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本編
data33:ヒナト、ふたたび街へゆく
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────,33
生活資材庫で選んだ夏物衣類は、先に一度洗濯しておいたほうがいいと言われた。
たしかにずっと埃っぽい倉庫の奥にあったものだし、そのまま着ないほうがいいのは確かだろうと思い、ヒナトは素直にシャツとスカートをクリーニングルームに出した。
そして今日、ヒナトはきれいになったそれらを受け取った。
ほんとうなら一度試着しておきたかったが、お出かけは午後から。
午前中は業務だ。
とりあえずベッドの上に広げて並べ、袖を通すイメージとレーニングだけして、ヒナトは朝食に急いだ。
食堂ではみんなの顔色をさりげなくチェックした。
ひとまず外見上は体調の悪そうなソアはいないようだが、果たして診断ではどう出るか。
そしてふと、ワタリの姿がここでも見られないのに気が付いた。
そういえば彼とは朝に会ったことがない。
というか、夜もない。オフィス以外で出会ったことなんてほとんどない気がする。
そんなことってあるんだろうか。
なんだか妙に気になったので少し粘ってみたら、少し遅めの時間になってからふらりと姿を現したので、なぜかヒナトはほっとした。
単に朝にあまり強くないだけだったか。
その後はいつもどおりオフィスでソーヤにちくちく怒られる時間をやりすごしながら、一刻も早く午後になるのを祈るのだった。
しかしこういうときほど時間が経つのが遅い気がする。
のろのろと回る時計の針を心の中で叱咤激励しながらも、ヒナトはこれまたいつもどおりの逃げを打った。
お茶汲みである。
しかし、今日に至っては班長ストップが掛けられた。
未だかつて前例のない出来事だった。
「昼まであと三十分しかねえだろ。茶は要らんから仕事しろ」
もっともな理由だった。ヒナトは撃沈し、立ち上がりかけていた腰を時計の針よりも遅く椅子に戻す。
「今日はまた一段と手厳しいね」
「そうか? いつもどおりだろ」
「……、そうかもね」
何か含むようなワタリの声に、ソーヤは鼻をフンと鳴らしただけだった。
確かにちょっといつもより厳しいというか、言いかたもきついような気は、ヒナトもしている。
機嫌が悪いのかなと思っても、しかしそれを口に出せるはずもなく。
というか、まさか、体調が悪いとか、そういうことではなかろうな。
ヒナトは心配になってソーヤをまじまじと観察してしまったが、とりあえず顔色などは問題なさそうだった。
そしてすぐに気づかれ、なんだよ、とつっけんどんな調子で言われる。
「いえっべつに……」
やっぱり機嫌は確実に悪いよなあと思いつつ、ヒナトは黙った。
何か言っても余計怒らせてしまうだけだし、余計なことはせずに、午後を待つしかない。
もし体調に問題があれば事前検診で止められるだろうし。
・・・・・*
そんなこんなで午後開放である。
無事に検診も済み、ヒナトは少し緊張しながらTシャツとスカートに着替える。
自室には全身映せるような大きな鏡はないので、すぐ玄関に行かずに浴場に寄って、そこにある姿見を使って前後くまなくチェックした。
やはりシフォンのフリルスリーブがかわいいし、スカートの線もいい感じだ。
タニラに相談してよかったなと満足しながらロビーに向かうと、ヒナトの気分とは裏腹に、ちょっと雰囲気が良くなかった。
その中心はソーヤである。
相変わらずの不機嫌に、心配そうなタニラとエイワの声がする。
「やっぱり止める? お留守番なら私も……」
「大丈夫だよ。おまえは心配しすぎなんだって、それにこんなんでエイワの初開放取りやめにはできねえだろ」
「いや無理そうなら俺はその、タニラとふたりでも構わないけどさ……あ、タニラが残りたいならユウラたちんとこ混ぜてもらうでも、べつにぜんぜん、うん」
「おめーは気ィ遣いすぎだよ。……引っかかったわけじゃねえんだから、これ以上あーだこーだ言うのはやめようぜ」
というような会話が聞こえてきて、なんとなく事情がわかったようなわからないような。
ヒナトはサイネとアツキのところに駆け寄った。
ふたりから聞いたところによると、ソーヤは検診こそ問題ないという結果になったものの、ラボの職員から引き留められるようなことを言われたらしい。
積極的に止めはしないが、できれば外出は控えることをすすめる、というようなことをだ。
