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第三十五話 奥底の気持ちに嘘はつけない。
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バレンタインの夜。
歩は店を閉めてから初斗の元に向かった。
クリニックも閉院の時間だから、自宅側の玄関から訪問する。
チャイムを押して階段を降りる音がして、初斗が顔を出した。
「やあ歩。どうしたんだい」
「ちょっと飲むのに付き合ってよ」
「わたしは飲めないってわかっているよね」
「ノンアルコールもあるでしょ」
あまりネルに聞かれたくない話があるからだと、初斗は察した。
妊娠中のネルがそういうところにいけるはずがないから。
「三〇分だけなら」
「ありがとね」
ネルに一声かけてから、初斗と歩は駅近くにあるバーに入った。
カウンター席で歩はストレートのブランデーを頼み、初斗はお茶を頼む。
「それで、なにをそんなに深刻そうな顔をしているんだい」
「アリスちゃんのことよ」
「ああ、わたしにも分かるくらい歩に懐いているねえ。あれは、一般的には恋愛感情を持っているというやつだと思うのだけれど」
色恋にうとい初斗ですらわかるくらいだから、察知能力の高い歩もとっくに理解していた。
アリスが自分に恋をしているのだろうということ。
「何が問題なのかな」
「アリスちゃんが実家であまり大切にされてこなかったのは、見ていたらわかったわ。だから、アタシが優しくすることでそれが恋だと錯覚しているだけだと思うの。高校に通うようになって、同年代の男と交流を持つようになれば、本当の恋愛を見つけるはずよ」
ブランデーに口をつけず、グラスを持ったまま歩はつぶやく。
初斗に対して相談しているのに、まるで自分に言い聞かせているような言い回しだ。
その好意が錯覚であってほしい、と言いたげ。
「それは歩が決めることではないよ。本物か、錯覚か。どちらが正解かは、アリスさん自身が決めることだ。アリスさんがまだ自覚していないだけ。本当に好きだと言われたら、どうするつもりだい」
「…………わからないわ」
歩はこれまで誰かと特別な関係になったことがない。
恋愛対象は男女どちらでもかまわないタイプだが、ワンダーウォーカーを開店するまでは旅をする根無し草の生活だったから、夫候補にする人間は皆無。
例えば万に一つの可能性で歩と結婚したい女が現れたとして、「安定した家庭を作るために髪を黒く染めて会社員になれ」と言われたら、大金を渡されたってお断りする。
アリスは歩が店を閉めない限りはずっとワンダーウォーカーで働きたいと言ってくれているし、頑張り屋で明るいアリスを好ましく思う。
でも、これが恋愛感情なのか歩は疑問に思う。
「わたしはね、ネルさんに告白されたときに言ったんです。わたしを選ぶのはネルさんの幸せにならないんじゃないですかって。平也のことがありましたし、それに、かつての同僚たちから光源氏、なんて言われてしまうくらいに年の差がありますし。年が近い人との方が幸せになれるんじゃないかと」
初斗は自分を指さして眉尻を下げる。
「……ネルちゃん、怒ったんじゃない?」
「ええ。怒られました。好きじゃない人と結婚したって、相手の人に失礼だって。普通なんて関係ない、私たちだけの形があるはずだって。……それでわかりました。言い訳は全部自分を守るためのものだった。本当の気持ちは偽れないって」
年の差があるから、自分は普通じゃないから、相手のためにならないから。
年齢を重ねたからこそ、いろんなものが気になって、自分を守る言い訳を探してしまう。
「歩も、あのときのわたしと同じことをしているね。それでアリスさんが年の近い男を結婚相手として連れてきたら、心から祝福できるかい?」
諭すように言われて、歩は自分の心に問いかける。
アリスが気の迷いだった、と言って離れていったら。
どんな道を選んでも応援すると言ったくせに、心が重くなる。
「ほら、歩自身、本当はわかっているんじゃない」
「相談したのはアタシだけど、初斗にそう言われるのはムカつくわね」
一杯だけ飲んで店を出て、外気で冷えた息で視界がかすむ。
かすみが晴れてから、歩は夜空を見上げて足を進める。
「あんたに話して良かったわ。ちょっと気持ちの整理ができた」
「それはなにより」
初斗も柔らかく笑ってまっすぐ先を見る。
ポケットからスマホを出して、短縮を押す。
「ネルさん。これから帰ります。なにか欲しいものはないですか。え、コンビニのくじびき? ネコちゃんの?」
お菓子や食材でなく、コンビニ限定のキャラくじが欲しいらしい。そういうものを知らない初斗が頭の上にはてなマークを浮かべている。電話を切って悩んでいる初斗の肩を叩いて、すぐ近くにある店を指す。
「初斗、その店のやつよ。入り口にポスターが貼ってあるでしょ」
「ああ、本当だ。にゃんこくじって書いてありますね。A賞のビッグぬいぐるみが欲しいそうですが」
「それは相当の強運がないと当たらないわねえ」
今度は初斗に付き合って、二人でコンビニに入る。
三枚引いてみごとネコの巨大ぬいを当てた初斗だけど、店の袋に入らないから抱きかかえて持ち帰ることになった。
