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中央の国 ワクサレア

021 雪辱のヤンザール・クラブ①

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 あっという間に日々が過ぎ、もうルーディーニ・ワクサルスの前日になっていた。

 何の気なしに中央通を歩いていると簡単に人にぶつかるほど、フィナナ市の人口は急激に増えている。そんなわけで朝からもう何回ごめんなさいと言ったかわからない。

 今日は訓練場も使えないので、ララキの主な仕事といえば資材の買い出しだった。
 あの携帯用の乾燥草粥の不味さをどうにかしてほしいとミルンに言われ、とりあえず今は日持ちする食材を探して市場をうろついている。

 首都の市場はとにかく広い。青果市だけで見渡せるほどあるのに、さらに魚、肉、穀物、スパイス、食器や布製品などなど、扱われる商品ごとに区画が設けられているらしい。
 ララキが行きたいのは乾物屋の集まる区なのだがいったいどこにあるのやら。

 適当にそのへんの店の人に尋ね、お礼がわりに果物を一袋買わされた。せっかくなので一個つまむ。

「うーん、いまいち甘くない。もうちょっと置いたほうがいいな」

 南国育ちのララキは果物にはうるさい。さすがに大陸中央部のワクサレアになると気候もかなり涼しくなるので、南のイキエスより果物の種類も少ないようだ。
 それでも口をつけてしまったものを袋に戻す気にはならず、齧りながら言われたとおりに歩いていく。

 角を曲がる。
 並んでいる店の商品台には、いろんな種類の麦や米が山積みになっている。麦だけで十数種類、米も五、六種類はありそうだ。他にも名前すらわからないような雑穀や木の実、ナッツ類が並ぶ。どこかから香ばしい匂いもただよってきて、スパイス市場の区画もそう遠くないらしい。
 ナッツやスパイスを入れるのもありかなあとか考えながら、ようやく目的地にたどり着いた。

 乾物区域はもっと多様だった。
 ある店は日干しの魚を主に扱っているが、別の店は野菜や薬草、また別の店ではドライフルーツ、またある店では干し肉が主となっている。他にもキノコや海草などなんでもありだ。
 ワクサレアは内陸国で海には面していないので、海産物は周辺の沿岸国から輸入したものだろう。

 とりあえず干し肉屋に行き、味の濃そうなものを探す。あの食感はどうしようもないのでせめて味のある具を足そうと思ったのだ。
 どれがよいか店主に尋ね、ちょっぴり味見もさせてもらう。

「これはいいよ。湯に入れても食感が悪くならないからスープに使える」
「じゃ、それにする。日持ちはどれくらい?」
「常温でもひと月は平気だよ。じゃあ一袋で千ハンズね」
「もうちょっとおねがい」
「うーん、じゃあ九百五十……」
「そこでもうひと声!」
「ええ……九百?これ以上はダメだ」
「八百になんない? ね、ね、そしたらこっちの腸詰も買うから、これで合わせて千ハンズで!」
「わかったわかった、それでいいよ」

 そんな感じで値切りながらあれこれ買い込み、そのうち両手がいっぱいになってしまった。
 量というか種類が多いのだ。これを持ち運ぶのは少々骨が折れるので、何か袋みたいなものがほしい。

 どうしようかときょろきょろしていると、ちょうどよく道の向かい側が布製品を置いている店の区域だった。

 道を渡ってすぐ向かいの店に行き、これが全部入る大きさの袋ください!と叫ぶ。
 店主らしいおばさんは、そんなララキを見てあらまあと笑いながら、いろいろ出してくれた。

 造りが丈夫なもの、柔らかい生地で作られていて使わないときは畳んだり丸めたりできるもの。
 柄もいくつかあったがそういうこだわりはない。どちらかというと、旅の邪魔にならないように畳めるもののほうがいいか。

 その中に持ち手の部分が紐になっているものがあった。その紐がめずらしい色と柄だったので、思わず手にとって見る。

「それはこの国の伝統的な組紐です。すごく丈夫で長持ちするし、旅の記念にもいいですよ」
「そういう旅じゃないんだけど……でも、ほんとにきれい」

 袋の部分も折りたためそうな素材だし、大きさもちょうどよかったので、それにした。

 さっそく買ってきたものを袋にぜんぶ詰め込んで宿に帰る。
 ミルンは帰ってきていなかったので、荷物だけ置いてララキもまた外に出た。やることはまだたくさんある。図書館に行って借りた本を返すのと、明日に控えた祭りについても調べておきたい。

 シッカのためには一分一秒も無駄にはできないのだ。前に訓練場でミルンは時間がないと言っていたけれど、それはララキも同じだった。



 関連しそうな本はあらかた調べ終わり、そろそろ夕飯だろうかと思ってララキがまた宿に戻ってみると、入り口でミルンが腕を組んで立っていた。
 ララキを待っていたようだ。もちろん食事なし風呂なしの安宿なので、何か食べるなら外に行かなければならない。

