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西の国 ヴレンデール
075 ウサギは檻の中
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この大陸だけでこんなにいろんな動物がいるんだな、というのがよくわかる。
ララキとスニエリタは紋唱術師センターの近くにある遣獣業者の店舗を覗いていた。
そんな立地だけに、店先には国家公認の印が飾ってあったりするし、店内も明るくて雰囲気がいい。いかにもちゃんとした人間が経営している健全な店という感じがした。
入り口近くは小動物が多く、ワンワンキャンキャンと賑やかな鳴声に満ちている。
小型のイヌやネコにウサギ、タヌキやキツネといった獣から、オウムなどの南方の鳥類、カエルなどの両生類、トカゲやヘビなどの爬虫類、果ては魚までさまざまだ。
思ったより店内は広く、檻同士の間隔もきちんととってあって、しかも間に仕切りが立てられている。動物の側からは人間しか眼に入らないような造りだ。
檻の前にそれぞれの説明書きもついている。
どこで捕獲されたのか、何という種類の獣でどんな属性を持っているのか、あとは契約難易度を星の数で表したものなど。見たかぎりだいたいみんな二ツ星から三ツ星だ。
ふたりが入店するとドアについていた鈴が鳴り、奥から店員らしい人が出てくる。
「いらっしゃいませ。どのような獣をお求めですか?」
「あ、ごめんなさい、今日は見るだけのつもりなんだけど……」
「もちろん大丈夫ですよ。檻に近づきすぎないようにしてご覧くださいね」
正直に買う意思がないことをすぐ伝えたが、店員の態度は変わらず穏やかなものだった。
念のため帰れと言われる心の準備をしていたので拍子抜けだったが、これはこれでありがたいので、じっくりあれこれ見ていくことにする。意外と見るだけの客も多いんだろうか。
獣たちも自分の立場がわかっているようで、ララキたちが檻の前に立つと値踏みするような瞳を向けてくる。
中には一目見てすぐに顔を逸らしてしまったものもいた。もう契約の紋唱をするまでもなく拒否されているということなので、ちょっとララキも落ち込みそうだ。
もうちょっと見つめ合う時間があってもいいじゃないの。
カエルのメスもいたのでプンタンのお嫁さんにどうかしらと思ったが、カエルはなぜかララキを見て小首を傾げた。
何に対する疑問なのか訊けないのが悲しい。契約するまでは言葉が話せないからだ。
果たして、ララキを見てこりゃダメだなと思ったのか、ララキと契約したプンタンの気配を感じて不可解に思ったのか、どっちなんだ。
とりあえず見られるものをひととおり見たところで、ふと気づいて言う。
「なんか、小さいのばっかりだね」
「大型のものはお店の奥にいるんだと思います。扱いが難しいので、得意客にしか見せないお店も多いみたいですよ」
「そうなんだ。スニエリタも詳しいね、前に来たことある?」
「はい、何度か……お父さまが遣獣くらい持てと仰って、その……父からすれば、表に出しているような小さな子では不満なので、奥の大きなものとも会わせられました。もちろん、契約は断られましたけど……」
「あー、なるほど……そりゃいきなり大きいのは無理だよねえ」
身体の大小で力の大きさまで決まるものではないが、やはり体格のいい遣獣のほうが好ましいという考えが一般的だし、わからなくもない。ミルンを見ているだけでも、彼のミーやアルヌのなんと便利なことか。
今は呼べないスニエリタのジャルギーヤやニンナだって、戦闘においては強いし、日常生活でも役に立つ。
もちろんプンタンだって助けになってはくれるし、小回りが利くなどの美点もある。
だが、少なくとも小さい遣獣に力仕事を任せるのは難しいし、どうしても耐久力とか持久力みたいなものには欠ける。
結論からいうと、いろんな体格の遣獣をバランスよく持っているのがいちばんいい。
小動物の檻を眺めながら、ちょっと聞いてみた。──お父さんの考えは抜きにして、スニエリタとしてはどんな子と契約したいと思ってたの?
