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祖父の言葉
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「平和だなぁ」
庭師の手伝いで、庭の花に水をあげながら空を仰ぐ。
母屋に部屋を用意されて最初はどうなることかと思ったが、この一ヵ月――とても穏やかに過ごせている。
それに隆文はどれだけ忙しくても毎日挨拶をしてくれる。出るのが早過ぎたり帰るのが遅過ぎて言えないときは、メッセージアプリで伝えてくれるのだ。律儀だなぁと思いつつも何気にこのやり取りを楽しんでいる自分がいる。
(隆文くん……忙しいのに私のために時間を作ってくれてるのよね)
隆文は忙しいのであまり休みを取れないのだが、早く帰れたりすると部屋で一緒に映画を観たり、庭を散歩したり、二人の時間を積極的に持とうとしてくれる。
正直すごく大切にされているのが分かって、少しくすぐったい。彼は言葉にこそしないが、態度がすべてを物語っている。
自分を見つめる熱い眼差しを思い出して、カァッと顔に熱が上がった。
満更ではないと思ってしまっているのだ。
侑奈は花にあげていた水を止め、かぶりを振った。
(うう、困るわ……)
婚約の話が出たときも相当戸惑ったのに、その相手が記憶とまったく違って優しく穏やかなのだ。こんなの困惑を通り越して動揺しかない。
「はぁ~っ」
「侑奈」
「!」
大きな溜息をついたとき、聞き慣れた声が名を呼ぶ。おそるおそる振り返ると、四條家の執事と祖父が立っていた。
(嘘でしょ。どうしているの?)
会釈して去っていく執事に、心の中で行かないでと手を伸ばす。
「久しぶりだな。元気でやっていたか?」
「お、おじいさま。玲子さんはお仕事でいませんよ。どうされたのですか?」
いつもと変わらない厳しい表情で愛用の杖をつき近寄ってくる祖父に、侑奈はぺこりとお辞儀をした。そしてキョロキョロと祖母を探す。
(おばあさまはいないのかしら)
「てっきり泣きながら逃げ帰ってくると思ったのに、全然実家に顔を出さないのでな。様子を見にきたのだ」
「そ、そうだったのですね。お兄様経由で色々聞いていると思っていました」
(うう、緊張する)
自分の祖父ではあるが苦手だ。
侑奈が気まずそうに笑うと、祖父が顔をしかめた。
「悠斗は仕事仕事で滅多に家に帰ってこんのだ。だから様子を見に来たのだが、どうだ? うまくやれそうか?」
「は、はい。子供のときとは違い優しくしていただいています」
「ならば、もう婚約できるな」
「え? いいえ、それはまだ……」
「何故だ? ここには現在の――彼の人となりを確認し結婚できるか調べにきたのだろう? 優しくしてもらっているのなら問題ないはずだ」
(……っ)
祖父の言葉に唖然とする。
彼の言っていることに間違いはないが、それは極端すぎる。
「で、でも好きになれなければ結婚はできません」
「は? まさか隆文くんと恋愛でもするつもりか? お前は何を勘違いしているんだ?」
「か、勘違いなんて……」
「これは政略結婚だ。四條家との縁談はうちにメリットしかないのだから、彼に対して恐怖がなくなったのなら、馬鹿な夢を見ていないでさっさとこの話を受けなさい」
祖父の呆れた視線と声音に侑奈が動けなくなると、祖父が大きな溜息をつく。
「二人の婚約が決まったら玲子は会長職を辞すつもりだそうだ。そうすれば、現在グループ企業にいる隆文くんも本社に呼び戻されるだろう。良いこと尽くめじゃないか」
祖父の言葉が鼓膜に突き刺さる。
玲子も隆文も優しいから忘れていた。
(そうよね……これは政略結婚……)
「侑奈、聞いているか? まったく。お前は悠斗と違い愚図だからいかん。そのくせワガママだ。家のことを思うなら、過去のことなんて水に流して即答すべきだったのに、今の彼を知りたいなどと愚かなことを」
「……」
侑奈は祖父の小言を聞きながら、スカートをぎゅっと握り込んだ。
***
仕事を終えて自室に戻ろうとしたときに、隆文が帰ってくる。侑奈の心とは違い、とても嬉しそうに近寄ってくる彼に、胸が痛くなった。
「ただいま」
「おかえりなさい……」
無愛想に挨拶をして、侑奈は彼から目を逸らした。
(どうして今帰ってくるのよ……。いつもはもっと遅いくせに)
今は会いたくないのにと思いながら侑奈が渋い顔をしていると、隆文が顔を覗き込んでくる。
「どうした? 元気ないな。腹減ってるのか?」
「別に……」
「今日、侑奈のおじいさんが訪ねてきたんだろう? それから元気なくなったって荒井さんから報告があったよ。昼も夜も食べてないって」
(荒井さんったら……どうしてバラすのよ)
心で泣きながら隆文を薄く睨むと、彼が侑奈の頭を撫でてくる。
「どうせ政略結婚がどうとか。色々くだらないこと言われたんだろ。気にするな」
「……」
なぜ分かるのだろうか。
図星を指されてどう答えていいか分からず俯くと、彼が侑奈の手を握って歩き出した。おずおずとついていく。
「実は昼間に多喜子さんから電話で聞いたんだ。おじいさんが勝手なことをしたって憤慨してたよ。それと同じだけ侑奈のこと心配してた」
「おばあさまが?」
「うん。おじいさんのことを叱っておいたから、侑奈は何も気にしなくていいって言ってたよ」
「……」
とても優しい顔で微笑みかけてくれる隆文に、鼻の奥がつんとなる。
侑奈が顔を上げられないでいると、手を引いて彼の部屋へ入れてくれた。
「私たちの婚約が決まったら玲子さん……引退するんでしょう? そうしたら隆文くんは本社に行けるんですよね?」
涙を我慢しながら声を絞り出す。すると、彼は何も答えてくれないまま、侑奈の額を指で弾いた。
「……っ!」
「阿呆。ばあさんが引退するのは年だからだ。俺たちのことは関係ない」
「で、でも」
「侑奈のところもそうだけど、うちのばあさんもすごく元気だから忘れそうになるけど、あの人もう八十八歳なんだよ。そろそろ休ませてやらなければと思わないか? 定年を何年すぎてると思ってるんだ」
「そ、それは思いますけど……」
「けど?」
彼は問いかけながら、手を引いてソファーに座らせてくれる。そしてジャケットを脱いで隣に座った。
「私と結婚したら四條製薬の社長になれるのに……」
「は? 社長?」
「玲子さんが引退するってことはそういうことでしょう?」
「あのな、残念ながら会長が引退したからって、はいそうですかって簡単には繰り上がれないよ」
隆文は、親族といえど責任あるポストに就任するには総会で一定以上の支持が必要だと言った。
(確かに結果を出さなきゃ、皆が納得しないのは分かるけど……)
だが実際、玲子の言葉は何より大きいはずだ。
侑奈はこわごわと隆文の顔を見た。
「じゃあ、私たちの婚約は本当に隆文くんの出世とかには関係ないんですか?」
「ないよ。侑奈があと五十年答えを出せなくても、俺は俺なりに結果を出してのぼり詰めるつもりだから、何も気にせずのんびり考えればいい。信じられないなら、ばあさんにも聞いてみるといいよ。侑奈を傷つけて強引に嫁にもらっても嬉しくないって絶対に言うから」
「そうですか。ありがとうございます……。でも五十年だなんて……いくら私でも、そこまでは待たせません」
「そう? なら、期待して待ってようかな」
くつくつと笑いながら、侑奈の頭を撫でてくる隆文に、胸がじんわりと熱を持ってくる。
政略結婚は両家にとって必ずメリットがあるはずだ。だから関係ないなんてことないだろう。
(私がこれ以上気にしないように言ってくれてるのよね。優しい人……)
「安心したらお腹空きました」