それを聞いたタニラがそれなら留守番をするべきではないかと言い出して、今のような状態になったという。
うーん、ヒナトとしてはタニラに賛成だ。
ラボの職員が言いたいこともわかる。現時点で問題がないように見えても、ソーヤの体内にとんでもない爆弾が潜んでいることには変わりない。
しかし結局ソーヤの意見が押し通されたらしく、三人は一緒に送迎の車に乗り込んだ。
ヒナトたちも別の車に乗る。
そして隣に座ったサイネを見て、今さらはたと気が付いた。
「あれ、そういえばサイネちゃんあのブラウスやめたの?」
「……私は初めから着る気なかったから」
「なーんだ」
てっきりあのあと押し通されて着る流れになっていたかと思っていたのに。
そのあたりをヒナトが知らなかったのは、じつはちゃんと聞いていなかったからだ。
同じ部屋にいたのにどうして耳に入らなかったのか、あるいは聞いていたのに忘れてしまったのかは謎だが、わりとそういうことってよくある気がする。
朝ソーヤやワタリに頼まれたことを、夕方もう一度言われるまですっかり失念していたりとか。
「でもスカートなんだ。おそろいだね」
「あんたのはタイトスカートでしょうが。こっちはフレアだから形、あと色もぜんぜん違うし……」
「どうせならニノりんたちと一緒に行動すればよかったかもねえ。まあ行先ちょっと被るみたいだし、どっかで会えるかも」
「……なにそれ? 聞いてないんだけど」
「あれ、そなの。珍し、サイちゃんてユウラくんには何でも話してるんだと思ってた」
「解放日の行先まで話すわけないでしょ……これくらいしかないのに……」
サイネが深々と溜息を吐いた。
なにが『これくらいしかない』のかはわからなかったが、ちょっと聞けそうにない。
そんな話をしているうちに車は街に着いた。
例によって緊急連絡ボタンを持たされ、使わずにお出かけを終えられるよう祈りながら、ポシェットのできるだけ奥のほうへしまい込む。
なんとなく以前より重く感じるのは気のせいだろうか。
久々の街は、相変わらずたくさんの音と臭いが入り混じっていて、くらくらする。
そしてなんだか、前と色合いが違う。
やはり迷子にならないようにとアツキと手を繋ぎながら、ヒナトは違和感の正体を掴むべくあたりをきょろきょろ見回して、いくつかの発見をした。
まずひとつは、当たり前だが、行き交う人々もヒナトたちと同じように軽装になっていること。
ショーウインドーのマネキンも夏らしい華やかな出で立ちに着替えている。
それに人の数がずいぶん多い。
若い人もたくさんいる。
それどころか、子どもをつれた夫婦らしい人も、前よりずいぶん多いと感じる。
「夏休みってやつなんじゃない?」
サイネに聞いたらそんな答えが返ってきた。
なんでも世間では特定の時期にみんなでまとまって休みをとったりするものらしい。
花園にもそういうのがあったらいいのに、とちょっと思った。
他にもあれこれ目に入ったものについて自由にくっちゃべりつつ、三人は街の中心寄りにある大きな建物を目指した。
それは百貨店とかいう、いろんな種類のお店が一か所に集められた、買い物に特化した施設らしい。
「だいたい何でもあるよね。服だけでもいろーんなジャンルが一度に見れちゃう」
「そ、……そんなすごい場所、なんで前回は行かなかったの!?」
「時間の都合と、あとはあんたが初開放だったからね。ただでさえ初日は浮足立つのにそれを助長するような場所に行ってみなさい、確実に迷子になるし、財布も空になるから」
二回目でもだいぶ興奮しそうな気配だったが、ひとまずサイネたちの気遣いに感謝しておいた。
ともかくヒナトは期待で胸を膨らませながら百貨店へ足を踏み入れる。
きらびやかな店内には、上品な設えのショーケースがずらりと並んでいた。
それになんともかぐわしい甘い香りが満ちていて、花園ではお目にかかれないようなシックな装いの大人のお姉さんたちが、ヒナトたちへにっこりと笑いかけてくる。
「ほぇぇ……なんか大人の雰囲気だよ……」
「ここは化粧品売り場だからねぇ。お洋服は上の階だよ~」
けしょうひん。なんか、近寄りがたい響き。
それともヒナトもいつか、いろんな問題が解決されて無事に大人になれたら、そんなものを使って自らを美しく彩ったりするようになるんだろうか。
口紅の並ぶスタンドに飾られたポスターの、どこか艶めかしいお姉さんのくちびるを眺めながら、エスカレーターとやらに向かう。
お……大人はああいうものを塗ってツヤツヤになった口で、恋人とキスとかしちゃうんでしょうか……?