「そうですね……膝に乗るくらいの大きさで、かわいらしい子が好きです。このお店なら、ちょうどこのウサギさんが理想ですね」
スニエリタはウサギの檻の前まで行って、それを示した。
檻の奥で居心地悪そうに丸まっている毛玉から、物音にでも気づいたのだろう、そっと顔が上げられて、真っ赤な眼がこちらを見る。
冬でもないのに真っ白な毛色をしているが、そういう種類なのだろうか。
ウサギと眼が合ったのを感じながら、内心で、スニエリタそっくりだな、と思った。
白くて、泣き腫らしたみたいな眼で、ふるふると所在なさげに震えている小さな獣は、出逢ったときの彼女をそのまま獣にしたみたいだった。
「確かにかわいいね、ふわふわしてて触り心地良さそう。
でも三ツ星かー、意外と厳しいな。しかもけっこうなお値段する……あれ、この子、捕獲場所のとこ『シレベニ郊外』ってなってるよ」
「あら、この近くってことですね」
「……探しにいっちゃう?」
「いえ……まだ、無理だと思います。ウサギなんて足が速いもの、とても掴まえられないし……」
「もー、弱気はダメだよ。……でもそうね、とりあえず練習しに行こうか」
スニエリタを激励したかったが、よく考えたら遣獣との契約に関してはララキも自信がないほうだったことを思い出したので、とりあえず店を出ることにした。
とにかく今は練習あるのみ。紋唱術が上手くなって、どんな獣でも見つけたらすぐに掴まえられるようになっておけば、契約だって簡単になる。
まずは己を磨くことが重要だ。
と、自分にも言い聞かせながら訓練場へ戻った。
そのまま日が暮れるまで練習をして、宿に戻る。
ミルンは帰ってきていなかった。今さら別の宿が見つかったでもないだろうに、一体どこで何をしているのだろう。
片方の寝台の上に書き置きがしてあり、遅くなるかもしれないから鍵をかけて先に寝ていろ、みたいなことが書いてあった。
確かに鍵のひとつはミルンが持っているから施錠しても問題はないが、寝るまでに帰ってこられないかもしれない用事ってなんだよ、とララキは思った。前にもこの街に来たことがあったような素振りはなかったのに。
事実、ララキたちが食事を済ませ、お風呂に入っても、まだ帰ってくる気配はない。
「ミルンさん、どうしたんでしょう?」
「うーん。なんとなく予想はつくけど……まあ、とりあえずあたしたちは寝よう。どのみち行き先とか知らないから探しようがないし、きっとそのうち帰ってくるからさ」
「そうですね……。あ、あの、今日も一緒に寝てもかまいませんか?」
スニエリタはどうしてもミルンのために寝台をひとつ空けておきたいらしい。優しいなあと思いながら、ララキも二つ返事で了承した。
幸い寝台はふたりでくっついていれば落っこちない程度の広さはあるし、毎日ちゃんとお風呂に入っていい匂いの石鹸を使えるから、密着して寝るのもそれほど苦ではない。
結局そのまま寝てしまったので、ミルンがいつ帰ってきたのかはわからなかった。
ただ、朝起きたらちゃんと隣の寝台に寝転がっている彼がいた。
帰ってきてそのまま寝たという感じだ。食事や風呂はどうしたのだろうか。
問い詰めたほうがいいのか、と寝起きの頭でぼんやり考えていると、スニエリタも眼を醒ました。
彼女もまずミルンがいるかどうかを確かめて、よかった、と呟いていた。
とりあえずミルンをほっぽって顔を洗い、身支度を整えたり荷物を整頓していると、ようやくミルンも起きてきた。
「あっ……おはようございます……」
「はよ。……ふたりとも早いな」
「ミルンが遅いんだよ。あ、ところでお風呂使う? それなら洗面所空けるけど」
「そうだな、一応使わせてもらうわ。おまえらは先に飯行っててくれ」
鍵はあるからそのまま仕事に行ってもいいし、などとまだ寝惚け気味の声で言うミルンの肩あたりを、ララキはおもむろに軽く叩いた。
