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本編(つづき)
data66:三つのオフィス
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────,66
「ミチルおまえ相ッ変わらずだな……俺が帰ってきた日くらい、ちっとは愛想よくしようとか思わねえのか?」
「なんでですか? その必要あります?」
「あるね。大いにある。早けりゃ明日の午前からでも復帰していいっつー話なんだが、それにあたって俺のモチベーションを左右すんのはオフィスの空気だ。もっと明るく和やかにしろ」
「無理ですね。もともとこういう性格なんで。嫌なら秘書を変えてください」
すらすらとまあ淀みなく返してくるミチルに、ソーヤは肩を竦めるしかなかった。
まったくもってかわいげがない。
どうしてこれを秘書にしたのか過去の自分を問い詰めたい気持ちでいっぱいになりながら、とはいえじゃあタニラあたりとトレードするかと言えば答えはなぜか、ノーであった。
とにかく立ちっぱなしも癪なのでひとまず椅子に腰を下ろす。
久しぶりの感触に少し満足していると、まだ顔をこわばらせたワタリが、そのままの調子で話しかけてきた。
「ソーヤ……もう、身体はいいんだよね……?」
「ああ。今のとこ検査もオールクリア、順調すぎて俺自身も驚いてるぐれーだよ」
「……そっか」
ワタリは小さく頷く。
まだ不安げというか納得いかないような気配はあったが、それ以上は何も言わないので、ソーヤも黙っておいた。
しかし、何か足りない。
妙な違和感を覚えたソーヤは座ったまま室内をぐるりと見回したが、とはいえオフィスの風景は記憶にあるのと寸分違わず、しいていえばちょっと片付いているくらいなものだった。
前は乱雑だったファイルがきれいに並んでいるから、それが気になるのだろうか。
「……ミチル、棚の整頓したのか」
「はい? ……ああ、ソーヤさんがたくさん持ち出したんで、戻すついでに日付くらいは揃えましたけど」
「意外と気が利くな」
「一言余計です。あと今さらですけど何しにきたんですか?」
ミチルはそこから先を声には出さなかったが、明らかに顔と口が、正直さっきから邪魔です、と言っていた。
かわいくないにも程がある。もう少し班長の帰還を喜ぼうとしないものか。
たとえ内心では邪魔に思っても態度に出すなとか、表面上くらい取り繕えとか、一瞬でいろんな感情がソーヤの内に去来した。
それでも怒りをぐっと堪え、ソーヤは返す。
「何って……おまえの顔、見に」
口に出してからはっとした。
なんというか、これでは語弊があるような気がする。
それにほんとうは「おまえの」ではなく「おまえらの」、つまりワタリを含んだ表現にするつもりだったのに、言い間違えてしまった。
しかし少し慌てるソーヤとは対照的に、ミチルは先ほどまでと一℃も変わらない冷たい目線を送ってきただけだった。
もはや虚しささえ感じるというか、ソーヤの中で何かがちょっと傷ついた感じがする。
むろんその程度でめげるようなヤワな自尊心など持ち合わせがないので、嫌な気分を吹き飛ばすべく鼻をフンと鳴らしてから、ソーヤは立ちあがった。
「用も済んだし帰って寝るわ。また明日な」
「……うん、また明日」
「おやすみなさい」
ミチルはこちらを見もせずに、言葉もどこか棒読み気味である。
彼女の少々ひどい態度と、逆にやたら気遣うようなワタリの声音とがちぐはぐで、ソーヤはなんとも言えない気持ちとともに椅子をデスクの下に押し込んだ。
とはいえ、どちらの心情もわからないではない。
ワタリは単に病み上がりのソーヤを心配しているだけなのだろうし、ミチルにしても、仕事をするわけでもないソーヤがここにいても実際のところ邪魔になるのは事実なのだから。
それにもしかしたら、彼女なりにソーヤを休ませようとして不器用な言い回しをしているだけ……なんてことは、さすがにないか。
そのままオフィスを出て、階段を下りながら考える。
