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本編(つづき)
data63:突撃となりの朝ごはん
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────,63
ヒナトの挙動がここ最近おかしいらしいとは聞いていた。
だがそれはあくまで伝聞系であって、たぶん自分には関わらないだろうと思っていた。
しかし、彼女は目の前にいて、にこにこ笑いながら「ここいいですか?」と言っている。
質問されているのは明らかに自分たちで、しかも代表して答えなければいけないのは自分らしい。
というのも隣の彼は人好きのする笑顔を浮かべながら、俺はいいけど、と回答を求める体でこちらを見るからだ。
「え、ええ……私も構わないわよ。でも急にどうしたの?」
隣に座るヒナトに向かい、タニラは疑問を隠すことなくそう尋ねた。
今は朝、ここは食堂で、他に空いている席はいくらでもある。
そして未だかつて彼女と一緒に朝食を摂ったことはなく、これが初めてのことだった。
ついさっきまで空いていたその席は、本来ならソーヤが座っていた場所だ。
最近はなかなか見舞いにも行けず、しばらく顔も見られない日々が続いているが、たぶんそれは彼女も同じ状況だろう。
けれどもさほど落ち込んでいるようすもないヒナトは、朝だというのに元気よく答えた。
「あたしここ最近、日替わりでいろんな人と朝ごはんを食べるキャンペーンってのをやってるんですよ。それで今日はタニラさんとエイワくんの日なんです」
「へー、面白い試みじゃん。じゃあ昨日も別のやつと食べてたの?」
「はい。ニノリくんと」
「……はは、そりゃまたチャレンジャーだなー」
「安心してください。アツキちゃんに許可とったら結局ついてきてくれましたから!」
まだ状況に順応しきれていないタニラを後目に、エイワとヒナトは楽しそうに雑談を始めている。
まあどちらも性格としては人懐っこいほうではあるし、少しばかり人見知りの気がある自分よりは互いに相性がいいのかもしれない、とタニラはぼんやり思った。
それに、この雰囲気自体は、悪くない。
ここしばらくはエイワと二人きりだった。
彼のことが嫌いというわけではまったくないけれども、ガーデンにいた時代からずっと、ふたりの間にはソーヤがいたのだ。
彼を介しての付き合いに慣れたまま、しかも間に長い眠りを挟んでしまった。
四年も会わなければ、いかに幼いころから知っている相手でも、なんだか別人のようで。
わかりやすいところで、お互いに身体が成長した。
背が伸びたし顔つきも大人びた、しかしそれ以上に変わってしまったのは、むしろ眼には見えない中身のほうかもしれない。
平たく言えばタニラは女になったし、エイワは男になったのだ。
だから一緒にいるのが当たり前になっている現状に、どうにも据わりの悪さを感じてしまう。
それにソーヤの体調のことを、とくに記憶障害についてずっと黙っているタニラには、どうしてもエイワに対する引け目のような感情があった。
それなのにエイワは何も知らずに、昔と同じように笑いかけてくれるものだから、それ自体はいいことのはずなのに、なぜだかときどき耐えられないほど苦しい瞬間がある。
今はそれが、ヒナトの存在で中和されているように思える。
それに彼女の言葉数が多くて、つまりはタニラがあまり喋らなくても、場にいつも誰かの声が満ちているのだ。
それをありがたく感じる程度には、タニラはあまり話すのが得意なほうではなかった。
ソーヤがいたころなら、彼がずっと喋ってくれたから。
タニラはそれに相槌をうつだけでよかった。
今は、エイワが一生懸命にソーヤの代わりを務めようとしている。
昔はそれほどお喋りではなかったような気がするが、それももしかすると、もっとよく喋るソーヤの陰に隠れていただけだろうか。
それでもタニラには今の彼が、どこか無理をしているように思えてならなかった。
「……でさ、結局ニノリが良しって言わなきゃ進まないんだよ。ありゃ参るわ」
「わかりますー。うちもソーヤさんがいるときはそうでしたもん。でも、逆にそれに慣れちゃうと、ワタリさんがなんでもすぐいいよーって言っちゃうのが物足りないっていうか」
「マジで? え、あのさ、一回俺ら入れ替わってみる?」
「いいですよ? もちろんニノリくんが良しって言ったらですけど」
「そこでふりだしに戻るのな!」
「あはは」