念のためもう一度言うが、軽く、である。
効果音で言えば、ぽん、とか、とす、くらいの感じでだ。
だが、ミルンは明らかに「いって!」と苦痛の声を上げた。そしてララキを振り返って睨んできた。
ララキも睨み返しつつ、怪我してるでしょ、と言う。ほぼ勘だけでやったのだが大当たりだったようだ。
「さてはまた怪しいとこに行って荒稼ぎしてきたな……?」
「ど、どういうことですか……!? と、とにかくミルンさんは怪我を見せてください。わたし、あの、その、信じていただけないかもしれませんが、回復紋唱は失敗したことないんです……!」
「……やっぱこうなんのかよ……」
ララキとスニエリタによって身包み剥がされながらミルンが供述したところによると、シレベニにもフィナナと同じように貧民街があり、そちらに似たような主旨の闘技クラブがあるらしい。
こんな整備された街のどこに貧民街があるのか不思議だったが、岩を積んで造るという特殊な構造のため、貧民街は内部にはほとんどなく、街の外の裏側のほうにずっと広がっているらしい。
ちなみに、最初にここへ来たときに見た、街の前に流れる川に架けられた橋を渡って入ってくるところが街の表玄関にあたるため、裏側というのはその反対側の地区のことである。
ミルンは貧民街に行って情報を集め、クラブの場所を突き止めて飛び込み参加してきたようだ。
当然勝ったけどな、とほんのり自慢げにほざいているが、そのわりに負傷が激しい。
というか手当ての仕方が雑だった。
背中側の傷は回復の紋唱が自分では行いにくいし、かといってそういった場所への立ち入りを禁じているミーは呼べないから、薬や包帯での手当ても自分でやったのだろう。
ララキは溜息をつき、スニエリタは涙目で紋唱する。
さてはこれを見せまいとして先に行かせようとしたんだな、この人。
「わたし、知りませんでした……世の中にはそんな施設もあるんですね……」
「違法だよ。ふつうは知らなくていいんだよ。まあ、ミルンにとっちゃ半分くらい趣味みたいなもんかもしれないけどさ、せめてちゃんとあたしたちに言ってよね」
「趣味じゃねえけど……まあ腕試しにはなるからな」
「あと次からあたしたちも連れて行って。どっかで勝手に倒れてたら困るから」
「……そりゃダメだよ」
なぜかそこでミルンはぷいとそっぽを向いた。何がダメなんだ。
「それよりおまえら、もう朝飯食いに行ったほうがいいぜ。とくにスニエリタは集合時間早いんだろ」
「あ、そうでした……でもミルンさん、手当てがまだ」
「いや、もう充分だ。
それより、スニエリタ、ほんとうに無理しなくていいからな。あと念のために偽名を使っておいたほうがいい。どうも一部の業者は国外から参加してるらしい」
「わかりました。ありがとうございます」
ほんっとうに過保護だなあ。
ともかくララキとスニエリタは先に宿の隣にある喫茶店に行った。宿と提携していて宿泊客は割引になるのだ。
そこで朝食を摂りながら、ララキはちょっとだけフィナナのクラブの話をスニエリタにした。
操られていたころのスニエリタとそこで再会し、ミルンが盛大に負けたこと。
その後、一週間ほどの練習期間を経て再戦し、今度はミルンが勝ったこと。
ミルンに負けるまでスニエリタはそこで無敗を誇っていたらしいこと。
もちろんスニエリタは驚愕していた。信じられません、と聞いている間だけで三回くらい言った気がする。
「ほ、ほんとうにそれ、わたしなんですか……?」
「うん。あのジャルギーヤってワシがいたでしょ、あの子の背中に乗って自由自在に飛び回っててね、しかもそのまま両手で紋唱やって。
めちゃくちゃ強かったよ、あのときのスニエリタ。ミルンが再戦するとか言い出したときは絶対無理だと思ったもん」
「信じられないです……わたしが強かったこともそうですけど、ミルンさんが負けるところが、想像つかないです……」