想像したらなんだか恥ずかしくなり、あわや段差を踏み外しそうになる。
手を繋いでいたアツキまで巻き込みかけ、彼女もサイネも驚いていたが、ヒナトはもっと驚いた。
勝手にぐるぐる動く階段なんて初めて見た、これが噂に聞くエスカレーターってやつの正体なのか。
花園の階段もこれにしてほしい。
真面目な話、これならヒナトも落ち着いてコーヒーが運べる気がする。
「気をつけなさいよ、こんなとこで転んだら大怪我するんだから」
「ごご、ごめんなさい」
「こっちも言うの忘れててごめんね。エスカレーター初めてだもん、びっくりしたよね」
よしよしとアツキに宥められ、なんとか落ち着いて二階に辿り着けた。
そこはまさに楽園だった。
見渡す限りフロア一面、若い女の子向けと思われるアパレルショップが立ち並んでいる。
思わず駆け出しそうになるヒナトだったが、アツキの手にしっかりと掴まえられていたため、歓声めいた奇声を上げただけで済んだ。
でも大変だ。
どこもかしこも素晴らしすぎて、どこから回ればいいのかわからないし、とても今日中にすべて見られるとは思えない。
ヒナトは軽くパニックを起こしそうだったが、サイネたちは冷静である。
わたわたしているヒナトの首根っこを掴み、迷いなくすたすたと特定のショップ目指して歩き出した。
「えー、えー、どこ行くの」
「価格帯ってのがあるの。あのあたりは私らじゃ手が出ないから」
「かわいいけど高いんだよねぇ。まあ見るだけならいいし、どうしても欲しかったらお小遣い貯めるって手もあるんだけど」
でも見たら欲しくなっちゃうから、見ないに越したことはないのよね、とのことだった。
そういうものか、とヒナトはちょっと肩を落とす。
花園からもらえるお小遣いはそんなに多くない。たぶん。
外出のたびに定額もらえるし、それを使わずに持ち越すことはできるが、その間は何もお買い物ができなくなってしまう。
たぶんそういう計画的なことはヒナトには無理だ。
ともかくサイネたちがおすすめするリーズナブルなショップに入った。
しかし、結論から言えばヒナトにはそれで充分だった。
もともとそんなに眼が肥えていないのもあり、どれを見ても新鮮で素敵で、かなり楽しい時間をすごせた。
悩みすぎて結局そこでは何も買えなかったが、まあそれも一興だ。
それに店はまだまだある。
時間の許す限りいろいろ見て回りたい。
次はどこにしようかと言いながら三人は通路に出て、とくに目的地を決めずにふらふら歩いた。
聞けばレディースの取り扱いフロアは三階以降にもあるらしい。
幸か不幸か、四階以上は対象年齢が上だったりメンズ向けだったりするそうなので、さほど大冒険にならなさそうではあるが。
とかどうとか言っていると、ひときわ鮮やかな一角が目に飛び込んできた。
その入り口に掲げられた、目の醒めるような色合いののぼりには、『水着・浴衣フェア』とある。
→
生活資材庫で選んだ夏物衣類は、先に一度洗濯しておいたほうがいいと言われた。
たしかにずっと埃っぽい倉庫の奥にあったものだし、そのまま着ないほうがいいのは確かだろうと思い、ヒナトは素直にシャツとスカートをクリーニングルームに出した。
そして今日、ヒナトはきれいになったそれらを受け取った。
ほんとうなら一度試着しておきたかったが、お出かけは午後から。
午前中は業務だ。
とりあえずベッドの上に広げて並べ、袖を通すイメージとレーニングだけして、ヒナトは朝食に急いだ。
食堂ではみんなの顔色をさりげなくチェックした。
ひとまず外見上は体調の悪そうなソアはいないようだが、果たして診断ではどう出るか。
そしてふと、ワタリの姿がここでも見られないのに気が付いた。
そういえば彼とは朝に会ったことがない。
というか、夜もない。オフィス以外で出会ったことなんてほとんどない気がする。
そんなことってあるんだろうか。