ほんとうに楽しそうだ、ふたりとも。
そう思うとタニラの胸に、この温かい空気に浸れる幸福感と、相反する冷たい感情が浮かび上がるのはなぜだろう。
ヒナトを攻撃したいわけではない。
むしろ彼女を無視したりいじめていた時期より、ライバルとして認めたあの日からのほうが、タニラの精神は安定しているという自覚さえある。
それだけ他人を罵倒したり嫌うことが、タニラにとってはストレスだったらしい。
今でも彼女がソーヤのいちばん傍にいると思うと悔しいけれど、今のこの気持ちは、それともまた違うのだ。
エイワが自然な笑みを浮かべている。
いつもの、タニラを笑わせようと気を張っているような気配が少しもなくて、純粋に会話を楽しんでいるのがわかる。
それが友人として嬉しいはずなのに、どこか寂しい。
たぶん置いて行かれるような気がしてしまっている。
ヒナトとエイワが仲良くなってしまったら、他に友人がいないタニラは今度こそ独りぼっちになってしまうから。
「あ、そだ。ちょうど秘書が集合してるし……ふたりにお願いがあるんですけど」
「なに?」
「いいけど俺まだ半人前だよ」
「でもミチルよりは先輩じゃないですか。まあ、あの子は厳密にはまだ秘書じゃないですけどもっ」
思わぬ名前の登場に、タニラとエイワは顔を見合わせた。
「うちの班いろいろと今、なんていうか、普段とは違うっていうか……ワタリさんも代理であれこれ忙しいし、まあとにかく、あたしの代わりにミチルが秘書業務をすることがこれから増えると思うんです。
なんでミチルを見かけたら、できたら助けてあげてほしいなと」
「ああ……そういうこと。わかったわ。……大変ね」
言いながら、タニラの心が悲しく軋む。
ほんとうならその苦労はタニラがするはずだったのだ、ほんとうなら、この言葉を言われるのはタニラであったはずなのだと、どこかで未だに思ってしまう。
ソーヤの秘書になりたかった。今でも思う。それ以外なんて要らなかった。
彼に必要とされる存在になりたかった。
そして彼がほんとうに苦しいときに、いちばん傍にいられるものでありたかった。
涙がこみ上げそうになって、それを誤魔化そうとスープの器を持ち上げる。
まだゆったりと上がっている甘い香りの湯気が、少しでもタニラの顔を隠してくれることを切に祈った。
「俺もアツキに声かけとくよ。実はまだ兼任でさ」
「……えっ!? もうけっこう経つような気がするんですけど……それにアツキちゃんからそんな話聞いてない」
「もちろんニノリに口止めされてるから、ってわけでオフレコで頼むわ。いやさ、たぶんうちの班だけだと思うんだけど、あいつの糖分管理ってのがあって……」
「あー。よくわかんないけど、なんか難しそうってのはわかりました」
エイワとヒナトは少しもこちらを気にする素振りもなく、それまでと同じ調子で話を続けていた。
単に気付いていないのか、それとも気を遣ってくれたのかはわからないけれど、とりあえずタニラはほっとした。
しばらくしてヒナトが時計を見て、いそいそと立ち上がる。
まだ時間には余裕があったが、少し早めに行って掃除だかなんだかをしたいということで、彼女はそのまま去っていった。
残されたタニラとエイワは、ふたたび訪れた沈黙の中で朝食を続ける。
けれど、それはそう長くは続かなかった。
「……なんか変だったな、ヒナト」
ふとエイワがそう呟いたからだ。
タニラはちょっと驚いたが、けれど、言わんとしていることは理解できたので、頷いた。
「そうね。……まあ、いろいろと大変だもの」
「だな。こんなことになっちまうなんてさ……なあ、タニラは、大丈夫か?」
「……うん」
無理やり飲み込むようにして答えると、エイワが急に肩を掴んだ。
決して強い力ではなく痛みはなかったが、びっくりして反射的に振り向くと、彼の夜空みたいな瞳と眼が合った。
なぜか、彼のほうが泣きそうな色を浮かべていた。
「俺じゃ……頼りないかもしれないけど……」
「そ、そんなことないよ」
「だからそういうのをやめてくれよ。俺だってわかってる、……わかってんだよ」
最後の声は消えそうなくらい小さくて、エイワ自身も俯いてしまっていた。
ただ、肩に触れている手が震えているのがわかる。
そこに自分の手を重ねた──彼のそれより一回りは小さくて無力なそれで、包めるはずもないと知りながら。
そしてどんなに胸が痛んでも、タニラは口を噤むしかない。
