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西の国 ヴレンデール

079 女の子の問題

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 翌日、ララキはスニエリタに代役を申し出た。もしかしなくてもスニエリタは渋るのではないか、とミルンは危惧していたのだが、彼女は思ったよりもあっさりと了承した。

 昨夜話し合ったとおり、スニエリタは急に体調を崩してしまったことにして、念のため外出も控えることにした。もし関係者と外でばったり会ったら嘘がばれてしまう。
 そして昨日、ひとりで残されるのは嫌だと言っていたことが気にかかったミルンは一緒に部屋に残ろうかと思った。

 のだが。

「あの、……ほんとうに体調が悪くなってしまって……ミルンさんにご迷惑をおかけするかもしれないので、その、今日はできたら一日じゅう、どこかにお出かけしていてほしいんです……」

 と、青い顔をして言われたので、ミルンは激しく混乱した。

 体調が悪い、というのは顔色からしてもほんとうのことだろう。恐らくあの露出の多い衣装で身体を冷やしたせいだ。
 もしくは昨日ララキが飲ませたお茶が傷んでいたのか、と一瞬疑ったが、あれは美味しかったし一緒に飲んだララキとミルンには異常はない。

 しかし具合が良くないのに部屋にいるなとはどういうことだろう。何かあっては困るし、そんな顔をされるとむしろ一日付きっきりでいてやりたいぐらいなのに。

 ミルンは悩み、考え、そしてララキを手招きした。

 さっそく昨日の反省が活きていた。聞きづらいのでララキに任せることにしたのである。
 よくよく考えたら女の子の体調不良に対応できるミルンではなかった。妹が風邪をひいたときに看病してやったくらいの経験しかないし、ぶっちゃけそっちもロディルがいるときは兄に任せていた。

 果たして女子たちは衝立の向こうでひそひそ話をしていたかと思うと、ララキがひょっこり顔を出して言った。

「ミルンには無理なやつだから大人しく出かけてて」
「……、わかりました」

 思わず敬語で対応してしまった。よくわからないが、ララキに聞いてもらったのは正解だったようだ。

「あ、ついでに何か買ってきてもらう? 要るものある?」
「ええと……洗濯用の洗剤と、できたら布を何枚かいただけると……お薬はまだあるので大丈夫です」
「そっか。大変だねえ」
「わたしはララキさんにびっくりしました……あ、すいません、失礼なことを」
「いいよいいよ」

 というわけで、ミルンはスニエリタの所望するものを買って一度戻ってきたあと、それを彼女に渡してふたたび外に出なければならなかった。

 といってもどこにも何の用事もなく、行く場所もない。
 図書館にはもう行ったし、地下クラブはまたあれこれ言われそうだし、今度は怪我をしても休む時間がない。明日にはもうシレベニを発つつもりでいる。

 こうなったら斡旋所に行って飛び込みでできる仕事を探すか、とミルンはふらふら歩き出した。

 スニエリタのことも心配だが、本人から退室してくれと言われてしまったし。
 それに昨日ララキにあることないこと喚かれたので、スニエリタの顔を見ていたら余計なことを考えてしまいそうだし、やはり密室にふたりきりは避けた方がいいだろう。いろんな意味で。

 もしかして部屋にいるなと言われたのも、弱ったところを狙われるのではないかという危惧から出た言葉なのではないか、という考えがよぎる。
 二日間も不特定多数の男からの視線を浴びておっさんに腕を掴まれたりしていたのだ、さすがに男性一般に対する警戒心が高まっていてもおかしくはない。

 警戒すること自体は悪いことではない、むしろ必要だが、でも俺もあのおっさんと同じカテゴリで考えられたんだろうか、とか思ってしまったので、ミルンはちょっとかなり凹んだ。


 しかし実際はミルンの考えはまったくの杞憂であった。
 スニエリタが直面していたのは女子特有の問題であって、それゆえ彼には相談できなかったし、対処している姿さえ見られたくなかっただけなのである。

