154 / 215
東の国 マヌルド
154 仮借なしの恋
しおりを挟む
:::
冷静になれたのは自宅に戻ってからである。
名残を惜しみつつもするべきことのために一旦ミルンとは別れ、クイネスの邸に戻ってきたスニエリタは、浮かれた頭のまま母に相談した。
ミルンを愛していること、彼と一緒になるためにヴァルハーレとの婚約を解消したいと考えていることを話したのだ。
できれば母から父に話を通してもらえないかと思ってのことだった。
娘の非現実的すぎる考えに対し、母は難色を示した。
温厚な母がこれほど険しい表情をしているのを、ずいぶん久しぶりに見たようだとスニエリタは驚いた。
もちろん冷静に考えれば母の態度も当然のものだ。彼女はスニエリタの母親である以前に、クイネス将軍の妻であり伯爵夫人なのだから。
「スニエリタ、あなたのお父さまは伯爵にしてマヌルド帝国将軍の地位にある方なのよ。どちらの肩書きにも重い責任がある。
あなたは直接それを受け継ぐことはないけれど、代わりに後継者として相応しい方を婿として迎えなければならないの。それをきちんと理解しなさい」
「……では、お母さま。クラリオさんはどちらにも相応しい男性だとおっしゃるの?」
「少なくともお父さまはそうお認めになっているから、あなたと婚約させたの。わたくしは口出しをしていないし、今後もするつもりはないわ。
でも、彼は術師としてはとても立派な実力者だそうだし、家柄も許容範囲にあるのは確かでしょう」
「わたしが言いたいのは人間性の話です。お母さまはご存知ないかもしれないけど、彼は……その、社交クラブのほうでは、大変に浮気な方として有名らしいんですよ」
「……スニエリタ。残念だけど、世の男性の大半は似たようなものですよ。
お父さまのように潔癖な男性のほうが稀で、何よりお父さまは大変にお忙しくて女遊びなどしている暇がないの。だからヴァルハーレも当家の跡継ぎになれば変わるのではないかしら」
こんこんと諭され、スニエリタの勢いはどんどん萎んでいった。
強い態度で反論してくる相手のほうがまだやりやすいとさえ思った。
それにしても、母ひとり説得できないで、どうして父の考えを変えることができるだろう。
なんと言われても心は揺らがない。
絶対にヴァルハーレとは結婚したくない。
ミルン以外の男性との未来なんて、何を引き換えにするとしても欲しくはない。
気持ちばかりが先行してしまって、求める未来を掴むための糸口が見つからなかった。
むろん頭の中で必死に整理してはいるのだ。
まずはヴァルハーレとの婚約解消をなんとしても敢行せねばならない、それはわかっているのだが、どうすればスニエリタの意思を押し通すことができるだろう。
通じるまで嫌だと喚き続けるのではあまりに幼稚すぎる。
泣きそうな顔で落ち込むスニエリタの肩を、母が優しく抱いた。
髪を撫でてくれる手つきも昔のままだ。彼女の腕の中ではスニエリタは簡単に幼いころに戻ってしまう気がする。
見上げると、もう母はいつもの穏やかな笑みに戻っていた。
「そんなにあのハーシ人の彼を気に入っているの?」
「……ミルンさんです。ミルン・スロヴィリークさん……ご実家はハーシの西にある水ハーシ族の里にあって、族長のご家系です。
家業はお兄さんが継がれていて、彼自身は三男なのでとくにお仕事も決まっていないけど、部族のために何かしたいっておっしゃってました」
「そう。……あのね、スニエリタ。
あなたの母として、クイネス将軍の妻としては応援はできないけれど、女としてはあなたの気持ちもとてもよくわかるわ。
わたくしは運が良かった。嫁いだ方がとてもいい方だったから。
でも、そうでない女が世に大勢いることは知っているし、とくにこの国では、女が自分で選べるものがとても少ない……今でこそ婚約者を自分で選ぶ子女も少なくないそうだけど、わたくしの時代には考えられなかった。
そうやってこれからも少しずつ変わっていくのかもしれないし、もしかしたら、あなたが最初に何かを変える女になるのかもしれないわね。それこそハーシ人と婚姻するような」
そうなりたいとスニエリタも思う。けれど、母はそこで首を振った。
「でも現実的にはありえないことだわ。マヌルドの平民やワクサレア人でも厳しいのに、ハーシ人……しかも内壁の上級貴族が正式にハーシ人を婿に取るだなんて、たとえわたくしやお父さまが認めても、皇帝陛下や他の貴族が許さないでしょう。
せめて形だけはヴァルハーレと結婚して、個人的にはミルンと関係を続ける……それくらいが関の山でしょうね」