隠していることが多すぎて、これからもっとエイワを傷つけてしまうと知っているタニラには、このうえ上っ面の言葉で彼を慰めるなんてことはできなかった。
→
ヒナトの挙動がここ最近おかしいらしいとは聞いていた。
だがそれはあくまで伝聞系であって、たぶん自分には関わらないだろうと思っていた。
しかし、彼女は目の前にいて、にこにこ笑いながら「ここいいですか?」と言っている。
質問されているのは明らかに自分たちで、しかも代表して答えなければいけないのは自分らしい。
というのも隣の彼は人好きのする笑顔を浮かべながら、俺はいいけど、と回答を求める体でこちらを見るからだ。
「え、ええ……私も構わないわよ。でも急にどうしたの?」
隣に座るヒナトに向かい、タニラは疑問を隠すことなくそう尋ねた。
今は朝、ここは食堂で、他に空いている席はいくらでもある。
そして未だかつて彼女と一緒に朝食を摂ったことはなく、これが初めてのことだった。
ついさっきまで空いていたその席は、本来ならソーヤが座っていた場所だ。
最近はなかなか見舞いにも行けず、しばらく顔も見られない日々が続いているが、たぶんそれは彼女も同じ状況だろう。
けれどもさほど落ち込んでいるようすもないヒナトは、朝だというのに元気よく答えた。
「あたしここ最近、日替わりでいろんな人と朝ごはんを食べるキャンペーンってのをやってるんですよ。それで今日はタニラさんとエイワくんの日なんです」
「へー、面白い試みじゃん。じゃあ昨日も別のやつと食べてたの?」
「はい。ニノリくんと」
「……はは、そりゃまたチャレンジャーだなー」
「安心してください。アツキちゃんに許可とったら結局ついてきてくれましたから!」
まだ状況に順応しきれていないタニラを後目に、エイワとヒナトは楽しそうに雑談を始めている。
まあどちらも性格としては人懐っこいほうではあるし、少しばかり人見知りの気がある自分よりは互いに相性がいいのかもしれない、とタニラはぼんやり思った。
それに、この雰囲気自体は、悪くない。
ここしばらくはエイワと二人きりだった。
彼のことが嫌いというわけではまったくないけれども、ガーデンにいた時代からずっと、ふたりの間にはソーヤがいたのだ。
彼を介しての付き合いに慣れたまま、しかも間に長い眠りを挟んでしまった。
四年も会わなければ、いかに幼いころから知っている相手でも、なんだか別人のようで。
わかりやすいところで、お互いに身体が成長した。
背が伸びたし顔つきも大人びた、しかしそれ以上に変わってしまったのは、むしろ眼には見えない中身のほうかもしれない。
平たく言えばタニラは女になったし、エイワは男になったのだ。
だから一緒にいるのが当たり前になっている現状に、どうにも据わりの悪さを感じてしまう。
それにソーヤの体調のことを、とくに記憶障害についてずっと黙っているタニラには、どうしてもエイワに対する引け目のような感情があった。
それなのにエイワは何も知らずに、昔と同じように笑いかけてくれるものだから、それ自体はいいことのはずなのに、なぜだかときどき耐えられないほど苦しい瞬間がある。
今はそれが、ヒナトの存在で中和されているように思える。
それに彼女の言葉数が多くて、つまりはタニラがあまり喋らなくても、場にいつも誰かの声が満ちているのだ。
それをありがたく感じる程度には、タニラはあまり話すのが得意なほうではなかった。
ソーヤがいたころなら、彼がずっと喋ってくれたから。
タニラはそれに相槌をうつだけでよかった。
今は、エイワが一生懸命にソーヤの代わりを務めようとしている。
昔はそれほどお喋りではなかったような気がするが、それももしかすると、もっとよく喋るソーヤの陰に隠れていただけだろうか。
それでもタニラには今の彼が、どこか無理をしているように思えてならなかった。
「……でさ、結局ニノリが良しって言わなきゃ進まないんだよ。ありゃ参るわ」
「わかりますー。うちもソーヤさんがいるときはそうでしたもん。でも、逆にそれに慣れちゃうと、ワタリさんがなんでもすぐいいよーって言っちゃうのが物足りないっていうか」
「マジで? え、あのさ、一回俺ら入れ替わってみる?」
「いいですよ? もちろんニノリくんが良しって言ったらですけど」
「そこでふりだしに戻るのな!」
「あはは」
ほんとうに楽しそうだ、ふたりとも。
そう思うとタニラの胸に、この温かい空気に浸れる幸福感と、相反する冷たい感情が浮かび上がるのはなぜだろう。
ヒナトを攻撃したいわけではない。
