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「蒼、さん」
呼ぶと一気に頬が火照った。
なんだこれ。なんでこんなに恥ずかしいんだ。苗字呼びから一気に名前ってこんなにハードルが高かったっけ?
動揺する恭介だが、それ以上に日永が真っ赤に染まっている。大きなてのひらで自分の顔を覆うと「しんど……」と呟いた。
「やっぱ日永でいいです」
「そうして」
「心臓が破裂するかと思いました……破壊力抜群ですね」
「人を最終兵器みたいに言うな」
そう言いつつ、恭介の心臓もバクバクと跳ねている。羞恥で今すぐ逃げ出したいくらいだ。
なんとか平静を保ちながら水族館につくと、平日の午後というだけあって人が少なく静かだった。カップルが多いイメージだけど一人でゆっくりと回遊している人も多い。
入ってすぐに大きなドーム型の水槽があってその中を悠々と魚が泳いでいる。一気に雰囲気が変わって水の中へと招待されるようだった。
銀色の流線を描きながら頭の上を魚の群れが泳いでいく。それとすれ違うように大きな魚が。ガラスの面ギリギリまで寄ってきてはスルっと方向を変え腹を見せながら上昇する。
その度に小さな泡が生まれては水流に流されていく。
どれもが自由でのびのびとして見えて、恭介はただそれらを眺めた。
「気持ちいいな」
自分まで水の中に一体化したような錯覚に陥る。
「はい」
日永も隣で同じように魚の群れを追うように顔を上げてみている。大きめな顎から喉仏へと続くラインが男らしくガッチリしているのを発見して、思わず見惚れてしまった。
もう何度も会っているのにこんな近さでじっくりと見たことはなかった。新たな発見を眩しく思っていると視線に気がついたのか日永が恭介を見た。目が合ってそのまま止まる。
「あ、ごめん」
「いいえ。何を見ていたんですか?」
「いや、あの……日永さんの首筋って太くて逞しいんだなって」
言うと日永は自分の首に手をかけ「そうですか?」と傾げた。首を覆う手の甲の血管がもりっと浮かんでさらに精悍さを増す。
恭介のものとはまるで違う。普段自分の首なんか意識しないけど、もっとツルっとしているような気がする。
同じ男なのにこんなに違うんだ。
日永も同じことを考えていたらしく、恭介の首を見て、ふ、と優し気に微笑んだ。
「恭介さんの首は滑らかそうですよね。すっと長いのに男らしくて綺麗です」
「そうかな」
「はい。ネクタイをきっちりとしめたワイシャツからのぞく首もいいですが、今日みたいなラフな格好でさらに見えるのにもグッときます」
「日永さんがいうとちょっと変態くさいなあ」
思わず首を押さえると日永は一歩近づいて囁いた。
「今度そこにキスをしてもいいですか?」
「バカっ! 誰かに聞こえたら……っ」
「大丈夫です。他に誰もいません。平日っていいですね、貸し切りみたいだ」
確かに周りを見れば他に誰もいなくて、水槽の中の魚だけが2人を見ている。
誰もいないのをいいことに日永は恭介の手の先を握った。
「誰もいない時だけ手を繋いでもいいですか? すぐに離しますから」
いいよと返していないのにスルリを指を絡めてくる。手の大きさも全然違う。水仕事が多いせいか指先はかさついていた。
日永はゆっくりと歩き始めた。
たくさんの種類の魚があちこちで気持ちよさそうに尾をくねらせている。まるで水槽の迷路だ。その間を泳ぐようにふたりで歩いた。
「疲れませんか?」
ひときわ大きな水槽の前に出ると日永は手を離し声をかけた。そこは階段状になっていて、ぽつりぽつりと人が座って水槽を見上げていた。
大きなマンタが真っ白な腹を見せて翻っていく。
休憩コーナーがあったのでコーヒーを頼んで並んで腰を掛けた。こぶし二つ分開けた距離で恋人らしさが消滅する。
