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急いては事を仕損じる①
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「早くしなきゃ。稀一さんを待たせてしまうわ」
水篠詩音は実家が経営する水篠会病院の敷地内を足早に歩いていた。この時間は外来診療時間が終わっているので、正面入口ではなく坂を登った裏手にある救急入口から中に入る。
「あら、詩音ちゃん。緒方先生に会いに来たの?」
「うん。最近残業続きで全然会えていなかったから、やっと会えるの」
「それは楽しみね。じゃあ今夜は盛り上がるんじゃない?」
「やだ~」
救急看護師と挨拶がてらに軽口を交わしながら、ERの前を抜け、その先にあるエレベーターのボタンを押す。ふぅっと一息ついたのと同時に欠伸が漏れでた。
(うう、ちょっと眠いかも……。でも稀一さんの顔を見たら眠気なんて吹き飛ぶわ)
眠い気持ちと稀一に会いたい気持ちが入り混じり、詩音は照れ笑いをした。
詩音の実家は総合病院だ。だが、一人娘である自分は医師ではなく創薬研究に楽しさを見出してしまった。
この病院はもちろん好きだし、水篠家の血を途絶えさせたくないという両親の気持ちも分かる。だからといって、大好きな職を捨て、医師を志し家業を継ぐ気にはなれなかった。その結果、父の友人の子息である緒方稀一が婿に入るという約束で、半年前に婚約が成立したのだ。
彼とは家同士の都合が絡んだ婚約ではあるが、それでも詩音はこの半年――彼の優しさに惹かれていた。稀一となら幸せな家庭が築けると、いや築きたいと真剣に思う。
少し癖のある茶髪に、爽やかな顔立ち。物腰も柔らかく気遣い上手。いつも優しく詩音に接してくれる彼のすべてが詩音の心を鷲掴んで離してくれない。
詩音は降りてくるエレベーターが心なしかゆっくりに感じられ、階数表示を眺めた。
(エレベーター、全然来ない……)
心が急くせいだろうか、そわそわと落ち着かない。
「階段で上がろうかしら」
このままエレベーターを待っているより、階段で行ったほうが早い気がする。体を動かせば逸る気持ちも落ち着くだろうし、疲れからくる眠気も吹き飛ぶかもしれない。何より、一段上がるごとに稀一に近づいていくのだと考えるだけで心が浮き立った。
――トントンと階段を駆け足で上がり、外科の医局に向かう。詩音だけでなく、彼も医師としての仕事や勉強などに日々忙しい。無理をしてでも時間を合わせないと会えないくらいだ。
(結婚して一緒に住めば、もう少し二人で過ごす時間が増えるのかしら)
家に帰れば当たり前のように彼がいる。今日みたいにわざわざ職場に会いに来る必要もない。
稀一と過ごす結婚生活を想像しながらふふふと笑う。
「あ、詩音。早かったな!」
「え? 稀一さん!?」
階段を半分くらい上ったところで、今の今まで妄想を膨らませていた相手が目的の階でないところから突然ヌッと現れた。反射的に後退ってしまった途端、階段を踏み外してしまう。
あ! と思った時にはすでに遅く、バランスを崩した体は無情にもグラリと傾いた。立て直すこともできず、体がふわっと浮く。
(お、落ちる!)
「きゃああっ!」
「詩音っ!!」
稀一が慌てて駆け出し手を伸ばして詩音の手を掴もうとしてくれたが、落ちる速度のほうが速いのか――掴めなかった。差し出してくれた彼の手が空を切るのを目を大きく見開いて見つめながら、詩音は階段から落ちた。
「詩音!」
焦った稀一の声が耳に響く。
(ああ、ちゃんとエレベーターを待っていれば良かった。私のバカ……)
水篠詩音は実家が経営する水篠会病院の敷地内を足早に歩いていた。この時間は外来診療時間が終わっているので、正面入口ではなく坂を登った裏手にある救急入口から中に入る。
「あら、詩音ちゃん。緒方先生に会いに来たの?」
「うん。最近残業続きで全然会えていなかったから、やっと会えるの」
「それは楽しみね。じゃあ今夜は盛り上がるんじゃない?」
「やだ~」
救急看護師と挨拶がてらに軽口を交わしながら、ERの前を抜け、その先にあるエレベーターのボタンを押す。ふぅっと一息ついたのと同時に欠伸が漏れでた。
(うう、ちょっと眠いかも……。でも稀一さんの顔を見たら眠気なんて吹き飛ぶわ)
眠い気持ちと稀一に会いたい気持ちが入り混じり、詩音は照れ笑いをした。
詩音の実家は総合病院だ。だが、一人娘である自分は医師ではなく創薬研究に楽しさを見出してしまった。
この病院はもちろん好きだし、水篠家の血を途絶えさせたくないという両親の気持ちも分かる。だからといって、大好きな職を捨て、医師を志し家業を継ぐ気にはなれなかった。その結果、父の友人の子息である緒方稀一が婿に入るという約束で、半年前に婚約が成立したのだ。
彼とは家同士の都合が絡んだ婚約ではあるが、それでも詩音はこの半年――彼の優しさに惹かれていた。稀一となら幸せな家庭が築けると、いや築きたいと真剣に思う。
少し癖のある茶髪に、爽やかな顔立ち。物腰も柔らかく気遣い上手。いつも優しく詩音に接してくれる彼のすべてが詩音の心を鷲掴んで離してくれない。
詩音は降りてくるエレベーターが心なしかゆっくりに感じられ、階数表示を眺めた。
(エレベーター、全然来ない……)
心が急くせいだろうか、そわそわと落ち着かない。
「階段で上がろうかしら」
このままエレベーターを待っているより、階段で行ったほうが早い気がする。体を動かせば逸る気持ちも落ち着くだろうし、疲れからくる眠気も吹き飛ぶかもしれない。何より、一段上がるごとに稀一に近づいていくのだと考えるだけで心が浮き立った。
――トントンと階段を駆け足で上がり、外科の医局に向かう。詩音だけでなく、彼も医師としての仕事や勉強などに日々忙しい。無理をしてでも時間を合わせないと会えないくらいだ。
(結婚して一緒に住めば、もう少し二人で過ごす時間が増えるのかしら)
家に帰れば当たり前のように彼がいる。今日みたいにわざわざ職場に会いに来る必要もない。
稀一と過ごす結婚生活を想像しながらふふふと笑う。
「あ、詩音。早かったな!」
「え? 稀一さん!?」
階段を半分くらい上ったところで、今の今まで妄想を膨らませていた相手が目的の階でないところから突然ヌッと現れた。反射的に後退ってしまった途端、階段を踏み外してしまう。
あ! と思った時にはすでに遅く、バランスを崩した体は無情にもグラリと傾いた。立て直すこともできず、体がふわっと浮く。
(お、落ちる!)
「きゃああっ!」
「詩音っ!!」
稀一が慌てて駆け出し手を伸ばして詩音の手を掴もうとしてくれたが、落ちる速度のほうが速いのか――掴めなかった。差し出してくれた彼の手が空を切るのを目を大きく見開いて見つめながら、詩音は階段から落ちた。
「詩音!」
焦った稀一の声が耳に響く。
(ああ、ちゃんとエレベーターを待っていれば良かった。私のバカ……)
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