「けっこう無様な負けっぷりだったよ。こう、びゅるるー! って吹っ飛ばされて、ぶわー! って吹き上げられてからの、すぺーん! って叩き落されてね……あ、それやったのぜんぶスニエリタね。他の人も同じようにされて手も足も出ないって感じだった」
「ええ……そうなんですか……すごいですね、当然ですけど、その、中身は神だったわけですし……」
そうなんだよなあ、とララキも思う。
あのときスニエリタを動かしていたのはタヌマン・クリャだったわけだ。
外神は、あんな非合法の賭博試合クラブで、何のために戦っていたのだろう。まさかお金を稼ぐためというわけではあるまいに。
ララキたちを監視するためと言っても試合に参加する必要はないだろうに、しかもララキやミルンがクラブに寄りつかなかった間も、そこでスニエリタの不敗記録が詰み上がっていた。何がしたかったんだかさっぱりわからない。
まあ、あそこで一度こてんぱんに負かしたことでミルンの関心を確実なものにしたという意味では、初戦に関してはわからなくもない。
再戦も、その後ララキたちに同行する目論見があったのならわかる。
でもその間だ。なぜその間、必要もないのにスニエリタの身体で戦い続けていたのか。
ハーネルの獣のように他の術師の力を吸い上げるためか、とも思ったが、そうでもなさそうだ。スニエリタに対して術が効いていないなんて場面は当然なかったし、そんな事態が起きていたら確実に騒ぎになっている。
そもそも、ミルンや他の人との試合のようすだと、ほとんど相手の攻撃を受けないような立ち回りをしていた。
スニエリタは唖然としっぱなしのままなんとか朝食を終えて、そのままイベントの主催者のところへ向かっていった。
さて、ララキも行かなくては。ちなみに今日のお仕事は路上の清掃です。
→
この大陸だけでこんなにいろんな動物がいるんだな、というのがよくわかる。
ララキとスニエリタは紋唱術師センターの近くにある遣獣業者の店舗を覗いていた。
そんな立地だけに、店先には国家公認の印が飾ってあったりするし、店内も明るくて雰囲気がいい。いかにもちゃんとした人間が経営している健全な店という感じがした。
入り口近くは小動物が多く、ワンワンキャンキャンと賑やかな鳴声に満ちている。
小型のイヌやネコにウサギ、タヌキやキツネといった獣から、オウムなどの南方の鳥類、カエルなどの両生類、トカゲやヘビなどの爬虫類、果ては魚までさまざまだ。
思ったより店内は広く、檻同士の間隔もきちんととってあって、しかも間に仕切りが立てられている。動物の側からは人間しか眼に入らないような造りだ。
檻の前にそれぞれの説明書きもついている。
どこで捕獲されたのか、何という種類の獣でどんな属性を持っているのか、あとは契約難易度を星の数で表したものなど。見たかぎりだいたいみんな二ツ星から三ツ星だ。
ふたりが入店するとドアについていた鈴が鳴り、奥から店員らしい人が出てくる。
「いらっしゃいませ。どのような獣をお求めですか?」
「あ、ごめんなさい、今日は見るだけのつもりなんだけど……」
「もちろん大丈夫ですよ。檻に近づきすぎないようにしてご覧くださいね」
正直に買う意思がないことをすぐ伝えたが、店員の態度は変わらず穏やかなものだった。
念のため帰れと言われる心の準備をしていたので拍子抜けだったが、これはこれでありがたいので、じっくりあれこれ見ていくことにする。意外と見るだけの客も多いんだろうか。
獣たちも自分の立場がわかっているようで、ララキたちが檻の前に立つと値踏みするような瞳を向けてくる。
中には一目見てすぐに顔を逸らしてしまったものもいた。もう契約の紋唱をするまでもなく拒否されているということなので、ちょっとララキも落ち込みそうだ。
