拝啓、風見鶏だった僕へ。

ちはやれいめい

文字の大きさ
9 / 20

9 嫌な音の聞こえない世界は、しあわせだろうか

しおりを挟む
 センリはすすめられるまま公園に行き、何をするでもなくベンチに腰をかけた。

 一般的には学生の夏休み期間だ。
 平日でもそこそこ子連れの家族がいる。

 キャイキャイとはしゃいでいる幼児に手を繋いで歩くおばあさん。
 昔の自分を見ているようだ。

(ここには嫌な音がなくていいな)

 休職期間が二ヶ月延長になるとはいえ、部署替えをさせてもらえなければ、また田井多と顔を合わせることになる。

(あの人の声だけ聞こえなくなればいいのにな)


 いっそ耳が聞こえなくなれば嫌な言葉を聞かなくていいから幸せだろうか。

 ぼんやり園内を見ていてふと気づいた。
 高校生くらいの少女が、一人。
 花壇の前に座っていた。

 ベンチがあるのになぜあえてシートも敷かず、地面に座っているのだろう。

 歩み寄ってみると、少女はA4ほどの小さなスケッチブックに絵を描いていた。
 みんなが見向きもせず通り過ぎていく、名前札も添えられていない小さな花を。

 少女の手から消しゴムが滑り落ちて、センリの足元に転がってくる。
 そっと消しゴムを拾って渡す。

「何を描いているの?」

「なあに? もういっかい、言って」

 少女がゆっくりした話し方でセンリに聞いてきた。

「なにを、描いているの?」

 聞こえやすいよう、地面に膝をついてもう一度聞くと、少女は困ったように眉を寄せる。

「ごめん、うまくきこえない、書いて。わたし、半分、ろう・・なの。耳が、すごくとおい」

 ノートを渡されて、センリはそこに『なにをかいているの?』とペンで書く。

「すみれ。かわいい花だから、わたし、好きなの」


『きれいな絵だね』とノートに書けば、少女は笑顔になる。

「わたし、ミオ。美しい音って書いて、ミオ。お兄さんは?」
『センリ』
「センリは、花が好きだからここにいるの?」
『びょういんの先生にすすめられた。うつ病の、りょうようちゅう、だから』

 他の人に聞かれたら、世間体を気にして『たまたま来ただけ』と嘘をついていただろう。
 うつ病の療養中だなんて、なんだか言いにくい。
 でも、ミオには嘘をつけなかった。ついてはいけない気がした。


「センリは、病気、よくなるといいね」
『そうだね』
「ここは、うるさい?」
『うるさいより、にぎやか』

「わたし、補聴器しても、うるさいと思うほどの音を聞けないの」

 髪で隠れて見えにくかったけれど、ミオの耳たぶには小さな機械がかけてあった。

 補聴器をしてもなお、センリの声を拾えない。
 どれほど耳が悪いのか、それでわかる。

「センリは、なんの仕事してる?」
『じむいん』
「それは、耳が聞こえなくても、できる?」

 質問の意味をはかりかねて、センリは首をかしげる。
 電話応対もしなければならないから、無理かもしれない。

 それをノートに書くと、ミオは肩を落とす。

「そう。やっぱり世界は、ふつうのひとのためにあるね」

 ふつうのひと。
 その言葉で、大きな見えない壁がそこにあるような気がした。


「わたし、かわいい服が好き。でも、目の前にいる、センリの声もまともにききとれない。だから、接客無理って、先生にいわれる。全ての仕事、聞こえる人のためにある。

 わたしは、したい仕事でなく、聞こえない人にできる仕事の中の、ほんのひとにぎりの仕事にしか、つけない」

 今の仕事が嫌で逃げたいと思っていたセンリに、ミオの悲しそうなつぶやきは堪えた。

 仕事の選択肢が限りなく少ない。

 筆談を交えないと、まともな会話ができない。
 だからなりたいものになれない、就きたい仕事はやりたい仕事になりえない。

 人の心配をしているほどの余裕なんてないのに、センリはミオの心の痛みを聞いて、涙が出た。

「ごめん、ミオちゃんは、つらいのに」


 嫌な男の声を聞かなくていいから、聞こえない方が楽だ、なんて思ったのはとてつもなく不謹慎だった。
 ミオは何もこえなくて、こんなにも辛い。

「なぜ泣くの、センリ」
『ぼくは、シゴトでひととかかわるのが、こわくてツライ。だからこうしてここにいる』

 ミオは、センリが切り捨てたい仕事を選択肢に入れることすらできない。
 接客をしたくても会話ができないから。

 人はそれぞれで、何かになれないし、なろうとしなくてもいいのだと初田に言われたことを思い出す。


「そう、よかった。センリは聞こえる世界がきれいだと言わない。安心した」

『あんしん?』

「センリみたいに耳が聞こえる人でも、しりたくない、きかなくていいものがきこえて、苦しいことあるんだね。苦しいの、わたしだけと思ってた」

 ミオは複雑そうな顔をしている。
 センリが会社で何があったか言わなくても察しているようだ。

「聞こえる世界がきれいなものばかりだったら、わたしはもっと、うらやましくて、悔しくて苦しい」

『そうだね』

 世界は健常者のためにできている。
 センリがそう意識していないだけで、
 どの仕事も、
 目が見えるのが当たり前で、
 耳が聞こえるのが当たり前で、
 当たり障りない受け答えできるのが当たり前で、
 そういう、普段自覚していない、たくさんの当たり前でできている。


 センリのしてきた仕事も、耳が当たり前に聞こえる前提でできている。


(当たり前って、普通って、なんだろうな。人の気持ちを察することができて普通、耳が聞こえるのが普通、でも、僕たちはここにいる)


 ミオにとっては、耳が聞こえない生活が普通。
 こうしてノートを介しての筆談が普通。


「わたしにできる仕事、なんだろう。いまね、わたし、高三なの。来年はるは卒業なの。でも、職業訓練でもらえるお金、小学生の子どもが家事のお手伝いをするお駄賃くらいなの。お母さんと、お父さんに、メイワクかけることになってしまう」

 耳が聞こえるかどうかなんて、見た目にはわからない。
 ミオはスケッチブックを抱えたまま、遠くを眺める。


 ミオの悩みは、どことなくセンリに通じるものがある。
 家族に迷惑をかけたくないのに、普通に働けない自分が足手まといになってしまう。


 気休めを口にするのもおこがましい。
 口先だけ、言葉だけでは、誰も助からないとわかっている。

『ぼくも、ばあちゃんとじいちゃんのために、がんばりたい。いまはまだ、なにができるか、わからないけど』

「ねえセンリ。また話せる? わたし、もうすこしセンリと話をしてみたい」

『そうだね。ぼくも、ミオの話を聞いてみたい』


 年齢も性別も違うけれど、ミオとはいい友達になれる気がした。

 

 


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

処理中です...