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はるみが答えた。
「私はこのダムで沈んだすぐ下の街で生まれ育ったのよ。地元の人なら、ダムと村の話はよく知っているわ。地元ではすごく有名な話だからね。だからバカ彼氏が通行止めの方に車を走らせたときも、「その先はダムがあるから行けないわ」と言ったんだけど、バカは聞かなかったわ。まさか村までたどり着いてしまうとは、その時は全く思わなかったんだけど。だからたどり着いた時は、本当にびっくりしたわ」
「そうだったんですか。それでこの村とダムのことをよく知っていたんですね」
「でもお寺の住職も水害で死んでいるはずよ。流された四十九人の一人だわ。おそらく村の人と同じようにお寺にいることはいると思うけど、会ったとしても村人と同じようになにも期待できないかもしれないわね。でも一応確認はしておきましょうか。せっかくここまで五人で来たんだしね」
そんな話をしているうちに、お寺のすぐ前にまで来た。
五人で雁首揃えて、じっとお寺を見ていた。
さっきのはるみの話によって、このお寺になんだかの期待を持つ者がいなかったのだ。
かと言ってこのまま振り返って帰るのも、これまたはるみの言う通り、なんだかもったいないような気もする。
わざわざここまで来たことだし、ひょっとしたらなにかあるかもしれないと言うごく淡い希望が残っていたのだ。
しかし誰も動かず、声も発しない。
ただ見ているだけだ。
するとがらりと本堂の扉が開き、中から袈裟を着た住職が出てきた。
四十代後半くらいに見える男だ。
そして五人を驚いたような目で見ているのだ。
この村の住人の上に初めて見た、人間らしい表情だ。
五人が思わず見入っていると、住職が言った。
「これは、これは。また外の世界から迷い込んできた人がいたとは。しかも今度は五人も。本当に嘆かわしいことだ」
はるみが言った。
「あなたは私たちが外の世界から迷い込んできたと、わかるんですか?」
「わかりますとも。この私が、この私だけが自分がもう死んでいることをはっきりと自覚し、この村が死んだ人の怨念で生まれてしまったことを理解しているのですから」
「それじゃあ……」
言いかけたはるみを遮り、さやかが言った。
「ねえねえ私たち、この村から出たいの。お坊さんでしょ。なんとかしてよね」
ちゃんと思考と感情を持ち合わせている人物に、幽霊とは言え初対面の人に言う言い方じゃないだろうと正也が思っていると、住職が言った。
「そうですね。ここではなんですから、中に入ってゆっくりとお話しませんか。どうぞこちらに来てください」
さやかもそれ以上は何も言わず、みんながそれに従った。
外から見ても小さかったが、中もやはり小さい。
六人入ると結構狭く感じる。
五人であちこち見わたしていると、住職が言った。
「さて、いったい何から話したらいいものか」
なにか言おうとしたさやかを露骨に遮り、はるみが言った。
「私は地元の者です。ですからこの村の歴史は知っていますし、他県から来たこの四人にもそれを伝えています。で、この村は死んだ四十九人の怨念が造り上げたもので、間違いないかと思いますが。どうですか」
住職が答える。
「そうです。最初のダムが決壊して、四十八人の村人が家ごとあっという間に流されてしまいました。少し高台にあるこの寺だけが、やや遅れて流されたのです。あの時、わたしは轟音を聞いて、慌てて寺を飛び出し、村が流されていくところをこの目で見ました。その後、寺も私も流されてしまったんですが。とにかく村人はあっという間に流されてしまったので、自分の身に起こったことが、よく理解できていなかったようです。死んでいる自覚とか実感が薄いと言うか。大量の水に流されて死んだので、一瞬で死んだわけではありません。ですから全く自覚がないわけでもないのですが。そしてその後、村は新しいダムで完全に深い水の底になりました。村がなくなったことを認めたくない、自分が死んだことを自覚したくないと思っている村人の故郷の上に、大量の水がのしかかったのです。その状況の中で、まだ自分は生きていて村で何事もなく平和に過ごしていると信じたい無念の想いが、こんな村を造ってしまったのです。そしてその偽りの村の中で、いまでも過ごしているのです。現実を事実をわかっていながら無視をし続けた結果ですが」
「そうですか。それではあの化け物は、いったいなんなんですか?」
「あれですか。村人たちは、自分たちがまだ村で以前と変わらず過ごしていると思いたいと言う強い想いが村を造ったと言いましたが、同時に外の人間の勝手な振る舞いによって、自分たちが死に、自分たちの村が深い水に沈んだことも、わかってはいるのです。複雑で二重構造な想いとなっていますが。その外の人間に対する敵意、恨みがあの怪物を作り上げたのです。いきなり現れて外から来た人間を喰うというおぞましい化け物を。私の知っている限りで、二人、一人、三人の合計六人が、あの化け物に喰われてしまったようです」