なんだか妙に気になったので少し粘ってみたら、少し遅めの時間になってからふらりと姿を現したので、なぜかヒナトはほっとした。
単に朝にあまり強くないだけだったか。
その後はいつもどおりオフィスでソーヤにちくちく怒られる時間をやりすごしながら、一刻も早く午後になるのを祈るのだった。
しかしこういうときほど時間が経つのが遅い気がする。
のろのろと回る時計の針を心の中で叱咤激励しながらも、ヒナトはこれまたいつもどおりの逃げを打った。
お茶汲みである。
しかし、今日に至っては班長ストップが掛けられた。
未だかつて前例のない出来事だった。
「昼まであと三十分しかねえだろ。茶は要らんから仕事しろ」
もっともな理由だった。ヒナトは撃沈し、立ち上がりかけていた腰を時計の針よりも遅く椅子に戻す。
「今日はまた一段と手厳しいね」
「そうか? いつもどおりだろ」
「……、そうかもね」
何か含むようなワタリの声に、ソーヤは鼻をフンと鳴らしただけだった。
確かにちょっといつもより厳しいというか、言いかたもきついような気は、ヒナトもしている。
機嫌が悪いのかなと思っても、しかしそれを口に出せるはずもなく。
というか、まさか、体調が悪いとか、そういうことではなかろうな。
ヒナトは心配になってソーヤをまじまじと観察してしまったが、とりあえず顔色などは問題なさそうだった。
そしてすぐに気づかれ、なんだよ、とつっけんどんな調子で言われる。
「いえっべつに……」
やっぱり機嫌は確実に悪いよなあと思いつつ、ヒナトは黙った。
何か言っても余計怒らせてしまうだけだし、余計なことはせずに、午後を待つしかない。
もし体調に問題があれば事前検診で止められるだろうし。
・・・・・*
そんなこんなで午後開放である。
無事に検診も済み、ヒナトは少し緊張しながらTシャツとスカートに着替える。
自室には全身映せるような大きな鏡はないので、すぐ玄関に行かずに浴場に寄って、そこにある姿見を使って前後くまなくチェックした。
やはりシフォンのフリルスリーブがかわいいし、スカートの線もいい感じだ。
タニラに相談してよかったなと満足しながらロビーに向かうと、ヒナトの気分とは裏腹に、ちょっと雰囲気が良くなかった。
その中心はソーヤである。
相変わらずの不機嫌に、心配そうなタニラとエイワの声がする。
「やっぱり止める? お留守番なら私も……」
「大丈夫だよ。おまえは心配しすぎなんだって、それにこんなんでエイワの初開放取りやめにはできねえだろ」
「いや無理そうなら俺はその、タニラとふたりでも構わないけどさ……あ、タニラが残りたいならユウラたちんとこ混ぜてもらうでも、べつにぜんぜん、うん」
「おめーは気ィ遣いすぎだよ。……引っかかったわけじゃねえんだから、これ以上あーだこーだ言うのはやめようぜ」
というような会話が聞こえてきて、なんとなく事情がわかったようなわからないような。
ヒナトはサイネとアツキのところに駆け寄った。
ふたりから聞いたところによると、ソーヤは検診こそ問題ないという結果になったものの、ラボの職員から引き留められるようなことを言われたらしい。
積極的に止めはしないが、できれば外出は控えることをすすめる、というようなことをだ。
それを聞いたタニラがそれなら留守番をするべきではないかと言い出して、今のような状態になったという。
うーん、ヒナトとしてはタニラに賛成だ。
ラボの職員が言いたいこともわかる。現時点で問題がないように見えても、ソーヤの体内にとんでもない爆弾が潜んでいることには変わりない。
しかし結局ソーヤの意見が押し通されたらしく、三人は一緒に送迎の車に乗り込んだ。
ヒナトたちも別の車に乗る。
そして隣に座ったサイネを見て、今さらはたと気が付いた。
「あれ、そういえばサイネちゃんあのブラウスやめたの?」
「……私は初めから着る気なかったから」
「なーんだ」
