お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜

Adria

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悪夢と噂の真相

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「ん……ここどこ?」

 ハッとすると、真っ暗闇な空間で一人佇んでいた。途端に怖くなって、きょろきょろと辺りを見回すが何もない。

(どうしよう。怖い……)

「原田さん」
「!」

 泣きそうになった瞬間、露口の声が聞こえてきて縋るような思いで振り返る。すると、彼が柔らかく笑いながら立っていた。普段なら会いたくない相手だが、今は救世主に見えて瑞希の心がパァッと輝いた。

「社長! 良かった……急に変なところにいて、すごく怖かったんです。知っている人に会えて本当に良かった……」

 露口に駆け寄り安堵の息をつくと、彼が瑞希の手を掴んだ。顔を上げて彼を見ると、先ほどの笑顔が消えて眉間に皺を深く刻んだ顔で瑞希を見ていた。

(社長?)

 その表情に体が強張る。なぜ怒っているのか分からなくて当惑すると、露口が瑞希の腰を抱き、耳に顔を寄せてきた。

「しゃ、社長?」
「知っている人? ということは、君が俺と見合いをした原田ホールディングスのご令嬢だということを認めるんですね?」
「へ? ち、違います! 私はただの研究員です!」
「そうですか……。なら、貴方に用はありません」

 そう言った露口が瑞希から体を離し踵を返す。

(そんな……本気? ここ、真っ暗闇なのよ)

 こんなところに置いていかれたくなくてスタスタと歩きはじめた彼の手を慌てて掴んだ。


「社長! お願いします。行かないでください!」
「なら、決めてください。正直に打ち明けて俺と結婚するか、それともこのまま俺に嘘をつき続け、そのうちクビにされるか……」
「え……?」
「さあ、結婚かクビか選びなさい!」

(そ、そんな……!)

 そんなの嫌と叫びそうになった瞬間、自分の足元が崩れた。大きな音を立てて体がベッドから落ちる衝撃に、瑞希はこわごわと目を開ける。

「あ、あれ夢?」

 体を起こしてきょろきょろと見回すが、見慣れた部屋だった。良かったと安堵の息をつきベッドに入り直す。

(で、でも眠ったら、またあの夢を見たらどうしよう)

 ***

 部屋の中にアラームの音が鳴り響いて、手探りでそれを止める。どうやら朝が来たようだ。

「会社行きたくないなぁ……」

 大きな溜息と共に本音が漏れ出る。なんとか体を起こしたが、あの夢のせいでいまいち眠れなかったせいか体が重い。瑞希は低い声で唸り、再度ベッドに倒れ込んだ。

「うう……」

 眠れない間は今後のことを真剣に考えていた。悪夢を見るくらいなら――露口にもう一度きっぱりと断るか、それともこのまま別人のふりをしてやり過ごすか。悩みすぎて悩みすぎて、気がつけばもう朝だ。

(パパに断ってと頼んでおいたけど信用できないのよね……。でももう一度お見合いした時の恰好で断りに行くのはちょっと……)

「もう悩むのも面倒だし、いっそ私がお見合いした相手ですってバラしてきっぱり断る?」

 いや無理だ。社長である彼の気分を害せばクビにされるかもしれない。それは困る。会社にも研究者としての自分を認めてもらえて、これからという時に辞めさせられるのは嫌だ。

 ああでもない、こうでもないと葛藤した末に結局何も決められずに、今日もメイクをせずに出勤した。髪だけは仕事の邪魔にならないように、コームで結い上げる。



「ふあぁっ、眠い……」

 会社に着いた途端、急激な眠気が襲ってきて欠伸が漏れ出る。しっかりしなきゃと頭を左右に振り眠気を散らそうとしたが、急に頭を振ったものだから眩暈がして足元がふらついた。

(あ!)

 体勢を立て直せずに転ぶと覚悟した瞬間、誰かに支えられておそるおそる目を開く。

「あ、あれ?」
「大丈夫ですか?」
「は、はい、ごめんなさ……え。社長……?」

 瑞希は抱きとめてくれた相手を見て、びくっと体を強張らせた。一番会いたくないと思っていた相手の腕の中にいて脳内は大混乱だが、そんな瑞希をよそに彼は気遣わしげに瑞希の額に手を当てた。ひんやりとしていて、思わず目を伏せる。

(社長の手、気持ちいい……)

「熱はないようですね。だが、顔色が悪い……。風邪ですか?」
「い、いえ。ただの寝不足です……」

 彼の腕の中から逃れようともがくと、離してくれる。でも彼はまだ心配そうだ。
 その姿に夢の怖い感じが一切なくて調子が狂う。

「体調が悪いわけではないのでしたらいいのですが、無理はしないでください。昨日の件は重荷でしたか?」
「そ、そんなことはありません! 必ず期待にお応えするので大丈夫です! あの論文を書いたのは私ですし、元々は私がしていた研究ですから……。だ、だから、私がいないと……」

 体調管理もまともにできないのかと言って研究チームから外されると思い、慌てて首を横に振る。

 彼は完璧主義で使えないと判断したら容赦なく切り捨てると聞く。足を引っ張ると思われたら、簡単に外されるだろう。

(嫌。ずっと頑張ってきたのに……。あれは私のものなのに!)