「そんな、なんとかならないんですか」
「なんとかしたいのは、私も同じなのです。ですが私一人で四十八人の怨念を相手にするのは、多勢に無勢でなんともしがたいことなのです。とても残念なことですが」
「そうですか。それで、あなたはなぜ他の村人たちと違って、全てを理解して、普通に会話ができるんですか。見た目からそうですが、まるで生きている人間みたいですね。とても死んでいるとは思えません」
「その理由は二つありますね。村人たちは外の人たちによって自分の村が滅んだことは心のどこかで知っているのですが、それを認めたくない、そんなことはないと思いたいと言う気持ちが強くて、自分たちはまだ死んでいないと思うことにしたのです。知識としては村が滅んで自分たちも死んでしまったとわかってはいるのですが、感情としてそれを全面的に否定していると言う複雑な精神状態になっています。ですから外から人が来ても、無表情で対応します。村人からしたら敵であるはずなのですが、全面的に敵と認めると、それは村が滅んで自分たちも死んでいると言うことも、認めることになってしまうからです。そのくせ外の人に対して、あんな化け物を生み出しているのです。で、私のことですが、私は村が水にのまれていくのを、この目でしっかりと見ているのです。ああ、村が全滅してしまうと。その光景は今でも脳裏にはっきりと焼き付いています。ですから村人たちのように、村は滅んでいないなんて思いこむことは、思いたくてもとてもできません。それに私は、子供の頃からこの寺で育ちました。父が僧侶だったものですから。そんなわけで私は、人は死んだら行くべきところに行かなければならないという考えが、子供の頃からあったのです。そう言う想いもあって、自分の死を抵抗なく受け入れることができました。それなので死んで幽霊となってしまった今でも、自分の死を充分自覚し、このように普通に話をすることができるのです」
「そうですが。それでは失礼を十分承知で聞きますが、あなたはなぜこの村にとどまっているのですか。行くべきところに行かずに」
ずいぶんと聞きにくいことを聞くものだなあと正也は思ったが、はるみの顔は真剣そのものだ。
住職の一瞬苦笑したこのように見えたが、その問いに対してはいたって穏やかな口調で答えた。
「私も行くべきところに行きたかったのですが、村人が、四十八人がそれを許しませんでした。村には何事もなかったと信じたい村人たちの想いが、私を含めて誰一人として欠けることを許さなかったのです。四十九人全員そろっていないと、完成された以前の村ではないと言うことなのです。私も最初は抵抗しました。子供の頃から仏門の世界に身を置き、それなりの法力も持っていたつもりだったんですが、一対四十八では、それもみんな強い怨念を持っている者には、いかんともしがたく。つまりわかりやすく言えば負けてしまったんですね。それで四十八人の怨念によって、ここに無理矢理とどめられているんです。なんとも情けないことですが。それが事実なのです」
「そうだったんですか。それは何と言っていいか。ほんとに」
正也は奇妙な感覚におちいっていた。
すぐ目の前にいる中年の住職。
見た目には生きている人間と寸分たがわないの。
おまけに穏やかで落ち着いた声に口調。
聞いているだけで心が落ち着くと言うのに。
それなのにこの人は、もう死んでいるのだ。
自分でも言っている通り、幽霊なのだ。
あまりにも死人とはかけ離れた存在で、まるで生きているかのように見え、話までしている。
その認識の差が、今正也の中に奇妙な感覚を生じているのだ。
幽霊と座って話をすること自体が、もはや完全に普通ではないと言うのに。
はるみが続ける。
「四十八人にとらわれてしまったと言いましたね」
「はい」
「前にも外から人が、計六人もやって来たけど、みんな化け物に喰われてしまったとも言いましたね」
「そうですが」
「そうなると、村人側でないあなたがいるにもかかわらず、そうなってしまったと言うことは、あなたは私たちを、外から来た人を村から脱出させることもその方法も、知らないと言うことになりますが。それにあの化け物から外から来た人間を守るすべも、わからないと言うことになると思うんですが」
聞きようによってはかなり失礼な言い方だが、はるみも必死なのだろうと正也は思った。
住職が答える。
「はい、まことに残念ながら、この村から出る方法も、あの化け物から身を守る方法も、どちらも私は知らないのです。申し訳ないこととは思うのですが」
陽介とさやかから、はっきりとした落胆の声が聞こえた。
しかし落胆したのは陽介とさやかだけではない。
正也もみまも同じだった。
口に出すか出さないかだけの違いしかない。