連絡通路は二階だが、どうせなら三階にも少し寄っていって、二班と三班にも一声かけるか、と。
というわけで、まず二班へ。
出迎えたタニラの眼は別れたときよりもさらに赤みを増していて、どうやら離れている間にまた泣いたらしいと察し、一瞬言葉が出なくなる。
タニラはそれを誤魔化すようにぎこちなく微笑もうとしているのが尚のこと痛々しい。
彼女から眼を逸らしたくて、残りふたりに声をかける体で室内を見回す。
こちらに違和感はない。
同じくきちんと整頓され清潔に保たれた事務室内は、タニラの手腕によるものだろう。
意外だったのはユウラと眼が合ったことだった。
サイネならまだしも、サイネ以外に興味を持たないこの変人がわざわざソーヤの声に反応して視線を寄越すとは思わなかったのだが、彼はたしかにこちらを見ている。
その眼差しが訝しげなのが気になるが、しかし言葉がないのでその意図がわからない。
そしてソーヤから見て彼の手前に座っているサイネはというと、一瞬だけこちらを見て、すぐ逸らして顔をしかめた。
なんだかよくわからないが、少なくとも気分のいい反応ではない。なんなんだ。
「とりあえず復活報告。オフィスに出るのは明日からだけどな」
「そう、じゃあ検査は大丈夫だったんだね。よかった……」
「まだ結果は出揃ってねえけど、それも朝にはわかるし、まあよっぽど大丈夫だろうってよ」
言いながら、拍子抜けするよな、と自分でも思う。
あんなに苦しんでいたのに、しばらく寝ていただけで健康な身体に戻ってしまえるとは。
しかしこれは朗報に違いないだろう。
ソーヤがこのように回復したのだから、今後も他の誰かがアマランス疾患に倒れることがあったとしても、ラボは対処できるようになったということだ。
もうソアの誰も、迫ってくる死の影に怯える必要はないのだ。
それなのに、なぜか誰もの表情が暗いのが気にかかる。
まあ急なことで理解が追い付かないのも無理はない。
とくにソアは変化に弱いところがあって、今までと違うことには悪い意味で敏感だ。
ソーヤもそうだ。朝からずっと、まとわりつくような違和感がある。
植木鉢の部屋でも、医務部でも、オフィスでも、どこを見ても何を聞いても輪郭がぼやけて感じる。
それも恐らくはソーヤ自身がまだ現状に対して理解しきれていないからで、なんにせよ受け入れるほかないのだから、あとは時間が解決するのを待つしかない。
二班を後にして三班へ向かう。
そういえば結局、サイネとユウラは一言も発しなかった。
うってかわって三班では明るく出迎えられた。
エイワもアツキも元の性格からしてそうだから驚くことはないが、二班の対応が微妙だっただけに、ソーヤはとても嬉しく感じた。
奥でニノリが仏頂面なのも元からなので気にならない。
ただしいて言えば、アツキの眼も少し腫れていたような気がする。
彼女はタニラほど色白ではないのであまり目立たず、はっきりとはわからなかったが。
そしてこの部屋は少しくたびれた感じがする。
ものが散らかっているわけではないが、一班や二班ほどは整頓しきれていないし、掃除も細かいところは不十分という印象だ。
まだエイワも不慣れなのだろうし、仕方ないとは思うが。
なんにせよ居心地が悪いということはない。
むしろ班員の態度がいいせいか、自分の一班よりも落ち着けるような気さえする。
「よかったねえ。うん、ほんとに元気そう」
「仕事はいつから戻るんだ?」
「厳密に言や検査結果が出揃ってからだけどよ、まあ早けりゃ明日の午前中だな」
「そっか。なら昼は三人で食えそうだな」
なぜかそのとき、エイワの声にアツキが妙な反応をした。
やはり言葉はなかったが、温厚な彼女には珍しく、送った視線が何かを咎めるような色をしていたのだ。
一瞬のことだったから、もしかするとソーヤの見間違いかもしれないが。
ただ、エイワも何か感じたらしい。
ちょっと眉尻を下げてから、そうだ、と言って立ち上がる。
「ソーヤを送ってくついでに茶ぁ淹れてくるよ。何がいい?」
「……カフェオレ」
