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王宮図書館
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イヴァーノと約束をしてから二週間後、学院は夏季休暇に突入した。
いよいよ明日は王宮図書館に連れていってもらえる日だ。
「アリーチェもデートを楽しみに、心をときめかせるようになったのね。成長だわ」
私が明朝から浮き立ちながら、執務のお手伝いをしていると、ソフィアがしみじみとそう言った。その言葉に満面の笑みで頷く。
「ええ、とても楽しみ。だって、王宮図書館はイストリア国一美しい建築と蔵書数だと聞くでしょう? 一体どのような本があるのか楽しみすぎて仕方がないの」
「アリーチェ、それだとデートではなく本が楽しみだと聞こえるわ」
「もちろんデートも楽しみよ。でも、王宮図書館は誰もが自由に入れる場所ではないから……」
そう、王宮図書館はその名のとおり王宮の敷地内にあるので、簡単には行けない。もし行きたければ、王宮に仕えている親族にお願いをして、正当な手続きを踏んでもらわなければ入れない。
私の場合、お父様にお願いをすれば手続きを踏んでもらえるだろう。けれど、色々と面倒な手続きが必要となるし、当然ながら禁書の閲覧は許されない。
だけど、私は今日イヴァーノに連れて行ってもらえる。諸々の手続きをすっ飛ばし、気軽に王宮図書館に行けるのだ。その上、本当なら立ち入りを許されていない禁書庫にまで入れてもらえる。
これを浮かれないで、いつ浮かれるというのだろうか。私はイヴァーノに誘われてから心が浮き立って仕方がないというのに。
ああ、未知の知識を得ることができるなんて幸せ!
それに、イヴァーノとのお出掛けもすごく楽しみだ。最近の彼はスキンシップが激しくて、ドキドキさせられっぱなしだけれど、やっぱりイヴァーノと共に過ごすのは心地良くて好きだ。
私が頬を赤らめると、ソフィアたちにうりうりと肘でつつかれる。
「あそこは持ち出し厳禁故、しっかりと頭に叩き込んできなさい」
神子達ときゃあきゃあ盛り上がっていると、突然話を割るように聞こえてきた鬼司教の言葉に、私は立ち上がった。
「え? 持ち出せない? ですが、一日ではそんなに読めません」
「ああ。だが、書き写すことは許されているので、必要な情報があるなら書き写せばよい」
「それは一冊丸ごと複写してもいいってことですか?」
「……そこまでは分からん。自分で判断せずにその都度、殿下に確認しなさい」
「はい」
そうか……。貸し出してくれないのか……。
まあ、立ち入りも限定的なので仕方がないのかもしれない。
私は念のために複写の魔法を練習しておいた。勉強会の問題集を用意するために使ってはいるけど、本一冊まるごと複写したことはないので、失敗しないように気をつけなければならない。
私が手近にある聖典を複写の魔法で何冊か複製していると、エンツォが「知識ばかりを得ようとする女なんて可愛げがないと思うな。そんな面白みのない女、さぞかし殿下は嫌だろう」と嗤いながら言ってきた。
知識を得ることが可愛げない?
「どうしてですか?」
「女は少々愚かなほうがよいということだよ。ただでさえ、剣術ばかりをして男勝りなのだから、少しくらい可愛げは持ち合わせておいたほうがいい。そのうち愛想を尽かされて捨てられても知らないぞ」
愛想を尽かされる?
