眠れるオペラ

夢 浮橋(ゆめの/うきはし)

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本編(つづき)

data45:ドッペルゲンガー再び!?

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 ────,45


 前代未聞の事件が起こった。
 いやヒナトの周りで起きるトラブルやアクシデントの類はだいたいいつも前代未聞で前人未踏かつ今後も誰もやらかさないだろう……とはいっても、今回は少し違う。

 なぜならヒナト自身には一切身に覚えがないからである。

 とにかく簡単に説明するとこうだ。
 いつもどおり朝起きて朝食をとっていたら、お偉いさんに肩をぽんと叩かれて、始業前にちょっと話したいことがある、と言われた。

 このごろ心臓に悪いことが多い気がする。
 まだソーヤ関連でたくさんドキドキするほうが、苦しくはあるけど良い面もないこともないのでマシに思えるが、今朝のこれはもうなんかダメだ。
 嫌な予感しかしないし胃が重くなる一方で朝ごはんの味が不味くなるしでなんかすでに最悪だ。

 ヒナトはずーんと気落ちしながら、ちょうどやってきたソーヤに挨拶がてらお呼び出しされた旨を伝えた。

「ああ、聞いた。おまえ何やらかしたんだよ?」
「何にもしてないですよう……ていうか、なんでラボの人じゃなくてお偉いさんなんですかね……」
「そもそもあのおっさんが朝からこっち来てんのが珍しいよな」

 ソーヤの言うとおり、お偉いさんと呼ばれるおじさん(とりあえずヒナトは彼の名前を知らない)がこんな早朝から花園研究所にいるのは滅多にないことだった。
 だいたい来るなら昼ごろのようだし、そもそも彼は、毎日ここに来るわけではない。
 普段どこで何をしているかは知らないが、たまにふらっとやってきてソアたちのようすを見ていくだけの謎の人物だ。

 その彼がいったいヒナトに何の用事があるというのか。
 何をした覚えもないのだがまさか怒られるとかではなかろうな、そうでなくとも親しくもないおじさんと話したいことなんてない、とにかくろくなことではなさそう──などヒナトの心境は穏やかではない。

 ともかく朝食をいつもよりのろく済ませたヒナトは、ソーヤと別れて重い足取りでラボに向かった。


 お呼び出し先はオフィス棟八階にある第四ラボ。
 普段は用がないのでほとんど立ち入らない階のひとつで、どういう部署なのかはヒナトもよくわかっていない場所だ。

 おおよその雰囲気は他のラボ階と似たような白系統のこざっぱりした感じだったが、なんとなく仕切りや壁が多くて全体を見渡すことはできなかった。
 迷路みたいだな、とヒナトは思った。
 ひとりで入ったら迷子になりそうだが、幸いにして案内役らしい職員がエレベーター前に待ち構えていた。

 促されるまま入り組んだ道を進み、奥まったところにある部屋に辿り着く。
 帰りもこの案内人がいないと絶対に迷ってこの階から出られないな、と思いながら、ヒナトはやはりのろのろした動きでドアのタッチパネルに手をかざす。

 そうして開いた扉の向こうに、思いもよらない姿を見た。

 そこにあるのは等身大の鏡。
 いや、──一瞬そう思ってしまうほどにヒナトによく似た、あの少女が立っていた。

「ひぇ……!?」

 思わずびくついて足が止まるヒナトを、後ろから職員が励ますように背中を軽く押して、中に入るように促した。
 しかし恐怖に強張った足はつんのめってしまい、ヒナトはコケた。

 謝ってくる職員に涙声で大丈夫と返しながら、しかし気持ちの上ではまったくもって大丈夫ではない。
 どうしてあの子がここにいるのか。
 いや、それよりむしろ──その隣に、あのお偉いさんがいるのが怖い。

 まさか彼女がなにがしかの手を使ってお偉いさんを味方につけて、これから本格的にヒナトを花園から追い出そうとしているんじゃないか。
 それがありえるかどうかはともかく、このときヒナトは真剣にそう思ったのだ。
 もう身体が震えて涙目だったが、職員に言われてそこにあったソファに崩れるようにして座ると、お偉いさんとそっくりさんもヒナトの向かいに腰かけた。

「ははは、急に会わせたんで驚いたかい。この子のことはもう聞いてるかな?」
「い、いえ……」
「そうか、じゃあ初対面というわけだ。それじゃあ紹介しよう。
 彼女の名前はミチル。まあなんていうか、見てのとおりきみに似てる……というか生物学的には姉妹みたいなものだよ。仲良くしてやってくれ」

 厳密には初対面じゃないし、たぶん向こうに仲良くする気がないです、とは言えない。
 そっくりさん改めミチルの顔を怖くて見られなかったヒナトは、代わりに涙目のままお偉いさんの顔を見つめるしかできなかった。

 でも見なくてもわかる。
 彼女がどんなに険しい顔で、どれほど憎しみを込めた眼でヒナトを睨んでいるかなんて、この部屋に入った瞬間からもう感じている。
 悪意の漲るその視線が、ざくざくと肌を突き刺すような心地がするからだ。