もうちょっと見つめ合う時間があってもいいじゃないの。
カエルのメスもいたのでプンタンのお嫁さんにどうかしらと思ったが、カエルはなぜかララキを見て小首を傾げた。
何に対する疑問なのか訊けないのが悲しい。契約するまでは言葉が話せないからだ。
果たして、ララキを見てこりゃダメだなと思ったのか、ララキと契約したプンタンの気配を感じて不可解に思ったのか、どっちなんだ。
とりあえず見られるものをひととおり見たところで、ふと気づいて言う。
「なんか、小さいのばっかりだね」
「大型のものはお店の奥にいるんだと思います。扱いが難しいので、得意客にしか見せないお店も多いみたいですよ」
「そうなんだ。スニエリタも詳しいね、前に来たことある?」
「はい、何度か……お父さまが遣獣くらい持てと仰って、その……父からすれば、表に出しているような小さな子では不満なので、奥の大きなものとも会わせられました。もちろん、契約は断られましたけど……」
「あー、なるほど……そりゃいきなり大きいのは無理だよねえ」
身体の大小で力の大きさまで決まるものではないが、やはり体格のいい遣獣のほうが好ましいという考えが一般的だし、わからなくもない。ミルンを見ているだけでも、彼のミーやアルヌのなんと便利なことか。
今は呼べないスニエリタのジャルギーヤやニンナだって、戦闘においては強いし、日常生活でも役に立つ。
もちろんプンタンだって助けになってはくれるし、小回りが利くなどの美点もある。
だが、少なくとも小さい遣獣に力仕事を任せるのは難しいし、どうしても耐久力とか持久力みたいなものには欠ける。
結論からいうと、いろんな体格の遣獣をバランスよく持っているのがいちばんいい。
小動物の檻を眺めながら、ちょっと聞いてみた。──お父さんの考えは抜きにして、スニエリタとしてはどんな子と契約したいと思ってたの?
「そうですね……膝に乗るくらいの大きさで、かわいらしい子が好きです。このお店なら、ちょうどこのウサギさんが理想ですね」
スニエリタはウサギの檻の前まで行って、それを示した。
檻の奥で居心地悪そうに丸まっている毛玉から、物音にでも気づいたのだろう、そっと顔が上げられて、真っ赤な眼がこちらを見る。
冬でもないのに真っ白な毛色をしているが、そういう種類なのだろうか。
ウサギと眼が合ったのを感じながら、内心で、スニエリタそっくりだな、と思った。
白くて、泣き腫らしたみたいな眼で、ふるふると所在なさげに震えている小さな獣は、出逢ったときの彼女をそのまま獣にしたみたいだった。
「確かにかわいいね、ふわふわしてて触り心地良さそう。
でも三ツ星かー、意外と厳しいな。しかもけっこうなお値段する……あれ、この子、捕獲場所のとこ『シレベニ郊外』ってなってるよ」
「あら、この近くってことですね」
「……探しにいっちゃう?」
「いえ……まだ、無理だと思います。ウサギなんて足が速いもの、とても掴まえられないし……」
「もー、弱気はダメだよ。……でもそうね、とりあえず練習しに行こうか」
スニエリタを激励したかったが、よく考えたら遣獣との契約に関してはララキも自信がないほうだったことを思い出したので、とりあえず店を出ることにした。
とにかく今は練習あるのみ。紋唱術が上手くなって、どんな獣でも見つけたらすぐに掴まえられるようになっておけば、契約だって簡単になる。
まずは己を磨くことが重要だ。
と、自分にも言い聞かせながら訓練場へ戻った。
そのまま日が暮れるまで練習をして、宿に戻る。
ミルンは帰ってきていなかった。今さら別の宿が見つかったでもないだろうに、一体どこで何をしているのだろう。
片方の寝台の上に書き置きがしてあり、遅くなるかもしれないから鍵をかけて先に寝ていろ、みたいなことが書いてあった。
