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本編(つづき)
data44:地面の下の話Ⅳ‐花と実‐
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────,44
接続の切れた記録デバイスを引きちぎるようにして抜き取ると、サイネはそれを忌々しいもののように引き出しに突っ込んだ。
上から適当な書類を束のまま被せ、それが覆われて完全に見えなくなってから、ようやく彼女は安堵したように息を吐く。
ユウラはそれを、なんとも言えない気持ちで見ていた。
墓地で発見されたメモリには、かつて花園で起きた事件に関するもろもろの記録と、関係者に対する事情聴取の内容が記録されていた。
端的に言って、胸糞の悪い内容だった。
事件を起こした当事者であるソアの言動も、ラボ側の対応も、何もかもが理解の遠く及ばない領域のものだった。
しかも渦中の人物はふたりも知っているリクウとメイカだ。
とくにリクウは医務部所属なので検診などでしょっちゅう顔を合わせているから、よく知っている、と言い換えてもいい。
温厚で真面目で信頼のおける、GHのソアたちにとってはいい先輩だった。
しかし記録の中の彼は別人だ。
昔のことでリクウもまだ若かったから、というだけでは説明がつかないほど、あまりにも自分たちの抱く彼の姿からかけ離れている。
しかしユウラが今悩むのは、そんなことではない。
リクウが凶行に及んだときの心情を理解できてしまう、自分が同じ立場だったらきっとサイネに同じことをしただろうと考えてしまう、そんな己にどうしようもなく失望していた。
そしてサイネは女だからユウラと同じようには思わないだろうとも──当たり前でどうすることもできない現実が苦い。
だが、ひとつ明確なこともある。
「……今とは状況が違う」
どこか言い訳でもするような声でユウラがそう呟くと、サイネはようやくこちらの存在を思い出したみたいな風情で振り向いた。
「確かに。私たちはまだ誰も死んでないし。
それにどうもアマランス疾患そのものの形態が変化してるとしか……それで理論が破綻したってことか。だから今から同じことをしても同一の効果は得られない可能性が高い。
つまり、……あんたはバカなこと考えなくていいからね?」
「わかってる」
ユウラの回答は少し食い気味だったが、サイネは笑ったりしなかった。
お互いに冗談を言える心境ではないことにそれで気付き、ほんの少しだけ、ユウラの肩から力が抜ける。
短期間で同期のほとんどを失い、唯一の支えとふたりだけになったリクウが正気を失いかけて辿り着いた答えは『メイカを母親にすること』だった。
妊娠したソア・マウスとそのつがいと目される個体のみが一定以上の期間を超えて生存しているのがその根拠だという。
そして事実、メイカと彼だけは大量絶滅を生き延びた。
彼の論でいうなら、アマランス疾患とはソア自身の自己淘汰機能であり、妊娠出産という「生命としての務め」により本能的に自滅よりも生存を優先するようになるということらしい。
逆説的に言えば、多くのソアは子孫を残さないから滅ぶ。
もちろんそれはまだ結論ではない。
少なくともその理屈では、乳幼児期の死亡率の高さなどに説明がつかないからだ。
恐らくアマランス疾患という単語でひとくくりにしているだけで、幼児期とそれ以降ではまったく別の病なのだろう。
この疾患は個体によって発症時期も症状も、進行速度も異なるのだ。
世代ごとにも要因や病態が違うというのなら、過去の生存報告などあてにはならない。
それにリスクが大きすぎる。
メイカの出産記録は目を覆いたくなるような凄惨な内容で、分娩の工程や母体のメカニズムなどユウラにはわからないが、それでも恐ろしい状況だったことは読み取れる。
ろくに麻酔を使わずに腹部を切開して、よく失血死しなかったものだ。
しかも執刀者はあくまで花園の研究員であって、いくら医学の知識があるとはいっても、決して臨床経験の豊富な産婦人科医や外科医などではなかったというのに。
それ以外でもメイカは何度も死にかけたようだ。
妊娠中は重度の悪阻による消化器系の異常と脱水症状を繰り返し、産褥期には出産そのものの疲労に加えて、無理な手術のために衰弱しきっていたという。
回復には長い時間がかかり、数カ月は寝たきり同然の状態だった。
同じことをサイネにすると言われたら、ユウラは正気でいられる自信がない。