 スニエリタはミルンが出かけていったのを確認してから、鞄に隠していたものを取り出した。それを、買ってきてもらった洗剤を使いながら、風呂桶を使ってきれいに洗い、できるだけよく絞る。
 洗濯ばさみと紐も買ってもらえばよかったとそのとき初めて気づき、おろおろしながら一生懸命考えて、とりあえず衝立の角にかけて干した。

 それから注意して風の紋唱を行う。ほんとうなら訓練場以外で攻撃系の紋唱を行うのはよろしくないのだが、幸か不幸か、スニエリタには部屋に何らかの被害を与えるほどの威力は出したくても出せない。

 そうやって何度も風を当てて、一刻も早くそれを乾かすのだ。べつに乾かしてすぐ使いたいわけではないが、少なくともミルンが帰ってくるまでに回収できなくては困る。
 彼にだけは見られるわけにはいかない、とスニエリタは半泣きになりながら、ときどき向きを変えたりひっくり返したりしながら紋唱を行い続けた。

 ちなみにスニエリタが洗ったのは、彼女の下着だ。ちなみに穿くほう。

 スニエリタも思春期を過ぎた女の子であったので、当然ながら月に一度、否が応にも血を流す。
 身体が細いこともあってたいてい初日はひどい腹痛に悩まされるため、いつも薬を服用している。
 唯一彼女に恵まれた点があったとすれば、使っていた下着が超がつくような高級品であったので、圧倒的な吸収力を持つ高度な紋章が縫いこまれていて、知らずに寝ていても寝台や寝巻きを汚す心配はしなくてよかったことだろうか。

 昨日から腰が痛かったのはそのせいだったのか、とスニエリタは溜息をついた。てっきりあの靴のせいだと思っていた。
 だが、朝目覚めると同時に腹部がおぞましい鈍痛に襲われて、そのときすべてを理解した。

 とにかくすぐに薬を飲んだはいいが、効きはじめるまで時間がかかってしまったのできっと朝はひどい顔をしていただろう。
 ララキもミルンも心配そうな顔をしていた。とくに事情を話せなかったミルンには、ろくに説明もせずに部屋を叩き出してしまったのだ、なんとかあとで謝りたい。

 それにララキが代役を申し出てくれたのもほんとうにありがたかった。今日の体調であの服装と立ち仕事なんて絶対に無理だ、倒れてしまう。

 なんとか下着が乾いたのを確認して、それを荷物にしまいなおすと、スニエリタは寝台に転がった。
 腹痛は薬である程度抑えられるが、腰痛はそうもいかない。それに少し寒気がする。
 布団にもぐりこんで身体を温めながら、とにかく症状のどれかひとつでも緩和することを願って眼を閉じる。

 しかし荷物の中にいつも飲んでいた薬が入っていてよかった。この荷物を実家から持ち出してきたのはきっとタヌマン・クリャとかいう外神だが、どうしてこれを忘れないでいてくれたのだろう。

 家を出てからひと月以上が経っている。もしかすると、外神もスニエリタの身体で月経を体験したのかもしれない。
 神さまでも辛かったのかしら、それでお薬を入れておいたのかも、などと会ったこともない(もとい、会ったのだろうが覚えていない)外神に思いを馳せたりした。

 外神といえば。

 朝方、ララキとした会話を思い出す。
 最低限ララキには話さないといけないけれど、正直それもかなり抵抗のあったスニエリタだが、やむをえず月経のことを伝えたところ、ララキは驚いていた。
 そして彼女の返事によってスニエリタのほうがもっと驚くことになったのだ。

 ──生理ってやつだよね、ほんとにあるんだ。

 ちょっと何を言っているのかわからなかった。ララキの年齢は知らないが、見たところ十代半ば、やや後半よりといったところだろう。よほど遅くても初潮を迎えているはずだ。
 だが、彼女はけろりとして、あたしそれ来ないんだよね、と言った。