「なら、どこかに食べに行くか? 近くに美味い店があるんだ」
エヘヘと笑うと、手を取って笑いかけてくれる隆文にニコリと頷く。
庭師の手伝いで、庭の花に水をあげながら空を仰ぐ。
母屋に部屋を用意されて最初はどうなることかと思ったが、この一ヵ月――とても穏やかに過ごせている。
それに隆文はどれだけ忙しくても毎日挨拶をしてくれる。出るのが早過ぎたり帰るのが遅過ぎて言えないときは、メッセージアプリで伝えてくれるのだ。律儀だなぁと思いつつも何気にこのやり取りを楽しんでいる自分がいる。
(隆文くん……忙しいのに私のために時間を作ってくれてるのよね)
隆文は忙しいのであまり休みを取れないのだが、早く帰れたりすると部屋で一緒に映画を観たり、庭を散歩したり、二人の時間を積極的に持とうとしてくれる。
正直すごく大切にされているのが分かって、少しくすぐったい。彼は言葉にこそしないが、態度がすべてを物語っている。
自分を見つめる熱い眼差しを思い出して、カァッと顔に熱が上がった。
満更ではないと思ってしまっているのだ。
侑奈は花にあげていた水を止め、かぶりを振った。
(うう、困るわ……)
婚約の話が出たときも相当戸惑ったのに、その相手が記憶とまったく違って優しく穏やかなのだ。こんなの困惑を通り越して動揺しかない。
「はぁ~っ」
「侑奈」
「!」
大きな溜息をついたとき、聞き慣れた声が名を呼ぶ。おそるおそる振り返ると、四條家の執事と祖父が立っていた。
(嘘でしょ。どうしているの?)
会釈して去っていく執事に、心の中で行かないでと手を伸ばす。
「久しぶりだな。元気でやっていたか?」
「お、おじいさま。玲子さんはお仕事でいませんよ。どうされたのですか?」
いつもと変わらない厳しい表情で愛用の杖をつき近寄ってくる祖父に、侑奈はぺこりとお辞儀をした。そしてキョロキョロと祖母を探す。
(おばあさまはいないのかしら)
「てっきり泣きながら逃げ帰ってくると思ったのに、全然実家に顔を出さないのでな。様子を見にきたのだ」
「そ、そうだったのですね。お兄様経由で色々聞いていると思っていました」
(うう、緊張する)
自分の祖父ではあるが苦手だ。
侑奈が気まずそうに笑うと、祖父が顔をしかめた。
「悠斗は仕事仕事で滅多に家に帰ってこんのだ。だから様子を見に来たのだが、どうだ? うまくやれそうか?」
「は、はい。子供のときとは違い優しくしていただいています」
「ならば、もう婚約できるな」
「え? いいえ、それはまだ……」
「何故だ? ここには現在の――彼の人となりを確認し結婚できるか調べにきたのだろう? 優しくしてもらっているのなら問題ないはずだ」
(……っ)
祖父の言葉に唖然とする。
彼の言っていることに間違いはないが、それは極端すぎる。
「で、でも好きになれなければ結婚はできません」
「は? まさか隆文くんと恋愛でもするつもりか? お前は何を勘違いしているんだ?」
「か、勘違いなんて……」
「これは政略結婚だ。四條家との縁談はうちにメリットしかないのだから、彼に対して恐怖がなくなったのなら、馬鹿な夢を見ていないでさっさとこの話を受けなさい」
祖父の呆れた視線と声音に侑奈が動けなくなると、祖父が大きな溜息をつく。
「二人の婚約が決まったら玲子は会長職を辞すつもりだそうだ。そうすれば、現在グループ企業にいる隆文くんも本社に呼び戻されるだろう。良いこと尽くめじゃないか」
祖父の言葉が鼓膜に突き刺さる。
玲子も隆文も優しいから忘れていた。
(そうよね……これは政略結婚……)
「侑奈、聞いているか? まったく。お前は悠斗と違い愚図だからいかん。そのくせワガママだ。家のことを思うなら、過去のことなんて水に流して即答すべきだったのに、今の彼を知りたいなどと愚かなことを」
「……」
侑奈は祖父の小言を聞きながら、スカートをぎゅっと握り込んだ。