てっきりあのあと押し通されて着る流れになっていたかと思っていたのに。
そのあたりをヒナトが知らなかったのは、じつはちゃんと聞いていなかったからだ。
同じ部屋にいたのにどうして耳に入らなかったのか、あるいは聞いていたのに忘れてしまったのかは謎だが、わりとそういうことってよくある気がする。
朝ソーヤやワタリに頼まれたことを、夕方もう一度言われるまですっかり失念していたりとか。
「でもスカートなんだ。おそろいだね」
「あんたのはタイトスカートでしょうが。こっちはフレアだから形、あと色もぜんぜん違うし……」
「どうせならニノりんたちと一緒に行動すればよかったかもねえ。まあ行先ちょっと被るみたいだし、どっかで会えるかも」
「……なにそれ? 聞いてないんだけど」
「あれ、そなの。珍し、サイちゃんてユウラくんには何でも話してるんだと思ってた」
「解放日の行先まで話すわけないでしょ……これくらいしかないのに……」
サイネが深々と溜息を吐いた。
なにが『これくらいしかない』のかはわからなかったが、ちょっと聞けそうにない。
そんな話をしているうちに車は街に着いた。
例によって緊急連絡ボタンを持たされ、使わずにお出かけを終えられるよう祈りながら、ポシェットのできるだけ奥のほうへしまい込む。
なんとなく以前より重く感じるのは気のせいだろうか。
久々の街は、相変わらずたくさんの音と臭いが入り混じっていて、くらくらする。
そしてなんだか、前と色合いが違う。
やはり迷子にならないようにとアツキと手を繋ぎながら、ヒナトは違和感の正体を掴むべくあたりをきょろきょろ見回して、いくつかの発見をした。
まずひとつは、当たり前だが、行き交う人々もヒナトたちと同じように軽装になっていること。
ショーウインドーのマネキンも夏らしい華やかな出で立ちに着替えている。
それに人の数がずいぶん多い。
若い人もたくさんいる。
それどころか、子どもをつれた夫婦らしい人も、前よりずいぶん多いと感じる。
「夏休みってやつなんじゃない?」
サイネに聞いたらそんな答えが返ってきた。
なんでも世間では特定の時期にみんなでまとまって休みをとったりするものらしい。
花園にもそういうのがあったらいいのに、とちょっと思った。
他にもあれこれ目に入ったものについて自由にくっちゃべりつつ、三人は街の中心寄りにある大きな建物を目指した。
それは百貨店とかいう、いろんな種類のお店が一か所に集められた、買い物に特化した施設らしい。
「だいたい何でもあるよね。服だけでもいろーんなジャンルが一度に見れちゃう」
「そ、……そんなすごい場所、なんで前回は行かなかったの!?」
「時間の都合と、あとはあんたが初開放だったからね。ただでさえ初日は浮足立つのにそれを助長するような場所に行ってみなさい、確実に迷子になるし、財布も空になるから」
二回目でもだいぶ興奮しそうな気配だったが、ひとまずサイネたちの気遣いに感謝しておいた。
ともかくヒナトは期待で胸を膨らませながら百貨店へ足を踏み入れる。
きらびやかな店内には、上品な設えのショーケースがずらりと並んでいた。
それになんともかぐわしい甘い香りが満ちていて、花園ではお目にかかれないようなシックな装いの大人のお姉さんたちが、ヒナトたちへにっこりと笑いかけてくる。
「ほぇぇ……なんか大人の雰囲気だよ……」
「ここは化粧品売り場だからねぇ。お洋服は上の階だよ~」
けしょうひん。なんか、近寄りがたい響き。
それともヒナトもいつか、いろんな問題が解決されて無事に大人になれたら、そんなものを使って自らを美しく彩ったりするようになるんだろうか。
口紅の並ぶスタンドに飾られたポスターの、どこか艶めかしいお姉さんのくちびるを眺めながら、エスカレーターとやらに向かう。
お……大人はああいうものを塗ってツヤツヤになった口で、恋人とキスとかしちゃうんでしょうか……?