さっきまであったぬくもりが消えたせいか少しだけ物寂しさを覚えた。つい数時間前まで他人だったのに、ほんの少しの接触で特別な人へと変わっている。恋人ってこういうものだったっけ、と記憶を探ってみても、どこにも引っかかりはなかった。
思い出の中にも、いつもスマートにこなす自分がいただけだった。
「こんな風に」と恭介は思わずこぼした。
「誰かと一緒にいてただ静かで、気持ち良かったってはじめてかもしれない」
いつも頭の中では上手な段取りを考えていて、相手が快適かとか楽しんでいるかとかそればかりで。自分も楽しかったはずなのにそんな記憶がどこにもない。
友達といるときもそうだ。
理想の恭介像のまま、演技ではないのに本当ではない。
だけど日永といるときの恭介は無防備だ。素のまま存在している。もしかしたら自分でもわからないくらい当たり前のように日永に甘えている。
日永はどうなんだろう。
恭介が楽な分、気を使っていないだろうか。
「それはありません。自分も楽しいですよ。幸せで信じられないくらい満たされています」
「ほんとに?」
「ほんとです。恭介さんが素でいてくれるのは自分にとっても喜びです。もっと自由でいてください。そのままの恭介さんでいいんです」
その言葉は恭介の深い場所に下りてきて、ぽっと柔らかな明かりを灯した。安心とも違う絶対的な何かが生まれる。
イルカのショーが始まると館内放送がかかると、座っていた人たちが一斉にいなくなった。普段なら外せないメインイベントだけど、今日はこのままゆっくりと過ごしたいと思った。
そう言うと日永も同じ気持ちだったという。
誰もいなくなった広場で二人だけで水の中に閉じ込められる。
ゆっくりとした時間の中で日永と二人で過ごしている。こんな静けさが許されるなんて考えたことがなかった。
ゆっくりと日永の顔が近づいている。
目を閉じて受け止めることに抵抗はなかった。一瞬だけ触れて離れていく体温が恋しいと思った。
呼ぶと一気に頬が火照った。
なんだこれ。なんでこんなに恥ずかしいんだ。苗字呼びから一気に名前ってこんなにハードルが高かったっけ?
動揺する恭介だが、それ以上に日永が真っ赤に染まっている。大きなてのひらで自分の顔を覆うと「しんど……」と呟いた。
「やっぱ日永でいいです」
「そうして」
「心臓が破裂するかと思いました……破壊力抜群ですね」
「人を最終兵器みたいに言うな」
そう言いつつ、恭介の心臓もバクバクと跳ねている。羞恥で今すぐ逃げ出したいくらいだ。
なんとか平静を保ちながら水族館につくと、平日の午後というだけあって人が少なく静かだった。カップルが多いイメージだけど一人でゆっくりと回遊している人も多い。
入ってすぐに大きなドーム型の水槽があってその中を悠々と魚が泳いでいる。一気に雰囲気が変わって水の中へと招待されるようだった。
銀色の流線を描きながら頭の上を魚の群れが泳いでいく。それとすれ違うように大きな魚が。ガラスの面ギリギリまで寄ってきてはスルっと方向を変え腹を見せながら上昇する。
その度に小さな泡が生まれては水流に流されていく。
どれもが自由でのびのびとして見えて、恭介はただそれらを眺めた。
「気持ちいいな」
自分まで水の中に一体化したような錯覚に陥る。
「はい」
日永も隣で同じように魚の群れを追うように顔を上げてみている。大きめな顎から喉仏へと続くラインが男らしくガッチリしているのを発見して、思わず見惚れてしまった。
もう何度も会っているのにこんな近さでじっくりと見たことはなかった。新たな発見を眩しく思っていると視線に気がついたのか日永が恭介を見た。目が合ってそのまま止まる。
「あ、ごめん」
「いいえ。何を見ていたんですか?」
「いや、あの……日永さんの首筋って太くて逞しいんだなって」
言うと日永は自分の首に手をかけ「そうですか?」と傾げた。首を覆う手の甲の血管がもりっと浮かんでさらに精悍さを増す。
