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西の国 ヴレンデール

092 路は繋がれる

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 もちろん水路全体を新しいものと交換するのが最善の処置だが、その間も噴水が使えるように予備の水路でも造ってしまおう。

 地の紋唱を使って水路の隣に同じ幅と深さの穴を作り、フィリエリに町中から要らない金属類を集めてきてもらって、鋼の紋唱でそれを成型して水路の形に整える。
 鋼の紋唱自体は材料がなくてもできなくはないが、何もないところにこうした大掛かりなものを造って、しかもそのまま維持させることはさすがにできない。

 そんなことをしていると当然、話を聞きつけたララキたちがやってくる。

 ララキは黒ネコのことを覚えていたようで、あのときはどうもー、と軽い挨拶を交わしていた。ほんとうに軽い。

『どう? 進捗は』
「あとは弁を造って、両端を繋げれば完成だ。こんだけやったんだから礼とは別に賃金も欲しいところだな」
『あら、これ奉仕活動ボランティアよ。もともと無賃労働』
「マジかよ……ジーニャはこんなとこで何やってんだ?」
『それは本人に聞いてみれば?』

 フィリエリがついと顎で差すほうに、見覚えのある長髪の男が立っている。

 相変わらず髪を下ろしたままにしているロディルは、どうやらミルンがフィリエリを手伝っていたことを知らなかったようで、驚いた顔をしてこちらに歩いてきた。
 心なしか少しばかり疲れているようにも見える。さすがに長旅の疲れが出てきたか、あるいは遣獣たちも借り出すくらいだからほんとうにボランティアとやらが忙しいのか。

 いろいろと辻褄が合っていない。
 彼がしている旅は強くなるためのものであって、人助けとか宗教的な修行を目的としたものではない。
 正当な報酬を貰う労働ならまだしもなぜ無償で奉仕しているのだろう。

 もしかしてもともとのお人好しすぎる性格のせいかとも思ったが、それならフィリエリあたりが窘めているはず。
 この黒ネコも遣獣としての歴がそこそこ長くて、なおかつ思ったことをすっぱりと告げる性格をしているため、なんというかミルンにとってのミーのような立場にあるのだ。

「ミルシュコ、来てたのか。しかもなんだいこれ、随分大きいのを造ってるけど……水路?」
「噴水を直せって言われたけど、元の水路がもうぼろぼろなんだよ。とりあえずこれは予備で造ったけど、こういうのはボランティアなんぞじゃなくて、ちゃんとした業者に頼んだほうがいいぜ」
「そうか、まあ何にせよご苦労さま」
「これ貸しだからな? で、なんでこんなところで慈善事業してんだよ。そんな暇ねえだろ」

 なぜか兄は答えにくそうに眼を泳がせた。その後ろでララキがスニエリタにひそひそとロディルの説明をしているのが見えたが、そっちのことは放っておいて兄に詰め寄る。
 よくわからないが兄が余計な遠回りをしているようなら止めさせなくてはならない。
 彼が故郷に帰る日が一日でも遅くなってはいけない。

 何か後ろめたいことがあるのかと訊けば、そうではないけど、と口ごもる。

 次兄はあまり嘘が得意なほうではない。
 かといって兄の性格からすると、正直に白状するまでかなり時間がかかるのを知っているミルンは、ここはこちらからずばり当ててしまおうと頭を働かせた。言い当てられれば降参するはずだ。
 小さいときからいちばん一緒に遊んだ兄なので、取っ組み合いの喧嘩はもちろん口論にも慣れている。

 なんとなれば今まで喧嘩はたいがいミルンが勝ってきた。紋唱比べにならなければ勝機は充分にある。

「そういえばさっきフィリエリが、珍しい薬草がどうのとか言ってたような……」
「……フィリエリ」
『あら、言ったけど何かまずかった?』
「その顔は関係あるな? あ、あと顔色も悪いよな。さてはどっかでなんか病気でも拾ったか?」

 言いながら、それだとミルンもちょっと困るな、と思った。
 だがそれ以上にロディルの顔が青くなったことにぞっとした。もしかしてもう当ててしまったのか。

 ああ、当たっていたにしてもどうか大した病気ではありませんように。
 一応祈る相手は主神であるカーシャ・カーイである。ハーシ人の守護神なんだろう、水ハーシのこともちゃんと護ってくれよ。