***
仕事を終えて自室に戻ろうとしたときに、隆文が帰ってくる。侑奈の心とは違い、とても嬉しそうに近寄ってくる彼に、胸が痛くなった。
「ただいま」
「おかえりなさい……」
無愛想に挨拶をして、侑奈は彼から目を逸らした。
(どうして今帰ってくるのよ……。いつもはもっと遅いくせに)
今は会いたくないのにと思いながら侑奈が渋い顔をしていると、隆文が顔を覗き込んでくる。
「どうした? 元気ないな。腹減ってるのか?」
「別に……」
「今日、侑奈のおじいさんが訪ねてきたんだろう? それから元気なくなったって荒井さんから報告があったよ。昼も夜も食べてないって」
(荒井さんったら……どうしてバラすのよ)
心で泣きながら隆文を薄く睨むと、彼が侑奈の頭を撫でてくる。
「どうせ政略結婚がどうとか。色々くだらないこと言われたんだろ。気にするな」
「……」
なぜ分かるのだろうか。
図星を指されてどう答えていいか分からず俯くと、彼が侑奈の手を握って歩き出した。おずおずとついていく。
「実は昼間に多喜子さんから電話で聞いたんだ。おじいさんが勝手なことをしたって憤慨してたよ。それと同じだけ侑奈のこと心配してた」
「おばあさまが?」
「うん。おじいさんのことを叱っておいたから、侑奈は何も気にしなくていいって言ってたよ」
「……」
とても優しい顔で微笑みかけてくれる隆文に、鼻の奥がつんとなる。
侑奈が顔を上げられないでいると、手を引いて彼の部屋へ入れてくれた。
「私たちの婚約が決まったら玲子さん……引退するんでしょう? そうしたら隆文くんは本社に行けるんですよね?」
涙を我慢しながら声を絞り出す。すると、彼は何も答えてくれないまま、侑奈の額を指で弾いた。
「……っ!」
「阿呆。ばあさんが引退するのは年だからだ。俺たちのことは関係ない」
「で、でも」
「侑奈のところもそうだけど、うちのばあさんもすごく元気だから忘れそうになるけど、あの人もう八十八歳なんだよ。そろそろ休ませてやらなければと思わないか? 定年を何年すぎてると思ってるんだ」
「そ、それは思いますけど……」
「けど?」
彼は問いかけながら、手を引いてソファーに座らせてくれる。そしてジャケットを脱いで隣に座った。
「私と結婚したら四條製薬の社長になれるのに……」
「は? 社長?」
「玲子さんが引退するってことはそういうことでしょう?」
「あのな、残念ながら会長が引退したからって、はいそうですかって簡単には繰り上がれないよ」
隆文は、親族といえど責任あるポストに就任するには総会で一定以上の支持が必要だと言った。
(確かに結果を出さなきゃ、皆が納得しないのは分かるけど……)
だが実際、玲子の言葉は何より大きいはずだ。
侑奈はこわごわと隆文の顔を見た。
「じゃあ、私たちの婚約は本当に隆文くんの出世とかには関係ないんですか?」
「ないよ。侑奈があと五十年答えを出せなくても、俺は俺なりに結果を出してのぼり詰めるつもりだから、何も気にせずのんびり考えればいい。信じられないなら、ばあさんにも聞いてみるといいよ。侑奈を傷つけて強引に嫁にもらっても嬉しくないって絶対に言うから」
「そうですか。ありがとうございます……。でも五十年だなんて……いくら私でも、そこまでは待たせません」
「そう? なら、期待して待ってようかな」
くつくつと笑いながら、侑奈の頭を撫でてくる隆文に、胸がじんわりと熱を持ってくる。
政略結婚は両家にとって必ずメリットがあるはずだ。だから関係ないなんてことないだろう。
(私がこれ以上気にしないように言ってくれてるのよね。優しい人……)
「安心したらお腹空きました」
「なら、どこかに食べに行くか? 近くに美味い店があるんだ」
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