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2 優しい言葉が重荷になる
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クリニックを出たセンリは、自分で診断書を提出しに向かった。
チヨに提出を頼んだら、「書類出すくらい自分でできないのか」と会社の人たちに笑われる気がした。
誰に提出すべきかわからなくて人事課に電話をしたら、人事課に持ってくるよう言われた。
センリは事務課のため、階が違う人事課のオフィスに入ることはほぼない。こんな形で来るとは思いもしなかった。
先程電話で応対してくれた、人事課長の蛇場見駆に頭を下げる。
「秤。休職しなければならないって?」
「……す、すみませ……」
謝るのが癖なんですか? と初田に聞かれたことを思い出して、言いかけた謝罪を飲み込んだ。
「あまり気に病むな。うちの娘も、数年前働けない状態になったことがある」
「……そう、なんですか?」
「ああ。ときには休むのも必要だ。診断書をもらっておこうか。これに添える休職届けも書いてもらおう」
「はい」
人手不足なのに休む気か! と怒られる覚悟をしていたが、労いの言葉をもらってしまった。
自分の父親が生きていたら蛇場見くらいの年齢だから、こんな人が自分の父だったらななんて思う。
蛇場見が診断書を検めて、なんとも言えない表情をした。
「あの……なにか、不備でも?」
「いや、不備はない。秤。主治医が初田なら安心していい。変な男だが腕は確かだ」
まるで初田と知り合いかのような言い方をする。
人の事情に踏み込むようなことは聞けなくて、センリは書類の記入をするのに意識を移した。
書こうとして、ペンがすぐに止まった。自分の住所氏名を書いて判子を押すだけなのに、頭に文字が浮かばない。
クリニックの問診票を書くときもそうだった。考えても漢字が出てこなくて、ところどころひらがなで書いた。
一枚書くのに何分もかかる。
横でセンリの様子を見ていた蛇場見は、ふっとため息を吐く。
「そんなになるまで無理していたのか。運動部だって、体調不良のときは練習を休むぞ」
全員が全員、蛇場見のような考えならいいのに、現実は残酷だ。
嫌な先輩が一人いるだけで、職場は地獄になる。
「一ヶ月経っても復職が難しそうなら、早めに言ってくれ」
「……はい」
休職約一ヶ月、明日から八月の末まで。
九月のあたままでに、どれくらい回復できるものだろうか。
人事課の他の人も、「しっかり休んで元気に戻ってきてね」と言う。
(元気で戻れなかったら失望されるのかな)
優しさすら重荷に感じてしまう、そんな自分の後ろ向きさが申し訳なくなった。
事務課にも話をしなければならない。
挨拶をするために部署に顔を出したら、案の定。
田井多が他のメンバーに聞こえないようコソっと呟く。
「休職ねぇ。俺だって毎日疲れているから休みたいよ。お前と違って独り暮らしだからできねー。家賃の心配がない実家住みコドオジはいいねぇ」
センリが都合のいいやつでなくなった途端、この態度だ。
これからひと月、田井多は別の後輩に残業を押し付けるのだろう。
そうしたら、きっと恨まれるのはセンリだ。
残業を押し付けている田井多でなく、スケープゴート役から降りたセンリ。
センリは何も言わず、頭を下げてオフィスをあとにした。
スマホを見ると、チヨからのショートメッセージが何件か入っていた。
よく見れば最新のメッセージは五分前。会社すぐそばの公園にいると、書いてある。
猫柄の日傘をさした小さな姿が近づいてきた。
「センリ、終わったのかい?」
「先に帰りなって、言ったのに」
「いいじゃないかい。心配くらいさせておくれよ」
幼い頃はセンリより大きかった背中。
今ではセンリより小さくて、エビみたいな曲線を描いている。
センリの祖父母は、シルバー人材で働きながら年金を受け取って生活している。
センリはもう三十歳で、祖父母を支える側にならないといけないのに、うつが治るまで寄りかからないといけない。
焦ってはいけませんと初田に言われていても、やはり気持ちは急く。
チヨは日傘をかたむけて、空を見上げ目を細める。
「センリ。良い天気だね。たまには景色を楽しみながら帰るのもいいと思わないかい」
「…………うん」
暑くてダルい。返事をするのも億劫だ。
心配して待っていてくれたのに、疲れたからもう帰りたい、と言えない。
わがままを言って失望されるのが怖い。
期待されたのと違うことを言ったら、どうなる?
