16 / 40
イストリア王妃①
しおりを挟む
三人でお茶を飲んだあとは、領地に向かう準備があるから出かけると言ったライモンド兄様を二人で見送った。
ライモンド兄様が乗った馬車が去っていくのを見ながら、ふーっと息を吐く。
「ルクレツィオ兄様、私は薬草畑の様子を見に行こうかなと思っているんですけど、一緒に来ますか? せっかく作ってもらったのにほとんど任せっきりなので、何株か神殿に移そうかなと思っているんです」
薬草は塗り薬や飲み薬なんかも作れる。
ポーションの流通は貴族のみで平民の手には渡らないので、神殿付属の診療所で魔法を必要としない普通の薬を作っているのだ。それにポーションは高価なので、風邪や小さい怪我などの大したことがない場合は貴族も普通の薬を使う。
その薬の研究のために、家の庭に私専用の薬草畑を作ってもらったんだけれど、実際ほとんど帰宅できていないので、神殿に移したほうがいいと思ったのだ。
すると、ルクレツィオ兄様が私の手を掴み、顔をじっと見つめてくる。
「その前に、話があるんだ」
「話、ですか?」
「うん。イヴァーノと付き合うことにしたと聞いたんだけど」
「え? あ、はい。報告が遅れてごめんなさい。イヴァーノに聞いたんですか?」
「そうだね、聞いたよ」
はにかみながら頷くと、ルクレツィオ兄様の表情が曇る。明らかに機嫌が悪くなったと分かる表情に、私は戸惑いを通り越して、困惑した。
どうしたんだろう?
やり直す前から私の恋愛ごとには厳しい人なので、相談もなく決めたのをよく思っていないのかもしれない。
「相談もせずに決めてしまってごめんなさい、兄様。でも、私たち本当に想い合っているんです」
「イヴァーノの恋人になるということがどういうことか分かっているのかい?」
「もちろん分かっています。大変な道のりですが、頑張りたいと思っています」
私が胸の前で両方の拳を握りしめてそう言うと、ルクレツィオ兄様が舌打ちをした。その舌打ちの音が耳に異様に響いて、私は拳を握ったまま動けなくなってしまった。
ルクレツィオ兄様?
「イヴァーノがアリーチェを気に入れば、それがアリーチェを守ることにも繋がると思ったから、僕は許したんだよ。はぁ、油断も隙もない。アリーチェ。男は皆、オオカミなんだよ。十一歳で、男と付き合うなんて早いよ」
「兄様、でも……」
「僕はアリーチェの幸せを願っているよ。でもこれはそんな単純な話じゃない。……イヴァーノとの付き合いが陛下の耳に入れば、目をつけられる。僕としては、それは望ましいことではないと思っているんだけど、やめるつもりはないんだね?」
「はい」
「なら、頑張ってみるといい。僕はアリーチェがイヴァーノと付き合うのは反対だけど、君が望むのなら応援はしないけど見守ってあげるよ」
ルクレツィオ兄様はそう言ったあと、去っていってしまった。私は去っていく背中を見つめたまま、しばらくその場から動けずに、頭の中で兄様の言葉を何度も反芻する。
兄様が心配する意味は分かる。
私に苦労してほしくないんだ。でも、頭ごなしに反対しないで見守ると言ってくれた兄様の気持ちは、素直に嬉しかった。応援はしないと言われたけれど、嬉しかったの。
私はその後、自分の頬を叩き気合を入れ、気持ちを切り替えて庭にある薬草畑へと向かった。
そこには色々な薬草が植えられていて、畑というより薬草園という規模に成長していた。
「作ってもらった時より、すごくなっているわ」