確かに鍵のひとつはミルンが持っているから施錠しても問題はないが、寝るまでに帰ってこられないかもしれない用事ってなんだよ、とララキは思った。前にもこの街に来たことがあったような素振りはなかったのに。
事実、ララキたちが食事を済ませ、お風呂に入っても、まだ帰ってくる気配はない。
「ミルンさん、どうしたんでしょう?」
「うーん。なんとなく予想はつくけど……まあ、とりあえずあたしたちは寝よう。どのみち行き先とか知らないから探しようがないし、きっとそのうち帰ってくるからさ」
「そうですね……。あ、あの、今日も一緒に寝てもかまいませんか?」
スニエリタはどうしてもミルンのために寝台をひとつ空けておきたいらしい。優しいなあと思いながら、ララキも二つ返事で了承した。
幸い寝台はふたりでくっついていれば落っこちない程度の広さはあるし、毎日ちゃんとお風呂に入っていい匂いの石鹸を使えるから、密着して寝るのもそれほど苦ではない。
結局そのまま寝てしまったので、ミルンがいつ帰ってきたのかはわからなかった。
ただ、朝起きたらちゃんと隣の寝台に寝転がっている彼がいた。
帰ってきてそのまま寝たという感じだ。食事や風呂はどうしたのだろうか。
問い詰めたほうがいいのか、と寝起きの頭でぼんやり考えていると、スニエリタも眼を醒ました。
彼女もまずミルンがいるかどうかを確かめて、よかった、と呟いていた。
とりあえずミルンをほっぽって顔を洗い、身支度を整えたり荷物を整頓していると、ようやくミルンも起きてきた。
「あっ……おはようございます……」
「はよ。……ふたりとも早いな」
「ミルンが遅いんだよ。あ、ところでお風呂使う? それなら洗面所空けるけど」
「そうだな、一応使わせてもらうわ。おまえらは先に飯行っててくれ」
鍵はあるからそのまま仕事に行ってもいいし、などとまだ寝惚け気味の声で言うミルンの肩あたりを、ララキはおもむろに軽く叩いた。
念のためもう一度言うが、軽く、である。
効果音で言えば、ぽん、とか、とす、くらいの感じでだ。
だが、ミルンは明らかに「いって!」と苦痛の声を上げた。そしてララキを振り返って睨んできた。
ララキも睨み返しつつ、怪我してるでしょ、と言う。ほぼ勘だけでやったのだが大当たりだったようだ。
「さてはまた怪しいとこに行って荒稼ぎしてきたな……?」
「ど、どういうことですか……!? と、とにかくミルンさんは怪我を見せてください。わたし、あの、その、信じていただけないかもしれませんが、回復紋唱は失敗したことないんです……!」
「……やっぱこうなんのかよ……」
ララキとスニエリタによって身包み剥がされながらミルンが供述したところによると、シレベニにもフィナナと同じように貧民街があり、そちらに似たような主旨の闘技クラブがあるらしい。
こんな整備された街のどこに貧民街があるのか不思議だったが、岩を積んで造るという特殊な構造のため、貧民街は内部にはほとんどなく、街の外の裏側のほうにずっと広がっているらしい。
ちなみに、最初にここへ来たときに見た、街の前に流れる川に架けられた橋を渡って入ってくるところが街の表玄関にあたるため、裏側というのはその反対側の地区のことである。
ミルンは貧民街に行って情報を集め、クラブの場所を突き止めて飛び込み参加してきたようだ。
当然勝ったけどな、とほんのり自慢げにほざいているが、そのわりに負傷が激しい。
というか手当ての仕方が雑だった。
背中側の傷は回復の紋唱が自分では行いにくいし、かといってそういった場所への立ち入りを禁じているミーは呼べないから、薬や包帯での手当ても自分でやったのだろう。
ララキは溜息をつき、スニエリタは涙目で紋唱する。
さてはこれを見せまいとして先に行かせようとしたんだな、この人。
「わたし、知りませんでした……世の中にはそんな施設もあるんですね……」
