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本編

data04:そうだ、二班オフィスに行こう ◆

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───,4


 ソーヤはすぐにオフィスに帰ってきた。
 結局ヒナトたちにははっきりとした説明がなかったのだが、どうやら「しばらく普段どおりに生活させてようすを見る」ことになったらしい。

 最初は心配の拭えない補佐官ふたりだったが、肝心のソーヤ本人が何ごともなかったかのようにぴんぴんしているので、そのうちあまり気にしなくなっていた。

 よくよく考えてみればソーヤという男は疲労とかストレスとかには無縁である。
 少なくとも、ヒナトにはそう思える。

 とにもかくにも班長様のご帰還に秘書ははりきって、今日も仕事に精を出す。

「あ、そういやワタリ」
「うん?」
「俺がいない間の処理、全部やってくれたろ? サンキュ」
「あーそういやそうだったね。ほんと疲れたよーだからもっとねぎらってよー」
「……はいワタリさんねぎらいのお茶です」

 芳しくない表情でお茶を受け取ったワタリは、やっぱり一口だけ飲んだだけで、さっさと脇に置いて仕事に戻った。
 コンピュータに渋い顔が映り込んでいるのには、気づいているのかいないのか。

 悪いことしたかなとヒナトもちょっと反省する。
 とはいえ、羨ましかったのだ。
 ヒナトはソーヤにお礼を言わせたことなど一度もない。

 毎日お茶汲みをしているというのに、一言くらいないものか。

 いや、もちろんまずいまずいとは言われ続けているが、できたらそれ以外で。
 どんなにまずいコーヒーだってこっちは丹精込めて淹れてあげているのだから。

 例えば、いつもありがとう、とか……やっぱり無理か。

 実際のところ、ワタリはたしかにあの日の仕事をヒナトやソーヤの分までひとりでやってくれた。
 それにはねぎらう価値があると思う。
 あとその能力を少し分けてほしい。

 ヒナトにはとくに功績もないのだ。
 しいていえば動転して仕事はできず茶も淹れられず、看病しようと思って医務部へ行けばタニラと言いあいになり、しまいにはリクウに宥められた。
 おしまい。
 ねぎらわれるどころか叱られるべきだ。

「あとヒナ」
「え?」

 落ち込もうかと思ったら声をかけられる。
 まさか、何か褒めてもらえることが?

 ヒナトの期待ゲージは一気に上昇していく……だが。

「医務部では静かにしろよ。他に病人とかいたら迷惑だからな」
「……はい、反省してます」
「あとタニラと喧嘩すんのも控えるように」
「それはあっちに言ってくださいよお」

 ずどーん、と音を立てて期待ゲージが撃沈した。
 いや期待した自分が馬鹿だったのだ。

 それにしたって、どうしてソーヤはタニラにそうも甘いのだろう。
 仲がいいからだろうか。えこひいきだ。

 ワタリがこっそり笑っているのが見えて、余計に癇に障る。

 だがまあ、ここでへそを曲げてもしょうがない。
 どうにかばっちり仕事をこなして見返してやろう、とヒナトは若干無茶な発想をしつつコンピュータに向きなおる。
 見返せるほど大層な仕事がないことはこの際気にしない。

 班長から処理済みデータが帰ってきた。
 今度はこれをまとめて他の班に回せばいいようだ。

 任意のボックスに移して、転送ボタンを押す。

「え」

 ぷすん、と転送機(名前はマリア、ヒナト命名)からあり得ない音がした。


・・・・・+


 そういうわけでヒナトは内心しくしく泣きながら、印刷した書類を抱えて階段を降りていた。
 ソーヤがマリア、いや転送機を直している間にこの書類を二班のオフィスに届けるのが、今のヒナトに課せられた任務である。

 二班といえばタニラが秘書を務めている。
 どう頑張っても顔を合わせないわけにはいかないだろう。
 でもってわざわざデジタルデータで送ればいいものを運びにきたいきさつを聞かれるだろうし、そうなれば失態も明らかになるというものだ。

 どうせまた、あなたはソーヤくんの秘書としてふさわしくない!とか言われるに違いない。

 むろん勝手に言わせておけばいいのだが、ヒナトもついむっとして言い返したくなるから困る。
 さっき喧嘩はするなと言われたばかりなのに。

「こんにちはー」

 おそるおそる二班のオフィスのドアを開ける。
 そういえばいつも給湯室に行くときに前を通るが、扉に擦りガラスを使っているので中を見るのは初めてだ。

 ふわり、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。

「はーい……って、なんだ、あなたか」
「なんだって……あの、もしかしてあたしの名前知らないんですか?」
「呼びたくないだけよ」

 そうですか。そんなに嫌いですか。

 二班のオフィスの構造も、だいたいは一班と似たようなものである。
 だが、整理整頓や掃除はすみずみまでゆき届いていて、漂っているコーヒーの香りさえヒナトの淹れるそれとは明らかに違う芳醇さ。

 加えてヒナトから書類を受け取ったタニラは、なんと自分でそれを処理し始めたのだから驚いた。

 班長とか副官とかの指示は仰がなくていいのだろうか。
 そしてここでは秘書もそういう仕事をするか。

「で、なんでデジタルじゃないわけ」

 くるりと椅子を回転させてヒナトに尋ねたのは、ここ二班の班長であるサイネ。

 ウェーブがかかったあずき色のサイドテールは地毛だ。
 世界各国の素材からなるソアの外見が国籍不明なのはとくに珍しいこともないが、それにしてもサイネの浅黒い肌色とこの髪色は、鋭い眼光も相まってなかなかの威圧感があると思う。
 しかも金色の虹彩で釣り目なので、ほんとうに眼が光って見える。

 一方、隣でコンピュータに向かっている副官のユウラはちらりとも視線をよこさない。
 タニラと同じく薄い髪色に、瞳は若葉色。座っていてもわかるほど脚がすらっと長い。

「いやあ、いまちょっとマ……いや転送機が故障してて~」
「あんたよく物を壊すんだねー。私が聞いたのだけでも、PCにコピー機にカップにポットに掃除機の五種類はあるんだけど」

 ヒナトの破壊癖は二班にまで知れ渡っていたようだ。

 ちなみに実際はそのさらに三種類ほど上乗せして、かつそれぞれ複数回に及んでいる。
 自分でもある種の才能だとさえ思う。

「まあいいわ。すぐ処理するからちょっとそのへんで待ってて」
「え、すぐって」
「すぐっつったらすぐ。ユウラ、Gファイルの六番から下こっちに送って」
「了解。タニラにも回すぞ」
「どうぞー」

 ちょっと恰好いいな。

 思わずヒナトはまじまじとサイネを見た。
 女の子が班長だと聞いて、もっとこうほのぼのとした職場を想像していたりもしたが、そんなことはとくになかった。

 暇なのでサイネの後ろからコンピュータの画面を覗きこんでみると、そこにはわけのわからない数字の羅列がびっしりと表示されている。

 どういうわけだか知らないが、ここ花園ではデータはみんなこうやって数字に置き換えられていて、その数字のまま処理されたり考察されたりするのである。
 慣れるまでは何と書いてあるかもさっぱりわからない。

 ……いや、ヒナトは今でもまともに読めはしないが。
 だからいつもソーヤとワタリにほぼ丸投げしているのだ。
 なんか根本的な問題が見えた気がする。

 今度はユウラの背後に回ってみる。
 サイネのほうと似た光景だ、そりゃそうか。
 違うのは防水カバーの上に置いてあるカップの中身がコーヒーでなく紅茶である点くらいだ。

 最後はまあ、タニラ。
 恐ろしいことにここでも画面を占拠しているのは数字、数字、数字。
 カフェオレの甘い香りを纏いながらかたかたとコンピュータを操作する後ろ姿は、やはり清楚で美しいのだった。

 美人というのは顔だけでなくて全身がそういう物質でできているんだろうか。
 これがあの般若と同一人物だなんて、世の中はどこか間違っている。

「……何か用?」
「あ、いえ、べつにっ」

 変な哀愁に浸っていたら般若が睨んできたので、そそくさと逃げる。
 すると、ちょっと、とサイネに呼びとめられた。

「はい、これ」

 手渡されたのは処理済みのデータを印刷したものだ。

「え、……えええ? だってまだ十分くらいしか経ってな──」
「だからすぐっつったでしょ。まだ転送機直ってないんだろうから紙で持ってきなさい」
「わー、ご丁寧にありがとう! でもなんでまだ直ってないってわかるの?」
「だって次のデータ来ないじゃない。あんたんとこの副官そんなに仕事遅くないし」

 仰るとおりです……ヒナトは心の中でサイネに向かってひれ伏した。

 もしかしたらソーヤよりできる班長かもしれない。
 しかも副官も有能そうだし、秘書は美人でちゃんと仕事もできるときた。
 一班は総合的に負けている。

 秘書だけ見てもどうだろう。

 部屋がきれいなのも片付いているのも、きっとタニラの仕事だ。
 しかも淹れた飲み物もまともそうだ。

 ついでに、胸もヒナトよりある。
 少なくとも制服の上着の上からでも目視できるくらいにはある。
 ヒナトなど上着を脱いでシャツになっても触ってみないとわからない程度でしかないのに。

 (惨敗だな、こりゃ)

 ちらりとタニラを覗うと、ふ、と小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
 うわあ嫌味!

「あーっと、じゃああたしはこれで」

 これ以上ここにいても、惨めになるか喧嘩に発展しそうだ。

 ヒナトはそう悟って、書類を抱えたままきびすを返す。

 だがドアノブに手をかけたところで、ぴぴぴ、と軽快な電子音がオフィス内に響いた。
 今となっては懐かしい転送機の音だ。

 一班から、今日の仕事はもう切り上げるという旨の連絡だった。

「あ、一班て今日は午前業務だったんだ。じゃあそれ持たせても意味ないか」
「へ? あ、言われてみればそうだったよーな……」
「あんた秘書なのに大丈夫?」
「う……あんまし大丈夫じゃないかも」

 午前業務というのは仕事時間が半日だけで、午後からは自由時間に充てられている日のことである。
 要するに就業時間が終わったので、たぶんもう一班のオフィスには人はいない。

 でもって班のスケジュールを把握するのも秘書の仕事なのである。

 ……うん、今なら振り向かなくてもわかる。
 タニラが憤りに震えてこちらを見ていることが。
 そしてたぶん、秘書失格宣言が飛び出すのにそう時間がかからないはずだ。

「……なんで、なんであなたみたいな子がソーヤくんの秘書なのよ! 絶対に認めない!」

 ほらね! 思ったより早かったけど。

「いや、そんなこと言われたって困るんですけど」
「だってそうでしょう? スケジュール管理もまともにできないような秘書なんて、ソーヤくんが疲れて倒れちゃうのも無理ないわ!」
「あ、あたしのせいだっていうんですか!?」
「違うの!?」

 すごい剣幕でヒナトを罵ってくるタニラ。
 ヒナトも負けまいと顔面に力を込めて応戦する。

 そして幸か不幸か、ここには仲裁に入るべきリクウがいないのだった。

 止めに入ってくれそうな人員はというと、ユウラは初めちらりとふたりのほうを見ただけで、すぐにコンピュータのほうに視線を戻した。
 後ろで騒がれてもさほど気にならないらしい。
 少しは気にしてほしい。

 サイネはコーヒーを飲みながら試合の行く末を見守っている、ように見える。

「もう我慢できない。上に異動願でも出して交代してもらうわ!」
「ちょっ、そんなの強行手段じゃないですか! それこそずるいってもんですー!」
「ずるくないわよ正当な手段よ!」
「でもあたし、これでもソーヤさんに直接──あだっ!」
「きゃっ!」

 いつまで経っても終わりの見えない言い争いに終止符を打つように、すぱーんと清々しい音がオフィスに響き渡る。
 それと同時にヒナトたちを襲った衝撃と痛み。

 しかしこんなときまでかわいい悲鳴をあげられる美人秘書スキルがちょっと恨めしい。

 半べそになりながら殴られたほうを向くと、手に厚さ二センチほどのプラスチックファイルを持ったサイネが、眼をぎらぎらさせながら立っていた。





「あんたたち、私の仕事の邪魔すんなら出てってくんない」

 気配では激怒しているというのに、静かな声音が余計に恐ろしい。

「ご、ごめんなさい。仕事に戻ります……」
「よろしい。
 で、ヒナト、あんたはどうするの。どうせ暇なんだから手伝いなさい」
「はい、そうします……」

 ヒナトは大人しく従う道を選んだ。
 逆らわないほうがいい、と本能が告げていたからだ。

 じゃあまずお茶くみして、と茶器一式を持たせられる。

「いい、カフェオレふたつと紅茶よ。
 サイネちゃんのはコーヒー多めで、あとミルクじゃなくてクリームね。こっちはコーヒーに比べて少なめにすること。
 ユウラくんはアールグレイのストレート。ダージリンと間違えちゃだめよ。
 それからお砂糖は入れるんじゃなくてシュガーポットに入れて持ってくること。渡す順番はサイネちゃんが絶対に先。えーとあとは──」
「うえええっちょっとメモ、メモとらせてくださいいい!」