すごく感動するし、管理と世話をしてくれている庭師には大感謝だけれど、これだけ規模が大きくなっていると移すのは大変そうよね。やっぱり何株かだけもらっていこう。
私は庭師に声をかけて、今なんの薬草があるのかをリストにしてもらった。それを見ながら何を持っていこうか吟味しつつ、自室に戻る廊下を歩いていると、突然ガシャーンと大きな音が響く。
「え……?」
なんだろうと思い、音のほうに様子を見にいくと、応接室だった。応接室にはお母様とお客様らしい女性の方、それからとても慌てた侍女たちがいた。
「ああ、申し訳ございません!」
「これくらい大丈夫よ。かすり傷だわ」
「そんなわけにはまいりません! 至急、手当てを……」
話を盗み聞く限り、先ほどの大きな音でお客様が怪我をしたのだと分かった。なので、私は応接室に入り、薬草のリストを入り口付近にいた侍女にあずけ、お母様とお客様に歩み寄り、カーテシーを行なった。
「お初にお目にかかります。アリーチェ・カンディアーノと申します」
挨拶をしながら、ちらっと怪我の様子を窺う。すると、割れたティーカップで左手の人差し指を少し切った様子だった。
うーん。この程度なら、治癒魔法で治さなくても、塗り薬で大丈夫ね。
「もしよろしければ、私が手当てをさせていただいてもよろしいですか?」
「あら、もちろんよ。とても楽しみだわ」
お客様は笑顔で快諾してくれる。
私は了承を得てから、お客様の傷の状態を確認し、腰につけてあるポーチから乾燥させた西洋蓍草をすり鉢に入れた。そして、ポーチから精油やオイルなどを取り出して加える。
そのすり鉢に入れたものを、きめ細かくするために、すりこ木を三菱マークのように動かす。
「この西洋蓍草は、よく『兵士の傷薬』ともいわれるもので、乾燥させると火傷や切り傷に効く軟膏を作ることができるんです。この軟膏を塗れば、傷跡が残らず、すぐに痛みも引きますよ。もしあとで、痛むことがあれば、またこれを塗ってください」
私はお客様に声をかけてから、彼女の指先に作ったばかりの軟膏を塗った。そして容器に移し、お客様に差し出す。
「ありがとう。あの兵士の傷薬を即席で作れるなんて大したものだわ。アリーチェ、噂はマリアンナから聞いていますよ。突然の出来事にも冷静に対処し、とても優秀なのね。立派だわ」
「ありがとうございます」
「それにカーテシーを行なう時の動作が、一流の剣士のような身のこなしだったわ。まったく体の軸にブレがないもの。首座司教の指導の賜物かしら?」
お客様は、軟膏と共に私の手を握り微笑んだ。
その言葉に冷や汗が垂れる。私は慌てて誤魔化すように、にこりと微笑み返した。
確かに私は、鬼司教から血反吐が出るような剣術指導を受けている。そこらの剣士より強い自信もある。だけれど、貴族の人にそれを気づける人がいるなんて……。
私は驚きを隠しつつ、膝をつき、頭を垂れ、謝罪の意を示した。
私が今求められているのは貴族令嬢としての振る舞いだ。剣士としてではない。気づかれるなんて、失態以外のなにものでもない。
「失礼があったようで、大変申し訳ございません」
「いいえ、アリーチェ。わたくしは褒めているのですよ。貴方の身のこなしや纏っている気は、そのまま貴方の努力を表しているんですもの。とても十一歳だとは思えないわ」
お客様の予想外の言葉に目を瞬き、戸惑いつつ、お母様に目をやる。すると、お母様はニッコリと微笑み、私を立ち上がらせてくれた。そして、「この方はイヴァーノの母君よ」と耳打ちする。
え……? イヴァーノの母君……?
