拝啓、風見鶏だった僕へ。

ちはやれいめい

文字の大きさ
上 下
2 / 20

2 優しい言葉が重荷になる

しおりを挟む
 クリニックを出たセンリは、自分で診断書を提出しに向かった。
 チヨに提出を頼んだら、「書類出すくらい自分でできないのか」と会社の人たちに笑われる気がした。


 誰に提出すべきかわからなくて人事課に電話をしたら、人事課に持ってくるよう言われた。

 センリは事務課のため、階が違う人事課のオフィスに入ることはほぼない。こんな形で来るとは思いもしなかった。
 先程電話で応対してくれた、人事課長の蛇場見じゃばみかけるに頭を下げる。
 

「秤。休職しなければならないって?」
「……す、すみませ……」

 謝るのが癖なんですか? と初田に聞かれたことを思い出して、言いかけた謝罪を飲み込んだ。

「あまり気に病むな。うちの娘も、数年前働けない状態になったことがある」
「……そう、なんですか?」
「ああ。ときには休むのも必要だ。診断書をもらっておこうか。これに添える休職届けも書いてもらおう」
「はい」

 人手不足なのに休む気か! と怒られる覚悟をしていたが、労いの言葉をもらってしまった。

 自分の父親が生きていたら蛇場見くらいの年齢だから、こんな人が自分の父だったらななんて思う。

 蛇場見が診断書を検めて、なんとも言えない表情をした。

「あの……なにか、不備でも?」
「いや、不備はない。秤。主治医が初田なら安心していい。変な男だが腕は確かだ」

 まるで初田と知り合いかのような言い方をする。
 人の事情に踏み込むようなことは聞けなくて、センリは書類の記入をするのに意識を移した。


 書こうとして、ペンがすぐに止まった。自分の住所氏名を書いて判子を押すだけなのに、頭に文字が浮かばない。
 クリニックの問診票を書くときもそうだった。考えても漢字が出てこなくて、ところどころひらがなで書いた。

 一枚書くのに何分もかかる。

 横でセンリの様子を見ていた蛇場見は、ふっとため息を吐く。

「そんなになるまで無理していたのか。運動部だって、体調不良のときは練習を休むぞ」

 全員が全員、蛇場見のような考えならいいのに、現実は残酷だ。
 嫌な先輩が一人いるだけで、職場は地獄になる。

「一ヶ月経っても復職が難しそうなら、早めに言ってくれ」
「……はい」

 休職約一ヶ月、明日から八月の末まで。
 九月のあたままでに、どれくらい回復できるものだろうか。

 人事課の他の人も、「しっかり休んで元気に戻ってきてね」と言う。

(元気で戻れなかったら失望されるのかな)

 優しさすら重荷に感じてしまう、そんな自分の後ろ向きさが申し訳なくなった。
 事務課にも話をしなければならない。
 挨拶をするために部署に顔を出したら、案の定。
 田井多が他のメンバーに聞こえないようコソっと呟く。

「休職ねぇ。俺だって毎日疲れているから休みたいよ。お前と違って独り暮らしだからできねー。家賃の心配がない実家住みコドオジはいいねぇ」

 センリが都合のいいやつでなくなった途端、この態度だ。
 これからひと月、田井多は別の後輩に残業を押し付けるのだろう。
 そうしたら、きっと恨まれるのはセンリだ。
 残業を押し付けている田井多でなく、スケープゴート役から降りたセンリ。

 センリは何も言わず、頭を下げてオフィスをあとにした。


 スマホを見ると、チヨからのショートメッセージが何件か入っていた。
 よく見れば最新のメッセージは五分前。会社すぐそばの公園にいると、書いてある。

 猫柄の日傘をさした小さな姿が近づいてきた。

「センリ、終わったのかい?」
「先に帰りなって、言ったのに」
「いいじゃないかい。心配くらいさせておくれよ」

 幼い頃はセンリより大きかった背中。
 今ではセンリより小さくて、エビみたいな曲線を描いている。

 センリの祖父母は、シルバー人材で働きながら年金を受け取って生活している。
 センリはもう三十歳で、祖父母を支える側にならないといけないのに、うつが治るまで寄りかからないといけない。

 焦ってはいけませんと初田に言われていても、やはり気持ちは急く。

 チヨは日傘をかたむけて、空を見上げ目を細める。
 

「センリ。良い天気だね。たまには景色を楽しみながら帰るのもいいと思わないかい」
「…………うん」

 暑くてダルい。返事をするのも億劫だ。
 心配して待っていてくれたのに、疲れたからもう帰りたい、と言えない。
 わがままを言って失望されるのが怖い。
 期待されたのと違うことを言ったら、どうなる?
 なんでそんなことを気にしてしまうのか、わからない。

 また、センリは誰かの意見に左右されている。

(初田先生の言うとおりだ。僕には、自分の意見なんてない。みんなの意見に合わせてくるくる回るだけの、風見鶏)

 

 センリはキャップを目深にかぶって、祖母と歩調を合わせながら家路を歩いた。
しおりを挟む
この話より数年前、初田先生が主人公の物語はこちら。
「初田ハートクリニックの法度 小説家になろう版」


蛇場見課長の娘さんが主人公の物語はこちら
「夢で満ちたら」
感想 0

あなたにおすすめの小説

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私の神様は〇〇〇〇さん~不思議な太ったおじさんと難病宣告を受けた女の子の1週間の物語~

あらお☆ひろ
現代文学
白血病の診断を受けた20歳の大学生「本田望《ほんだ・のぞみ》」と偶然出会ったちょっと変わった太ったおじさん「備里健《そなえざと・けん」》の1週間の物語です。 「劇脚本」用に大人の絵本(※「H」なものではありません)的に準備したものです。 マニアな読者(笑)を抱えてる「赤井翼」氏の原案をもとに加筆しました。 「病気」を取り扱っていますが、重くならないようにしています。 希と健が「B級グルメ」を楽しみながら、「病気平癒」の神様(※諸説あり)をめぐる話です。 わかりやすいように、極力写真を入れるようにしていますが、撮り忘れやピンボケでアップできないところもあるのはご愛敬としてください。 基本的には、「ハッピーエンド」なので「ゆるーく」お読みください。 全31チャプターなのでひと月くらいお付き合いいただきたいと思います。 よろしくお願いしまーす!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【新作】読切超短編集 1分で読める!!!

Grisly
現代文学
❤️⭐️お願いします。 1分で読める!読切超短編小説 新作短編小説は全てこちらに投稿。 ⭐️忘れずに!コメントお待ちしております。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...