なんでそんなことを気にしてしまうのか、わからない。
また、センリは誰かの意見に左右されている。
(初田先生の言うとおりだ。僕には、自分の意見なんてない。みんなの意見に合わせてくるくる回るだけの、風見鶏)
センリはキャップを目深にかぶって、祖母と歩調を合わせながら家路を歩いた。
チヨに提出を頼んだら、「書類出すくらい自分でできないのか」と会社の人たちに笑われる気がした。
誰に提出すべきかわからなくて人事課に電話をしたら、人事課に持ってくるよう言われた。
センリは事務課のため、階が違う人事課のオフィスに入ることはほぼない。こんな形で来るとは思いもしなかった。
先程電話で応対してくれた、人事課長の蛇場見駆に頭を下げる。
「秤。休職しなければならないって?」
「……す、すみませ……」
謝るのが癖なんですか? と初田に聞かれたことを思い出して、言いかけた謝罪を飲み込んだ。
「あまり気に病むな。うちの娘も、数年前働けない状態になったことがある」
「……そう、なんですか?」
「ああ。ときには休むのも必要だ。診断書をもらっておこうか。これに添える休職届けも書いてもらおう」
「はい」
人手不足なのに休む気か! と怒られる覚悟をしていたが、労いの言葉をもらってしまった。
自分の父親が生きていたら蛇場見くらいの年齢だから、こんな人が自分の父だったらななんて思う。
蛇場見が診断書を検めて、なんとも言えない表情をした。
「あの……なにか、不備でも?」
「いや、不備はない。秤。主治医が初田なら安心していい。変な男だが腕は確かだ」
まるで初田と知り合いかのような言い方をする。
人の事情に踏み込むようなことは聞けなくて、センリは書類の記入をするのに意識を移した。
書こうとして、ペンがすぐに止まった。自分の住所氏名を書いて判子を押すだけなのに、頭に文字が浮かばない。
クリニックの問診票を書くときもそうだった。考えても漢字が出てこなくて、ところどころひらがなで書いた。
一枚書くのに何分もかかる。
横でセンリの様子を見ていた蛇場見は、ふっとため息を吐く。
「そんなになるまで無理していたのか。運動部だって、体調不良のときは練習を休むぞ」
全員が全員、蛇場見のような考えならいいのに、現実は残酷だ。
嫌な先輩が一人いるだけで、職場は地獄になる。
「一ヶ月経っても復職が難しそうなら、早めに言ってくれ」
「……はい」
休職約一ヶ月、明日から八月の末まで。
九月のあたままでに、どれくらい回復できるものだろうか。
人事課の他の人も、「しっかり休んで元気に戻ってきてね」と言う。
(元気で戻れなかったら失望されるのかな)
優しさすら重荷に感じてしまう、そんな自分の後ろ向きさが申し訳なくなった。
事務課にも話をしなければならない。
挨拶をするために部署に顔を出したら、案の定。
田井多が他のメンバーに聞こえないようコソっと呟く。
「休職ねぇ。俺だって毎日疲れているから休みたいよ。お前と違って独り暮らしだからできねー。家賃の心配がない実家住みコドオジはいいねぇ」
センリが都合のいいやつでなくなった途端、この態度だ。
これからひと月、田井多は別の後輩に残業を押し付けるのだろう。
そうしたら、きっと恨まれるのはセンリだ。
残業を押し付けている田井多でなく、スケープゴート役から降りたセンリ。
センリは何も言わず、頭を下げてオフィスをあとにした。
スマホを見ると、チヨからのショートメッセージが何件か入っていた。
よく見れば最新のメッセージは五分前。会社すぐそばの公園にいると、書いてある。
猫柄の日傘をさした小さな姿が近づいてきた。
「センリ、終わったのかい?」
「先に帰りなって、言ったのに」
「いいじゃないかい。心配くらいさせておくれよ」
幼い頃はセンリより大きかった背中。
今ではセンリより小さくて、エビみたいな曲線を描いている。
センリの祖父母は、シルバー人材で働きながら年金を受け取って生活している。
センリはもう三十歳で、祖父母を支える側にならないといけないのに、うつが治るまで寄りかからないといけない。
焦ってはいけませんと初田に言われていても、やはり気持ちは急く。
チヨは日傘をかたむけて、空を見上げ目を細める。
「センリ。良い天気だね。たまには景色を楽しみながら帰るのもいいと思わないかい」
「…………うん」
暑くてダルい。返事をするのも億劫だ。
心配して待っていてくれたのに、疲れたからもう帰りたい、と言えない。
わがままを言って失望されるのが怖い。
期待されたのと違うことを言ったら、どうなる?
なんでそんなことを気にしてしまうのか、わからない。
また、センリは誰かの意見に左右されている。
(初田先生の言うとおりだ。僕には、自分の意見なんてない。みんなの意見に合わせてくるくる回るだけの、風見鶏)
センリはキャップを目深にかぶって、祖母と歩調を合わせながら家路を歩いた。
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