「まさか……」
「ええ、そのまさかよ。この方はわたくしの義姉であり、この国の王妃。ベンヴェヌータ様よ」
「よろしくね。でも王妃だなんて堅苦しい呼び方はやめて頂戴。どうか、お義母様と呼んでおくれ」
「お、お義母様……」
私は震える声で、そう呼んだ。すると、彼女は満足そうに笑う。
ああ、私ったらなんという失礼を……。イヴァーノのお母様だと分かっていたら、もっとお淑やかにしたのに。ああ、どうしよう。失敗してしまった。
まだ覚悟ができていないまま、こんなところでイヴァーノのお母様に会ってしまい、私はもうパニックだった。
「アリーチェ、なんという顔をしているの。わたくしは褒めていると言っているでしょう。それに、わたくしは手当てまでしてくれた貴方の優しい心に、大層感激しているのよ。本音を言えば、全属性の魔法を見てみたかったけれど……」
「も、もちろんです! 是非、させてください……!」
私が跪き両手を差し出すと、お義母様は「あら、そう? 悪いわね」と言って、私の手に傷のある手を置いた。その傷に自分の手を重ね、ゆっくりと魔力を流すと、綺麗に傷跡が消える。
ああ、よかった。うまくいったわ。緊張しすぎて失敗したら、どうしようかと思った。
私が胸を撫で下ろすと、お義母様が嬉しそうに応接室にいる皆にその手を見せながら、ほうっと息を吐いた。
「見て頂戴。ちゃんと消えたわよ」
「わたくしの娘はすごいでしょう?」
「ええ、とても素晴らしいわ」
楽しそうに話す二人を見ながら、私は少し気が抜けて座り込みそうになったけど、ぐっとこらえた。
「アリーチェ」
「はい!」
名を呼ばれて、気を引き締めるように姿勢を正すと、お義母様は私の手を引き、立つように促したので慌てて立ち上がる。
やっぱりイヴァーノのお母様だ。笑うと、とても似ている。彼女の持つ優しげな雰囲気に安心しそうになるけれど、私は心の中でかぶりを振った。
この方は王妃陛下。それを忘れてはいけない。
私は己の分を弁えなければ……。
「母上! いらっしゃっていたのですね!」
その瞬間、開かれたままのドアからイヴァーノが入ってきたので、私は弾かれたようにドアのほうに顔を向けた。
「イヴァーノ……、ノックをしなさい」
「ですが、扉は開いたままでしたし、廊下まで声が聞こえていましたよ」
二人のお母様が声を揃えて呆れたようにそう言ったけれど、イヴァーノはまったく気にする様子もなく、私の隣に来て、私の肩を抱いた。
「母上、紹介させてください。私が愛する姫です。未来のイストリアの王妃です」
「っ!?」
イヴァーノの言葉に、私とお母様が目を見張り、イヴァーノのお母様が楽しそうな笑みを浮かべた。
「ちょっと、イヴァーノ! 物事には順序というものが……」
「何を言うか……。こういう時に紹介しないでいつするのだ?」
「で、でも、心の準備が……」
「大丈夫だ」
イヴァーノがとても楽しそうに微笑みながら、私の手に口付ける。それを見たお母様が「イヴァーノ! アリーチェ! これはどういうことなの? わたくしは報告を受けていないわよ!」と金切り声を上げる。
「ごめんなさい、お母様」
私が頭を下げると、お義母様が私の肩に手を置く。
どちらのお母様も、やっぱり怒っているんだ。
「イヴァーノ、それを望むということがどういうことを意味するか……、すべて分かった上で言っているのね?」
「もちろんです、母上」
お義母様は読めない笑みを絶やさずに、私とイヴァーノを静かに見つめたあと、一つ息を吐く。そして、含みのある笑みを浮かべた。
「ねぇ、イヴァーノ。貴方は知っていますか? アリーチェが、戦場に立つ者のような目をしていることを。死すら恐れない覚悟を決めていることを、そして最期の瞬間まで己の命運に抗おうとしている目をしていることを……」
「もちろん知っています。アリーチェ同様、私もすべてを知った上で、彼女を守りたいと思ったのです」
「そう……」
私はすべてを見透かされているようなお義母様の瞳と言葉に、息を呑んだ。
ライモンド兄様が乗った馬車が去っていくのを見ながら、ふーっと息を吐く。
「ルクレツィオ兄様、私は薬草畑の様子を見に行こうかなと思っているんですけど、一緒に来ますか? せっかく作ってもらったのにほとんど任せっきりなので、何株か神殿に移そうかなと思っているんです」
薬草は塗り薬や飲み薬なんかも作れる。
ポーションの流通は貴族のみで平民の手には渡らないので、神殿付属の診療所で魔法を必要としない普通の薬を作っているのだ。それにポーションは高価なので、風邪や小さい怪我などの大したことがない場合は貴族も普通の薬を使う。
その薬の研究のために、家の庭に私専用の薬草畑を作ってもらったんだけれど、実際ほとんど帰宅できていないので、神殿に移したほうがいいと思ったのだ。
すると、ルクレツィオ兄様が私の手を掴み、顔をじっと見つめてくる。
「その前に、話があるんだ」
「話、ですか?」
「うん。イヴァーノと付き合うことにしたと聞いたんだけど」
「え? あ、はい。報告が遅れてごめんなさい。イヴァーノに聞いたんですか?」
「そうだね、聞いたよ」
はにかみながら頷くと、ルクレツィオ兄様の表情が曇る。明らかに機嫌が悪くなったと分かる表情に、私は戸惑いを通り越して、困惑した。
どうしたんだろう?
