上 下
192 / 215
幸福の国 アンハナケウ

192 迫る毒牙

しおりを挟む
:::

 お客さんが来たようだね、と彼は言った。
 それも外国からの、と付け足して。

 どうしてわかるのかと尋ねると、彼は指先で一枚の羽根を弄びながら、これが玄関の前に落ちていたよ、と答えた。

「イキエスにはいない種類の鳥だ。誰かの遣獣だろうが、私の知るかぎり国内にこの種の鳥を扱う業者はいないからね」
「……もう、なんでもお見通しねえ……仰るとおり、今日来たわ、ララキのお友だち」
「そのようすだと、あれを渡したようだな」
「ええ。とっても驚いてたわよ」

 彼女は苦笑しながら旅人たちのことを語る。

 かわいらしい若いカップルであったこと。
 それからもちろん、彼らに聞いたララキの旅のようすと、その顛末も。

 娘同然に育ててきた少女が異国の神──少女自身にとってはそこが故郷になるが──と一体化してしまったくだりについては、さすがの彼も眼を丸くしていた。

 用意された食事に手をつけるのも忘れてしばし話に聞き入っていた彼は、やがて立ち上がって鞄から筆記用具を取り出すと、そこにあれこれと描き込み始める。
 学者としての性を刺激してしまったらしい。

 彼にはよくあることなので、今さら妻は動じない。

「……そういうわけで、私たちの娘は今、幸福の国で悪い神と戦っているそうよ」
「いや……きみ、どうしてそう平然としていられるんだい? 我が妻ながら驚嘆するよ、ある意味ララキの話以上に」
「あら、それはどっちの意味かしら」
「両方だとも」

 それを尋ねられるのは正直、心苦しくないと言えば嘘になってしまう。

 最愛の娘が去った。
 もう二度と会えないのだから、当然悲しい。

 でも、もちろんララキが幼いころからどれだけアフラムシカを愛していたか、彼のためにどれだけの努力をしたのか、どんな覚悟で旅に出たのかは知っている。
 そのララキが今はアフラムシカとともにアンハナケウにいる。
 彼女の夢はある意味叶ったのだ。

 それならば悲しんでなどいられない。
 血の繋がりはないけれど、母親として娘を祝福したいと思うのもまた確かな事実なのだ。

 そして、もうひとつ。

 これは自分自身のことだ。

 衝撃的でないわけがなく、事情を知らなかったであろう旅人たちの前では平静を装うのに少々苦労した。
 けれど、何も知らない彼らに余計な感情を抱かせてはいけないと、必死に堪えてあの袋を取りにいったのだ。

 苦笑いして、妻は答えた。
 ──そりゃあ悲しいわ。悲しいけど、それを顔には出さなくてもいいんじゃないかしら。

「そして、だからこそ私にできることがあるんじゃないかと思えるのよ。今はそれだけを考えたいの」
「……そうか。わかったよ、ならば私は極力きみを支えよう」
「ふふ、ありがとう、ジャルーサ」

 さあ、食事を続けましょう。

 敢えて気丈な声でそう言うと、夫も苦笑して食器を取った。

 いつもの手料理も、こんな日は思わず、これはララキの好物だったなんて考えてしまう。
 作っているときはそんなこと思いもしなかったというのに。

 幸福の国はどんなところだろう。
 ララキはちゃんと食事を取っているだろうか。
 いや、あの子にかぎって食いっぱぐれるということは絶対にありえないだろうけれども。

 思い出せるのは笑顔ばかりで、それが今は少し切ない。

 ララキは元気にやっているだろうか。
 周りの神は彼女にどう接しているのだろう。

 世界を牛耳っているというその神は……何を思っているのだろう。

「ところでメイリ、ひとつ訊いてもいいかな」
「なあに?」

 季節の果実を浮かべた水を飲み下して、夫が穏やかな顔をして言った。

「その旅人たちだが、少年のほうはハーシ人じゃなかったかい」
「……あら、そうよ。そのとおり。あなたって、そんなことまでわかっちゃうの?」
「いや、これは単なる個人的な希望だ。……そうか、はは、やっぱりなあ」

 彼は楽しそうにくすくす笑い、果実水のおかわりをグラスに注ぐ。

 ジャルーサ・ライレマは南部の男としてあるまじき下戸だ。
 もっとも、彼が他の男たちのように毎晩浴びるほど果実酒を飲んでいたら、今ごろ彼は教壇には立っていなかっただろう。

 妻はそれを眺めながら説明を乞う。空いた手でサラダを混ぜるのも忘れない。

「ララキが旅に出た日に、あの子と喧嘩をしていた少年だよ。確かきみにも話しただろう?」
「ああ、そういえば聞いた気がするわね」
「我々の娘には縁を引き寄せる力があると思わないか。いや、縁というよりは幸運かな。
 あの子の周りには昔から、誰かの幸運がある」
「……ああ、ふふ、そういうことね」

 メイリ・ライレマは微笑んで、まったく同感だわ、と答えた。



   : * : * :