むしろ彼女を無視したりいじめていた時期より、ライバルとして認めたあの日からのほうが、タニラの精神は安定しているという自覚さえある。
それだけ他人を罵倒したり嫌うことが、タニラにとってはストレスだったらしい。
今でも彼女がソーヤのいちばん傍にいると思うと悔しいけれど、今のこの気持ちは、それともまた違うのだ。
エイワが自然な笑みを浮かべている。
いつもの、タニラを笑わせようと気を張っているような気配が少しもなくて、純粋に会話を楽しんでいるのがわかる。
それが友人として嬉しいはずなのに、どこか寂しい。
たぶん置いて行かれるような気がしてしまっている。
ヒナトとエイワが仲良くなってしまったら、他に友人がいないタニラは今度こそ独りぼっちになってしまうから。
「あ、そだ。ちょうど秘書が集合してるし……ふたりにお願いがあるんですけど」
「なに?」
「いいけど俺まだ半人前だよ」
「でもミチルよりは先輩じゃないですか。まあ、あの子は厳密にはまだ秘書じゃないですけどもっ」
思わぬ名前の登場に、タニラとエイワは顔を見合わせた。
「うちの班いろいろと今、なんていうか、普段とは違うっていうか……ワタリさんも代理であれこれ忙しいし、まあとにかく、あたしの代わりにミチルが秘書業務をすることがこれから増えると思うんです。
なんでミチルを見かけたら、できたら助けてあげてほしいなと」
「ああ……そういうこと。わかったわ。……大変ね」
言いながら、タニラの心が悲しく軋む。
ほんとうならその苦労はタニラがするはずだったのだ、ほんとうなら、この言葉を言われるのはタニラであったはずなのだと、どこかで未だに思ってしまう。
ソーヤの秘書になりたかった。今でも思う。それ以外なんて要らなかった。
彼に必要とされる存在になりたかった。
そして彼がほんとうに苦しいときに、いちばん傍にいられるものでありたかった。
涙がこみ上げそうになって、それを誤魔化そうとスープの器を持ち上げる。
まだゆったりと上がっている甘い香りの湯気が、少しでもタニラの顔を隠してくれることを切に祈った。
「俺もアツキに声かけとくよ。実はまだ兼任でさ」
「……えっ!? もうけっこう経つような気がするんですけど……それにアツキちゃんからそんな話聞いてない」
「もちろんニノリに口止めされてるから、ってわけでオフレコで頼むわ。いやさ、たぶんうちの班だけだと思うんだけど、あいつの糖分管理ってのがあって……」
「あー。よくわかんないけど、なんか難しそうってのはわかりました」
エイワとヒナトは少しもこちらを気にする素振りもなく、それまでと同じ調子で話を続けていた。
単に気付いていないのか、それとも気を遣ってくれたのかはわからないけれど、とりあえずタニラはほっとした。
しばらくしてヒナトが時計を見て、いそいそと立ち上がる。
まだ時間には余裕があったが、少し早めに行って掃除だかなんだかをしたいということで、彼女はそのまま去っていった。
残されたタニラとエイワは、ふたたび訪れた沈黙の中で朝食を続ける。
けれど、それはそう長くは続かなかった。
「……なんか変だったな、ヒナト」
ふとエイワがそう呟いたからだ。
タニラはちょっと驚いたが、けれど、言わんとしていることは理解できたので、頷いた。
「そうね。……まあ、いろいろと大変だもの」
「だな。こんなことになっちまうなんてさ……なあ、タニラは、大丈夫か?」
「……うん」
無理やり飲み込むようにして答えると、エイワが急に肩を掴んだ。
決して強い力ではなく痛みはなかったが、びっくりして反射的に振り向くと、彼の夜空みたいな瞳と眼が合った。
なぜか、彼のほうが泣きそうな色を浮かべていた。
「俺じゃ……頼りないかもしれないけど……」
「そ、そんなことないよ」
「だからそういうのをやめてくれよ。俺だってわかってる、……わかってんだよ」
最後の声は消えそうなくらい小さくて、エイワ自身も俯いてしまっていた。
ただ、肩に触れている手が震えているのがわかる。
そこに自分の手を重ねた──彼のそれより一回りは小さくて無力なそれで、包めるはずもないと知りながら。
そしてどんなに胸が痛んでも、タニラは口を噤むしかない。
隠していることが多すぎて、これからもっとエイワを傷つけてしまうと知っているタニラには、このうえ上っ面の言葉で彼を慰めるなんてことはできなかった。
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