やり直す前から私の恋愛ごとには厳しい人なので、相談もなく決めたのをよく思っていないのかもしれない。
「相談もせずに決めてしまってごめんなさい、兄様。でも、私たち本当に想い合っているんです」
「イヴァーノの恋人になるということがどういうことか分かっているのかい?」
「もちろん分かっています。大変な道のりですが、頑張りたいと思っています」
私が胸の前で両方の拳を握りしめてそう言うと、ルクレツィオ兄様が舌打ちをした。その舌打ちの音が耳に異様に響いて、私は拳を握ったまま動けなくなってしまった。
ルクレツィオ兄様?
「イヴァーノがアリーチェを気に入れば、それがアリーチェを守ることにも繋がると思ったから、僕は許したんだよ。はぁ、油断も隙もない。アリーチェ。男は皆、オオカミなんだよ。十一歳で、男と付き合うなんて早いよ」
「兄様、でも……」
「僕はアリーチェの幸せを願っているよ。でもこれはそんな単純な話じゃない。……イヴァーノとの付き合いが陛下の耳に入れば、目をつけられる。僕としては、それは望ましいことではないと思っているんだけど、やめるつもりはないんだね?」
「はい」
「なら、頑張ってみるといい。僕はアリーチェがイヴァーノと付き合うのは反対だけど、君が望むのなら応援はしないけど見守ってあげるよ」
ルクレツィオ兄様はそう言ったあと、去っていってしまった。私は去っていく背中を見つめたまま、しばらくその場から動けずに、頭の中で兄様の言葉を何度も反芻する。
兄様が心配する意味は分かる。
私に苦労してほしくないんだ。でも、頭ごなしに反対しないで見守ると言ってくれた兄様の気持ちは、素直に嬉しかった。応援はしないと言われたけれど、嬉しかったの。
私はその後、自分の頬を叩き気合を入れ、気持ちを切り替えて庭にある薬草畑へと向かった。
そこには色々な薬草が植えられていて、畑というより薬草園という規模に成長していた。
「作ってもらった時より、すごくなっているわ」
すごく感動するし、管理と世話をしてくれている庭師には大感謝だけれど、これだけ規模が大きくなっていると移すのは大変そうよね。やっぱり何株かだけもらっていこう。
私は庭師に声をかけて、今なんの薬草があるのかをリストにしてもらった。それを見ながら何を持っていこうか吟味しつつ、自室に戻る廊下を歩いていると、突然ガシャーンと大きな音が響く。
「え……?」
なんだろうと思い、音のほうに様子を見にいくと、応接室だった。応接室にはお母様とお客様らしい女性の方、それからとても慌てた侍女たちがいた。
「ああ、申し訳ございません!」
「これくらい大丈夫よ。かすり傷だわ」
「そんなわけにはまいりません! 至急、手当てを……」