「お母さま、それって、つまり、その、あ、愛人ということですか?」
「そうよ。まあ、そうなると今度はヴァルハーレが黙ってはいないでしょうけれどね、式でのようすを見たかぎりでは」
母との会話はそこで終わったが、スニエリタはそのあともずっとこのことを考え続けていた。
もともと式の翌日ということで習いごとなどの予定は一切入れていない。
父は日中出ているようだったので、紋唱術の訓練でもしながら作戦を練ろうと思っていたのだが、考えごとが多すぎてあまり身が入らなかった。
両親を説き伏せることばかり考えていたが、ここへきて婚約解消を切り出したらヴァルハーレも当然面白くはないだろう。
式で、ミルンの姿を見るなり激昂していた。喋っている内容からして記憶はないようだったが、さすがにスニエリタの態度から彼がどういう存在なのかはわかったのだろう。
意外にヴァルハーレは嫉妬深い性格をしているらしい。
自分のことは棚に上げて、とは記憶を失う前のロンショットも言っていた気がするが、スニエリタが他の男性に心を移していることが許せないらしいのだ。
たぶん、その結果として婚約を破棄されることを恐れている。
ヴァルハーレにとってはスニエリタとの結婚が、自らを子爵位から伯爵位に格上げすることのできるまたとない機会であり、同時に将軍職へ一気に近づくことができる。
クイネスの後継者だからといって必ずしもその地位を得られるわけではないが、そうでない者よりずっと可能性が高まるのは事実だ。
仮に、彼と結婚した上でミルンを愛人にするようなやりかたを選んでも、ヴァルハーレがそれを許さないかもしれない。
もちろんスニエリタとしてもそんな道を歩みたくはない。
結婚してしまったら嫌でもヴァルハーレの子どもを産まなくてはいけなくなるし、ミルンに対しても不誠実だ。誰も幸せになれない。
かくなる上はなんとかしてヴァルハーレに諦めてもらうしかないが、それにはどうすればいいのだろう。
スニエリタよりもっと条件のいい女性を見つけて紹介すればいいのだろうか。
つまり伯爵以上の階級の家の令嬢で、将軍職相当の父親を持つ、なおかつまだ婚約者のいない女性……そんな人が存在するはずがない。
スニエリタは深い溜息をついた。
誰を説得するための材料も、それを得るための手がかりも思いつかない。
絶望的な気分に呼応したように、発動させた術も久しぶりに見事な空振りを演じた。またしても紋唱術の制御ができない精神状態に陥っている。
──ララキさんに会いたい。
そんなことをふと思った。
いつも前向きで愛に一直線な彼女なら、今のスニエリタの状況を見てなんと言ってくれるだろう。
きっとあれこれ大きな声で励ましてくれたり、愚痴を聞いてくれたり、みんなを説得するのに協力してくれたりするんじゃないかな、と思う。
それより何より、ミルンと両想いになれたことを心から祝福してくれるだろう。
たぶんスニエリタが今もっとも欲しているのはそれだった。
誰でもいいから手放しに喜んでほしい。
長い道のりと紆余曲折を経て、西の果てから来た人とスニエリタが出逢って恋に落ち、そして気持ちだけは結ばれようとしているこの奇跡を、誰かに祝ってもらいたかった。
スニエリタがミルンを愛することを、誰かに認めてほしい。
人種だの国籍だの、地位だの家柄だの爵位だの、そんなものはどうだっていいのに、みんながそれを前提にしてしか話をしてくれないのが苦しい。
もちろんわかっている。それが正常で、スニエリタのほうがおかしいのだということは。
それでもミルンが好きで、この気持ちに蓋をして耳を塞いで生きていくことが、どうしても耐えられそうにない。
『……どうだ、旅に出る気にはなったか? このままでは埒があかんだろう?』
耳元で悪魔が囁く。
いや、それは神だ。どこにも所属する場所のない孤独な神。
誰からも受け入れられないという点では、ある意味では今のスニエリタやミルンとよく似ている。
スニエリタはまた溜息を吐きながら、答えた。なおさら旅になんて出られそうにないと。
「ミルンさんを婚約者として認めてもらう以前に、クラリオさんとの婚約を解消する。
そのためにクラリオさんに身を引いてもらう……最低限それだけは済ませないと、旅なんてとてもできません。出たところで一日も経たずに連れ戻されます」
『ふむ、では私がそいつを殺してやろうか。ちょうどそろそろ餌が欲しくてなぁ』
「いけません。あまり善い人とはいえないけれど、だからといって死んでいいとまでは思いませんから」