「うちも。……いってらっしゃい」
アツキに見送られ、ソーヤはエイワとともに三班のオフィスを出た。
→
「ミチルおまえ相ッ変わらずだな……俺が帰ってきた日くらい、ちっとは愛想よくしようとか思わねえのか?」
「なんでですか? その必要あります?」
「あるね。大いにある。早けりゃ明日の午前からでも復帰していいっつー話なんだが、それにあたって俺のモチベーションを左右すんのはオフィスの空気だ。もっと明るく和やかにしろ」
「無理ですね。もともとこういう性格なんで。嫌なら秘書を変えてください」
すらすらとまあ淀みなく返してくるミチルに、ソーヤは肩を竦めるしかなかった。
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どうしてこれを秘書にしたのか過去の自分を問い詰めたい気持ちでいっぱいになりながら、とはいえじゃあタニラあたりとトレードするかと言えば答えはなぜか、ノーであった。
とにかく立ちっぱなしも癪なのでひとまず椅子に腰を下ろす。
久しぶりの感触に少し満足していると、まだ顔をこわばらせたワタリが、そのままの調子で話しかけてきた。
「ソーヤ……もう、身体はいいんだよね……?」
「ああ。今のとこ検査もオールクリア、順調すぎて俺自身も驚いてるぐれーだよ」
「……そっか」
ワタリは小さく頷く。
まだ不安げというか納得いかないような気配はあったが、それ以上は何も言わないので、ソーヤも黙っておいた。
しかし、何か足りない。
妙な違和感を覚えたソーヤは座ったまま室内をぐるりと見回したが、とはいえオフィスの風景は記憶にあるのと寸分違わず、しいていえばちょっと片付いているくらいなものだった。
前は乱雑だったファイルがきれいに並んでいるから、それが気になるのだろうか。
「……ミチル、棚の整頓したのか」
「はい? ……ああ、ソーヤさんがたくさん持ち出したんで、戻すついでに日付くらいは揃えましたけど」
「意外と気が利くな」
「一言余計です。あと今さらですけど何しにきたんですか?」
ミチルはそこから先を声には出さなかったが、明らかに顔と口が、正直さっきから邪魔です、と言っていた。
かわいくないにも程がある。もう少し班長の帰還を喜ぼうとしないものか。
たとえ内心では邪魔に思っても態度に出すなとか、表面上くらい取り繕えとか、一瞬でいろんな感情がソーヤの内に去来した。
それでも怒りをぐっと堪え、ソーヤは返す。
「何って……おまえの顔、見に」
口に出してからはっとした。
なんというか、これでは語弊があるような気がする。
それにほんとうは「おまえの」ではなく「おまえらの」、つまりワタリを含んだ表現にするつもりだったのに、言い間違えてしまった。
しかし少し慌てるソーヤとは対照的に、ミチルは先ほどまでと一℃も変わらない冷たい目線を送ってきただけだった。
もはや虚しささえ感じるというか、ソーヤの中で何かがちょっと傷ついた感じがする。
むろんその程度でめげるようなヤワな自尊心など持ち合わせがないので、嫌な気分を吹き飛ばすべく鼻をフンと鳴らしてから、ソーヤは立ちあがった。
「用も済んだし帰って寝るわ。また明日な」
「……うん、また明日」
「おやすみなさい」
ミチルはこちらを見もせずに、言葉もどこか棒読み気味である。
彼女の少々ひどい態度と、逆にやたら気遣うようなワタリの声音とがちぐはぐで、ソーヤはなんとも言えない気持ちとともに椅子をデスクの下に押し込んだ。
とはいえ、どちらの心情もわからないではない。
ワタリは単に病み上がりのソーヤを心配しているだけなのだろうし、ミチルにしても、仕事をするわけでもないソーヤがここにいても実際のところ邪魔になるのは事実なのだから。
それにもしかしたら、彼女なりにソーヤを休ませようとして不器用な言い回しをしているだけ……なんてことは、さすがにないか。
そのままオフィスを出て、階段を下りながら考える。
連絡通路は二階だが、どうせなら三階にも少し寄っていって、二班と三班にも一声かけるか、と。
