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玖 夜道怪ノ章
閑話 遥か地より愛を込めて
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“愛しき白天狗、フェノエレーゼ。
いかがお過ごしでしょう。愚かな弟弟子が迷惑をかけていませんか。
最後に会ったのは上野でしたね。
まぶたを閉じれば、ともにみもすその湯につかり背中を流しあったあの日々、羞恥に顔を火照らせた貴女の姿を昨日のことのように思い出せます。
白く滑らかな肌、珠のように光る紅き瞳が涙を浮かべてワタクシを”
「もういいやめてくれ。そんなもの捨てろ!」
フェノエレーゼが悲鳴に近い声をあげて、己の身を守るように両手で腕を抱え込みます。
「……気持ちはわかります」
ナギも、汚物を扱うように爪先で文を摘んで同意しました。
ことの起こりは少し前。
甲斐国にむけて旅立ったフェノエレーゼたちが山中で野宿の支度をしていました。ヒナが疲れて眠った夜半、一羽のカラスがやってきました。
焚き火のそばに羽を休め、一声鳴きます。
文を足にくくられたカラスは、ナギの兄弟子政信の式神です。
『主から、笛之絵麗世命に』
ヒナをのぞく全員の顔が、露骨に歪みました。
「要らん。持ち帰れ」
『それはできぬ相談。渡さねば焼き鳥にすると言われている』
カラスもこんなことしたくはないけれど、死にたくはないので事情を話します。さすがに自分が文を受け取らないことで同族がまるこげにされるのは御免なので、仕方なしにカラスの足に結ばれていた文を外しました。
役目を終えて、カラスはすぐ飛び去ります。また何か言いつけられてあちこちに飛ぶのかと思うと、政信の式神になるのは不幸せだなとフェノエレーゼは思います。
梅花の香りがする文は、人の文字が読めないフェノエレーゼにとってはただの紙切れです。
「ナギ、頼む」
できれば政信に関わりたくないフェノエレーゼですが、内容を知らなことには返事の伝えようもありません。
開きもせずナギにまるごと渡します。
ナギは受け取った文を開き、目を伏せます。ざっと目を通してだけでもわかる、これは恋文です。
五枚の紙にびっしりと思いの丈が書かれています。
フェノエレーゼが文字を読み書きできないことを承知しているのかいないのか。あるいはナギに対するけん制か。
なぜフェノエレーゼと政信の親交を取り持たなければならないのだろうか。複雑な心境で、ナギはしばしの葛藤の末に文を読み上げました。
そして話は冒頭に戻る。
ナギは文の一枚目さわり程度しか読んでいないのですが、フェノエレーゼはもう先を聞きたくなくて耳をふさぎます。
「あぁぁ、なんておぞましい。なんなんだそのありもしない過去をでっちあげて書き連ねたものは! 私はあんなやつと風呂を共にしたことなどない!」
『きゅぃ~。妄想、ねつ造もいいところね……。さすがに同情するわ。タビ、ああいう変態になったらだめよ』
『うん。アニデシはヘンタイ。ああなっちゃだめ』
オーサキに同情されても嬉しくもなんともありません。
『チチィ。こんなに性格が悪い天狗のどこがいいのか、あっしにはわからなーーーーっす!』
下駄が直撃した雀が星空に消えました。
「それにしても面倒な。私に番《つがい》がいれば諦めてくれるのか……」
「伴侶がいないんですか?」
意外そうに聞かれて、フェノエレーゼは木に背を預けて空を見上げます。
「あいにく、地に落とされるまで、ずっと復讐のために生きていたからな。誰かと生涯を共有しようなどと、考えたこともなかった」
「……そうだったんですか」
フェノエレーゼに番がいないこと、伴侶にと考えた相手がいなかったことに、ナギは安心しました。
「そういうナギはどうなんだ? 人間は、お前くらいの年にはみんな妻をめとるものなんだろう」
「おれはこのとおり半妖ですから。妻になりたいなんて本心からいう人間はいませんよ」
熊谷で「陰陽師さまの嫁になりたい!」と言っていた少女たちの言葉も、上辺に過ぎないと理解しています。あれはただ、ナギなら妖怪関連の危険を取り除けるから取り入りたかっただけ。
「お前自身が伴侶にと思う相手もいないと?」
貴女です、と言えたらどんなにいいだろうか。ナギは思うけれど、今はまだ伝えるべきではないと考えて、言葉を飲み込みます。
「……今は言えませんが、いつか言えるときがきたら話します。そのときは、聞いてくださいますか?」
「そうだな。お前がどうしてもと言うなら聞いてやってもいい」
今のフェノエレーゼは、翼の呪を解くために精一杯で、それ以外のことを考える余裕なんてないでしょう。だから、フェノエレーゼが呪から解放されたそのときにはきっと。