 祈りながら恐る恐る尋ねる。

「おい、ジーニャ、まさかほんとうに病気……」
「……いや。僕じゃない」
「えっ……」
「僕だったらよかったんだけど、残念ながら僕はとっても健康だよ。今はちょっと疲れてるけどね」
「どういうことだ?」

 ミルンは首を傾げる。
 ロディルは病気ではない。もちろん故郷にも何か難病を抱えているような人はいないはずだ。

「……おまえには関係のないことだ。これは僕の問題だからね、ミルシュコは気にしなくていい」

 ロディルは首を振りながらそう言った。
 何がなんだかさっぱりわからないが、突き放されたような気分になったミルンはロディルの肩を掴んだ。

 だが、そのあといくら問い詰めても、ロディルは何も答えなかった。
 埒が明かないとフィリエリを掴まえようとしたら、黒ネコはさっさと紋章に消えてしまった。

 しかも兄は、とにかく今は忙しいから、という言い訳じみた文句とともにまたどこかへ去っていく。あのようすだと今日はこの町に留まるようなので、ミルンも一旦は手を離した。

 だが納得はいかない。結局何ひとつわからないままなのだ。
 そりゃあ兄の行動のすべてをミルンが見張っていられるわけでもない、彼には彼の考えと意思があるわけだが、こんな突き放されかたってあるか。
 関係ないの一言で済ませられてたまるか。

 はっきり言って腹が立っていたし、それが顔にも出ていたのだろう。
 ミルン顔が怖いよ、スニエリタが怯えてるよ、とララキが茶化すふうに声をかけてきた。心配したいならもっとそれらしく言ってほしい。

「とりあえずほら、もう夕方だし、ちょっと早いけど晩御飯にしようよ。美味しい食堂のことも聞いてきたからさ、食べながら考えよう?」
「……そうだな」

 確かに日が傾き始めていた。スニエリタが心配そうにこちらを伺っているのもわかったので、大きく息を吐いてからララキの指差した店に向かって歩き始めた。

 地元民に人気というその店で、とりあえずおすすめと言われたものを注文する。

 料理が届くまでの間に、ロディルたちに言われたことをかいつまんでララキたちにも説明した。
 言う必要があったかどうかはわからないが、なんか聞きたそうにしていたし、ミルンとしても言葉に出すことで頭の中を整理したかった。

 この町が珍しい薬草の産地らしいこと。
 ロディルはどうやらそれを手に入れるために、なぜか無賃労働に勤しんでいるようなのだが、薬草を必要としている人間はロディルではないらしいこと。

「一応聞いたけど否定されたし、遣獣が病気ってわけでもなさそうだったが……でもあいつひとり旅だし……」

 言いながら、手帳を取り出す。

 なんだかんだで兄に尋ね忘れていたことがまだあった。ミルンがまだ彼の足跡を追っていたころ、兄の目撃情報とともに拾ってきたいくつかの紋唱が、そこにすべて描き写してある。

 そうなのだ。それらの紋唱も、多くは実戦になど到底使えないような複雑すぎる模様であったり、または対応する招言詩がわからないものばかり。
 紋唱術師として強くなるために必要かと言われると謎だ。
 勉強にはなるだろうが、どちらかというと学問的というか研究的な要素が強くて、少なくとも直接的に戦うための力にできるものではない。

 今改めて眺めてみても、その紋唱たちが示していることが何かわからない。
 どれも神跡関係のものだから、てっきり神の紋唱でも得ようとしているのかと思っていたが、それはフィナナですでに否定されている。

「あの……さきほどララキさんから、ロディルさんが帝国学院の出だと伺ったのですけど……」
「ああ、そうだよ。三年間留学してたんだ」
「ではその、わたし、……その病気の方を、知っているかもしれません」

 スニエリタから思わぬ言葉を聞いて、ミルンの手から手帳が落ちた。

 だってそうだろう。彼女が知っているということは、その人物はマヌルド人ということになる。
 もしロディルにマヌルド人の知り合いがいて、その人のために彼が奔走しているというのなら、ミルンの持っていた前提が丸ごと崩れ落ちることになるのだ。

 兄はマヌルドでひどい扱いを受けたのではなかったのか?
 そこで絶望して旅に出たのではないのか?