というわけで、まず二班へ。
出迎えたタニラの眼は別れたときよりもさらに赤みを増していて、どうやら離れている間にまた泣いたらしいと察し、一瞬言葉が出なくなる。
タニラはそれを誤魔化すようにぎこちなく微笑もうとしているのが尚のこと痛々しい。
彼女から眼を逸らしたくて、残りふたりに声をかける体で室内を見回す。
こちらに違和感はない。
同じくきちんと整頓され清潔に保たれた事務室内は、タニラの手腕によるものだろう。
意外だったのはユウラと眼が合ったことだった。
サイネならまだしも、サイネ以外に興味を持たないこの変人がわざわざソーヤの声に反応して視線を寄越すとは思わなかったのだが、彼はたしかにこちらを見ている。
その眼差しが訝しげなのが気になるが、しかし言葉がないのでその意図がわからない。
そしてソーヤから見て彼の手前に座っているサイネはというと、一瞬だけこちらを見て、すぐ逸らして顔をしかめた。
なんだかよくわからないが、少なくとも気分のいい反応ではない。なんなんだ。
「とりあえず復活報告。オフィスに出るのは明日からだけどな」
「そう、じゃあ検査は大丈夫だったんだね。よかった……」
「まだ結果は出揃ってねえけど、それも朝にはわかるし、まあよっぽど大丈夫だろうってよ」
言いながら、拍子抜けするよな、と自分でも思う。
あんなに苦しんでいたのに、しばらく寝ていただけで健康な身体に戻ってしまえるとは。
しかしこれは朗報に違いないだろう。
ソーヤがこのように回復したのだから、今後も他の誰かがアマランス疾患に倒れることがあったとしても、ラボは対処できるようになったということだ。
もうソアの誰も、迫ってくる死の影に怯える必要はないのだ。
それなのに、なぜか誰もの表情が暗いのが気にかかる。
まあ急なことで理解が追い付かないのも無理はない。
とくにソアは変化に弱いところがあって、今までと違うことには悪い意味で敏感だ。
ソーヤもそうだ。朝からずっと、まとわりつくような違和感がある。
植木鉢の部屋でも、医務部でも、オフィスでも、どこを見ても何を聞いても輪郭がぼやけて感じる。
それも恐らくはソーヤ自身がまだ現状に対して理解しきれていないからで、なんにせよ受け入れるほかないのだから、あとは時間が解決するのを待つしかない。
二班を後にして三班へ向かう。
そういえば結局、サイネとユウラは一言も発しなかった。
うってかわって三班では明るく出迎えられた。
エイワもアツキも元の性格からしてそうだから驚くことはないが、二班の対応が微妙だっただけに、ソーヤはとても嬉しく感じた。
奥でニノリが仏頂面なのも元からなので気にならない。
ただしいて言えば、アツキの眼も少し腫れていたような気がする。
彼女はタニラほど色白ではないのであまり目立たず、はっきりとはわからなかったが。
そしてこの部屋は少しくたびれた感じがする。
ものが散らかっているわけではないが、一班や二班ほどは整頓しきれていないし、掃除も細かいところは不十分という印象だ。
まだエイワも不慣れなのだろうし、仕方ないとは思うが。
なんにせよ居心地が悪いということはない。
むしろ班員の態度がいいせいか、自分の一班よりも落ち着けるような気さえする。
「よかったねえ。うん、ほんとに元気そう」
「仕事はいつから戻るんだ?」
「厳密に言や検査結果が出揃ってからだけどよ、まあ早けりゃ明日の午前中だな」
「そっか。なら昼は三人で食えそうだな」
なぜかそのとき、エイワの声にアツキが妙な反応をした。
やはり言葉はなかったが、温厚な彼女には珍しく、送った視線が何かを咎めるような色をしていたのだ。
一瞬のことだったから、もしかするとソーヤの見間違いかもしれないが。
ただ、エイワも何か感じたらしい。
ちょっと眉尻を下げてから、そうだ、と言って立ち上がる。
「ソーヤを送ってくついでに茶ぁ淹れてくるよ。何がいい?」
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