閑話 遥か地より愛を込めて 了
いかがお過ごしでしょう。愚かな弟弟子が迷惑をかけていませんか。
最後に会ったのは上野でしたね。
まぶたを閉じれば、ともにみもすその湯につかり背中を流しあったあの日々、羞恥に顔を火照らせた貴女の姿を昨日のことのように思い出せます。
白く滑らかな肌、珠のように光る紅き瞳が涙を浮かべてワタクシを”
「もういいやめてくれ。そんなもの捨てろ!」
フェノエレーゼが悲鳴に近い声をあげて、己の身を守るように両手で腕を抱え込みます。
「……気持ちはわかります」
ナギも、汚物を扱うように爪先で文を摘んで同意しました。
ことの起こりは少し前。
甲斐国にむけて旅立ったフェノエレーゼたちが山中で野宿の支度をしていました。ヒナが疲れて眠った夜半、一羽のカラスがやってきました。
焚き火のそばに羽を休め、一声鳴きます。
文を足にくくられたカラスは、ナギの兄弟子政信の式神です。
『主から、笛之絵麗世命に』
ヒナをのぞく全員の顔が、露骨に歪みました。
「要らん。持ち帰れ」
『それはできぬ相談。渡さねば焼き鳥にすると言われている』
カラスもこんなことしたくはないけれど、死にたくはないので事情を話します。さすがに自分が文を受け取らないことで同族がまるこげにされるのは御免なので、仕方なしにカラスの足に結ばれていた文を外しました。
役目を終えて、カラスはすぐ飛び去ります。また何か言いつけられてあちこちに飛ぶのかと思うと、政信の式神になるのは不幸せだなとフェノエレーゼは思います。
梅花の香りがする文は、人の文字が読めないフェノエレーゼにとってはただの紙切れです。
「ナギ、頼む」
できれば政信に関わりたくないフェノエレーゼですが、内容を知らなことには返事の伝えようもありません。
開きもせずナギにまるごと渡します。
ナギは受け取った文を開き、目を伏せます。ざっと目を通してだけでもわかる、これは恋文です。
五枚の紙にびっしりと思いの丈が書かれています。
フェノエレーゼが文字を読み書きできないことを承知しているのかいないのか。あるいはナギに対するけん制か。
なぜフェノエレーゼと政信の親交を取り持たなければならないのだろうか。複雑な心境で、ナギはしばしの葛藤の末に文を読み上げました。
そして話は冒頭に戻る。
ナギは文の一枚目さわり程度しか読んでいないのですが、フェノエレーゼはもう先を聞きたくなくて耳をふさぎます。
「あぁぁ、なんておぞましい。なんなんだそのありもしない過去をでっちあげて書き連ねたものは! 私はあんなやつと風呂を共にしたことなどない!」
『きゅぃ~。妄想、ねつ造もいいところね……。さすがに同情するわ。タビ、ああいう変態になったらだめよ』
『うん。アニデシはヘンタイ。ああなっちゃだめ』
オーサキに同情されても嬉しくもなんともありません。
『チチィ。こんなに性格が悪い天狗のどこがいいのか、あっしにはわからなーーーーっす!』
下駄が直撃した雀が星空に消えました。
「それにしても面倒な。私に番《つがい》がいれば諦めてくれるのか……」
「伴侶がいないんですか?」
意外そうに聞かれて、フェノエレーゼは木に背を預けて空を見上げます。
「あいにく、地に落とされるまで、ずっと復讐のために生きていたからな。誰かと生涯を共有しようなどと、考えたこともなかった」
「……そうだったんですか」
フェノエレーゼに番がいないこと、伴侶にと考えた相手がいなかったことに、ナギは安心しました。
「そういうナギはどうなんだ? 人間は、お前くらいの年にはみんな妻をめとるものなんだろう」
「おれはこのとおり半妖ですから。妻になりたいなんて本心からいう人間はいませんよ」
熊谷で「陰陽師さまの嫁になりたい!」と言っていた少女たちの言葉も、上辺に過ぎないと理解しています。あれはただ、ナギなら妖怪関連の危険を取り除けるから取り入りたかっただけ。
「お前自身が伴侶にと思う相手もいないと?」
貴女です、と言えたらどんなにいいだろうか。ナギは思うけれど、今はまだ伝えるべきではないと考えて、言葉を飲み込みます。
「……今は言えませんが、いつか言えるときがきたら話します。そのときは、聞いてくださいますか?」
「そうだな。お前がどうしてもと言うなら聞いてやってもいい」
今のフェノエレーゼは、翼の呪を解くために精一杯で、それ以外のことを考える余裕なんてないでしょう。だから、フェノエレーゼが呪から解放されたそのときにはきっと。
閑話 遥か地より愛を込めて 了
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