だからリクウの轍など頼まれても踏みはしない──それはもう、この手でサイネを殺せと言われているのとほぼ同じことだからだ。
「……それにしてもひどい話」
ふとサイネが呟いた。
彼女の視線は閉じられた引き出しの上に落ちていて、そこは影になっている。
「リクウがしたことはもちろん最低だと思う。ただまあ、疾患のせいで心神耗弱状態だったのと……当のメイカが彼を責めてないから、私が外野からあれこれ言うのは違うのかも」
「……意外でもないが、冷静だな」
「それは当事者じゃないから、かな。たぶん。……それより花園の対応のほうが腑に落ちない」
「メイカから子どもを取り上げたことか?」
「そう、というか、その子をわざわざ他のソアに混ぜて隠したってところが気持ち悪いの。すごく穿った考えではあるんだけど、……育児をさせないことで、メイカの本能を生存優先から切り替えさせようとしたんじゃない?」
それはさすがに穿ちすぎではないか、とは、ユウラは言えなかった。
薄々思ってはいたことだ。
何十年も研究を続けながら未だにアマランス疾患の治療法はおろか、原因もわかっていないのは、そもそもラボに解決する気がないからではないのか。
「……たぶんこのリクウとメイカの件のせいで警備が強化されたんでしょうね。今はどこもかしこもセンサーとカメラだらけで、花園にあんたが自由にできる場所はない。
だけど私たちが映像をいじってることにあいつらが気付いてないはずがない」
「つまりわざと俺たちを泳がせて、同じ過ちを犯すのを待っているってことか?」
「かもしれない。確証はないけど……」
サイネはその先を言わなかったが、聞かなくてもわかる。
断言するだけの証拠はないが、かといって否定するに足る心証も、花園に対して持ち合わせがないのだ。
彼らならやりかねないのではないかという疑念しか、サイネの心にはない。
幸い、と言うのもどうかと思うが、今のところその疑念を確信に変えてしまう可能性は低いし、今後もそうならないように努めるつもりだ。
というのもユウラは外出のたびにニノリの眼を盗んでそのための買い物をし、あれこれ手を使って秘密裏に所内に持ち込んでいた。
今まではサイネに言われるがまましていた作業だった。
とにかくふたりの関係が花園に知られないよう、妊娠などという動かぬ証拠を作らないように、ただそれだけのためにしていたことだ。
それこそユウラにとってはメリットのない、彼女に触れる際のひと手間くらいの認識だった。
だが改めてリスクの大きさを知った今、その重要性がよく理解できる。
サイネが無頓着な女でなくてほんとうによかった。
「……あんたがバカじゃなくてよかった」
まるでこちらの思考を見透かしたように、サイネもそう呟いた。
ほんとうに心底ほっとしているような声だった。
つまりメイカの壮絶な体験を目の当たりにして、自分にも同じことが起こりえた可能性を、サイネも恐れているのだろう。
滅多に弱音など吐かない彼女の、紛れもない本音の言葉だった。
当然だ、少なくともこの件に関しては、欲を吐くだけのユウラよりそれを受けるサイネのほうが怖いに決まっている。
ユウラがサイネを愛すれば愛するほどに、彼女の身は危険に晒されるのだ。
今更それを知ったところでどうしようもない、触れずにはいられない業を抱えた罪人として、ユウラは何かを贖うために口を開く。
そこから零れたのは、謝罪というよりも懺悔のような音だった。
「……わりとバカだ。正直今この瞬間まで本質を理解していなかった」
「いや、あのね、そんなの理解できてるほうが怖いから。
たぶん……リクウもそう。それこそ正気じゃなかったわけだし、メイカを妊娠させるのに必死で、あとのことまで考えてなかったんじゃない」
「ああ、俺もそう思う……そもそも知識があったかも怪しい。今だって産科領域の医学書をあまり置いてないんじゃないか」
「たしかに、そういう事件があったわりには見かけないような。あとでラボの本棚を漁ろうかな……。
ところで」
もう一度引き出しを開け、書類をまくってユウラに記憶装置を見せながらサイネは言った。
「赤ん坊がどうなったか、書いてなかった」
「ああ。少なくとも記録された期間内では死んでいないわけだ。……それに記録日時から推定できる年齢はおおよそ十七歳から十五歳くらいだろう」
「……つまり、ざっくり言ってちょうど私らの同期ってことになるわけね」
「そういうことだな。恐らく生存していて現在GHにいると考えるのが妥当だ」
サイネは明らかに人種が異なるし、ニノリは歳が離れている。
だが、それ以外の全員に可能性がある。
自分たちのうちの誰かは、試験管で人工的に造られたソアではない。
→
接続の切れた記録デバイスを引きちぎるようにして抜き取ると、サイネはそれを忌々しいもののように引き出しに突っ込んだ。
上から適当な書類を束のまま被せ、それが覆われて完全に見えなくなってから、ようやく彼女は安堵したように息を吐く。
ユウラはそれを、なんとも言えない気持ちで見ていた。
墓地で発見されたメモリには、かつて花園で起きた事件に関するもろもろの記録と、関係者に対する事情聴取の内容が記録されていた。
端的に言って、胸糞の悪い内容だった。
事件を起こした当事者であるソアの言動も、ラボ側の対応も、何もかもが理解の遠く及ばない領域のものだった。
しかも渦中の人物はふたりも知っているリクウとメイカだ。
とくにリクウは医務部所属なので検診などでしょっちゅう顔を合わせているから、よく知っている、と言い換えてもいい。
温厚で真面目で信頼のおける、GHのソアたちにとってはいい先輩だった。
しかし記録の中の彼は別人だ。
昔のことでリクウもまだ若かったから、というだけでは説明がつかないほど、あまりにも自分たちの抱く彼の姿からかけ離れている。
しかしユウラが今悩むのは、そんなことではない。
リクウが凶行に及んだときの心情を理解できてしまう、自分が同じ立場だったらきっとサイネに同じことをしただろうと考えてしまう、そんな己にどうしようもなく失望していた。
そしてサイネは女だからユウラと同じようには思わないだろうとも──当たり前でどうすることもできない現実が苦い。
だが、ひとつ明確なこともある。
「……今とは状況が違う」
どこか言い訳でもするような声でユウラがそう呟くと、サイネはようやくこちらの存在を思い出したみたいな風情で振り向いた。
「確かに。私たちはまだ誰も死んでないし。
それにどうもアマランス疾患そのものの形態が変化してるとしか……それで理論が破綻したってことか。だから今から同じことをしても同一の効果は得られない可能性が高い。
つまり、……あんたはバカなこと考えなくていいからね?」
「わかってる」
ユウラの回答は少し食い気味だったが、サイネは笑ったりしなかった。
お互いに冗談を言える心境ではないことにそれで気付き、ほんの少しだけ、ユウラの肩から力が抜ける。
短期間で同期のほとんどを失い、唯一の支えとふたりだけになったリクウが正気を失いかけて辿り着いた答えは『メイカを母親にすること』だった。
妊娠したソア・マウスとそのつがいと目される個体のみが一定以上の期間を超えて生存しているのがその根拠だという。
そして事実、メイカと彼だけは大量絶滅を生き延びた。
彼の論でいうなら、アマランス疾患とはソア自身の自己淘汰機能であり、妊娠出産という「生命としての務め」により本能的に自滅よりも生存を優先するようになるということらしい。
逆説的に言えば、多くのソアは子孫を残さないから滅ぶ。
もちろんそれはまだ結論ではない。
少なくともその理屈では、乳幼児期の死亡率の高さなどに説明がつかないからだ。
恐らくアマランス疾患という単語でひとくくりにしているだけで、幼児期とそれ以降ではまったく別の病なのだろう。
この疾患は個体によって発症時期も症状も、進行速度も異なるのだ。
世代ごとにも要因や病態が違うというのなら、過去の生存報告などあてにはならない。
それにリスクが大きすぎる。
メイカの出産記録は目を覆いたくなるような凄惨な内容で、分娩の工程や母体のメカニズムなどユウラにはわからないが、それでも恐ろしい状況だったことは読み取れる。
ろくに麻酔を使わずに腹部を切開して、よく失血死しなかったものだ。
しかも執刀者はあくまで花園の研究員であって、いくら医学の知識があるとはいっても、決して臨床経験の豊富な産婦人科医や外科医などではなかったというのに。
それ以外でもメイカは何度も死にかけたようだ。
妊娠中は重度の悪阻による消化器系の異常と脱水症状を繰り返し、産褥期には出産そのものの疲労に加えて、無理な手術のために衰弱しきっていたという。
回復には長い時間がかかり、数カ月は寝たきり同然の状態だった。
同じことをサイネにすると言われたら、ユウラは正気でいられる自信がない。
だからリクウの轍など頼まれても踏みはしない──それはもう、この手でサイネを殺せと言われているのとほぼ同じことだからだ。
「……それにしてもひどい話」
ふとサイネが呟いた。
彼女の視線は閉じられた引き出しの上に落ちていて、そこは影になっている。
「リクウがしたことはもちろん最低だと思う。ただまあ、疾患のせいで心神耗弱状態だったのと……当のメイカが彼を責めてないから、私が外野からあれこれ言うのは違うのかも」
「……意外でもないが、冷静だな」
「それは当事者じゃないから、かな。たぶん。……それより花園の対応のほうが腑に落ちない」
「メイカから子どもを取り上げたことか?」
「そう、というか、その子をわざわざ他のソアに混ぜて隠したってところが気持ち悪いの。すごく穿った考えではあるんだけど、……育児をさせないことで、メイカの本能を生存優先から切り替えさせようとしたんじゃない?」
それはさすがに穿ちすぎではないか、とは、ユウラは言えなかった。
薄々思ってはいたことだ。
何十年も研究を続けながら未だにアマランス疾患の治療法はおろか、原因もわかっていないのは、そもそもラボに解決する気がないからではないのか。
「……たぶんこのリクウとメイカの件のせいで警備が強化されたんでしょうね。今はどこもかしこもセンサーとカメラだらけで、花園にあんたが自由にできる場所はない。
だけど私たちが映像をいじってることにあいつらが気付いてないはずがない」
「つまりわざと俺たちを泳がせて、同じ過ちを犯すのを待っているってことか?」
「かもしれない。確証はないけど……」
サイネはその先を言わなかったが、聞かなくてもわかる。
断言するだけの証拠はないが、かといって否定するに足る心証も、花園に対して持ち合わせがないのだ。
彼らならやりかねないのではないかという疑念しか、サイネの心にはない。
幸い、と言うのもどうかと思うが、今のところその疑念を確信に変えてしまう可能性は低いし、今後もそうならないように努めるつもりだ。
というのもユウラは外出のたびにニノリの眼を盗んでそのための買い物をし、あれこれ手を使って秘密裏に所内に持ち込んでいた。
今まではサイネに言われるがまましていた作業だった。
とにかくふたりの関係が花園に知られないよう、妊娠などという動かぬ証拠を作らないように、ただそれだけのためにしていたことだ。
それこそユウラにとってはメリットのない、彼女に触れる際のひと手間くらいの認識だった。
だが改めてリスクの大きさを知った今、その重要性がよく理解できる。
サイネが無頓着な女でなくてほんとうによかった。
「……あんたがバカじゃなくてよかった」
まるでこちらの思考を見透かしたように、サイネもそう呟いた。
ほんとうに心底ほっとしているような声だった。
つまりメイカの壮絶な体験を目の当たりにして、自分にも同じことが起こりえた可能性を、サイネも恐れているのだろう。
滅多に弱音など吐かない彼女の、紛れもない本音の言葉だった。
当然だ、少なくともこの件に関しては、欲を吐くだけのユウラよりそれを受けるサイネのほうが怖いに決まっている。
ユウラがサイネを愛すれば愛するほどに、彼女の身は危険に晒されるのだ。
今更それを知ったところでどうしようもない、触れずにはいられない業を抱えた罪人として、ユウラは何かを贖うために口を開く。
そこから零れたのは、謝罪というよりも懺悔のような音だった。
「……わりとバカだ。正直今この瞬間まで本質を理解していなかった」
「いや、あのね、そんなの理解できてるほうが怖いから。
たぶん……リクウもそう。それこそ正気じゃなかったわけだし、メイカを妊娠させるのに必死で、あとのことまで考えてなかったんじゃない」
「ああ、俺もそう思う……そもそも知識があったかも怪しい。今だって産科領域の医学書をあまり置いてないんじゃないか」
「たしかに、そういう事件があったわりには見かけないような。あとでラボの本棚を漁ろうかな……。
ところで」
もう一度引き出しを開け、書類をまくってユウラに記憶装置を見せながらサイネは言った。
「赤ん坊がどうなったか、書いてなかった」
「ああ。少なくとも記録された期間内では死んでいないわけだ。……それに記録日時から推定できる年齢はおおよそ十七歳から十五歳くらいだろう」
「……つまり、ざっくり言ってちょうど私らの同期ってことになるわけね」
「そういうことだな。恐らく生存していて現在GHにいると考えるのが妥当だ」
サイネは明らかに人種が異なるし、ニノリは歳が離れている。
だが、それ以外の全員に可能性がある。
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