「私はこのダムで沈んだすぐ下の街で生まれ育ったのよ。地元の人なら、ダムと村の話はよく知っているわ。地元ではすごく有名な話だからね。だからバカ彼氏が通行止めの方に車を走らせたときも、「その先はダムがあるから行けないわ」と言ったんだけど、バカは聞かなかったわ。まさか村までたどり着いてしまうとは、その時は全く思わなかったんだけど。だからたどり着いた時は、本当にびっくりしたわ」
「そうだったんですか。それでこの村とダムのことをよく知っていたんですね」
「でもお寺の住職も水害で死んでいるはずよ。流された四十九人の一人だわ。おそらく村の人と同じようにお寺にいることはいると思うけど、会ったとしても村人と同じようになにも期待できないかもしれないわね。でも一応確認はしておきましょうか。せっかくここまで五人で来たんだしね」
そんな話をしているうちに、お寺のすぐ前にまで来た。
五人で雁首揃えて、じっとお寺を見ていた。
さっきのはるみの話によって、このお寺になんだかの期待を持つ者がいなかったのだ。
かと言ってこのまま振り返って帰るのも、これまたはるみの言う通り、なんだかもったいないような気もする。
わざわざここまで来たことだし、ひょっとしたらなにかあるかもしれないと言うごく淡い希望が残っていたのだ。
しかし誰も動かず、声も発しない。
ただ見ているだけだ。
するとがらりと本堂の扉が開き、中から袈裟を着た住職が出てきた。
四十代後半くらいに見える男だ。
そして五人を驚いたような目で見ているのだ。
この村の住人の上に初めて見た、人間らしい表情だ。
五人が思わず見入っていると、住職が言った。
「これは、これは。また外の世界から迷い込んできた人がいたとは。しかも今度は五人も。本当に嘆かわしいことだ」
はるみが言った。
「あなたは私たちが外の世界から迷い込んできたと、わかるんですか?」
「わかりますとも。この私が、この私だけが自分がもう死んでいることをはっきりと自覚し、この村が死んだ人の怨念で生まれてしまったことを理解しているのですから」
「それじゃあ……」
言いかけたはるみを遮り、さやかが言った。
「ねえねえ私たち、この村から出たいの。お坊さんでしょ。なんとかしてよね」
ちゃんと思考と感情を持ち合わせている人物に、幽霊とは言え初対面の人に言う言い方じゃないだろうと正也が思っていると、住職が言った。
「そうですね。ここではなんですから、中に入ってゆっくりとお話しませんか。どうぞこちらに来てください」
さやかもそれ以上は何も言わず、みんながそれに従った。
外から見ても小さかったが、中もやはり小さい。
六人入ると結構狭く感じる。
五人であちこち見わたしていると、住職が言った。
「さて、いったい何から話したらいいものか」
なにか言おうとしたさやかを露骨に遮り、はるみが言った。
「私は地元の者です。ですからこの村の歴史は知っていますし、他県から来たこの四人にもそれを伝えています。で、この村は死んだ四十九人の怨念が造り上げたもので、間違いないかと思いますが。どうですか」
住職が答える。
「そうです。最初のダムが決壊して、四十八人の村人が家ごとあっという間に流されてしまいました。少し高台にあるこの寺だけが、やや遅れて流されたのです。あの時、わたしは轟音を聞いて、慌てて寺を飛び出し、村が流されていくところをこの目で見ました。その後、寺も私も流されてしまったんですが。とにかく村人はあっという間に流されてしまったので、自分の身に起こったことが、よく理解できていなかったようです。死んでいる自覚とか実感が薄いと言うか。大量の水に流されて死んだので、一瞬で死んだわけではありません。ですから全く自覚がないわけでもないのですが。そしてその後、村は新しいダムで完全に深い水の底になりました。村がなくなったことを認めたくない、自分が死んだことを自覚したくないと思っている村人の故郷の上に、大量の水がのしかかったのです。その状況の中で、まだ自分は生きていて村で何事もなく平和に過ごしていると信じたい無念の想いが、こんな村を造ってしまったのです。そしてその偽りの村の中で、いまでも過ごしているのです。現実を事実をわかっていながら無視をし続けた結果ですが」
「そうですか。それではあの化け物は、いったいなんなんですか?」
「あれですか。村人たちは、自分たちがまだ村で以前と変わらず過ごしていると思いたいと言う強い想いが村を造ったと言いましたが、同時に外の人間の勝手な振る舞いによって、自分たちが死に、自分たちの村が深い水に沈んだことも、わかってはいるのです。複雑で二重構造な想いとなっていますが。その外の人間に対する敵意、恨みがあの怪物を作り上げたのです。いきなり現れて外から来た人間を喰うというおぞましい化け物を。私の知っている限りで、二人、一人、三人の合計六人が、あの化け物に喰われてしまったようです」