「じゃあGHに行こうか。たしか第一班だったね?」
「え、あ、はい」

 わけがわからないままお偉いさんとミチルと一緒に、あと案内係だったラボの職員もエレベーターまでだったが同行して、オフィスに向かった。

 道中はお偉いさんがヒナトにあれこれ訪ねてきた。
 たとえばオフィスでの生活はどうか、何か困っていることはないのか、というどれも当たり障りのない質問ばかりだ。
 おかげで気まずい沈黙にはならなかったのが少し助かったが、かといってこの状況が少しも救われていないのもまた確かな事実である。

 ミチルは一言も話していない。
 お偉いさんも彼女にはあまり話しかけなかったし、たまに聞くのも頷くか首を振ればいいようなことだけだった。

 そんなこんなで一班のオフィスに入ると、まずは当たり前だがソーヤが驚愕の表情でヒナトとミチルを交互に見比べて、どうなってんだ、という一言を漏らした。
 気持ちはよくわかる。
 むしろそこまで驚いたふうではないワタリのほうが意味がわからない。

「やあ、おはようソーヤ、ワタリ。調子はどうかな?」
「へ、……ああ、おはようございます。俺もワタリも問題ないです」
「そうかそうか。いや、急に驚かせてすまなかったね」

 なんだか楽しそうなお偉いさんの声が、ものすごくその場の空気とかけ離れていて不気味だった。

 そこで少し躊躇いがちに口を開いたワタリでさえ、顔こそ落ち着いてはいたけれど、やはり内心では彼も驚き慌てていたのだろう、少し声が震えていた。
 表情に出にくいのも、彼の場合は眼帯のせいもあるかもしれない。

「あの、こっちの彼女は……?」
「ミチルというんだ。ヒナトとはまあ双子の姉妹みたいなものだと考えてくれ。
 それで突然で悪いが、今日から彼女もGH第一班配属とすることになったから、きみたちの輪に加えてやってくれ」
「えっ?」

 えっ??

「えぇぇーーーーっ!?」

 あまりのことにヒナトは耐えきれず絶叫した。
 それはもう、叫んだというよりも悲鳴を上げたと言うほうが似つかわしいような、悲痛な響きに満ちた声だった。

 お偉いさんはそれに対して怒らず、むしろ苦笑いしているようだった。
 こっちはぜんぜん笑えない。
 ワタリも呆然としているようすで黙っていたので、次に口を開いたのはソーヤだったが、そういうところはさすがに班長らしい。

「うちはもう三人揃ってるんですけど、要するに、俺かワタリが異動ってことですか?」
「いや、全員残留だ。特例としてミチルの席は『書記』とでもしておこう。
 彼女のデスクとか必要な機材はもう手配してある。今日中にはひととおり揃う手筈になっているが、もし足りないものがあれば事務課に言いたまえ」

 彼が言っている間にも、ヒナトたちの背後ではオフィスの扉が開いた状態でロックされ、デスクが運び込まれていく。
 椅子もパソコンも、必要なものは着々と届けられる。
 それを唖然として見届けたあと、それじゃ頼んだよと軽い調子で去っていくお偉いさんの背中も同じようにぽかんとしたまま見送って、そのあともしばらく立ち尽くしていた。

 ロックを外されてゆっくりと閉まっていく扉の音がいやに間抜けで、一緒にヒナトの中の何かも腑抜けていくような気がした。
 目の前には少し狭苦しい状態できっちりと並べられた四つのデスクがあり、今整えられたばかりなのに、なぜか何年も前からそうだったような雰囲気を放っている。

 ソーヤとワタリは顔を見合わせてから、互いに少し疲れたような表情でそれぞれの席に戻る。
 それを見て、ミチルも誰に言われるまでもなく席に着いた。

 それはソーヤの隣であり、左から二番目。
 今の席順は左から空席、ミチル、ソーヤ、ワタリとなっていて、残ったヒナトが選べるのは否応なしにいちばん左の扉側の席のみである。
 つまるところヒナトとソーヤの間にミチルが割り込んだ状態となっている。

 もう座りたいという気持ちが一ミリも感じられないヒナトがまだ突っ立っていると、ソーヤがこちらをちらりと見た。

「……ヒナも座れよ。とりあえず仕事の割り振りから考え直さなきゃならんし、今から会議すんぞ」
「は、はい……」
「えーとそんで、ミチルだっけ? よろしくな」
「よろしく」

 今日初めてミチルの声を聞いた気がする。
 やはりその声もヒナトのそれとそっくり同じで、でもやはり、どこか雰囲気が違う。
 どこが、というのは上手く言えないのだけれど。

 ふいにくるりとミチルがこちらにふり返り、そして、にたりと嫌な笑みを浮かべた。

「よろしく、ヒナト──」

 その先を彼女は声には出さなかったが、その口の動きだけで何を言ったのかはヒナトにはわかった。

 ──あんたのばしょ、もらいにきたよ。


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