エンツォの言葉にキョトンとすると、ほかの神子たちが「そんなことあるわけないでしょう!」とか「偏ったものの見方をしないでよ!」と反撃してくれる。
「賢しい女人を邪魔に思うのは、其方の器が小さいからだ」
「首座司教様!?」
「そうよ! それから、このことをカーラに報告するから」
「は? なんでそうなるんだよ!」
「嫌ならアリーチェに謝りなさいよ!」
エンツォが、鬼司教や神子達の言葉に必死で謝ってくる。カーラにバレたくないだけで謝ってくるエンツォはともかく、皆の言葉に胸がじんわりと温かくなった。
それにしても、執務中に鬼司教も交えて雑談とか……。鬼司教も変わったものだわ。こんなの神殿に来たばかりの頃では考えられなかった。
私は皆を見ながら小さく笑った。
そして自室へ戻り、イヴァーノとのデートに備えておしゃれをする。昨夜はダーチャやエレナに相談して、ドレス選びにいっぱい悩んだのだ。
結局はイヴァーノと王宮図書館に行くと聞きつけてきたお母様がドレスを持って学院の寮まで乗り込んできたので、今日はそれを着ることになった。
私は淡い黄色の少し可愛めなドレスに袖を通しながら、鏡の前でくるくるとまわった。
「少し可愛すぎないかしら?」
お母様は私の年齢的にちょうどいいというけれど、神子服や学院の制服が暗めな色なので、正直なところ暗めの色のほうが落ち着くのよね。
そこまで考えて、かぶりを振る。
駄目駄目。そんなふうに考えてしまうからエンツォに可愛げがないと言われてしまうのだわ。今日はいつもとは違うドレスに身を包んで、イヴァーノに可愛いって褒めてもらおう。
まあ、彼はいつでも可愛いと言ってくれるけれど。
そうこうしている間にイヴァーノの来訪が知らされたので、私は手早く髪を結い上げ、応接室まで急いだ。
「イヴァーノ! お待たせしました!」
イヴァーノが待ってくれている応接室に駆け込むように入ると、イヴァーノがクスクスと笑う。そして、ソファーから立ち上がった彼が髪飾りをつけ直してくれた。
「走るから少しずれているぞ」
「あ、ありがとうございます……」
やだ、私ったら。お淑やかにしなきゃいけないのに。
自分の失態に気がつくと顔に熱が集まってくる。私が目を伏せるとイヴァーノが結い上げた髪の毛先に触れ、「可愛い」と言ってくれた。
「ありがとうございます、嬉しいです。このドレス、お母様が今日のために学院まで届けてくれたのです。私には少し可愛すぎるかなと心配だったので、そう言ってもらえて安心しました」
「心配する必要はない。とてもよく似合っている。可愛すぎて、胸が高鳴ってうるさいくらいだ」
「~~~っ」
いつもと違うドレスを着てイヴァーノを少し驚かせたいとは思ったけれど、実際驚かされたのは私かもしれない。私は熱くなった頬を押さえながら、彼と共に馬車へと向かった。
イヴァーノのエスコートで馬車に乗ると心が引き締まる。
ああ、とても楽しみだ。
「そ、そういえば、今日神官のエンツォが女性は少しくらいお馬鹿さんのほうが可愛いと言っていました。イヴァーノはどうですか? お馬鹿さんな女性のほうが好きですか?」
以前の私はお馬鹿さんを通り越して愚かで傲慢だったけれど……。もしイヴァーノが少しくらいお馬鹿さんなほうがいいというなら頑張りたいとも思う。
私がじっとイヴァーノを見ていると、彼が私の頬をつまむ。
「なぜ、そう思うのだ? 私はアリーチェの頑張り屋なところがとても好きだぞ。それにエンツォと言ったか? 賢しい女性をよく思えないのは、その者の器が小さいからだろう。一緒にしないでくれ」
驚いた。鬼司教と同じことを言うんだ。
でも、確かに以前のイヴァーノもお馬鹿さんは嫌いそうだ。とても冷たい目で睨まれそうだもの。
私は過去のイヴァーノの目を思い出して、小さく震えた。
「其方は余計なことを考えなくてよい。私はそのままの其方が好きだ。アリーチェ、其方は何も我慢などせずに、私の側で好きなことに励んでいてくれるだけでよい」
「ありがとうございます。でも好きなことばかりではなく、苦手な政治のお勉強も頑張ります。イヴァーノの隣に立てるように頑張らせてください」
「アリーチェ」
イヴァーノの私を見つめる眼差しが熱い。
あ、キスされると思って目を閉じたのと同時くらいに、馬車が目的地に着いてしまう。
中央神殿と王宮はそんなに離れていないので、当たり前といえば当たり前だけれど、ちょっと残念に思ってしまった。
「アリーチェ、続きはあとで……」
「へ? は、はい」
耳元で囁くイヴァーノに私は顔を真っ赤にして頷いた。
うう、恥ずかしい。
今は王宮図書館に集中しなきゃ。
イヴァーノのエスコートで王宮図書館へ向かう。
図書館の入り口は宮殿の正面から東へ少し歩いた所にあった。そこには格式高い雰囲気のロビーがあり、その先に階段がある。その階段を登ると、従者が木でできた大きな扉を開けてくれた。
扉が開いた瞬間、まず目に飛び込んでくるのは高い天井と太く大きな柱。そしてまるで童話の中に迷い込んだような幻想的な空間だった。
床から天井までぎっしりと並べられた本の数々。届かないところの本も手に取れるように、本棚に掛けられた梯子。厳かな空間を優しく包み込んでいる大きな窓から差し込む光。
そのすべてに私は、とても感動した。
「素晴らしいです! 感動しました、イヴァーノ!」
「気に入ってもらえたのなら、何よりだ」
入り口から少し歩いた図書館の中央ホールには、この図書館の建設を命じた三代目国王のパルテチパツィオ二世の銅像があった。マントを翻し、一点を見つめる姿がとても勇ましい。
視線を丸天井に向けると、彼を囲むように美しいフレスコ画が広がっていた。このフレスコ画は、初代国王の御世から仕えていた宮廷画家による作品らしく、とても立体的な絵で美しかった。
より豪華さを引き出すための演出だろうか。壁には柱や建築装飾のようなものも描かれている。
まるで絵と建築が一体となって、その空間を生み出しているようだった。
「この中央のドーム、本当に素敵ですね。特に書架の曲線美が素晴らしいです」
私が嬉しさのあまりスキップしながら館内を見まわっていると、イヴァーノがにこやかに私の後ろをついてくる。その表情はとても楽しそうだ。
イヴァーノもやっぱり楽しいのね。良かった。デートなのに、私だけはしゃいでるのはどうかと思ったけれど、イヴァーノも楽しめているなら私も嬉しい。
あ、宮廷楽師の古い楽譜も展示されているのね。これはいつの時代の楽譜かしら?
「其方は、先ほどから素晴らしいや素敵ばかりだな」
「え?」
私が楽譜を見ていると、イヴァーノがクスクス笑った。そんな彼の笑顔に、少し自分の行動が恥ずかしくなって、視線を逸らす。
「だって……本当に素敵なんですもの。嫌だわ、子供っぽいと思っているのでしょう?」
「そのようなことは思っておらぬ。可愛いなと感動していたのだ。アリーチェが喜んでくれているのが、私には何よりの褒美だからな」
「……変なイヴァーノ」
とても楽しそうに笑っているイヴァーノに背を向けて、私は広い図書館の中をゆっくりと歩いた。
それにしても、本当にすごい。
何百年以上も前の本とは思えないほど、綺麗に残っていて、保存状態の良さに目を見張る。これだけの状態を保つなら、確かに持ち出し禁止かもしれない。
やっぱり状態保存の魔法でもかけているのかしら?
古い紙の匂いまで漂ってくるような気がして、私は息を大きく吸い込んだ。
「アリーチェ。実はこの本棚の裏に、隠し部屋があるのだ。換気目的のために開放されていて、今は隠されていないのだが、隠し部屋――好きだろう?」
「はい、大好きです!」
私はわくわくしながら、その本棚の裏にある隠し部屋へ入ってみて、さらに感動した。
隠し部屋の中は私の身長より少し高めで、二、三人が入れるくらいの広さしかなかった。
そして、ここもまた天井まで本がびっしりとあり、本棚と本棚の隙間に人が一人だけ入れるくらいのスペースもある。その隙間にぴったりとハマるように木細工のベンチとクッションが置いてあった。
「わあ、素敵! ここは読書スペースですか?」
私が楽しそうにベンチに腰掛けると、イヴァーノがうなずきながら面白そうな本を持ってきてくれる。
「この本は、もう廃った古の魔法が書き記されているそうだ。アリーチェはこういう本が好きだろう?」
「大好きです! ありがとうございます! あとで、ゆっくり読みたいので丸ごと一冊写しても良いですか?」
「それは構わぬが、大変ではないか?」
「いえ、大丈夫です」
私の申し出に、イヴァーノが快諾してくれたが、心配そうだ。
私はふふんと自信満々に笑いながら本の表面を手でなぞる。そして、「copia」と唱えると、まったく同じ本が現れた。
やった! うまくできた!