「どういうこと?」
「わたしは所属したクラスが違うので、詳しいことはわからないんですが……ハーシからの留学生はふたりいらっしゃったんです。そのうちのおひとりが、途中で退学されたんですが、それが確か病気になってしまったからだと……」
「……そんなことって……ちなみにその中途退学したやつの部族なんて、……わかんねえよな」
「はい……とりあえず、女の人だとしか」

 そこでスニエリタは俯いて、ただでさえ小さめな声をもっと小さくして言った。

「……ひどいいじめに遭っていたそうですが……」

 ミルンとララキは顔を見合わせた。それは正直予想ができることだったし、スニエリタが気にすることではない。
 ララキは頷いて、スニエリタの肩をぽんぽんと叩きながら、大丈夫だよとかなんとか励ますようなことを言っていた。
 それを横目にミルンは考える。

 どこの部族かは知らないが、ハーシ人女性が同時期にマヌルド帝国立学術院に留学していた。

 まあ出身部族なんていうものは、本人が言うか民族衣装を着るかしないかぎり、ハーシ人同士でもわからないときがあるのでそれはいい。
 とにかく言えるのは彼女とロディルは同じように学院の中で"異物"として存在していたわけだ。

 ただでさえ肩身の狭い外国で、しかも同じ国の出身者がいるとなれば自然と親しくなるだろう。
 故郷の話をしたり、マヌルド人から受けた悪意への苦しみをわかちあったりしているうちに、その関係がより深いものへと変わっていったのは容易に想像できる。
 そして相手が女性なら、もしかしなくても男女の仲に発展したのかもしれない。

 なるほどそれで、心身を病んだ彼女のために薬を探しているというわけか。

 もしかすると強くならなければいけないというのも建前なのだろうか。それにしてはフィナナのときは真剣そのものの顔をしていたが。

 ああでも、……身体は薬で治せても、心はそうもいかないのか。

「ちなみにさ、いじめってどんな感じなの? いやこんなこと聞くのも変だけど、あたしそういうの見たことないからいまいち想像つかなくてさ……」
「ええと……わたしが見たことがあるのは、机や椅子を用意されていなかったりとか……教科書を破られたり、私物を汚したり、後ろからいきなり水の紋唱を当てるなんてこともあったみたいです……」
「うわぁ陰湿だ……え、でもなんでそんなことするの? それやってる人って楽しいのかな」
「さあ……ただ、厳しい学校でしたから、その、憂さ晴らしみたいな感じではないかと。
 でも机がないのは、どう考えても学校側の人間がやったんですよね……」

 教師か、あるいは大きな学校であれば教室の整備をする人間が専門で雇われていることもあるので、そういう立場の人間までぐるになっていたということか。

 でもってスニエリタの耳に届いた情報がそれなら実際はもっとひどかったのだろう。
 類は友を呼ぶというくらいだし、たぶん学生時代にスニエリタの周りにいた生徒たちは、少なくとも積極的にいじめに参加するタイプではない。
 ただ行われている惨事を傍観したり笑っていたのは事実だし、スニエリタ自身はそういう話題を楽しむ性格をしていないから、刺激の少ない範囲で教えてやっていたわけだ。

 完全にミルンの偏見で言わせてもらうと、かつては好戦的で知られたマヌルド人のことなので、殴る蹴るといった暴行もあったのではないかと思う。
 いや、女子ならもっと陰湿さを極める方向でくるかもしれない。

 なんにしても、それらの行為がひとりのハーシ女性を蹂躙したのは間違いない。

 ロディルが異様に頑なな理由もわかったような気がする。彼はその女性のために旅をしていて、彼女の名誉のためにその理由を伏せているのだろう。
 きっとどんな目に遭ったのかを本人から聞いているし、自分も同じ経験をしているから、それを弟には言いたくないのだ。
 結局のところ、すべては自分のためではなく誰かのため。そういうところはロディルらしい。

 なんとなくスニエリタを見た。運ばれてきた料理を、鳥がつつくみたいにちょっとずつ食べている。

 もし彼女が何かの危機に陥ったら、ミルンは同じように全身全霊で彼女を救おうとできるだろうか。
 自分の人生も故郷のことまでもなげうって戦えるだろうか。

 考えてもわからなかった。そういうものは、そのときになってみないとわからない。
 ただ、それぐらいの覚悟がなければいけないのだろう、とだけ思った。

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