話を盗み聞く限り、先ほどの大きな音でお客様が怪我をしたのだと分かった。なので、私は応接室に入り、薬草のリストを入り口付近にいた侍女にあずけ、お母様とお客様に歩み寄り、カーテシーを行なった。
「お初にお目にかかります。アリーチェ・カンディアーノと申します」
挨拶をしながら、ちらっと怪我の様子を窺う。すると、割れたティーカップで左手の人差し指を少し切った様子だった。
うーん。この程度なら、治癒魔法で治さなくても、塗り薬で大丈夫ね。
「もしよろしければ、私が手当てをさせていただいてもよろしいですか?」
「あら、もちろんよ。とても楽しみだわ」
お客様は笑顔で快諾してくれる。
私は了承を得てから、お客様の傷の状態を確認し、腰につけてあるポーチから乾燥させた西洋蓍草をすり鉢に入れた。そして、ポーチから精油やオイルなどを取り出して加える。
そのすり鉢に入れたものを、きめ細かくするために、すりこ木を三菱マークのように動かす。
「この西洋蓍草は、よく『兵士の傷薬』ともいわれるもので、乾燥させると火傷や切り傷に効く軟膏を作ることができるんです。この軟膏を塗れば、傷跡が残らず、すぐに痛みも引きますよ。もしあとで、痛むことがあれば、またこれを塗ってください」
私はお客様に声をかけてから、彼女の指先に作ったばかりの軟膏を塗った。そして容器に移し、お客様に差し出す。
「ありがとう。あの兵士の傷薬を即席で作れるなんて大したものだわ。アリーチェ、噂はマリアンナから聞いていますよ。突然の出来事にも冷静に対処し、とても優秀なのね。立派だわ」
「ありがとうございます」
「それにカーテシーを行なう時の動作が、一流の剣士のような身のこなしだったわ。まったく体の軸にブレがないもの。首座司教の指導の賜物かしら?」
お客様は、軟膏と共に私の手を握り微笑んだ。
その言葉に冷や汗が垂れる。私は慌てて誤魔化すように、にこりと微笑み返した。
確かに私は、鬼司教から血反吐が出るような剣術指導を受けている。そこらの剣士より強い自信もある。だけれど、貴族の人にそれを気づける人がいるなんて……。
私は驚きを隠しつつ、膝をつき、頭を垂れ、謝罪の意を示した。
私が今求められているのは貴族令嬢としての振る舞いだ。剣士としてではない。気づかれるなんて、失態以外のなにものでもない。
「失礼があったようで、大変申し訳ございません」
「いいえ、アリーチェ。わたくしは褒めているのですよ。貴方の身のこなしや纏っている気は、そのまま貴方の努力を表しているんですもの。とても十一歳だとは思えないわ」
お客様の予想外の言葉に目を瞬き、戸惑いつつ、お母様に目をやる。すると、お母様はニッコリと微笑み、私を立ち上がらせてくれた。そして、「この方はイヴァーノの母君よ」と耳打ちする。
え……? イヴァーノの母君……?