想像したらなんだか恥ずかしくなり、あわや段差を踏み外しそうになる。
手を繋いでいたアツキまで巻き込みかけ、彼女もサイネも驚いていたが、ヒナトはもっと驚いた。
勝手にぐるぐる動く階段なんて初めて見た、これが噂に聞くエスカレーターってやつの正体なのか。
花園の階段もこれにしてほしい。
真面目な話、これならヒナトも落ち着いてコーヒーが運べる気がする。
「気をつけなさいよ、こんなとこで転んだら大怪我するんだから」
「ごご、ごめんなさい」
「こっちも言うの忘れててごめんね。エスカレーター初めてだもん、びっくりしたよね」
よしよしとアツキに宥められ、なんとか落ち着いて二階に辿り着けた。
そこはまさに楽園だった。
見渡す限りフロア一面、若い女の子向けと思われるアパレルショップが立ち並んでいる。
思わず駆け出しそうになるヒナトだったが、アツキの手にしっかりと掴まえられていたため、歓声めいた奇声を上げただけで済んだ。
でも大変だ。
どこもかしこも素晴らしすぎて、どこから回ればいいのかわからないし、とても今日中にすべて見られるとは思えない。
ヒナトは軽くパニックを起こしそうだったが、サイネたちは冷静である。
わたわたしているヒナトの首根っこを掴み、迷いなくすたすたと特定のショップ目指して歩き出した。
「えー、えー、どこ行くの」
「価格帯ってのがあるの。あのあたりは私らじゃ手が出ないから」
「かわいいけど高いんだよねぇ。まあ見るだけならいいし、どうしても欲しかったらお小遣い貯めるって手もあるんだけど」
でも見たら欲しくなっちゃうから、見ないに越したことはないのよね、とのことだった。
そういうものか、とヒナトはちょっと肩を落とす。
花園からもらえるお小遣いはそんなに多くない。たぶん。
外出のたびに定額もらえるし、それを使わずに持ち越すことはできるが、その間は何もお買い物ができなくなってしまう。
たぶんそういう計画的なことはヒナトには無理だ。
ともかくサイネたちがおすすめするリーズナブルなショップに入った。
しかし、結論から言えばヒナトにはそれで充分だった。
もともとそんなに眼が肥えていないのもあり、どれを見ても新鮮で素敵で、かなり楽しい時間をすごせた。
悩みすぎて結局そこでは何も買えなかったが、まあそれも一興だ。
それに店はまだまだある。
時間の許す限りいろいろ見て回りたい。
次はどこにしようかと言いながら三人は通路に出て、とくに目的地を決めずにふらふら歩いた。
聞けばレディースの取り扱いフロアは三階以降にもあるらしい。
幸か不幸か、四階以上は対象年齢が上だったりメンズ向けだったりするそうなので、さほど大冒険にならなさそうではあるが。
とかどうとか言っていると、ひときわ鮮やかな一角が目に飛び込んできた。
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