 近くに同じく安さと量を売りにした地元民向けの大衆食堂があり、このところ毎日そこに行っていたので、今日もそうだろうかと思っていたのだが、ミルンはてんで違う方向に歩き出した。

 嫌な予感、再び。歩いていく先があの貧民街のほうだったからだ。

「ちょっとちょっと、もしかしてまたあのなんちゃらクラブに行くんじゃ……」
「そうだよ。ついでに飯もそこで済ませようぜ。あんまり安かねえけど食いもんのメニューもあるんだ」
「あ、そうなんだ。……じゃなくて! センターの人に怒られるよ!」

 紋唱術師センターで発行してもらった短期滞在外国人術師の登録証には、監視用と思われる紋唱が施されているのだ。そういう非合法の店に入ったことなどすぐバレるだろう。
 そうしたらきっと即時国外追放とか、もしかしたら術師の認定証を取り上げられることにもなるのでは。

 慌てるララキだったがミルンは聞く耳を持たない。ほんとうに大丈夫なんだろうか。
 いや、とはいえ彼もこの街に来るのは初めてではないし、前に来たときになんらかの抜け道を知っているのかもしれない。

 いやいやいや。それより今はお互いお金に困っているわけではないのだ。
 今朝はちょっとたくさん買い物をしたが、それ以外はできるだけ無料で使える施設を利用し、極限までサービスを削って値段を切り詰めた安宿に泊まって、それはもう涙が出るほどお金をかけない生活をしてきた。
 イキエスにいたころはなんて贅沢な旅だったのかと思うくらいである。あっちはもともと物価の低い田舎町中心だったというのもあるだろうが。

 それなのになぜ危険を冒してまで違法賭博試合クラブにまた顔を出す必要があるというのか。さっぱりわからないまま前回とは違う民家から地下の闘技場へ入る。

 地下は相変わらず広く、不健康な熱気に満ちていた。

 参加受付をするカウンターへと歩いていくミルンに今度はララキもくっついていく。もちろん出るわけではなかったが、参加する理由をまだミルンから聞いていないからだ。

「予約されてるはずなんだが、何時の試合になってるか確認したい。名前はミルン」

 そこで耳を疑う単語が出てきた。予約だって? 試合に出るのを先に予約することもできるのか。

「お待ちしておりました。ミルンさまの参加予約は本日夜間の部の第二試合に予定されております。
 お相手はスニエリタさまでよろしかったですね?」
「ああ」
「スニエリタぁ!?」

 さらに耳を疑う単語が出てきた。
 スニエリタってあのスニエリタか。このあいだボロ負けした相手の。

 うるせえな、とミルンに睨まれたが、それどころではない。

 彼女の強さは圧倒的なものがあった。もう一回戦ったところでまたミルンが負けるのは目に見えているのに、どうしてわざわざ予約してまで再戦するのか。
 しかもあえてまたこんな非合法の賭け試合で。お金にはまだ余裕があるとか言ったが、それでもここで負けたら一気に一文無しだ。

 とはいえミルンも何の勝算もなしにそんな無謀なことをするとも思えない。何か考えがあってのことなのだろうか。

 ……しかしスニエリタもよく再戦なんてものを引き受けたよなあ、と思う。というかどこでそんな約束をとりつけたのだろう。
 ララキはあれから一度も彼女に会っていないが、毎日ミルンと常に一緒にいたわけでもないので、どこかで二人で会っていたのだろうか。市内なら人探しの紋唱を使えばすぐ見つけられるだろうし。

 もやもやしつつ、またあのマルジャック支配人に連れられて観客席へ。ミルンは準備があるとか言ってひとりでどこかへ行ってしまった。

 第一試合はこのあいだミルンに負けたワグラールがまた出ていた。相手は知らない人だったが、祭り見物がてらの旅の術師が軽い気持ちで腕試しに来ただけのようで、一撃必殺の岩柱戦法に素直に苦戦していた。
 やっぱりあのときのミルンの突破法は特殊だったようだ。

 しかし相手が違えば対処法も違い、今度の対戦相手は遣獣──ちなみに巨大なモモンガで、けっこうかわいい顔をしている──を上手くつかって岩柱を回避しながら、反撃の機会を伺っている。

 やっぱり空を飛べるのって強いよなあとララキは思った。
 スニエリタのジャルギーヤにしろ、飛んでしまえば地上からの攻撃が届きにくくなるうえ、たいていの攻撃は上から下に向かって放つほうが威力も上がる。モモンガは飛行ではなく滑空だからずっと空中にはいられないけれど、自力で飛べる生き物ならかなり有利だ。相手の攻撃を受けず、自分は一方的に攻撃できるのだから。