 治療場の采配を終えたヴニェクは大急ぎでアフラムシカのところに戻った。
 とはいえあからさまに急ぐのは気恥ずかしいものがあったので、極力なんでもなさそうな顔をしたし、走らず速歩きではあったが。

 アフラムシカの周りにはたくさんの神が犇いている。

 彼が王になったからだ。
 何をするにもアフラムシカの許可を得ねばならないとみんなが思い込んでいるので、つねにひっぱりだこの状態なのだ。
 ヴニェクは溜息をついて数人を適当に引っぺがした。

 転がした何人かのうち女神だけがわかりやすく睨んでくる。
 どうやら腹に抱えているのは用事だけではないらしい。

 とはいえ武力に長けており気性も穏やかとは言いがたいヴニェクに真っ向から噛み付いてくる者はいない。
 小声で文句を垂れながら脇に退くのがせいぜいだ。

「アフラムシカ! この有象無象の相手をまともにする必要はないと思うぞ!」

 敢えて声を張ってそう告げると、アフラムシカが困ったような顔をする。

「無碍にするわけにはいかないだろう。このような非常時、誰もが不安を抱えている」
「そうは言っても、なんでもかんでもおまえ頼りではきりがない。話を聞くだけなら他の者でいいし、そのうえでおまえの判断が必要だということになれば、改めて話を通せばいいじゃないか。
 アフラムシカ、おまえは戦いの疲れがまだ取れていないんだろう? 顔色が悪いぞ」

 普段だったら、誰の話にも平等に耳を傾けるその姿勢を評価してやりたいところだが、今はアフラムシカも休息が必要なのだ。
 ヴニェクの言葉に彼が何の反論もしてこないのがその最たる証拠だろう。

 それどころかアフラムシカは深く息を吐いて、おまえの言うとおりかもしれないな、と答えた。

 集まっていた神々が顔を見合わせる。
 彼らとてアフラムシカをいたずらに苦しめたいわけではないのだ。

 結局ヴニェクは治療場にとって返してヤッティゴを連れてきた。
 彼ならカジンよりはまともに相手の話を聞けるだろうし、ヴニェクとしても信用はできる。

 彼にしばしアフラムシカの代理を任せたが、その場にアフラムシカが留まっていると誰かが話しかけてきそうなので、一旦彼を広場から連れ出すことにした。

 大穴の周囲は樹がめちゃくちゃになっていて実質一本道のため、誰かが追ってこないようにと反対側の森に入る。

 少し歩いて適当に少し開けたところを探し、手ごろな樹を自前の風で切れ味鮮やかに切り倒した。

 倒木を簡易的な椅子にしてアフラムシカを座らせる。
 幹の太さがちょうどいい具合だ。

「ここなら静かでいいだろう。しばらく休憩していてくれ。
 ……じゃあ、わたしは戻ってヤッティゴの手伝いを」
「いや、待ってくれ」
「ッ、と!?」

 立ち去ろうとしたヴニェクの手を、アフラムシカが掴んだ。

 その力が存外に強く、思わずヴニェクの脚が縺れ、そのまま均衡を崩して後ろに倒れそうになる。
 それをアフラムシカが座ったまま受け止めた。

 結果として、ヴニェクはアフラムシカの膝の上に座るような恰好になってしまった。

「──す、すまない! すぐ退く!」
「いや、……このままでいい」
「な、ななな、何を言って……ッ、手を離せ、おい!」

 ヴニェクは慌てた。
 男神とこれほど接近したのは生まれて初めてだったし、何よりその相手がアフラムシカなのだ。

 体勢のせいで驚くほど近くに彼の顔があり、たぶん今ヴニェクは顔を真っ赤にしてしまっているだろうが、もはや自分ではどうすることもできなかった。

 心臓がばくばく跳ね回るが、この音も聞こえてしまうほどに近い。
 近すぎる。
 なんなら吐息までかかりそうなほど。

 逃げようとするヴニェクを許さないのはアフラムシカの力強い腕だった。
 太くて逞しいそれが、華奢な腰をしっかりと掴んで離さない。

「……おまえにしか頼めないことがあると、言ったはずだ」

 アフラムシカが耳元でそう囁いて、ヴニェクは自分の喉から妙な声が出るのを聞いた。

 身体の芯が融けていくような、そんな奇妙な錯覚に陥る。

 もしかしたらこれが王の言葉だからだろうかとヴニェクは思った。
 神の王が、従者である己にここに留まれと命じている……。

 きっとそうだ、アフラムシカは王だから、彼の言うことには逆らえないのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

姫騎士様と二人旅、何も起きないはずもなく……

踊りまんぼう
ファンタジー
主人公であるセイは異世界転生者であるが、地味な生活を送っていた。 そんな中、昔パーティを組んだことのある仲間に誘われてとある依頼に参加したのだが……。 *表題の二人旅は第09話からです (カクヨム、小説家になろうでも公開中です)

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...