「アリーチェ。其方、複写の魔法も扱えるのか?」
「はい、ばっちりです」
「さすがだな。複写の魔法は四年生で習うのだが……」
イヴァーノは私の頭を撫でて褒めてくれながら、本物の本と複写した本をまじまじと見比べた。
◆後書き◇
オーストリア国立図書館がモデルです。
いよいよ明日は王宮図書館に連れていってもらえる日だ。
「アリーチェもデートを楽しみに、心をときめかせるようになったのね。成長だわ」
私が明朝から浮き立ちながら、執務のお手伝いをしていると、ソフィアがしみじみとそう言った。その言葉に満面の笑みで頷く。
「ええ、とても楽しみ。だって、王宮図書館はイストリア国一美しい建築と蔵書数だと聞くでしょう? 一体どのような本があるのか楽しみすぎて仕方がないの」
「アリーチェ、それだとデートではなく本が楽しみだと聞こえるわ」
「もちろんデートも楽しみよ。でも、王宮図書館は誰もが自由に入れる場所ではないから……」
そう、王宮図書館はその名のとおり王宮の敷地内にあるので、簡単には行けない。もし行きたければ、王宮に仕えている親族にお願いをして、正当な手続きを踏んでもらわなければ入れない。
私の場合、お父様にお願いをすれば手続きを踏んでもらえるだろう。けれど、色々と面倒な手続きが必要となるし、当然ながら禁書の閲覧は許されない。
だけど、私は今日イヴァーノに連れて行ってもらえる。諸々の手続きをすっ飛ばし、気軽に王宮図書館に行けるのだ。その上、本当なら立ち入りを許されていない禁書庫にまで入れてもらえる。
これを浮かれないで、いつ浮かれるというのだろうか。私はイヴァーノに誘われてから心が浮き立って仕方がないというのに。
ああ、未知の知識を得ることができるなんて幸せ!
それに、イヴァーノとのお出掛けもすごく楽しみだ。最近の彼はスキンシップが激しくて、ドキドキさせられっぱなしだけれど、やっぱりイヴァーノと共に過ごすのは心地良くて好きだ。
私が頬を赤らめると、ソフィアたちにうりうりと肘でつつかれる。
「あそこは持ち出し厳禁故、しっかりと頭に叩き込んできなさい」
神子達ときゃあきゃあ盛り上がっていると、突然話を割るように聞こえてきた鬼司教の言葉に、私は立ち上がった。
「え? 持ち出せない? ですが、一日ではそんなに読めません」
「ああ。だが、書き写すことは許されているので、必要な情報があるなら書き写せばよい」
「それは一冊丸ごと複写してもいいってことですか?」
「……そこまでは分からん。自分で判断せずにその都度、殿下に確認しなさい」
「はい」
そうか……。貸し出してくれないのか……。
まあ、立ち入りも限定的なので仕方がないのかもしれない。
私は念のために複写の魔法を練習しておいた。勉強会の問題集を用意するために使ってはいるけど、本一冊まるごと複写したことはないので、失敗しないように気をつけなければならない。
私が手近にある聖典を複写の魔法で何冊か複製していると、エンツォが「知識ばかりを得ようとする女なんて可愛げがないと思うな。そんな面白みのない女、さぞかし殿下は嫌だろう」と嗤いながら言ってきた。
知識を得ることが可愛げない?
「どうしてですか?」
「女は少々愚かなほうがよいということだよ。ただでさえ、剣術ばかりをして男勝りなのだから、少しくらい可愛げは持ち合わせておいたほうがいい。そのうち愛想を尽かされて捨てられても知らないぞ」
愛想を尽かされる?
エンツォの言葉にキョトンとすると、ほかの神子たちが「そんなことあるわけないでしょう!」とか「偏ったものの見方をしないでよ!」と反撃してくれる。
「賢しい女人を邪魔に思うのは、其方の器が小さいからだ」
「首座司教様!?」
「そうよ! それから、このことをカーラに報告するから」
「は? なんでそうなるんだよ!」
「嫌ならアリーチェに謝りなさいよ!」
エンツォが、鬼司教や神子達の言葉に必死で謝ってくる。カーラにバレたくないだけで謝ってくるエンツォはともかく、皆の言葉に胸がじんわりと温かくなった。
それにしても、執務中に鬼司教も交えて雑談とか……。鬼司教も変わったものだわ。こんなの神殿に来たばかりの頃では考えられなかった。
私は皆を見ながら小さく笑った。
そして自室へ戻り、イヴァーノとのデートに備えておしゃれをする。昨夜はダーチャやエレナに相談して、ドレス選びにいっぱい悩んだのだ。
結局はイヴァーノと王宮図書館に行くと聞きつけてきたお母様がドレスを持って学院の寮まで乗り込んできたので、今日はそれを着ることになった。
私は淡い黄色の少し可愛めなドレスに袖を通しながら、鏡の前でくるくるとまわった。
「少し可愛すぎないかしら?」
お母様は私の年齢的にちょうどいいというけれど、神子服や学院の制服が暗めな色なので、正直なところ暗めの色のほうが落ち着くのよね。
そこまで考えて、かぶりを振る。
駄目駄目。そんなふうに考えてしまうからエンツォに可愛げがないと言われてしまうのだわ。今日はいつもとは違うドレスに身を包んで、イヴァーノに可愛いって褒めてもらおう。
まあ、彼はいつでも可愛いと言ってくれるけれど。
そうこうしている間にイヴァーノの来訪が知らされたので、私は手早く髪を結い上げ、応接室まで急いだ。
「イヴァーノ! お待たせしました!」
イヴァーノが待ってくれている応接室に駆け込むように入ると、イヴァーノがクスクスと笑う。そして、ソファーから立ち上がった彼が髪飾りをつけ直してくれた。
「走るから少しずれているぞ」
「あ、ありがとうございます……」
やだ、私ったら。お淑やかにしなきゃいけないのに。
自分の失態に気がつくと顔に熱が集まってくる。私が目を伏せるとイヴァーノが結い上げた髪の毛先に触れ、「可愛い」と言ってくれた。
「ありがとうございます、嬉しいです。このドレス、お母様が今日のために学院まで届けてくれたのです。私には少し可愛すぎるかなと心配だったので、そう言ってもらえて安心しました」
「心配する必要はない。とてもよく似合っている。可愛すぎて、胸が高鳴ってうるさいくらいだ」
「~~~っ」
いつもと違うドレスを着てイヴァーノを少し驚かせたいとは思ったけれど、実際驚かされたのは私かもしれない。私は熱くなった頬を押さえながら、彼と共に馬車へと向かった。
イヴァーノのエスコートで馬車に乗ると心が引き締まる。
ああ、とても楽しみだ。
「そ、そういえば、今日神官のエンツォが女性は少しくらいお馬鹿さんのほうが可愛いと言っていました。イヴァーノはどうですか? お馬鹿さんな女性のほうが好きですか?」
以前の私はお馬鹿さんを通り越して愚かで傲慢だったけれど……。もしイヴァーノが少しくらいお馬鹿さんなほうがいいというなら頑張りたいとも思う。
私がじっとイヴァーノを見ていると、彼が私の頬をつまむ。
「なぜ、そう思うのだ? 私はアリーチェの頑張り屋なところがとても好きだぞ。それにエンツォと言ったか? 賢しい女性をよく思えないのは、その者の器が小さいからだろう。一緒にしないでくれ」
驚いた。鬼司教と同じことを言うんだ。
でも、確かに以前のイヴァーノもお馬鹿さんは嫌いそうだ。とても冷たい目で睨まれそうだもの。
私は過去のイヴァーノの目を思い出して、小さく震えた。
「其方は余計なことを考えなくてよい。私はそのままの其方が好きだ。アリーチェ、其方は何も我慢などせずに、私の側で好きなことに励んでいてくれるだけでよい」
「ありがとうございます。でも好きなことばかりではなく、苦手な政治のお勉強も頑張ります。イヴァーノの隣に立てるように頑張らせてください」
「アリーチェ」
イヴァーノの私を見つめる眼差しが熱い。
あ、キスされると思って目を閉じたのと同時くらいに、馬車が目的地に着いてしまう。
中央神殿と王宮はそんなに離れていないので、当たり前といえば当たり前だけれど、ちょっと残念に思ってしまった。
「アリーチェ、続きはあとで……」
「へ? は、はい」
耳元で囁くイヴァーノに私は顔を真っ赤にして頷いた。
うう、恥ずかしい。
