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 どうやら私、佐藤トウコは振られたらしい。

 今日は1988年(昭和63年)6月25日私が松永くんとつきあい始めて1年の記念日になるはずの日だった。
 昭和63年を歴史の授業っぽく解説すると、
「はい、今日の授業は昭和末期、1988年頃をやるよ。ここは必ずテストに出すからきちんとノートに写しておくように!」
「そう、ちなみに佐藤トウコと松永優がつきあい始めた1987年は、かの有名なマイケル・ジャクソンのバッド・ワールド・ツアーが、なぜか日本を皮切りにスタートした年でもあるよ」

 今から30年以上前、ひとり悩んでいる女の子のお話である。


 交際1年の記念日、準備は万全だった。ただひとつ、私が彼にそのことを伝えていないこと以外は…。
 
1988年6月22日(水)
 私、佐藤トウコが岐阜から東京の大学へ進学し1年とちょっとが過ぎていた。私は午後の必修科目の授業が終わると同時に、並んで座っていた同じ学科の石井くんこと石井咲子に目で合図をした。
「じゃあ私、これから髪切りに行ってくるね。石井くん、明日のゼミは参加する?」
「うーん、たぶん行くと思うけどサボったらゴメン」
「わかった。でも、ひとりは寂しいからなるべく来てね」と、私は石井くんに小さく手を振ってひと足先に大講堂を後にした。

 石井くんは、私と同じ芸術学部の文芸学科の同級生で出席番号がひとつ前だ。彼女は大学進学で東京に出てきた私と違って、世田谷生まれの世田谷育ちである。大学進学の動機がミーハーな私は、とにかく原宿や渋谷に行ってみたくて仕方がなかったので、入学ガイダンスで前に並んでいた石井くんに声をかけたのだ。
「あのー、つかぬことお聞きしますが
…東京出身ですか?」
「え?? そうだけどどうしたの?」といきなり、見知らぬ私に声をかけられ、しかもその内容が思いもよらなかった事だったので、驚きを隠せないでいる石井くんだった。でも、石井くんはそのまま、私の話を聞いてくれてガイダンスのあと、私を渋谷に連れて行ってくれた。ふたりの仲はそれ以来だ。

 その石井くんは、サークルでバンドを組んでいて、練習やライブ活動のせいで夜型だ。だから、朝いちの講義やサボってもとがめられない午前中のゼミとかは来ないことがある。
 私のつきあっている松永優くんも、石井くんと同じサークル内の別のバンドに在籍している。一方、私はというと時々ピアノやキーボードで飛び入り参加させてもらっているだけで、特にバンドを組んでいるわけではない。助っ人として頼まれた時だけの参加だが、それなりに楽しい。小学1年の頃から好きでも嫌いでもなかった習い事のピアノが、こんな形で役に立つ日が来るとは思わなかった。

 私は石井くんと別れて、予約を入れておいた原宿の美容院に向かった。美容院は原宿駅前だから江古田駅からは1時間かからずに着く予定だった。今から出れば余裕で着くので、のんびりと駅へ向かった。
 西武池袋線の午後の各駅停車は比較的空いていて、余裕で座れた。立っているのが苦手な私は心の中で「ラッキー」と言い、座席に腰を下ろしひと息つく。
 私は電車で立っているのが嫌いで、本屋の立ち読みも大の苦手だ。長時間歩いたり走ったりするのは平気なのだが、じっと同じ場所に立ち続けるのだけが、なぜだか無理なのだ。なので、バイトはデスク仕事の多い編集プロダクションで雑用バイトをしている。
 前ゆっくりと動きだした電車の車窓から、線路脇に生えるタチアオイの花が見えた。花はハイビスカスのような形をしていて、168センチの私の身長くらいはあるこの植物は、梅雨頃に下のほうの花から咲き出し、その上の花、その上の花と咲いていき、一番上の花が咲いた時には梅雨が明けると言われている。そのことから、梅雨明けを知らせる花なんだと昔、隣のお婆ちゃんから聞いたことがある。昔の人は夏の到来を、この赤やピンクの花で感じていたらしい。今、花は一番上を残して咲いている。

もうすぐ夏が来るーー。

「今年の夏は何しようかな?」と、バイトのシフトや学校のスケジュールなどが書き込まれてある手帳を眺めながらつぶやく。カラフルなペンで予定が埋めてあるカレンダーページを見つめる私の頭の片隅には離れない不安がある。

 「松永くん、どうしてるかな?」


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