というか死んでいい人間なんていないだろう。誰だって死んだら悲しむ人がいる。
ヴァルハーレも、スニエリタにとっては嫌な男に成り下がってしまったけれど、彼を慕う女性も大勢いるのだ。
しかしタヌマン・クリャを利用するのはありかもしれない、とスニエリタは思った。
この神はクシエリスルに囚われていない。そのぶん行動に制限がない。
さすがに命を奪うような真似をしてもらっては困るが、どうにかして彼の力を説得に使えないだろうか。
ヴァルハーレとの婚約解消も、ミルンとの婚約も、どちらもあまりに無理難題なのだ。
もはや正攻法だけではどうにもならないのだから、神の力に頼るくらいはしてもいいのではないか。
どのみち旅に出てララキを探すことに協力しようとは思っているのだから、その前に何か得るものがあってもいいはずだ。
自分でもこのごろ胆が座ってきたように思う。やはりあの旅で少しは成長できたらしい。
スニエリタは虚空を睨みながら、できるだけ落ち着いた声で尋ねる。
「タヌマン・クリャ、あなたに協力する代わりに、わたしのお願いを聞いてもらうことはできますか?」
耳元で羽ばたきの音がして、背後から、大きな影がスニエリタを覆うように広がった。
『本体奪還以上に大切なこともないからねえ。そのために必要なことなら力は惜しまないよ』
「……必要かどうかはわかりませんが、では、お願いがあります」
スニエリタは自分の考えを伝えた。
ヴァルハーレに婚約を諦めさせる方法、そのために必要だと思うことを。
成功するかはわからないし、あまりにも危険と困難が伴う手段ではあったが、そもそもそのための場を用意することがスニエリタひとりの力では難しい。
この神にはそれを手伝ってもらいたいのだ。
あとは自分と、ミルン次第。
でもきっとどうにかなる。
成功することを強く想像して、そのとおりになるように生きる。
必要なことはもう教わった。
──そうですよね、ミルンさん、ララキさん。
物語は、ハッピーエンドで終わらなくてはいけないのだ。
→
冷静になれたのは自宅に戻ってからである。
名残を惜しみつつもするべきことのために一旦ミルンとは別れ、クイネスの邸に戻ってきたスニエリタは、浮かれた頭のまま母に相談した。
ミルンを愛していること、彼と一緒になるためにヴァルハーレとの婚約を解消したいと考えていることを話したのだ。
できれば母から父に話を通してもらえないかと思ってのことだった。
娘の非現実的すぎる考えに対し、母は難色を示した。
温厚な母がこれほど険しい表情をしているのを、ずいぶん久しぶりに見たようだとスニエリタは驚いた。
もちろん冷静に考えれば母の態度も当然のものだ。彼女はスニエリタの母親である以前に、クイネス将軍の妻であり伯爵夫人なのだから。
「スニエリタ、あなたのお父さまは伯爵にしてマヌルド帝国将軍の地位にある方なのよ。どちらの肩書きにも重い責任がある。
あなたは直接それを受け継ぐことはないけれど、代わりに後継者として相応しい方を婿として迎えなければならないの。それをきちんと理解しなさい」
「……では、お母さま。クラリオさんはどちらにも相応しい男性だとおっしゃるの?」
「少なくともお父さまはそうお認めになっているから、あなたと婚約させたの。わたくしは口出しをしていないし、今後もするつもりはないわ。
でも、彼は術師としてはとても立派な実力者だそうだし、家柄も許容範囲にあるのは確かでしょう」
「わたしが言いたいのは人間性の話です。お母さまはご存知ないかもしれないけど、彼は……その、社交クラブのほうでは、大変に浮気な方として有名らしいんですよ」
「……スニエリタ。残念だけど、世の男性の大半は似たようなものですよ。
お父さまのように潔癖な男性のほうが稀で、何よりお父さまは大変にお忙しくて女遊びなどしている暇がないの。だからヴァルハーレも当家の跡継ぎになれば変わるのではないかしら」
こんこんと諭され、スニエリタの勢いはどんどん萎んでいった。
強い態度で反論してくる相手のほうがまだやりやすいとさえ思った。
それにしても、母ひとり説得できないで、どうして父の考えを変えることができるだろう。
なんと言われても心は揺らがない。
絶対にヴァルハーレとは結婚したくない。
ミルン以外の男性との未来なんて、何を引き換えにするとしても欲しくはない。
気持ちばかりが先行してしまって、求める未来を掴むための糸口が見つからなかった。
むろん頭の中で必死に整理してはいるのだ。
まずはヴァルハーレとの婚約解消をなんとしても敢行せねばならない、それはわかっているのだが、どうすればスニエリタの意思を押し通すことができるだろう。