家に帰り着いたとき、ネルが初斗のスマホでその姿を連写したのは言うまでもない。
歩は店を閉めてから初斗の元に向かった。
クリニックも閉院の時間だから、自宅側の玄関から訪問する。
チャイムを押して階段を降りる音がして、初斗が顔を出した。
「やあ歩。どうしたんだい」
「ちょっと飲むのに付き合ってよ」
「わたしは飲めないってわかっているよね」
「ノンアルコールもあるでしょ」
あまりネルに聞かれたくない話があるからだと、初斗は察した。
妊娠中のネルがそういうところにいけるはずがないから。
「三〇分だけなら」
「ありがとね」
ネルに一声かけてから、初斗と歩は駅近くにあるバーに入った。
カウンター席で歩はストレートのブランデーを頼み、初斗はお茶を頼む。
「それで、なにをそんなに深刻そうな顔をしているんだい」
「アリスちゃんのことよ」
「ああ、わたしにも分かるくらい歩に懐いているねえ。あれは、一般的には恋愛感情を持っているというやつだと思うのだけれど」
色恋にうとい初斗ですらわかるくらいだから、察知能力の高い歩もとっくに理解していた。
アリスが自分に恋をしているのだろうということ。
「何が問題なのかな」
「アリスちゃんが実家であまり大切にされてこなかったのは、見ていたらわかったわ。だから、アタシが優しくすることでそれが恋だと錯覚しているだけだと思うの。高校に通うようになって、同年代の男と交流を持つようになれば、本当の恋愛を見つけるはずよ」
ブランデーに口をつけず、グラスを持ったまま歩はつぶやく。
初斗に対して相談しているのに、まるで自分に言い聞かせているような言い回しだ。
その好意が錯覚であってほしい、と言いたげ。
「それは歩が決めることではないよ。本物か、錯覚か。どちらが正解かは、アリスさん自身が決めることだ。アリスさんがまだ自覚していないだけ。本当に好きだと言われたら、どうするつもりだい」
「…………わからないわ」
歩はこれまで誰かと特別な関係になったことがない。
恋愛対象は男女どちらでもかまわないタイプだが、ワンダーウォーカーを開店するまでは旅をする根無し草の生活だったから、夫候補にする人間は皆無。
例えば万に一つの可能性で歩と結婚したい女が現れたとして、「安定した家庭を作るために髪を黒く染めて会社員になれ」と言われたら、大金を渡されたってお断りする。
アリスは歩が店を閉めない限りはずっとワンダーウォーカーで働きたいと言ってくれているし、頑張り屋で明るいアリスを好ましく思う。
でも、これが恋愛感情なのか歩は疑問に思う。
「わたしはね、ネルさんに告白されたときに言ったんです。わたしを選ぶのはネルさんの幸せにならないんじゃないですかって。平也のことがありましたし、それに、かつての同僚たちから光源氏、なんて言われてしまうくらいに年の差がありますし。年が近い人との方が幸せになれるんじゃないかと」
初斗は自分を指さして眉尻を下げる。
「……ネルちゃん、怒ったんじゃない?」
「ええ。怒られました。好きじゃない人と結婚したって、相手の人に失礼だって。普通なんて関係ない、私たちだけの形があるはずだって。……それでわかりました。言い訳は全部自分を守るためのものだった。本当の気持ちは偽れないって」
年の差があるから、自分は普通じゃないから、相手のためにならないから。
年齢を重ねたからこそ、いろんなものが気になって、自分を守る言い訳を探してしまう。
「歩も、あのときのわたしと同じことをしているね。それでアリスさんが年の近い男を結婚相手として連れてきたら、心から祝福できるかい?」
諭すように言われて、歩は自分の心に問いかける。
アリスが気の迷いだった、と言って離れていったら。
どんな道を選んでも応援すると言ったくせに、心が重くなる。
「ほら、歩自身、本当はわかっているんじゃない」
「相談したのはアタシだけど、初斗にそう言われるのはムカつくわね」
一杯だけ飲んで店を出て、外気で冷えた息で視界がかすむ。
かすみが晴れてから、歩は夜空を見上げて足を進める。
「あんたに話して良かったわ。ちょっと気持ちの整理ができた」
「それはなにより」
初斗も柔らかく笑ってまっすぐ先を見る。
ポケットからスマホを出して、短縮を押す。
「ネルさん。これから帰ります。なにか欲しいものはないですか。え、コンビニのくじびき? ネコちゃんの?」
お菓子や食材でなく、コンビニ限定のキャラくじが欲しいらしい。そういうものを知らない初斗が頭の上にはてなマークを浮かべている。電話を切って悩んでいる初斗の肩を叩いて、すぐ近くにある店を指す。
「初斗、その店のやつよ。入り口にポスターが貼ってあるでしょ」
「ああ、本当だ。にゃんこくじって書いてありますね。A賞のビッグぬいぐるみが欲しいそうですが」
「それは相当の強運がないと当たらないわねえ」
今度は初斗に付き合って、二人でコンビニに入る。
三枚引いてみごとネコの巨大ぬいを当てた初斗だけど、店の袋に入らないから抱きかかえて持ち帰ることになった。
家に帰り着いたとき、ネルが初斗のスマホでその姿を連写したのは言うまでもない。
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