「違法だよ。ふつうは知らなくていいんだよ。まあ、ミルンにとっちゃ半分くらい趣味みたいなもんかもしれないけどさ、せめてちゃんとあたしたちに言ってよね」
「趣味じゃねえけど……まあ腕試しにはなるからな」
「あと次からあたしたちも連れて行って。どっかで勝手に倒れてたら困るから」
「……そりゃダメだよ」
なぜかそこでミルンはぷいとそっぽを向いた。何がダメなんだ。
「それよりおまえら、もう朝飯食いに行ったほうがいいぜ。とくにスニエリタは集合時間早いんだろ」
「あ、そうでした……でもミルンさん、手当てがまだ」
「いや、もう充分だ。
それより、スニエリタ、ほんとうに無理しなくていいからな。あと念のために偽名を使っておいたほうがいい。どうも一部の業者は国外から参加してるらしい」
「わかりました。ありがとうございます」
ほんっとうに過保護だなあ。
ともかくララキとスニエリタは先に宿の隣にある喫茶店に行った。宿と提携していて宿泊客は割引になるのだ。
そこで朝食を摂りながら、ララキはちょっとだけフィナナのクラブの話をスニエリタにした。
操られていたころのスニエリタとそこで再会し、ミルンが盛大に負けたこと。
その後、一週間ほどの練習期間を経て再戦し、今度はミルンが勝ったこと。
ミルンに負けるまでスニエリタはそこで無敗を誇っていたらしいこと。
もちろんスニエリタは驚愕していた。信じられません、と聞いている間だけで三回くらい言った気がする。
「ほ、ほんとうにそれ、わたしなんですか……?」
「うん。あのジャルギーヤってワシがいたでしょ、あの子の背中に乗って自由自在に飛び回っててね、しかもそのまま両手で紋唱やって。
めちゃくちゃ強かったよ、あのときのスニエリタ。ミルンが再戦するとか言い出したときは絶対無理だと思ったもん」
「信じられないです……わたしが強かったこともそうですけど、ミルンさんが負けるところが、想像つかないです……」
「けっこう無様な負けっぷりだったよ。こう、びゅるるー! って吹っ飛ばされて、ぶわー! って吹き上げられてからの、すぺーん! って叩き落されてね……あ、それやったのぜんぶスニエリタね。他の人も同じようにされて手も足も出ないって感じだった」
「ええ……そうなんですか……すごいですね、当然ですけど、その、中身は神だったわけですし……」
そうなんだよなあ、とララキも思う。
あのときスニエリタを動かしていたのはタヌマン・クリャだったわけだ。
外神は、あんな非合法の賭博試合クラブで、何のために戦っていたのだろう。まさかお金を稼ぐためというわけではあるまいに。
ララキたちを監視するためと言っても試合に参加する必要はないだろうに、しかもララキやミルンがクラブに寄りつかなかった間も、そこでスニエリタの不敗記録が詰み上がっていた。何がしたかったんだかさっぱりわからない。
まあ、あそこで一度こてんぱんに負かしたことでミルンの関心を確実なものにしたという意味では、初戦に関してはわからなくもない。
再戦も、その後ララキたちに同行する目論見があったのならわかる。
でもその間だ。なぜその間、必要もないのにスニエリタの身体で戦い続けていたのか。
ハーネルの獣のように他の術師の力を吸い上げるためか、とも思ったが、そうでもなさそうだ。スニエリタに対して術が効いていないなんて場面は当然なかったし、そんな事態が起きていたら確実に騒ぎになっている。
そもそも、ミルンや他の人との試合のようすだと、ほとんど相手の攻撃を受けないような立ち回りをしていた。
スニエリタは唖然としっぱなしのままなんとか朝食を終えて、そのままイベントの主催者のところへ向かっていった。
さて、ララキも行かなくては。ちなみに今日のお仕事は路上の清掃です。
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