 そんなことがあるんだろうか。いや、もしかしたら稀にでもあって、誰もそれを口外しないだけなのだろうか。

 スニエリタは貴族の子女として、そういう話を気軽に人と話したりはしていけない、という風潮の中で育っている。
 なんとなくあの子は顔色が悪いからそうなのかも、と察することはあっても、実際それを当人に確かめるなんてとんでもないし、自分が今どうだと人に話すこともありえなかった。だから、自分の経験の範囲内にないことはわからない。

 でも性教育で習ったところによると、月経がなければ将来子どもを産めないわけで。
 スニエリタのように症状が重めの女の子からすると、毎月つらい思いをしなくて済むのは羨ましいものの、それと引き換えにするには重すぎる。

 ララキがなんでもないような顔をしていたのが気になる。
 しっかりしているように見えて、たまに信じられないほど当たり前のことを知らないことがある人なので、もしかしたら知らないのかもしれない。
 だとしたら教えてあげたほうがいいのか、それとも無遠慮に踏み込まずにおくべきか。

 ──でも、ララキさんが好きなのは、シッカさんだから……もしふたりが結ばれたとして、人と神との間に子どもってできるものなのかしら……?

 おとぎ話にはそういうものもあった気がするが、たいてい人とそうでないものの婚姻は長続きしない。
 ただ、そういう場合相手の異形はその正体を隠していることが多く、正体を知ってしまったから別れる、という筋書きが多い。初めから相手が神であると知っているララキには当てはまらない。

 しばらくあれこれ考えてみたものの、スニエリタがいくら考えても仕方がない、という結論に達した。
 これはララキの問題であってスニエリタが口出しするべきではない。

 でも、きっと彼女のことだから、何があっても明るく笑っている気がする。

 その後、お昼だけは外に出て持ち帰りのできるものを買ってきたが、あとはずっと部屋でじっとしていた。
 窓がないので時間の経過がわかりにくいが、腹痛が治まったころララキが帰ってきた。ずいぶん早いようだったので尋ねたところ、「ぜんぶ売れちゃったからもう帰っていいって言われた」とのことだ。

 眩暈がした。商品在庫はたくさんあって、スニエリタは二日間でその半分も捌けなかったのだが……。

「いやープンタンが意外と商売上手でね。あ、そだ、これお土産ね」
「ほんとうにありがとうございました、……あの、今日は困るお客さん、来ませんでした?」
「来た来た。たぶん昨日スニエリタに絡んできたっていうおじさんっぽい人もいたけど、あたしの顔見てきょとんとしてたよ。でもみんなそんなに鬱陶しい感じじゃなかったし、まあプンタンもいたしね」

 それでも大変だったろうと思ったが、ララキはちっとも気にしたふうではない。スニエリタと違って適当にあしらうこともできるのだろう。

「それよりスニエリタはどう? 顔色は朝よりだいぶよくなったけど」
「はい、おかげさまで、一段落という感じです……腰痛はまだありますけど……量が多いのは二、三日なので、もうしばらくご迷惑をおかけするかもしれません、ごめんなさい」
「……ちょっと待って、ご迷惑は構わないけど何日そうなるの?」
「その……決まってはいませんが、短くて一週間くらいでしょうか……」
「え、長いな……ほんとに世の女の子は毎月そんなことになってるの? あたし、今までそういう話ママさんにしか聞いたことないし、ママさんもいつ来てるかわかんない感じだったから、一日二日のことなのかと思ってた……」

 症状の程度は個人差もあるかもしれないが、さすがに二日で終わるなんてことはないだろう。

 しかし今の発言はわかっていても面食らうものがある。ほんとうに彼女には一度たりとも月経の経験がないのだ。
 もしかしてものすごく遅いだけなのかもしれないが、それにしてもこの知識のなさはまずい。
 ママさんという人はそのあたりをもう少しちゃんと教えてあげなかったのだろうか。