 そういえば、と、昔のことにふっと思いを巡らせる。
 初めてあったときのシッカは、駆けるように空を飛んでいた。たぶん今はできないだろうけれど。

『試合終了! 勝利を勝ち取ったのはワグラール! 石頭は健在ですッ!』

 いつの間にか試合が終わっていた。ワグラールも今回は勝てたようだ。
 一度の負けで諦めなければ、勝てる試合にもめぐり合えるということか。それとも彼もあのあといっぱい練習したのかもしれない。

 しかし、問題は次の試合だ。鉦が高らかになるのが今日はずいぶんうるさく思えた。

『続きまして第二試合を行います!
 まずご紹介しますは青の席。もはや説明不要、これまで全戦全勝! 我らが麗しのスニエリタ姫!』

 いつの間にかスニエリタの通称は"嬢"から"姫"へとランクアップを遂げていた。まあ放送席の気持ちもわからないでもないが。

『対します赤の席は──おおっと! 再戦希望者だ! スニエリタ姫からすると記念すべき初勝利の相手が、雪辱の果たし状を突きつけてきたようです! ミルン少年!
 さあさあ皆さまこの試合、いかが予想されますでしょうか!?
 それでは試合開始前時点の入金額を発表いたします! スニエリタ姫、堂々の百四十六万ハンズ! いや発表中の今も上がりっぱなしです! ……えっ?』

 放送席が素っ頓狂な声を上げる。

 何が起きたのかわからない観客たちは顔を見合わせた。ララキは見合わせる相手がいないので、とりあえずきょろきょろとあたりを見回した。
 マルジャックだけは、おやおや、と薄く笑っているが、他の従業員たちは慌てたようすだ。

『さ……さすがに相手が悪すぎたのでしょうか、現在ミルン側の入金はゼロのようです。これでは試合になりません、どなたか奇跡の勝利を信じていただける方はいらっしゃいませんか!?
 彼は過去ワグラールやオスタヴィアスといった猛者を破った経歴の持ち主ですよ!』

 観客はみんなスニエリタの強さを知っているようだった。
 あるいは先週、ミルンがほとんど手も足も出ずに負けるところを見ていた人もいるのだろう。
 結果が見えているような試合に賭ける人はいない。

 一応ミルン自身が参加費を出しているのでこのまま始めてもクラブ側は損をしない仕組みではあるが、スニエリタに賭けた人たちにとってはほとんどうまみがないというので、クラブは試合開始を渋っているようだった。
 彼らも商売なので、面白くない試合をやったとなれば店の評判が落ち、客足が減ることにも繋がる。とくにこういう客を楽しませることそのものを商品にしている場所ならなおさらだろう。

 こりゃあ試合自体がお流れになるな、と思いながら、ララキはミルンを見た。再戦の機会すら得られないまま終わるのは少し可哀想な気もするが、どっちみちまた負けるだけだろうと思うと、このほうがよいのではという気もする。

 だが、ミルンはララキの視線に気づくと、大きな声で言った。

「ララキ! 俺に賭けろ!」
「は?」
「最低額でいいから! ……いや、思い切って有り金ぜんぶ突っ込んどけ!」
「はあぁぁぁぁ!?」

 何言ってんだあの人。っていうか……なんでそんな自信ありげな顔をしているんだろうか。
 もしかしてほんとうに勝つ見込みがあるのだろうか、彼の中では。

 それでもさすがに有り金ぜんぶはないだろう、と戸惑っているララキのところにマルジャックが来た。
 相変わらず胡散臭いほど紳士めいた笑顔と敬語で彼は言う。

「どうです、ご友人を信じてみては。
 クラブとしてもこれ以上ほかのお客様をお待たせするわけにもいかないのです。ましてや無賭金試合などもってのほか。まあどうしても首を振っていただけないのでしたら、それなりの策はありますがね」

 マルジャックはそう言いながらそっと背後の従業員たちを振り返った。

 もしかして彼らにお金を出させる気だろうか、試合を成立させるためだけに。こういう場所ならありうるか。
 べつにララキは彼らと知り合いというわけでもないし、そもそも違法クラブで働くこと自体がよくないことなので、庇ってあげる義理はない。

 ないが、連れの言い出した試合で割りを食うのを見過ごすのもなんとなく気が咎めたので、ララキは立ち上がった。
 ただし手にしているのは自分の財布ではない。預かっていたミルンの鞄から出したものだった。これならどうなっても誰にも文句は言われまい。

「ありがとうございます。十三万二千ハンズ、たしかにお預かりしました。おい、放送に繋げ」
「はい」

『……大変お待たせいたしました! ただいまミルンに十三万少々の入金が確認されましたので、これより試合を開始いたします!』

 鉦が鳴る。
 観客たちは口々にスニエリタの名を叫び、彼女はそれに応えて優雅に手を振っている。もう試合が始まっているというのにすごい余裕だ。

 もうどうなっても知らないよ、と呟いて、ララキは椅子に座りなおした。

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