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本編

data41:いつだってあなたを見ている

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 ────,41


 そろそろ戻るか、というソーヤの声ではっと現実に引き戻される。
 空にはまだ流星がきらめいているのに、と名残惜しい気持ちでソーヤを見るが、やっぱり暗くて彼の表情はわからない。

 ほれ、と当たり前のように差し出された手に思わずたじろいでしまう。

 暗くて足元が見えないからだ。
 ヒナトがそそっかしくて転びやすいのを、ソーヤもよく知っているからだ。
 理由はいくらでも想像がつくし納得できるのに、他の意味などないとわかっているのに、意識してしまうとなんだか恥ずかしい。

 躊躇っていると有無を言わさず手を掴まれて、来たときと同じような図になった。
 今度は腕でなく手だから、素手同士、直接体温が混ざり合っている。

「……あの、そ、ソーヤさん……」

 手を離してほしいと言いかけて口を噤む。
 ほんとうはそんなこと、これっぽっちも思っていないと自分で気づいてしまったから。

 開いてしまった口を誤魔化すように、別の言葉を探してきて並べる。

「えっと……なんで……流れ星がいっぱい見れるって、知ってたんですか?」
「アルカイオス座流星群っつーんだよ。外の天文学者が過去のデータやら観測情報をもとに、何月何日の何時ごろにどれくらい見られるかって予測を発表してる。俺はそれを見て知ってただけだ」
「いやどこでそんな情報を……」
「こないだの外出んときに、たまたま観測イベントのチラシが配られてた」
「へー……外ってそんなのもあるんですね」

 たくさんの人が集まって空を見上げるんだろうか。
 賑やかで楽しそうだ。

 そんなことを話しながら、ドアを開けてふたたび暗い建物の中に戻る。
 ……と思われたが、ふとそこでソーヤがノブにかけた手を止めて、ふうと息を吐いた。
 どうしたのだろう。

 繋いだままの手からは何も伝わってこない。
 彼が何を思い何を考えているのか、あるいはまた調子でも悪いのか、それすらわからないのだ。

「……ちったぁ持ち直したか?」

 ようやく口を開いたかと思ったら言うことがそれで、ヒナトは首を傾げた。

「え、何がです?」
「何がじゃねえよ、おまえがだよ。……実習生のチビが死んでからずっと落ち込んでただろ」
「……あぁ……いやそれはその……まあ……」

 ちょっと違う部分もありはしたが、否定するのもどうかと思い、言葉が途切れる。
 根本的には間違ってもいないのだから。

 フーシャが死んでしまって、コータの悲しみを目の当たりにして、辛かったのはほんとうなのだ。
 あれ以来、楽しいときですら彼らを思い出してしまうこともあった。
 同じ楽しみをフーシャが味わう日は永遠に来ないのだとか、コータもそれを同じように思うだろうとか、そんな考えが胸に浮かんで。

 ここ数日はもっと別な個人的な感情に振り回されていたので、それどころではなかったけれど。
 でも、こうして彼らの話をすると、やっぱり胸の奥に痛みが舞い戻ってくる。

「し……心配して、くれたんですか?」

 そして同時にこの心臓と肺が軋む感じは、これをもたらしているのはソーヤなのだ。

 気にかけてくれたんだ。
 そう思うと、正直いって嬉しかった。

「……おまえが凹んでるとオフィスの空気が悪いからな。まあ班長としての務めだ」
「ソーヤさ──」
「もう喋んなよ。就寝時間はとっくに過ぎてんだ、静かにな」

 そういえばワタリにも言われたことがあった。
 ヒナトがいると空気が和むとかどうとか。

 もしかしてソーヤもそう思ってくれているのか、と思うと、また胸の奥がきゅんと軋んだ。

 無言のまま、手を繋いで階段を下りていく。
 上るのはあんなに大変だったのに帰りはあっという間で、五階で別れるのかなと思ったが、ソーヤは最初に落ちあった踊り場まで送ってくれた。

 借りていた上着を脱いで返すときも、言葉はない。
 ただ、ぬくもりと香りだけがヒナトの周りにまだ残っているような気がした。
 今日はこのまま残り香に包まれて寝ることになるのかと思うとまた緊張するというか、眠れる気がしないのだが、明日はちゃんと起きられるだろうか。

 再び階段を上がっていくソーヤの背中が、薄闇に溶けて見えなくなるまで見送った。

 なんだか夢でも見ていたような心地だった。
 あのソーヤがヒナトのことを気遣って素敵な星空を見せてくれたなんて、もしかしたらほんとうは自室であのまま寝こけてしまったのではないかと思う。