 縋るように露口を見ると、彼が瑞希の手にドリンクを握らせた。予想外のことに目を瞬かせる。


「え……何これ」
「これは我が社で出している眠気覚ましです。よろしければ、どうぞ」
「……あ、ありがとうございます。で、でも……」
「誤解をさせたならすみませんでした。外すつもりはないので、今までどおり頑張ってください。ただ俺は……一人で抱え込まないようにと言いたかったんです。悩むことがあれば皆に相談してください」

 柔らかく微笑みかけてくれる彼に思わず呆ける。すると、頬に手が添えられた。

「今回のものが形となり医療現場に届くまでに十年。いや、それ以上かかる可能性だってある。その間、途中で開発を断念することなく、必ず成果を上げるためには貴方がしっかりしなければなりません」
「社長……」
「同僚には言えない悩みや愚痴などがある時は社長室に吐き出しに来てください。貴方が自分から放り出さない限りは、どれほど弱音を吐いても取り上げたりしませんので」

 この人は誰だろうか。見合いをしたくないから結婚しようと無茶苦茶なことを言ってきたり、しれっと婚姻届を書かせようとしてきた人と同じ人だとは思えない。ましてや夢の中の怖い露口とは別人だ。

 瑞希は動揺が隠せずに、揺れる目で彼を見つめた。

「いつでも歓迎しますよ。貴方のために美味しいお茶を用意しておくので」
「え……」

(どうして?)

 固まって動けない瑞希に、そう言ってにこやかに去っていく露口の背をぼんやりと見送る。


「社長ったら優しいじゃない。もう付き合っちゃえば?」
「……!」

 突然背後から顔を覗かせてきた知紗に飛び上がる。が、彼女はそんな瑞希の反応を気にせず、うりうりと肘でつついてくる。

「び、びっくりした。急に現れないでよ。驚くじゃない」
「いやいや、驚いたの私だから。出社してきたら、まさか会社前で社長といちゃついてるなんて思わないじゃない。あんたたち、めちゃくちゃ目立ってたわよ」
「いちゃついてなんか……って、そんなに目立ってた?」
「うん。気づいてないと思うけど皆騒ついてたわ」

(嘘……! そ、そんなに……?)

 だが、会社の前で社長と話し込んでいれば悪目立ちしてもおかしくはないだろう。瑞希はがっくりと肩を落とした。


「でも、どこが怖い人なんだろうね。瑞希に構っているところを見ると、全然そういうふうには見えないな……」
「そうね……。変な人だけど冷たくはないわ。どちらかと言えば寛容そう……でもまあ変な人だけどね……」

 しみじみと言いながら知紗と連れ立ってロッカールームへ入る。彼女は「変な人変な人言い過ぎ」と爆笑しながら瑞希の背中を叩いてくる。


「おはよう。楽しそうね、二人とも」

 先に出社していた桜井さくらいが白衣に袖を通しながら、瑞希たちを見てクスクス笑う。
 上司である彼女に話を聞かれてしまい、瑞希はたじろいだ。けれど、知紗は気にしていないようで、彼女にも同様に疑問を投げかけている。

「おはようございます。社長の話をしてたんです。噂みたいな人に見えないなぁって」
「ああ、そういえばそんな噂あったわね。非情とか? 簡単にクビにするとか?」

 そんなわけないのにねと笑う桜井に知紗が食い気味にずいっと詰め寄った。

「桜井さん、何か知ってるんですか?」
「え? ええ、私は今の社長になる前からいるから少しくらいなら知っているわ。露口社長が就任した時にね、半数以上の役員たちを辞めさせたのよ」
「半数以上も?」

 びっくりして知紗と顔を見合わせる。

「ええ。使えないという理由でね。だからあんな噂が立ったのだと思うわ。会長のお気に入りの部下ばかりだったから当時はとても大騒ぎだったのよね」
「でもなんで……」

 すると、桜井が声をひそめた。知紗と一緒に彼女に近づいて耳を寄せる。

「当時、会長が何も言わないせいか……まともに仕事もせずに威張り散らしている役員が多かったのよ。当時はうちの会社、ブラックだったし……。それを露口社長が、就任を機に色々改善しようとして動いたらしいの。今となっては当時のことに誰も触れないから新しい社員子たちは知らないわよね」

 今は基本的に九時出社の十八時退社で過度な残業は禁止されている。有給休暇取得義務や教育制度に福利厚生も充実していて、ホワイト企業だ。そこまで体制を変えるのには、どれほどの苦労があっただろう。

 きっと感情に左右されずに物事を決めていく強引さも必要だったのだと思う。その過程の中で――あのような噂が立ったのなら悲しいと思った。

(悪く言われて嫌な思いをしない人なんていないわよね。平気な顔をしているけど……きっと不愉快だよね)

「だから……冷たいと言っても誰にでもというわけじゃないのよ。私は社長はとても公平だと思うわ」
「ええ……そうですね。私もそう思います」

 気分を害したらクビにされるかもしれないと怯えていた自分をひどく恥じた。
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