通じるまで嫌だと喚き続けるのではあまりに幼稚すぎる。
泣きそうな顔で落ち込むスニエリタの肩を、母が優しく抱いた。
髪を撫でてくれる手つきも昔のままだ。彼女の腕の中ではスニエリタは簡単に幼いころに戻ってしまう気がする。
見上げると、もう母はいつもの穏やかな笑みに戻っていた。
「そんなにあのハーシ人の彼を気に入っているの?」
「……ミルンさんです。ミルン・スロヴィリークさん……ご実家はハーシの西にある水ハーシ族の里にあって、族長のご家系です。
家業はお兄さんが継がれていて、彼自身は三男なのでとくにお仕事も決まっていないけど、部族のために何かしたいっておっしゃってました」
「そう。……あのね、スニエリタ。
あなたの母として、クイネス将軍の妻としては応援はできないけれど、女としてはあなたの気持ちもとてもよくわかるわ。
わたくしは運が良かった。嫁いだ方がとてもいい方だったから。
でも、そうでない女が世に大勢いることは知っているし、とくにこの国では、女が自分で選べるものがとても少ない……今でこそ婚約者を自分で選ぶ子女も少なくないそうだけど、わたくしの時代には考えられなかった。
そうやってこれからも少しずつ変わっていくのかもしれないし、もしかしたら、あなたが最初に何かを変える女になるのかもしれないわね。それこそハーシ人と婚姻するような」
そうなりたいとスニエリタも思う。けれど、母はそこで首を振った。
「でも現実的にはありえないことだわ。マヌルドの平民やワクサレア人でも厳しいのに、ハーシ人……しかも内壁の上級貴族が正式にハーシ人を婿に取るだなんて、たとえわたくしやお父さまが認めても、皇帝陛下や他の貴族が許さないでしょう。
せめて形だけはヴァルハーレと結婚して、個人的にはミルンと関係を続ける……それくらいが関の山でしょうね」
「お母さま、それって、つまり、その、あ、愛人ということですか?」
「そうよ。まあ、そうなると今度はヴァルハーレが黙ってはいないでしょうけれどね、式でのようすを見たかぎりでは」
母との会話はそこで終わったが、スニエリタはそのあともずっとこのことを考え続けていた。
もともと式の翌日ということで習いごとなどの予定は一切入れていない。
父は日中出ているようだったので、紋唱術の訓練でもしながら作戦を練ろうと思っていたのだが、考えごとが多すぎてあまり身が入らなかった。
両親を説き伏せることばかり考えていたが、ここへきて婚約解消を切り出したらヴァルハーレも当然面白くはないだろう。
式で、ミルンの姿を見るなり激昂していた。喋っている内容からして記憶はないようだったが、さすがにスニエリタの態度から彼がどういう存在なのかはわかったのだろう。
意外にヴァルハーレは嫉妬深い性格をしているらしい。
自分のことは棚に上げて、とは記憶を失う前のロンショットも言っていた気がするが、スニエリタが他の男性に心を移していることが許せないらしいのだ。
たぶん、その結果として婚約を破棄されることを恐れている。
ヴァルハーレにとってはスニエリタとの結婚が、自らを子爵位から伯爵位に格上げすることのできるまたとない機会であり、同時に将軍職へ一気に近づくことができる。
クイネスの後継者だからといって必ずしもその地位を得られるわけではないが、そうでない者よりずっと可能性が高まるのは事実だ。
仮に、彼と結婚した上でミルンを愛人にするようなやりかたを選んでも、ヴァルハーレがそれを許さないかもしれない。
もちろんスニエリタとしてもそんな道を歩みたくはない。
結婚してしまったら嫌でもヴァルハーレの子どもを産まなくてはいけなくなるし、ミルンに対しても不誠実だ。誰も幸せになれない。
かくなる上はなんとかしてヴァルハーレに諦めてもらうしかないが、それにはどうすればいいのだろう。
スニエリタよりもっと条件のいい女性を見つけて紹介すればいいのだろうか。
つまり伯爵以上の階級の家の令嬢で、将軍職相当の父親を持つ、なおかつまだ婚約者のいない女性……そんな人が存在するはずがない。
スニエリタは深い溜息をついた。
誰を説得するための材料も、それを得るための手がかりも思いつかない。
絶望的な気分に呼応したように、発動させた術も久しぶりに見事な空振りを演じた。またしても紋唱術の制御ができない精神状態に陥っている。
──ララキさんに会いたい。
そんなことをふと思った。
いつも前向きで愛に一直線な彼女なら、今のスニエリタの状況を見てなんと言ってくれるだろう。