 なんて幸せなんだろう。
 胸はまたドキドキしているけれど、痛さや苦しみはほとんど感じない。
 ただ身体の芯がぽわっと温かくて視界がふわふわしている。

(もしかしたらこれって)

 残り数段を下りながら、ヒナトはぎゅっと胸を押えた。
 とくとく鳴っているそこが、ほんとうは何を言いたがっているのか、耳を傾けるために。

(メイカさんが言ってた、恋、なのかも……)

 ほんとうにソーヤのことが好きなのかもしれない。
 班の仲間としてでも、同じ花園のソアとしてでもなく、個人として──男性として。

 認めるのは気恥ずかしいしまだ確信は持てないけれど……でも、たぶん悪いことではないはずだ。

 それが大人になるということだ、というようにメイカも言っていた気がする。
 だからたぶんこれも成長の証なのだ。
 そしてきっと、これからもっと、成長していけるに違いない。

 なんの根拠もなくそんなことを考えた。
 それくらい、ヒナトは幸せな気分だったし、あえて悪く言うなら浮ついていたのだ。

 しかしそんなふんわりした思考は、廊下に出ようとした瞬間吹き飛んだ。

 誰かが廊下の真ん中に立っている。
 消灯され就寝時間をとっくに過ぎている、こんな夜中に。

 ぼんやりと薄暗い床に黒々とした影を落としているのは、寝間着姿で長い髪をした少女だ、ということだけを理解して、ヒナトはすぐさま階段と廊下を仕切る壁の陰に隠れた。
 幸か不幸か向こうはこちらに気付いていないらしい。
 恐る恐る顔だけ出してよく目を凝らしてみると、それはなんとタニラだった。

 なぜ彼女が、こんな時間に、こんなところにいるのだろう。

 幽霊とかの類でないのは助かったが、絵面があまりにも怖すぎて少しも安心できなかった。
 よくわからないが鉢合わせないほうがいい気がする。

 だってそうだろう。
 夜中に廊下の真ん中で、しかも裸足で突っ立っているなんて、どう考えてもまともな精神状態ではない。
 暗い上に遠いので表情は見えないが、たぶん見えないほうがいい。

 彼女が決して悪い人ではないことはわかっているが、心配よりも恐怖のほうが強かった。
 何がどうとは具体的に言えないのだが、ヒナトの根っこというか……本能みたいな部分が、今の彼女に近寄るなと言っている気がする。

 ぺたり、と音を立ててタニラが動く。
 まずいことに彼女はこちらに向かってふらふらと歩き始めていた。

 ヒナトはできるだけ音を立てないように、這うようにして踊り場から下り階段のほうへと逃げる。
 下を選んだのは咄嗟の判断だ。
 上りでは丸見えになるが、下りなら手すりがヒナトを隠してくれる。

 ぺた……ぺたっ……。

 裸足の足音が廊下に響いている。
 それがだんだんと近づいてくるのがなぜか異常に恐ろしい。

 ヒナトは呼吸音すら漏れないように両手で口をふさぎ、涙目になりながら息をひそめた。

 やがて足音が止む。
 今度は静寂がじわじわとヒナトを苛み、あまりの恐怖に何度も叫びたい衝動に駆られたが、それをなんとか耐え続けた。
 その状態で何分経ったかわからないが、ヒナトには何時間にも思えた。

 あまりに何の音も聞こえないのでどうしても気になって、ついにヒナトは我慢ができなくなり、そっと片眼だけ手すりの陰から出してタニラのようすを窺う。
 そして、見た。

 暗がりにぼんやり立ち竦み、無表情で上り階段を見つめている少女を。

 いつもの彼女の女神のような美貌を、今は少しも感じられない。
 いや、元が整っていたからこそ、その作りもののように固く無機質な眼差しがいっそう恐ろしい……。

 まるでそこから誰かが下りてくるのを待っているみたいだとヒナトは思った。

 それとも、もしかしたら、ほんとうに待っているのかもしれない。

 なぜなら出かけたとき、ヒナトは遅刻を恐れて慌てていた。
 ドアの開閉音にロック音、足音──他の部屋が静かだったぶん、それらはかなり廊下に響いていたはずだ。
 誰かが出かけたことに気付いてもおかしくないし、それぞれの部屋を訪ねれば誰がいなくなったのか調べるのは簡単だろう。

 でもそうなると、タニラは──まさかヒナトを監視しているのか?
 だとしたら一体なぜ、いつから、何のために?

 ぞっとしながら手すりの裏に引っ込んで、とにかくただ彼女が部屋に戻ってくれるのだけを祈り続けた。


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