上 下
77 / 147
漆 三国峠ノ妖ノ章

漆ノ壱 三国峠へ

しおりを挟む

 冬が終わった弥生。
 山道の雪もだいぶ溶けて、道も歩きやすくなっています。村の中にある梅の木も萌え、花が甘い香りを漂わせるようになりました。

 フェノエレーゼはヒナを引き連れ、土浦の屋敷を出ました。

“村から出て平野を南下し、三国山みくにやまの峠を超えれば、上野国こうづけのくににいける”と宗近から教わり、次はそこに行くことに決めました。

 ナギも、『三国峠に人を襲うあやかしが出るようになったそうだから確かめてほしい』と村長から依頼を受け、三国山を目指します。
 目的地は同じなので、三国峠までは一緒に旅することにしました。

 宗近とムツキとソウジが、旅立つフェノエレーゼたちを見送りに来てくれました。

 宗近は小太刀をナギに渡します。

餞別せんべつだ。お前たちは妖怪相手には強いかもしれんが、人間の野盗相手は不得手だろう。一つくらい身を守るものを持っていくといい」

「そんな、受け取れません。おれは刀を買えるような金なんて持っていません」

「三国峠は安全とは言えない地。黙って受け取っておけ」

「……なんとお礼を言っていいか。お気遣い、痛み入ります」

 宗近の打つ刀は、あやかしの邪気をはねのけるといわれる銘品です。蒐集家しゅうしゅうかなら全財産かけても欲しがるほど。
 その小太刀を手土産にぽんと渡され、ナギは恐縮してしまいます。

『きゅきゅいー! 主様に捧げものをするとは、少しは見直したわ、おじさん!』

 宗近が聞き取れないのをいいことに、ナギの肩でオーサキが鼻を鳴らしてふんぞり返りました。

「オーサキ、そういうことを言っちゃだめだと何度言わせる」

 ナギは持っていた食料の中から木苺をつまみ、物理的にオーサキの口を塞ぎます。
 キュイキュイの中身は知らぬが花というやつでしょう。

 ムツキが深々頭を下げます。真似をして、ソウジもぺこりとおじぎします。

「皆さん。お世話になりました。どうか、お元気で」

「はーい! 宗近おじちゃん、ムツキおねえさん、ソウジくん、ありがとう。またね!」

『チチチぃ。嬢ちゃん、あっしも行くっさ!』

 冬の間に作った保存食を風呂敷にたんとつめて、ヒナが包みを勢いよく背負います。
 雀がヒナの頭の上にちょこんと飛び乗ります。

 元気に走り出すヒナのあとを、フェノエレーゼが歩いていきます。
 緑芽吹くなか、ひと冬過ごした村に別れを告げたのでした。



 そうして村を発ってはや半月。フェノエレーゼたちは三国山にたどり着きました。
 流れる小川の清水を竹筒にくみながら、ヒナは期待に満ちた瞳で山を見ます。

「わたし、別の国に行くのは初めて。楽しみね、フエノさん。上野国こうづけのくにの人は、まったく違う言葉を話すの?」

「私が知るか」

 二百年生きているとはいえ、それはあやかしの世でのこと。フェノエレーゼに人の世のことなどわかりません
 多少知識があるナギが代わりに答えます。

「地域ごとの方言はあるでしょうが、通じると思います。京からきた宗近さんと、問題なく話ができたでしょう?」

「ふむふむ~。ナギお兄さんはものしりね。わたし、かしこくなったきがするわ!」

 ヒナは今年で六つ。
 出会った頃フェノエレーゼの腰丈くらいしなかった背丈は、二寸ほど伸びました。
 足りなくなった裾はムツキが幼い頃着ていたという山吹色の着物を継ぎ合わせてもらいました。
 髪も伸びたので、左右の肩のあたりで結んでいます。

 見かけは少し成長したのに、中身は成長していない、とフェノエレーゼは心のうちで嘆きます。

「ふふふ。わたし、今年は去年よりもたくさん役に立てるわ。ねー、丸ちゃん」

『ちちい、ちちい! そうっさ! 今年こそ底いじ悪い天狗はあっしの有能さにきづ「私は底意地悪くなんてなーーーーい!!」』

『く、べーーし!!!!』

 羽扇の洗礼をうけ、雀が坂道を転がり落ちます。

「あああ、丸ちゃーーーーん!!」

「ふん。放っておけ、どうせ自力で飛んで戻ってくる」

 ツンとそっぽを向いて先をいく。
 根っこが成長していないのは自分もだ、ということに、フェノエレーゼは気づいていません。

 案の定、雀はすぐに飛んで戻ってきました。腹をなかせながらフェノエレーゼの目線の高さで上下します。

『チチチー! めしの匂いっさ! 腹が減ってはいいクソはでないんでさ!』

「いい加減黙れ雀」

 フェノエレーゼが怒りを隠さず吐き捨てます。

 ヒナは少し先にあった道標の塚を読み、フェノエレーゼとナギに手招きします。

「フエノさん、お兄さん。この先茶屋ですって」

「なら、そこで休もう」

 フェノエレーゼは基本歩きたくないので即決です。

 ナギは苦笑して、宗近からもらった小太刀に手を添えます。

「茶屋のような、休息所の近くでは気が緩みやすく、そこを狙う野盗も多いです。二人とも、茶屋につくまでは油断せず、気を引き締めてください」

「はーい!」

『ちちぃ! やったっすーー! めしめしめしめしめしめしめしめしめし!』

 走るヒナを追い抜き、雀が食欲のままに飛び出していきました。
しおりを挟む

処理中です...