「なんかびっくりすることばっかりだな……あたし、自分で経験がないからあんまり役に立たないかもしれないけど、できるだけ協力するから、なにかあったら言ってね」
「ありがとうございます、でもその……わたしより、ララキさんのほうが、その……ってことは、つまり……」
「あ、うん。……たぶん結界に入れられてた関係かな、と思ってるんだけど。この羽毛もそうだろうし」
「羽毛?」
「そっかスニエリタは覚えてないか。あたしのこれ、髪飾りとかじゃなくて生えてるんだ」

 ほら、と言ってララキが自分のポニーテールを摘んで見せた。たしかにその毛先から鳥の飾り羽のようなものが数本覗いている。
 引っ張ってみて、というので恐る恐る引いてみると、確かに頭と繋がっている。これもそう、とララキは頭頂部の白い羽毛も指差した。

 スニエリタは困惑した。思った以上にララキが人間離れしていたからである。

 ララキの過去については一度ざっと聞かされているが、改めてものすごい相手と一緒にいるんだなと思った。
 世界中探してもララキと同じ経験をした人間は他にいないだろうし、人生において彼女と出逢う確率、さらに一緒に旅をすることになる確率はどれほどの数字だろう。何千万人という人が暮らしているこの大陸で。

 もっともスニエリタは身体を外神の操り人形として使われていたので、誰かの意思や意図が絡んでいたという意味では偶然だけで出逢ったわけはないが。ミルンのほうが奇跡的だろう。

 何がすごいって、そんな経験をしていながら、ララキが極めて明るく親切な性格をしていることだ。
 スニエリタだったら絶対にどこかで心が折れる。結界から助け出されても、外の世界に誰も知っている人がいない、家族が誰一人として生き残っていない状況で生きていけるとは思えない。きっとすぐに死んでしまう。

 ……家族、という単語を久しぶりに頭に思い浮かべた気がする。
 ここ最近はなんとかしてララキとミルンについていこうと必死で、ほとんど実家のことは考えなかったし、極力考えないようにもしていた。

 家に、あまりいい思い出はない。
 死にたいとさえ思い、実行にまで至ったのだから、ある意味当然だ。
 ララキたちはいつかスニエリタを帰らせるつもりでいるけれども、もし帰ったら誰に何と言われるのかと思うとそれだけで泣きそうになる。

 こんなに長い間、連絡もせずに家を空けて、しかも親からすれば見知らぬ外国の人間と寝食を共にしていた、しかもその中には異性も含むとなれば、絶対に許してはもらえない。
 家に入れてもらえないかもしれないし、勘当されることもありうるだろう。

 だが、それはいい。当然の罰だと思うから、何と罵られても仕方がない。

 でも、……母の顔が見たい。帰るのは怖いけれど、こんな不出来な娘にも優しかった母には会いたい。

 それに、どんなに怖くて厳しくても、それでも父のことを嫌いになったわけではない。父にだって会いたい気持ちはある。
 そして、できるなら聞きたかった。スニエリタがいなくなってどう思ったのか。

 ──家の名誉より、ご自分の面子よりも、ほんの少しでもわたしの気持ちを考えてくださいましたか。

 あの父に限ってそんなことはないと思いながら、心の奥底でわずかに期待してしまった。
 そもそもそのために一度は自殺という道を選んだのだ。
 自分が死んだら父がどんな顔をするのか、見てみたかったから。

 せめてあのとき遺書を置いてこればよかったのだけれど、タヌマン・クリャはなぜかそれも荷物に入れていたので、今もスニエリタの手元にある。

 改めて書いてみようか、と思った。今度は遺書ではなくただの手紙を。

『スニエリタは一度死にました。そして親切な方がたの力添えによって生まれ変わりました。今は家に帰るための旅をしていますので、どうか探さないで待っていてください』

 ……そんな、手紙を。

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