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陸 雪女ノ章
陸ノ伍 雪ん子と宗近、出会う
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宗近は山の中にある古びた一軒家にいました。
そこは元嫁ーームツキが育った家なのです。
ムツキにどうしても会いたい。
そのために、嫌いな妖怪と手を組んでまでして京から旅をしてきました。
けれどーー。
「けえれ、この薄情モンが! お前の顔なんぞ見たくもない! ムツキを幸せにしてくれると思っていたから嫁にやったのに、酷え目に合わせおって!」
エビのようにそった背をしたおじいさんが、弱々しい見た目に反して怒り狂い、そばにあったものを掴んで投げつけます。
自分の腕くらい太いんじゃないかと思うぶっとい薪が顔面すれすれに飛んできて、宗近はきもをひやします。
「ま、待て! 話を聞いてくれ!」
「ムツキの話もろくに聞かねぇで追い出したオメェが、話を聞けっちゅっうんか! 虫のいいこと言うんでねぇだ!」
おばあさんも白髪を振り乱して、水をくんだ桶を投げます。
彼らの言い分は何一つ間違っていません。
事実、宗近はある事件でムツキが雪女だと知り、「なぜ俺をだました」となじりました。
最初から妖怪だと知っていたらお前を妻になんてしなかったと。
集落の人々に追われるムツキを守らなかったのです。
ムツキを愛してやまない両親は完全に宗近を敵視してとりつくしまもない。
不本意ですが、今日のところはいったん引くことにしました。
くしゃみをしながら山道を降ります。
村に向かって歩きながら考えるのはムツキのことです。
もう何年も前のこと。
宗近は故郷の京で刀鍛冶として生計を立てていました。
そんなあるとき、行き倒れの少女を助けました。
少女は名をムツキといい、養母が病に倒れ、京に腕のいい医師がいると聞いてはるばるやってきたのです。
けれど治療の見返りになるお金もなく引き換えにできるような反物もなく、越後に帰るに帰れず困っていたのだと言います。
男の一人旅ですら危険がつきまとうのに、女一人で、自分を拾い育ててくれた両親のために恩返ししたくて旅をする。そんな優しく強い姿に惹かれました。
ムツキもまた、自分を助けてくれた宗近に惹かれました。
見ず知らずの者を助けても得はないだろうに、ムツキの母のために医師を紹介してくれ、路銀を与えて故郷の村まで送ってくれたのです。
二人が恋仲になるのに、そう時間はかかりませんでした。
宗近は、ムツキを助けたことを後悔したことは一度もありません。人のために行動できる優しい人柄に惹かれたのも偽りありません。
けれど、京はあやかしの被害で苦しむ人があとをたたない地。
ムツキがあやかしであると知った瞬間の……あの怒りとも悲しみともつかない気持ちも忘れられません。
宗近から手を振り払われたムツキの泣き顔が、今もまだ胸を焦がすのです。
「……俺はなぜ、ムツキに会いに来た。こんなふうに追い返されるって、かんたんに予想できていたのに」
自問自答しても、ただムツキに会いたかったということだけしかわかりません。会って、いまさら何を伝えたいのだろうとひたすら考えます。
『うああぁああん!!』
ヒヤリとした風が吹き、どこからか雪が吹きつけてきました。
「……子どもの、声? こんな山の中で?」
風なりではありません。どう聞いても、としはもいかない幼子の声でした。
悲しげな声に導かれるように道をそれ、巨木の根本でうずくまって泣く子どもを見つけました。
粗さが目立つ手縫いのはんてん、茶のキモノ。色素の薄い目に、どこかムツキに似たものを感じました。
空は雲一つなく晴れているのに、その子の周りにだけ薄い雪化粧。宗近が息を呑むと、子どもが顔をあげました。
何か必死にうったえているのはわかるのですが、その口から声は発せられません。
「……喋れない、のか。お前、迷子か? 親は? つっても、このへんに文字を学べるところもないし、書けないか」
子どもは目を大きく開いて、そばに落ちていた木の枝で地面をひっかきました。
“宗二。母、ムツキ、父、京デ刀ツクッテル”
「ム、ムツキ!? お前ムツキの子なのか!?」
ムツキと縁ある刀鍛冶師なんて、宗近以外いません。
京にいた頃、いつか子どもがほしいと二人で話してはいたけれど、子が生まれる前に京を追われました。
ムツキ一人で帰郷して、この子が生まれたのでしょう。
“母ノ、シリアイ?”
ソウジが地面に新しく文字を書きます。
目の前にいるのが、自分の父と知らず。
最初は警戒心むき出しだったのに、母と交流のある者だとわかると表情が穏やかなものに変わりました。
「し、知り合いっつうか、俺は……」
名乗れるはずありませんでした。自分が、お前たちを京から追い出した父なのだと。
そこは元嫁ーームツキが育った家なのです。
ムツキにどうしても会いたい。
そのために、嫌いな妖怪と手を組んでまでして京から旅をしてきました。
けれどーー。
「けえれ、この薄情モンが! お前の顔なんぞ見たくもない! ムツキを幸せにしてくれると思っていたから嫁にやったのに、酷え目に合わせおって!」
エビのようにそった背をしたおじいさんが、弱々しい見た目に反して怒り狂い、そばにあったものを掴んで投げつけます。
自分の腕くらい太いんじゃないかと思うぶっとい薪が顔面すれすれに飛んできて、宗近はきもをひやします。
「ま、待て! 話を聞いてくれ!」
「ムツキの話もろくに聞かねぇで追い出したオメェが、話を聞けっちゅっうんか! 虫のいいこと言うんでねぇだ!」
おばあさんも白髪を振り乱して、水をくんだ桶を投げます。
彼らの言い分は何一つ間違っていません。
事実、宗近はある事件でムツキが雪女だと知り、「なぜ俺をだました」となじりました。
最初から妖怪だと知っていたらお前を妻になんてしなかったと。
集落の人々に追われるムツキを守らなかったのです。
ムツキを愛してやまない両親は完全に宗近を敵視してとりつくしまもない。
不本意ですが、今日のところはいったん引くことにしました。
くしゃみをしながら山道を降ります。
村に向かって歩きながら考えるのはムツキのことです。
もう何年も前のこと。
宗近は故郷の京で刀鍛冶として生計を立てていました。
そんなあるとき、行き倒れの少女を助けました。
少女は名をムツキといい、養母が病に倒れ、京に腕のいい医師がいると聞いてはるばるやってきたのです。
けれど治療の見返りになるお金もなく引き換えにできるような反物もなく、越後に帰るに帰れず困っていたのだと言います。
男の一人旅ですら危険がつきまとうのに、女一人で、自分を拾い育ててくれた両親のために恩返ししたくて旅をする。そんな優しく強い姿に惹かれました。
ムツキもまた、自分を助けてくれた宗近に惹かれました。
見ず知らずの者を助けても得はないだろうに、ムツキの母のために医師を紹介してくれ、路銀を与えて故郷の村まで送ってくれたのです。
二人が恋仲になるのに、そう時間はかかりませんでした。
宗近は、ムツキを助けたことを後悔したことは一度もありません。人のために行動できる優しい人柄に惹かれたのも偽りありません。
けれど、京はあやかしの被害で苦しむ人があとをたたない地。
ムツキがあやかしであると知った瞬間の……あの怒りとも悲しみともつかない気持ちも忘れられません。
宗近から手を振り払われたムツキの泣き顔が、今もまだ胸を焦がすのです。
「……俺はなぜ、ムツキに会いに来た。こんなふうに追い返されるって、かんたんに予想できていたのに」
自問自答しても、ただムツキに会いたかったということだけしかわかりません。会って、いまさら何を伝えたいのだろうとひたすら考えます。
『うああぁああん!!』
ヒヤリとした風が吹き、どこからか雪が吹きつけてきました。
「……子どもの、声? こんな山の中で?」
風なりではありません。どう聞いても、としはもいかない幼子の声でした。
悲しげな声に導かれるように道をそれ、巨木の根本でうずくまって泣く子どもを見つけました。
粗さが目立つ手縫いのはんてん、茶のキモノ。色素の薄い目に、どこかムツキに似たものを感じました。
空は雲一つなく晴れているのに、その子の周りにだけ薄い雪化粧。宗近が息を呑むと、子どもが顔をあげました。
何か必死にうったえているのはわかるのですが、その口から声は発せられません。
「……喋れない、のか。お前、迷子か? 親は? つっても、このへんに文字を学べるところもないし、書けないか」
子どもは目を大きく開いて、そばに落ちていた木の枝で地面をひっかきました。
“宗二。母、ムツキ、父、京デ刀ツクッテル”
「ム、ムツキ!? お前ムツキの子なのか!?」
ムツキと縁ある刀鍛冶師なんて、宗近以外いません。
京にいた頃、いつか子どもがほしいと二人で話してはいたけれど、子が生まれる前に京を追われました。
ムツキ一人で帰郷して、この子が生まれたのでしょう。
“母ノ、シリアイ?”
ソウジが地面に新しく文字を書きます。
目の前にいるのが、自分の父と知らず。
最初は警戒心むき出しだったのに、母と交流のある者だとわかると表情が穏やかなものに変わりました。
「し、知り合いっつうか、俺は……」
名乗れるはずありませんでした。自分が、お前たちを京から追い出した父なのだと。
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