 いつもソーヤのブラックコーヒーと、お茶ならなんでもよかったワタリに慣れてしまっているヒナトには、注文の多い二班のお茶くみは難易度が高い。

 わたわたと手帳に書きつけてみるが、それでは情報が整理されていない。
 あとで読み返しながらまた混乱しそうだ。

 味には期待しないでくださいね!と言い残して出ていくヒナトの背を、してないから大丈夫よ、とタニラのフォローめいた嫌みが追う。


 十数分後、なんとか指定された飲みものを用意できたヒナトはそれを三人に配った。

 サイネにはコーヒー率高めのカフェオレ、ユウラにはなんとかのストレートティー。
 タニラもカフェオレだがこちらはミルク多め。
 そして自分にもちゃっかりココア。

「あー……濃いわ……」
「えっ、それってま、まずいってこと?」
「個々の好みにもよるけど、普段この濃さでブラックにしてんなら飲みにくいと思われてもしゃーない。
 あんた自分の淹れたコーヒー飲んだことないでしょ」
「うっ、そのとおりです……」

 サイネに言われたことも手帳にメモをとっておいた。
 次回、ソーヤにもう少しましなコーヒーを淹れてあげられるように。

 というか、普段はまずい以外の感想をもらっていないので、こういうためになる意見はありがたい。
 これまでなかなか上達しなかったのも、こうして意見を聞く機会がなかったせいかもしれない。

 ちなみにタニラのカフェオレもやはり濃すぎたようで苦い苦いと罵られた。

 まあろくなことは言われないだろうと覚悟していたので、ヒナトも極力冷静に受け流すことにする。
 ……いつか見返してやるからいいのだ。
 べつにぜんっぜん怒ってないっ。

 そしてここへきてユウラからの感想がなかったのだが、彼は相変わらずよそ見もせずに仕事をしているので(そういえばユウラは女の子みたいな響きの名前だけれど男の子だ)、ちょっとかなり声をかけづらい。
 紅茶もかなり苦手分野だからぜひ意見を聞きたいところなのだが。

 そんなヒナトの葛藤に気づいたのか、サイネがぐいぐいとユウラをこづいた。

「ちょっとユウラ、そっちはどうなの」
「……それは作業の話か? それとも紅茶?」
「どっちも」
「ボックスKはもう済んだ。紅茶は渋い」

 それだけ? ……たったそれだけ、ですか?

「俺は淹れかたを知らないから助言はできない。ただ感想を述べるなら渋い。解決策はタニラに訊けばいい」
「ごめん、こいつこういう奴なんだ」
「あ、ううん、お気遣いどうもありがと……そしてユウラくんはごめん」
「……まずいとは言っていないが?」

 真顔で返すユウラの右肩に、あんたの言いかたはわかりにくいの、とサイネから鋭いツッコミチョップが入る。

 けっこう痛そうな音がしたのにそれでも平然としているユウラが怖い。
 思えば彼は、少なくともヒナトが来てからの二時間ほどずっと表情を変えていない。

 うん、まあ、まずくないのならいいか……?

「だいたいさっきだって喧嘩の仲裁もしようとしないし」
「俺が止めに入っても無駄だろう」
「それはつまり、よーするに面倒だったのね?」
「そうだな」

 ユウラはしれっと答えると紅茶を飲んだ。
 無表情でいられるのは怖いが、顔をしかめずにヒナトの淹れたお茶を飲んでくれたのは新鮮だった。

 もちろん、だからといって一班のふたりを非難するつもりも、そうする権利もヒナトにはないのだけど。
 それだけ気を許してくれているのだろうし……たぶん。

 でも、たまにはこういうことがあってもいいはずだ。

 すぐには結果が出ないかもしれないけれど、ヒナトは努力する意思をなくしていない。
 いつかきっと美味しいコーヒーや紅茶を淹れられるようになる。
 そう信じて前向きにやっていけばいいと、ヒナトはそう思う。

 そしていつか、ソーヤやワタリからありがとうをもらえるようになったら、きっと今日のことを思い出すのだろう。

「んーじゃ次はそこの棚の整理して」

 ……ヒナトが感慨に耽っている時間はないらしい。

 サイネに指示されてそちらを見れば、大小さまざまのファイルが縦横無尽に詰め込まれて今にも崩壊しそうな棚があった。
 あんなものどうやって整理しろというのか。

 助けを求めて周りを見回すが、誰もかれもコンピュータのほうを向いてしまっている。

 どうやら今度は助言をいただけなさそうなので、ひとりで頑張るしかない、ようです。


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