって」

 誉れも誇りも、ヒナにはなんなのかわかりません。けれど、とても大事な役目で、なりたいからといって誰でもなれるものではない、胸を張れるものだと村長から聞いています。

「ふふっ。ホマレ、ね。そんなにホマレなんてものがほしいなら、あなたがなればいいじゃない。こんな、こんなくだらない役目喜んでくれてやるわよ」

「え……」

 言ってしまってから、キヌは慌ててヒナから目をそらします。
 突然突き放すような声音でなじられ固まるヒナに、妖怪に会ったときのことを語ります。

「木の実を取りに森に行ったら、毛むくじゃらで、二つの目玉だけ嫌に目立つ不気味なものが現れたわ。“お前は棚機津女に相応しくない。他の娘のほうが相応しい、と思っているだろ? ワシが食えば津女にならずに済むぞ”そして大きく口を開いて襲ってきたの。持っていたもの全部放り出して走って逃げて、なんとか村に帰れたけど……」

 その時のことを思い出してしまったようで、キヌは固く目を閉じて身震いしています。
 ヒナは疑問に思って確かめます。

「その妖怪はしゃべったの?」

「なに。私が嘘をついているとでも?」

「ううん。そうじゃないの。妖怪のことばを聞き取れる人は少ないんだって、フエノさんからおしえてもらったから」

 実際、雀やオーサキ、タビ、それとこれまで出会ってきた桜木精や狐、烏などとは、会話できたことはありません。
 動物系統の妖は、他の動物のように鳴いているようにしか聞こえないのです。

 キヌが妖の声を聞き取ることのできるとくべつな人なのか、それともその妖怪が人のことばを話せる能力を持っているのか。ヒナには判断することはできません。

 とにかく紙に聞いたこと、不思議に思ったことを書きとめて、キヌにお礼を言います。

「ありがとう、お姉さん。陰陽師のお兄さんたちに伝えるね。かならずなんとかなるから」

 キヌの返事はありません。不愉快そうに顔をしかめてヒナの方を見ないまま。
 帰り支度をすませて出ていこうとしたヒナの背に、小さな声が届きます。

「……ごめん、ありがとう。久しぶりに人と話せて、良かったわ」

 ヒナは振り返り、笑います。

「うん!」
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