きっとあれこれ大きな声で励ましてくれたり、愚痴を聞いてくれたり、みんなを説得するのに協力してくれたりするんじゃないかな、と思う。
それより何より、ミルンと両想いになれたことを心から祝福してくれるだろう。
たぶんスニエリタが今もっとも欲しているのはそれだった。
誰でもいいから手放しに喜んでほしい。
長い道のりと紆余曲折を経て、西の果てから来た人とスニエリタが出逢って恋に落ち、そして気持ちだけは結ばれようとしているこの奇跡を、誰かに祝ってもらいたかった。
スニエリタがミルンを愛することを、誰かに認めてほしい。
人種だの国籍だの、地位だの家柄だの爵位だの、そんなものはどうだっていいのに、みんながそれを前提にしてしか話をしてくれないのが苦しい。
もちろんわかっている。それが正常で、スニエリタのほうがおかしいのだということは。
それでもミルンが好きで、この気持ちに蓋をして耳を塞いで生きていくことが、どうしても耐えられそうにない。
『……どうだ、旅に出る気にはなったか? このままでは埒があかんだろう?』
耳元で悪魔が囁く。
いや、それは神だ。どこにも所属する場所のない孤独な神。
誰からも受け入れられないという点では、ある意味では今のスニエリタやミルンとよく似ている。
スニエリタはまた溜息を吐きながら、答えた。なおさら旅になんて出られそうにないと。
「ミルンさんを婚約者として認めてもらう以前に、クラリオさんとの婚約を解消する。
そのためにクラリオさんに身を引いてもらう……最低限それだけは済ませないと、旅なんてとてもできません。出たところで一日も経たずに連れ戻されます」
『ふむ、では私がそいつを殺してやろうか。ちょうどそろそろ餌が欲しくてなぁ』
「いけません。あまり善い人とはいえないけれど、だからといって死んでいいとまでは思いませんから」
というか死んでいい人間なんていないだろう。誰だって死んだら悲しむ人がいる。
ヴァルハーレも、スニエリタにとっては嫌な男に成り下がってしまったけれど、彼を慕う女性も大勢いるのだ。
しかしタヌマン・クリャを利用するのはありかもしれない、とスニエリタは思った。
この神はクシエリスルに囚われていない。そのぶん行動に制限がない。
さすがに命を奪うような真似をしてもらっては困るが、どうにかして彼の力を説得に使えないだろうか。
ヴァルハーレとの婚約解消も、ミルンとの婚約も、どちらもあまりに無理難題なのだ。
もはや正攻法だけではどうにもならないのだから、神の力に頼るくらいはしてもいいのではないか。
どのみち旅に出てララキを探すことに協力しようとは思っているのだから、その前に何か得るものがあってもいいはずだ。
自分でもこのごろ胆が座ってきたように思う。やはりあの旅で少しは成長できたらしい。
スニエリタは虚空を睨みながら、できるだけ落ち着いた声で尋ねる。
「タヌマン・クリャ、あなたに協力する代わりに、わたしのお願いを聞いてもらうことはできますか?」
耳元で羽ばたきの音がして、背後から、大きな影がスニエリタを覆うように広がった。
『本体奪還以上に大切なこともないからねえ。そのために必要なことなら力は惜しまないよ』
「……必要かどうかはわかりませんが、では、お願いがあります」
スニエリタは自分の考えを伝えた。
ヴァルハーレに婚約を諦めさせる方法、そのために必要だと思うことを。
成功するかはわからないし、あまりにも危険と困難が伴う手段ではあったが、そもそもそのための場を用意することがスニエリタひとりの力では難しい。
この神にはそれを手伝ってもらいたいのだ。
あとは自分と、ミルン次第。
でもきっとどうにかなる。
成功することを強く想像して、そのとおりになるように生きる。
必要なことはもう教わった。
──そうですよね、ミルンさん、ララキさん。
物語は、ハッピーエンドで終わらなくてはいけないのだ。
→
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
姫騎士様と二人旅、何も起きないはずもなく……
踊りまんぼう
ファンタジー
主人公であるセイは異世界転生者であるが、地味な生活を送っていた。 そんな中、昔パーティを組んだことのある仲間に誘われてとある依頼に参加したのだが……。 *表題の二人旅は第09話からです
(カクヨム、小説家になろうでも公開中です)
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる