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本編

3.アウルス・グイスカルド公爵

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 牢に入れられて、随分時間が経った……。

 わたくしは、もうすっかり陽が落ちて暗くなっている空を牢にある小さな窓から見つめた。そして、手首につけられた手枷に視線を落とす。
 今まで何度もガチャガチャと動かしてみたり、壁に打ちつけてみたりして、壊そうと頑張っているけどびくともしない。そのせいで、わたくしの手首はいつのまにか血まみれだ。

 でも痛いのは手首じゃない。心だ。


「っ! どうして! どうしてこんなことに!」

 もう一度力強く手枷を壁に打ちつける。

 激しい焦燥と怒りに身を任せても体の内から魔力は湧いてこない。どう足掻いても壊れない枷に、絶望を覚えた。


「誰か……助けて……」

 自然と弱音が口をつく。

 時間が経てば経つほどに、状況は悪くなっていく。早くお父様にこの状況を伝えなければならないと……気持ちばかりが焦るのに、どう考えてみても牢から逃げられるとは思えない……。

 それでもここから逃げたい……。
 アンドレアの好きにさせたくはない。

 動けないこの身がもどかしい。悔しくて堪らない。


「アウルス……アウルス……助けて……」

 窓の前に座り込み、ポタポタと落とした涙が床に染みをつくる。

 幼い頃からとても仲がよかったアウルス……。
 時には本当の兄のように、そして友人のように、いつでも側にいてくれた優しいアウルス……。

 でも、わたくしはその優しいアウルスの想いを踏み躙った。

 ……アウルスが成人後に公爵位を継承した時に、彼はわたくしと共に歩んで行きたいと言ってくれたのに……。

「っ……」

 それなのにあの当時、すでにアンドレアに心惹かれていたわたくしは、彼の想いを聞かなかったことにした。

 今更ながらに後悔している。
 もしもあの時、彼の手を取っていたら……こんなことにはなっていなかっただろう。

 涙がポロポロとあふれてこぼれる。


「わたくしは愚かで……浅はかな……」

 最低な人間だ。
 恋に溺れ、結局は祖国や家族を危険に晒してしまった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」



 わたくしは一頻り泣いたあと……右手についている指輪をジッと見つめた。その指輪に左手を添え、宝石が手のひらのほうにくるように回す。すると、宝石が針へと変わった。

 仕組みはよく分からないけど……この指輪はアウルスが持たせてくれたものだ。何かあった時に身を守るために使えと言っていた……。

 確か……ひと刺しで成人男性を即死させられる毒針なのよね……。なら、わたくし自身もこの針で問題なく死ねるだろう。

 ……逃げられないのなら死ぬしかない。
 生きていれば、この身にある王位継承権が破滅を呼ぶ。
 それだけは……それだけは……絶対にさせてはいけない。アンドレアのような者に……祖国を渡しはしない。


「お父様……お母様……アンジェロ兄様……エッツィオ兄様……。そして、アウルス……。ごめんなさい……」

 愚かな娘でごめんなさい……。

 お父様たちが、アンドレアの策に引っかかり殺されることなどないと思うけど……もしものことを考えると、わたくしは生きていないほうがいい。
 それに……わたくしは人質になる気も、王位継承権を好きに扱わせる気もない。

 わたくしは大きく息を吸って吐いた。そして唇を噛み締め、覚悟を決める。


 お父様……お母様……逆縁の不幸をお許しください……。

 目をゆっくりと瞑り、手のひらを首に当て指輪の切っ先を向けた。

 手が震えている。少し力を入れるだけで死ねるのに、そのひと押しができない。

 ダメよ……わたくしは生きていてはいけないの……。

 そう言い聞かせ、力を上手に入れられないわたくしは、左手で右手をグッと押そうと思い、右手に左手を添える。



「トゥッリア! ダメだ!」
「!」

 その時、牢の扉が勢いよく開け放たれた。
 わたくしがその姿と声に、大きく目を見開いて固まると、その扉を開けた人が滑り込むように部屋へと入ってきて、わたくしの手を払う。

 そして血のような赤い瞳がわたくしを見つめた。その瞳は安堵の色を宿している。
 何も変わらないその姿……。わたくしは涙をボロボロとこぼしながら、彼に手を伸ばした。

「アウルス……」
「よかった……間に合ってよかった……トゥッリア」

 彼は膝をつき、わたくしと同じように手を伸ばして、抱き締めてくれる。
 頬に当たる柔らかな黒髪が、夢ではないのだということを教えてくれた気がして、わたくしはアウルスに縋りつきながら声を出して泣いた。


「トゥッリア……可哀想に。遅くなってすまなかった。この国の王との交渉に少々時間がかかってしまったのだ。だが、アンドレアとサラという愚かな女は、すでに捕らえてあるから安心しろ」
「な、なぜっ、いっ、痛っ、痛いっ!」

 なぜと問いかけよう思ったのに、背骨が軋みそうなくらい思いっきり力を込めてくるアウルスに、悲痛な声を上げる。すると、アウルスが慌てて体を離した。

「大丈夫か? すまぬ。久しぶりに逢えたことが嬉しかったのと、あのクズ王子が許せなかったのとで、つい力がこもってしまったのだ……」
「だ、大丈夫よ……」

 アウルスは何度も謝りながら、シュンとしてわたくしの背中を撫でてくれる。
 わたくしは指輪の向きを正しい位置に戻し、針から宝石に変わったことを確認してから、ふぅっと息を吐いて、ようやく疑問を投げかけた。

「ねぇ、アウルス……。わたくしは……何も、何も、伝えることができていなかったわ。それなのに……どうして?」
「言ったはずだ。これから先もずっと其方だけを見ていると……何があっても守ると誓ったはずだ」
「でも……」

 異変に気づくにしては、あまりにも早い。

「ことが起きたのは今日よ。そんなにも……早いだなんて……」

 不可能だと思う。でも彼は……その不可能を可能にしてくれた。

 揺れる目でアウルスを見つめると、彼はわたくしの背中をさすり、何度かわたくしの頬にスリスリと頬擦りをしたあとに、ゆっくりと顔を上げた。


「そんなに不思議か? アンドレアあのゴミがトゥッリアを雑に扱ったのは今日が初めてではないではないか。何度も其方を裏切り泣かせたのを、私たちが何も知らぬと本当に思うているのか? トゥッリアにつけてある女官や侍女は我が国の者が大半だぞ」
「あ……」
「それに、女官や侍女だけではない。当然ながら間者も忍ばせている。私も陛下も、なんの対策もせずに其方を嫁がせたりはしない。何かあった時にすぐに動けるように、ちゃんと情報を得ていたのだ。ゆえにアンドレアが其方にしたことは全て分かっている」
「アウルス……」

 アウルスの言葉にわたくしはハッとした。そして同時に、皆の愛情に涙があふれてくる。

 何かあった時にすぐに助けられるように、常に気を配ってくれていたのだ。嬉しい……わたくしは一人ではなかった……。こんなにも強く愛してくれる人がいる。家族がいる。

 わたくしはアウルスの胸に顔をうずめて何度も「ありがとう」と言って泣いてしまった。アウルスは、今度は優しく抱き締めてくれる。そして、手枷を外してくれた。

「トゥッリア……頼むから無茶なことだけはしないでくれ。血が出ているではないか」
「ごめんなさい……どうしても壊したくて……」

 アウルスは痛ましそうにわたくしの両手首の傷に触れる。柔らかく温かな光が傷全体を包み込むように行き渡ると、痛みも傷もスーッと消えていった。

 アウルスの治癒魔法、久しぶりだ。
 とても温かい……。

「トゥッリア。其方は私の唯一無二なのだ。今後は絶対に私の見えぬところに行かぬと約束してくれ」
「ええ、約束するわ。ごめんなさい……。今回のことで……いいえ、もっと早く……アンドレアを選んだ自分が間違えていたことは分かっていたの……」

 貴方の手を取っていれば、今幸せだったのだろうかと……何度も何度も考えてしまった。貴方の想いを踏み躙ったわたくしが、そんなことを考える資格なんてないのに……。


「トゥッリアはまだ混乱し考えられないかもしれぬが、私は其方を愛している。これが終われば、今度こそ私は其方を離さない。トゥッリア、其方を我が妻とする。次こそは否やは許さぬ」
「アウルス……」

 その強い口調にドキドキしてしまった。
 アウルスがこんなにも強く愛してくれていたなんて、あの当時は気づけなかった……。

 そんなにも強く愛してくれて嬉しいと思う。でも……。

「わたくしでいいの? わたくしは貴方の想いを踏み躙ったのよ……。貴方の想いを聞かなかったことにして、アンドレアに嫁いだのよ……」

 それだけじゃない。出戻りのわたくしではグイスカルド公爵家の妻に相応しくないだろう。

 その苦い想いに俯いてしまうと、上を向くように顎をすくい上げられてしまう。

「トゥッリアがいい。其方でないとダメなのだ。トゥッリア、余計なことは考えるな。其方は私に全てを委ねるだけでいい」

 そう言って奪うように荒々しく唇が重ねられる。
 初めてしたアウルスとの口づけは、少しの苦さと甘さがあった……。
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