「そんな、なんとかならないんですか」
「なんとかしたいのは、私も同じなのです。ですが私一人で四十八人の怨念を相手にするのは、多勢に無勢でなんともしがたいことなのです。とても残念なことですが」
「そうですか。それで、あなたはなぜ他の村人たちと違って、全てを理解して、普通に会話ができるんですか。見た目からそうですが、まるで生きている人間みたいですね。とても死んでいるとは思えません」
「その理由は二つありますね。村人たちは外の人たちによって自分の村が滅んだことは心のどこかで知っているのですが、それを認めたくない、そんなことはないと思いたいと言う気持ちが強くて、自分たちはまだ死んでいないと思うことにしたのです。知識としては村が滅んで自分たちも死んでしまったとわかってはいるのですが、感情としてそれを全面的に否定していると言う複雑な精神状態になっています。ですから外から人が来ても、無表情で対応します。村人からしたら敵であるはずなのですが、全面的に敵と認めると、それは村が滅んで自分たちも死んでいると言うことも、認めることになってしまうからです。そのくせ外の人に対して、あんな化け物を生み出しているのです。で、私のことですが、私は村が水にのまれていくのを、この目でしっかりと見ているのです。ああ、村が全滅してしまうと。その光景は今でも脳裏にはっきりと焼き付いています。ですから村人たちのように、村は滅んでいないなんて思いこむことは、思いたくてもとてもできません。それに私は、子供の頃からこの寺で育ちました。父が僧侶だったものですから。そんなわけで私は、人は死んだら行くべきところに行かなければならないという考えが、子供の頃からあったのです。そう言う想いもあって、自分の死を抵抗なく受け入れることができました。それなので死んで幽霊となってしまった今でも、自分の死を充分自覚し、このように普通に話をすることができるのです」
「そうですが。それでは失礼を十分承知で聞きますが、あなたはなぜこの村にとどまっているのですか。行くべきところに行かずに」
ずいぶんと聞きにくいことを聞くものだなあと正也は思ったが、はるみの顔は真剣そのものだ。
住職の一瞬苦笑したこのように見えたが、その問いに対してはいたって穏やかな口調で答えた。
「私も行くべきところに行きたかったのですが、村人が、四十八人がそれを許しませんでした。村には何事もなかったと信じたい村人たちの想いが、私を含めて誰一人として欠けることを許さなかったのです。四十九人全員そろっていないと、完成された以前の村ではないと言うことなのです。私も最初は抵抗しました。子供の頃から仏門の世界に身を置き、それなりの法力も持っていたつもりだったんですが、一対四十八では、それもみんな強い怨念を持っている者には、いかんともしがたく。つまりわかりやすく言えば負けてしまったんですね。それで四十八人の怨念によって、ここに無理矢理とどめられているんです。なんとも情けないことですが。それが事実なのです」
「そうだったんですか。それは何と言っていいか。ほんとに」
正也は奇妙な感覚におちいっていた。
すぐ目の前にいる中年の住職。
見た目には生きている人間と寸分たがわないの。
おまけに穏やかで落ち着いた声に口調。
聞いているだけで心が落ち着くと言うのに。
それなのにこの人は、もう死んでいるのだ。
自分でも言っている通り、幽霊なのだ。
あまりにも死人とはかけ離れた存在で、まるで生きているかのように見え、話までしている。
その認識の差が、今正也の中に奇妙な感覚を生じているのだ。
幽霊と座って話をすること自体が、もはや完全に普通ではないと言うのに。
はるみが続ける。
「四十八人にとらわれてしまったと言いましたね」
「はい」
「前にも外から人が、計六人もやって来たけど、みんな化け物に喰われてしまったとも言いましたね」
「そうですが」
「そうなると、村人側でないあなたがいるにもかかわらず、そうなってしまったと言うことは、あなたは私たちを、外から来た人を村から脱出させることもその方法も、知らないと言うことになりますが。それにあの化け物から外から来た人間を守るすべも、わからないと言うことになると思うんですが」
聞きようによってはかなり失礼な言い方だが、はるみも必死なのだろうと正也は思った。
住職が答える。
「はい、まことに残念ながら、この村から出る方法も、あの化け物から身を守る方法も、どちらも私は知らないのです。申し訳ないこととは思うのですが」
陽介とさやかから、はっきりとした落胆の声が聞こえた。
しかし落胆したのは陽介とさやかだけではない。
正也もみまも同じだった。
口に出すか出さないかだけの違いしかない。
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