恭介のものとはまるで違う。普段自分の首なんか意識しないけど、もっとツルっとしているような気がする。
同じ男なのにこんなに違うんだ。
日永も同じことを考えていたらしく、恭介の首を見て、ふ、と優し気に微笑んだ。
「恭介さんの首は滑らかそうですよね。すっと長いのに男らしくて綺麗です」
「そうかな」
「はい。ネクタイをきっちりとしめたワイシャツからのぞく首もいいですが、今日みたいなラフな格好でさらに見えるのにもグッときます」
「日永さんがいうとちょっと変態くさいなあ」
思わず首を押さえると日永は一歩近づいて囁いた。
「今度そこにキスをしてもいいですか?」
「バカっ! 誰かに聞こえたら……っ」
「大丈夫です。他に誰もいません。平日っていいですね、貸し切りみたいだ」
確かに周りを見れば他に誰もいなくて、水槽の中の魚だけが2人を見ている。
誰もいないのをいいことに日永は恭介の手の先を握った。
「誰もいない時だけ手を繋いでもいいですか? すぐに離しますから」
いいよと返していないのにスルリを指を絡めてくる。手の大きさも全然違う。水仕事が多いせいか指先はかさついていた。
日永はゆっくりと歩き始めた。
たくさんの種類の魚があちこちで気持ちよさそうに尾をくねらせている。まるで水槽の迷路だ。その間を泳ぐようにふたりで歩いた。
「疲れませんか?」
ひときわ大きな水槽の前に出ると日永は手を離し声をかけた。そこは階段状になっていて、ぽつりぽつりと人が座って水槽を見上げていた。
大きなマンタが真っ白な腹を見せて翻っていく。
休憩コーナーがあったのでコーヒーを頼んで並んで腰を掛けた。こぶし二つ分開けた距離で恋人らしさが消滅する。
さっきまであったぬくもりが消えたせいか少しだけ物寂しさを覚えた。つい数時間前まで他人だったのに、ほんの少しの接触で特別な人へと変わっている。恋人ってこういうものだったっけ、と記憶を探ってみても、どこにも引っかかりはなかった。
思い出の中にも、いつもスマートにこなす自分がいただけだった。
「こんな風に」と恭介は思わずこぼした。
「誰かと一緒にいてただ静かで、気持ち良かったってはじめてかもしれない」
いつも頭の中では上手な段取りを考えていて、相手が快適かとか楽しんでいるかとかそればかりで。自分も楽しかったはずなのにそんな記憶がどこにもない。
友達といるときもそうだ。
理想の恭介像のまま、演技ではないのに本当ではない。
だけど日永といるときの恭介は無防備だ。素のまま存在している。もしかしたら自分でもわからないくらい当たり前のように日永に甘えている。
日永はどうなんだろう。
恭介が楽な分、気を使っていないだろうか。
「それはありません。自分も楽しいですよ。幸せで信じられないくらい満たされています」
「ほんとに?」
「ほんとです。恭介さんが素でいてくれるのは自分にとっても喜びです。もっと自由でいてください。そのままの恭介さんでいいんです」
その言葉は恭介の深い場所に下りてきて、ぽっと柔らかな明かりを灯した。安心とも違う絶対的な何かが生まれる。
イルカのショーが始まると館内放送がかかると、座っていた人たちが一斉にいなくなった。普段なら外せないメインイベントだけど、今日はこのままゆっくりと過ごしたいと思った。
そう言うと日永も同じ気持ちだったという。
誰もいなくなった広場で二人だけで水の中に閉じ込められる。
ゆっくりとした時間の中で日永と二人で過ごしている。こんな静けさが許されるなんて考えたことがなかった。
ゆっくりと日永の顔が近づいている。
目を閉じて受け止めることに抵抗はなかった。一瞬だけ触れて離れていく体温が恋しいと思った。
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