「まさか……」
「ええ、そのまさかよ。この方はわたくしの義姉であり、この国の王妃。ベンヴェヌータ様よ」
「よろしくね。でも王妃だなんて堅苦しい呼び方はやめて頂戴。どうか、お義母様と呼んでおくれ」
「お、お義母様……」
私は震える声で、そう呼んだ。すると、彼女は満足そうに笑う。
ああ、私ったらなんという失礼を……。イヴァーノのお母様だと分かっていたら、もっとお淑やかにしたのに。ああ、どうしよう。失敗してしまった。
まだ覚悟ができていないまま、こんなところでイヴァーノのお母様に会ってしまい、私はもうパニックだった。
「アリーチェ、なんという顔をしているの。わたくしは褒めていると言っているでしょう。それに、わたくしは手当てまでしてくれた貴方の優しい心に、大層感激しているのよ。本音を言えば、全属性の魔法を見てみたかったけれど……」
「も、もちろんです! 是非、させてください……!」
私が跪き両手を差し出すと、お義母様は「あら、そう? 悪いわね」と言って、私の手に傷のある手を置いた。その傷に自分の手を重ね、ゆっくりと魔力を流すと、綺麗に傷跡が消える。
ああ、よかった。うまくいったわ。緊張しすぎて失敗したら、どうしようかと思った。
私が胸を撫で下ろすと、お義母様が嬉しそうに応接室にいる皆にその手を見せながら、ほうっと息を吐いた。
「見て頂戴。ちゃんと消えたわよ」
「わたくしの娘はすごいでしょう?」
「ええ、とても素晴らしいわ」
楽しそうに話す二人を見ながら、私は少し気が抜けて座り込みそうになったけど、ぐっとこらえた。
「アリーチェ」
「はい!」
名を呼ばれて、気を引き締めるように姿勢を正すと、お義母様は私の手を引き、立つように促したので慌てて立ち上がる。
やっぱりイヴァーノのお母様だ。笑うと、とても似ている。彼女の持つ優しげな雰囲気に安心しそうになるけれど、私は心の中でかぶりを振った。
この方は王妃陛下。それを忘れてはいけない。
私は己の分を弁えなければ……。
「母上! いらっしゃっていたのですね!」
その瞬間、開かれたままのドアからイヴァーノが入ってきたので、私は弾かれたようにドアのほうに顔を向けた。
「イヴァーノ……、ノックをしなさい」
「ですが、扉は開いたままでしたし、廊下まで声が聞こえていましたよ」
二人のお母様が声を揃えて呆れたようにそう言ったけれど、イヴァーノはまったく気にする様子もなく、私の隣に来て、私の肩を抱いた。
「母上、紹介させてください。私が愛する姫です。未来のイストリアの王妃です」
「っ!?」
イヴァーノの言葉に、私とお母様が目を見張り、イヴァーノのお母様が楽しそうな笑みを浮かべた。
「ちょっと、イヴァーノ! 物事には順序というものが……」
「何を言うか……。こういう時に紹介しないでいつするのだ?」
「で、でも、心の準備が……」
「大丈夫だ」
イヴァーノがとても楽しそうに微笑みながら、私の手に口付ける。それを見たお母様が「イヴァーノ! アリーチェ! これはどういうことなの? わたくしは報告を受けていないわよ!」と金切り声を上げる。
「ごめんなさい、お母様」
私が頭を下げると、お義母様が私の肩に手を置く。
どちらのお母様も、やっぱり怒っているんだ。
「イヴァーノ、それを望むということがどういうことを意味するか……、すべて分かった上で言っているのね?」
「もちろんです、母上」
お義母様は読めない笑みを絶やさずに、私とイヴァーノを静かに見つめたあと、一つ息を吐く。そして、含みのある笑みを浮かべた。
「ねぇ、イヴァーノ。貴方は知っていますか? アリーチェが、戦場に立つ者のような目をしていることを。死すら恐れない覚悟を決めていることを、そして最期の瞬間まで己の命運に抗おうとしている目をしていることを……」
「もちろん知っています。アリーチェ同様、私もすべてを知った上で、彼女を守りたいと思ったのです」
「そう……」
私はすべてを見透かされているようなお義母様の瞳と言葉に、息を呑んだ。
16
お気に入りに追加
633
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ループした悪役令嬢は王子からの溺愛に気付かない
咲桜りおな
恋愛
愛する夫(王太子)から愛される事もなく結婚間もなく悲運の死を迎える元公爵令嬢のモデリーン。
自分が何度も同じ人生をやり直している事に気付くも、やり直す度に上手くいかない人生にうんざりしてしまう。
どうせなら王太子と出会わない人生を送りたい……そう願って眠りに就くと、王太子との婚約前に時は巻き戻った。
それと同時にこの世界が乙女ゲームの中で、自分が悪役令嬢へ転生していた事も知る。
嫌われる運命なら王太子と婚約せず、ヒロインである自分の妹が結婚して幸せになればいい。
悪役令嬢として生きるなんてまっぴら。自分は自分の道を行く!
