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 今のリアクションはなんなんですか? 彼らが私の周りににじり寄ってきた。

「まだ、車種を決めてないならさ、このバイクにしなよ?」
 彼が指差したのは、さっき見ていたプラスチックっぽい車体で、タイヤがデコボコしたやつだ。

「なんで、これなんですか?」

「これ、オフロードバイクっていってね、アスファルトじゃない所とかも走れたり、レースに出たりも出来るんだよ?」

「はぁ」

「どうせバイク買うなら、こういうの乗っちゃったほうがカッコいいし、ツーリングとかキャンプとかも行けるよ」

「まったく興味ないジャンルで戸惑ってますが…」
 私は戸惑いをそのまま口にしたが、彼らは話を続けた。

「俺たち大学のメンバーで大学対抗レースに出ようと話してるんだけど、一緒に出ようよ」

「楽しいと思うよ。バイクの乗り方は手取り足取り教えてあげるからさ」

 レースだと? バイクのレースなんて私の人生にかかわりのない単語が次々飛び出してくる。
 気になるのはバイクの乗り方を教えてくれるということだけだ。

 松永くんが乗ってる後ろに乗ったことは数回あるけれど、ヘルメットの内側にファンデを持っていかれるのが嫌で、基本デートは電車だった。

「まだ、教習所にも通い始めてないんです」
「じゃあ、すぐに通おう。で、並行して俺のバイクで個人練習もしよう」

「いや、だからベスパ!」

「とにかく話だけでもいいから聞いてくれる?」
「お昼、学食の奥のテーブルで待ってるから」
 かなり強引な勧誘の波に飲み込まれたまま文芸棟へ向かった。
 松永くんを知ってるということは美術学科の人たちなんだろうな。
 何も聞かなかったや。


 お昼になり、仲間と別れて律儀に奥のテーブルへ行く。
 無視してもよかったけど、松永くんのバイトを見に連れて行ってくれるというから、そうもいかない。

「こっちこっち」
 手を振るほうへ向かう。
「ご飯食べた?」
「まだです」
「じゃあ、買いに行こう」
 俺が教えるとさっき話していた彼が、席を立った。

「何食べるの?」
「カレーライスにします」
「そうだね、俺もそうする。ここのパスタはパサパサだし、ハンバーガーじゃ足りないし、そうなると定食かカレーってなっちゃう」

 確かに、ここのたらこパスタはひどい。パサパサで口の水分持っていかれる感じ。ミートソースはまだマシだけど、美味しいわけではない。

 カウンターのおばさんに、カレーを注文すると、彼は
「おばちゃん、今日も会いに来たよ! カレーライス、大盛り、チキンカツトッピング」
「何、彼女の前で言ってんだい。振られちゃうよ」
 おばちゃんと彼が、軽快に会話しているうちにカレーは山盛りに注がれて出てきた。


 テーブルに着くと、何人かが先にお昼ご飯を食べていた。
 促されて席に着くと、
「食べながらでいいから、聞いててくれる?」
「俺たちは別に部活やサークルってわけではないんだ。この学校にいるバイク乗りで集まって、キャンパスレースっていう大学対抗レースに参加してみようと集まっただけの仲間」

「秋にあるそのレースに男子3人、女子3人で登録してリレーするんだ。で、あと1人女子を探していた訳」

「オートバイのレースって、富士スピードウェイってイメージしかわからない」
 そう伝えると、そういうと思ったと、キャンパスレースのパンフレットを見せてくれた。

 それは見たこともない、イカついウエアにブーツ、泥だらけのコースをオートバイで走ってレースするものだった。

「……」
「いや、私には無理かと? 正直今までもスポーツとは程遠い人生を歩んできたんです」

「いや、自転車漕ぐ訳じゃなくて、エンジンがバイクを動かすから、そこは関係ないよ」

「泥だらけです」
「ははは、そこは覆せないな。はい、泥だらけです」

「ベスパで吉祥寺へお買い物とは違うけど、やってみたら驚くほどおもしろいし、自分の世界がぐっと広がると思う」

 そのあとは、必要なもの、バイク、レースは免許はいらないけれど、このバイクを街中で乗るためには中型二輪がひつようなこと。

 もし、やるならば大盛りカレーチキンカツトッピングの彼、疋田サトシくんが荒川の河川敷で朝練をしてくれるらしい。
 免許を取って自分のオートバイを買うまでは、彼のレース用のオートバイを貸してくれるらしい。
 なんでも疋田くんは地元の大阪ではバイクのレースをしていたとのこと。
 レース用のバイクは、免許もナンバーもいらなくてレース会場までは車で運ぶのだと言う。

 知らない世界過ぎてついていけない。

「バイクとウエアとか揃えるだけでも結構お金掛かるから、よく考えてみて、でもいい返事待ってるね」
 そう言い、疋田くんは先に席を立った。座ったままお辞儀をする。

「アイツ、プロ目指してたくらいだから、本気でうまいよ。そんな人に最初から教われるのめちゃくちゃラッキーな話なんだよね、実は…」

「ところで、松永の件だけどたぶん今日も、あそこにいると思う。環七の工事当分続きそうだったし、このところ連日見かけてるから」

「あの、場所教えてもらったらひとりで行きます」
「それは無茶だな、危ないし歩きだと遠いから。そうそう、来るときスカートじゃなくてジーンズとかで来てね」
 蒲田くんはそうつけ加えて、美術棟の方へ去っていった。

 松永くんはなぜ学校に来ないで工事現場で働いているんだろう。
 今年はきちんと出席しないと進級出来ないのに?
 
 私が彼を傷つけたことが原因だろう。

 彼のことを全否定したんだから当然だよね。
 
 19時になり、待ち合わせ場所の江古田駅北口で、立って待っていた。
 スカートはダメだと言っていたから、  ノースリーブのインナーにちょっと大きめのシャツ。下はストレートジーンズと靴はスニーカー。

「お待たせ」
 蒲田くんとマキコさんはオートバイに乗ってきていた。
 ふたりともさっきのオフロードバイクだ。
「佐藤さん? 本当は私の後ろに乗ってもらえばいいんだけど、私より彼のほうがバイクうまいから、今日は彼のうしろに乗ってね」
「はい。よろしくお願いします」

 このバイク、松永くんのより全然背が高くて足がつかない。
 でも、風を直に感じるのは同じだ。
 ちょっと怖いけど、スリルとか快感ってこういう感じなんだと思う。
 
 夜の街の中を光が流れていく。私の知らない景色がそこにある。
 
「もうすぐ着くよ。ちょっと離れたところにバイクを置くからね」
 
 環七の工事現場は、人通りのほとんどない所で、そこの場所だけが明るく照らされている。
 確かにここはひとりじゃ来られないなと思った。

 ダダダダダッとドリルのような音が響く。
近くにあるラーメン屋の駐車場の木の影から、こっそりと覗く。
 作業着を腕まくりして、その腕で額の汗を拭っている姿が見えた。

 松永くんがいる。
 松永くんだ。
 土を運んでいるのが見える。
 いつもと違う彼の姿。
 私の知らない彼。

「何があったのか知らないけど、可哀相に」
 マキコさんはそう言って、タオルで濡れている私の顔を拭ってくれた。

 私、泣いてたのか。

「私がひどいことを言ったから仕方ないんです」

「でも、なんで佐藤さんとケンカしたら、学校来ないでアルバイト始めるんだ?」
「アイツなりに何か考えて動き出してあるんだろうね」

「もう行こうか? あんまりいると怪しまれちゃう」
 蒲田くんはそう言い、マキコさんは私の肩を抱いて歩いてくれた。

「こんな子、泣かして松永は悪い奴だ」
何度もそう言って、肩をポンポンしてくれた。

 それから三日後、早朝の河川敷に私は降りたった。

 今年の誕生日は、ひとりで過ごすのかなと思っていたのに、まさかの展開に自分自身がついていけずにいた。

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