今は王宮図書館に集中しなきゃ。
イヴァーノのエスコートで王宮図書館へ向かう。
図書館の入り口は宮殿の正面から東へ少し歩いた所にあった。そこには格式高い雰囲気のロビーがあり、その先に階段がある。その階段を登ると、従者が木でできた大きな扉を開けてくれた。
扉が開いた瞬間、まず目に飛び込んでくるのは高い天井と太く大きな柱。そしてまるで童話の中に迷い込んだような幻想的な空間だった。
床から天井までぎっしりと並べられた本の数々。届かないところの本も手に取れるように、本棚に掛けられた梯子。厳かな空間を優しく包み込んでいる大きな窓から差し込む光。
そのすべてに私は、とても感動した。
「素晴らしいです! 感動しました、イヴァーノ!」
「気に入ってもらえたのなら、何よりだ」
入り口から少し歩いた図書館の中央ホールには、この図書館の建設を命じた三代目国王のパルテチパツィオ二世の銅像があった。マントを翻し、一点を見つめる姿がとても勇ましい。
視線を丸天井に向けると、彼を囲むように美しいフレスコ画が広がっていた。このフレスコ画は、初代国王の御世から仕えていた宮廷画家による作品らしく、とても立体的な絵で美しかった。
より豪華さを引き出すための演出だろうか。壁には柱や建築装飾のようなものも描かれている。
まるで絵と建築が一体となって、その空間を生み出しているようだった。
「この中央のドーム、本当に素敵ですね。特に書架の曲線美が素晴らしいです」
私が嬉しさのあまりスキップしながら館内を見まわっていると、イヴァーノがにこやかに私の後ろをついてくる。その表情はとても楽しそうだ。
イヴァーノもやっぱり楽しいのね。良かった。デートなのに、私だけはしゃいでるのはどうかと思ったけれど、イヴァーノも楽しめているなら私も嬉しい。
あ、宮廷楽師の古い楽譜も展示されているのね。これはいつの時代の楽譜かしら?
「其方は、先ほどから素晴らしいや素敵ばかりだな」
「え?」
私が楽譜を見ていると、イヴァーノがクスクス笑った。そんな彼の笑顔に、少し自分の行動が恥ずかしくなって、視線を逸らす。
「だって……本当に素敵なんですもの。嫌だわ、子供っぽいと思っているのでしょう?」
「そのようなことは思っておらぬ。可愛いなと感動していたのだ。アリーチェが喜んでくれているのが、私には何よりの褒美だからな」
「……変なイヴァーノ」
とても楽しそうに笑っているイヴァーノに背を向けて、私は広い図書館の中をゆっくりと歩いた。
それにしても、本当にすごい。
何百年以上も前の本とは思えないほど、綺麗に残っていて、保存状態の良さに目を見張る。これだけの状態を保つなら、確かに持ち出し禁止かもしれない。
やっぱり状態保存の魔法でもかけているのかしら?
古い紙の匂いまで漂ってくるような気がして、私は息を大きく吸い込んだ。
「アリーチェ。実はこの本棚の裏に、隠し部屋があるのだ。換気目的のために開放されていて、今は隠されていないのだが、隠し部屋――好きだろう?」
「はい、大好きです!」
私はわくわくしながら、その本棚の裏にある隠し部屋へ入ってみて、さらに感動した。
隠し部屋の中は私の身長より少し高めで、二、三人が入れるくらいの広さしかなかった。
そして、ここもまた天井まで本がびっしりとあり、本棚と本棚の隙間に人が一人だけ入れるくらいのスペースもある。その隙間にぴったりとハマるように木細工のベンチとクッションが置いてあった。
「わあ、素敵! ここは読書スペースですか?」
私が楽しそうにベンチに腰掛けると、イヴァーノがうなずきながら面白そうな本を持ってきてくれる。
「この本は、もう廃った古の魔法が書き記されているそうだ。アリーチェはこういう本が好きだろう?」
「大好きです! ありがとうございます! あとで、ゆっくり読みたいので丸ごと一冊写しても良いですか?」
「それは構わぬが、大変ではないか?」
「いえ、大丈夫です」
私の申し出に、イヴァーノが快諾してくれたが、心配そうだ。
私はふふんと自信満々に笑いながら本の表面を手でなぞる。そして、「copia」と唱えると、まったく同じ本が現れた。
やった! うまくできた!
「アリーチェ。其方、複写の魔法も扱えるのか?」
「はい、ばっちりです」
「さすがだな。複写の魔法は四年生で習うのだが……」
イヴァーノは私の頭を撫でて褒めてくれながら、本物の本と複写した本をまじまじと見比べた。
◆後書き◇
オーストリア国立図書館がモデルです。
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