そう決めて五度目の人生をやり直し始めるモデリーンの物語。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
【完結】婚約破棄されたらループするので、こちらから破棄させていただきます!~薄幸令嬢はイケメン(ストーカー)魔術師に捕まりました~
雨宮羽那
恋愛
公爵令嬢フェリシア・ウィングフィールドは、義妹に婚約者を奪われ婚約破棄を告げられる。
そうしてその瞬間、ループしてしまうのだ。1年前の、婚約が決まった瞬間へと。
初めは婚約者のことが好きだったし、義妹に奪われたことが悲しかった。
だからこそ、やり直す機会を与えられて喜びもした。
しかし、婚約者に前以上にアプローチするも上手くいかず。2人が仲良くなるのを徹底的に邪魔してみても意味がなく。いっそ義妹と仲良くなろうとしてもダメ。義妹と距離をとってもダメ。
ループを4回ほど繰り返したフェリシアは思った。
――もういいや、と。
5回目のやり直しでフェリシアは、「その婚約、破棄させていただきますね」と告げて、屋敷を飛び出した。
……のはいいものの、速攻賊に襲われる。そんなフェリシアを助けてくれたのは、銀の長髪が美しい魔術師・ユーリーだった。
――あれ、私どこかでこの魔術師と会ったことある?
これは、見覚えがあるけど思い出せない魔術師・ユーリーと、幸薄め公爵令嬢フェリシアのラブストーリー。
※「小説家になろう」様にも掲載しております。
※別名義の作品のストーリーを大幅に改変したものになります。
※表紙はAIイラストです。(5/23追加しました)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
逆行転生、断罪され婚約を破棄された落ちこぼれ令嬢は、神の子となり逆行転生したので今度は王太子殿下とは婚約解消して自由に生きたいと思います
みゅー
恋愛
アドリエンヌは魔法が使えず、それを知ったシャウラに魔法学園の卒業式の日に断罪されることになる。しかも、シャウラに嫌がらせをされたと濡れ衣を着せられてしまう。
当然王太子殿下との婚約は破棄となったが気づくと時間を遡り、絶大な力を手に入れていた。
今度こそ人生を楽しむため、自分にまるで興味を持っていない王太子殿下との婚約を穏便に解消し、自由に幸せに生きると決めたアドリエンヌ。
それなのに国の秘密に関わることになり、王太子殿下には監視という名目で付きまとわれるようになる。
だが、そんな日常の中でアドリエンヌは信頼できる仲間たちと国を救うことになる。
そして、その中で王太子殿下との信頼関係を気づいて行き……
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~
丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。
一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。
それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。
ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。
ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。
もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは……
これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。
【完結】リクエストにお答えして、今から『悪役令嬢』です。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「断罪……? いいえ、ただの事実確認ですよ。」
***
ただ求められるままに生きてきた私は、ある日王子との婚約解消と極刑を突きつけられる。
しかし王子から「お前は『悪』だ」と言われ、周りから冷たい視線に晒されて、私は気づいてしまったのだ。
――あぁ、今私に求められているのは『悪役』なのだ、と。
今まで溜まっていた鬱憤も、ずっとしてきた我慢も。
それら全てを吐き出して私は今、「彼らが望む『悪役』」へと変貌する。
これは従順だった公爵令嬢が一転、異色の『悪役』として王族達を相手取り、様々な真実を紐解き果たす。
そんな復讐と解放と恋の物語。
◇ ◆ ◇
※カクヨムではさっぱり断罪版を、アルファポリスでは恋愛色強めで書いています。
さっぱり断罪が好み、または読み比べたいという方は、カクヨムへお越しください。
カクヨムへのリンクは画面下部に貼ってあります。
※カクヨム版が『カクヨムWeb小説短編賞2020』中間選考作品に選ばれました。
選考結果如何では、こちらの作品を削除する可能性もありますので悪しからず。
※表紙絵はフリー素材を拝借しました。
逃げて、追われて、捕まって
あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。
この世界で王妃として生きてきた記憶。
過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。
人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。
だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。
2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ
2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。
**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。
ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる