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1.お酒に溺れた翌日
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「……ぅうん」
意識がゆっくりと浮上する。私はまだ定まらない意識の中、薄く目を開いた。すると、見慣れない天井が視界に飛び込んでくる。
あら、ここはどこかしら……?
その光景に二、三度瞬きをして、寝返りを打った。
「……えっ!?」
その瞬間、隣に眠っている人に心臓が止まりそうなくらいに驚いた。
見慣れない天井に、隣で眠るよく見慣れた人……
「う、嘘……」
飛び込んできた視界からの情報が受け入れ難く、まだ眠気でふわふわしていた意識が弾かれたように浮上する。
一見すると、西洋人だと見紛いそうな鼻筋がすっと通った彫りの深い顔立ち。普段はすっきりと整えられた焦茶色の髪が今は崩れているが、間違うはずがない。
典雅さとは彼のためにある言葉なのだと思うくらい整っていて美しい体貌……
「嘘でしょう……」
夢……? と思いながら、おそるおそる手を伸ばして彼の頬に触れてみる。そしてその頬をむにっとつねった。
「あら、痛くないわ……。よかった、夢だったのね」
嫌だ。私ったら、変な夢見ちゃった……
ホッと胸を撫で下ろして寝直そうとすると、隣で眠っていた人の手が伸びてきて私の頬を摘んだ。
「そういう時は自分の頬をつねるもんだ」
「いひゃいれす……」
「当たり前だ。夢じゃないんだからな」
彼は呆れたように黒い瞳を細めて、小さく息をついた。私は先ほど摘れた自分の頬をさすりながら、彼の顔をまじまじと見つめる。
やっぱり何度見ても、部長よね……?
彼は杉原良平さん。私より五つほど年上の三十二歳で――父が経営する化粧品メーカーの商品開発部の部長だ。
ちなみに私はそこの研究員で、商品開発部とは新商品に必要な研究開発の打ち合わせなどでよく関わるので、当然ながら彼とも面識はある……。あるが、プライベートで交流を持つほどの関わりはない。
「杉原部長ですよね……?」
「ああ」
肯定する彼の言葉に、私は一気に鼓動がはやくなった。正常値を明らかに上回った気がして胸元を強く押さえる。
落ち着こう。落ち着かなきゃ……。父も常に冷静に物事を見なさいと言っていたじゃない。だから、落ち着かないと……
何度か深呼吸をして目を閉じ、けたたましい心臓を落ち着かせようと試みた。これが夢で、次に目を開けた時は自分の部屋だったらいいなと願いながら……
「……」
が、改めて目を開けてみても相変わらず見知らぬ部屋で、目の前には部長がいる。何も変わらない光景に、落ち着かせようとしたはずの心臓がまた激しく鼓動を刻む。
「嘘よ、嘘だわ……」
誰かこれは夢だと言って。お前は悪い夢を見ているんだと。誰か私を起こして……
「嘘じゃない」
どんどん血の気が引いていく私とは対照的に彼は楽しそうに笑う。そして私の乱れてしまっている髪に手を伸ばして、梳かすように指を通した。
「君が社長の娘だなんて知らなかったよ。こんな俺がお嬢様の処女もらっちゃって、社長に殺されそうだな」
「……」
けらけらと笑う彼に私はさらに青くなった。言葉を失ったまま硬直していると、彼が顔を覗き込んでくる。
「おいおい、大丈夫か? 俺なりに優しくしたつもりではあるんだが、椿が可愛すぎたせいで、少し自制がきかなかった自覚はある……。すまなかった。体、大丈夫か? まだ痛むか?」
気遣わしげに私の顔を覗き込んでくる彼の言葉遣いや態度に違和感を覚え、私は彼をジッと見つめた。
彼は優しい。今だって私の体を気遣ってくれている。だから優しいことには変わりはないのだが、やはり何かが違うように感じる。
どこが違うと言われると難しいんだけれど、普段の彼の口調はもっと柔らかかったはずだ。それに『俺』ではなく『僕』だったような……
いつもと違うように感じる彼に、私はひどく混乱した。
第一、彼はとてもモテるが浮いた噂などは今まで聞いたことがない。こんなふうに恋人ではない女性と一夜を共にするようなタイプではなかったはずだ。……少なくとも、私の知る限りでは。
「ぶ、部長? あの、言葉遣いが……。それに、名前……」
椿って……
いつもは私のこと苗字で呼んでいますよね?
戸惑いを隠せずにおそるおそる違和感の正体を訊ねる。すると、彼はなんでもないような顔でこう言った。
「仕事中とプライベートでの振る舞いの差が、そんなに珍しいか? 公私を分けることは何も変なことじゃないと思うが……」
仕事中とプライベート……。た、確かにそうよね。私ったら……
見えているものがそれらを表す全てではない。突き詰めれば色々なことを発見できるからこそ、研究は楽しい。それは、きっと人にだって言えるはずだ。それなのに、私は今まで見ていたものを彼のすべてだと決めつけていた。
知らない部分を垣間見たからって違和感があるだなんて、とても失礼だわ。
自分の浅慮さと愚かさに、ベッドの上で頭を抱えてうずくまると、背中を優しくさすってくれた。
「部長……」
「椿、本当に大丈夫か? そういえば、昨夜はめちゃくちゃ飲んでいたもんな」
「はい、大丈夫で……」
「だけど、酒を理由になかったことになんてさせないからな」
え……?
私の言葉を遮った彼の言葉にきょとんとすると、彼がニヤリと笑って、私の顎をすくい上げた。
「椿は本当に可愛い。今までも仕事に真摯に向き合う君をとても好ましく思ってはいたが、昨夜の君は今まで以上に俺の心を揺さぶった。それはもう感動に打ち震えるほどに……」
「あ、あの、部長?」
「俺の隣で父親の理不尽な言葉への憤りと、仕事への熱い想いを語り、泣く君を見て、俺はなんとしてでも椿の望みを貫かせてやりたいと思ったんだ。頼む。俺に寄り添わせてくれ」
「……!」
私の顎を掴み、射抜くような眼差しでそう言う彼の言葉に動けなくなってしまった。
昨夜、私何したの? 何を言ったの?
えっと、昨夜は確か……
意識がゆっくりと浮上する。私はまだ定まらない意識の中、薄く目を開いた。すると、見慣れない天井が視界に飛び込んでくる。
あら、ここはどこかしら……?
その光景に二、三度瞬きをして、寝返りを打った。
「……えっ!?」
その瞬間、隣に眠っている人に心臓が止まりそうなくらいに驚いた。
見慣れない天井に、隣で眠るよく見慣れた人……
「う、嘘……」
飛び込んできた視界からの情報が受け入れ難く、まだ眠気でふわふわしていた意識が弾かれたように浮上する。
一見すると、西洋人だと見紛いそうな鼻筋がすっと通った彫りの深い顔立ち。普段はすっきりと整えられた焦茶色の髪が今は崩れているが、間違うはずがない。
典雅さとは彼のためにある言葉なのだと思うくらい整っていて美しい体貌……
「嘘でしょう……」
夢……? と思いながら、おそるおそる手を伸ばして彼の頬に触れてみる。そしてその頬をむにっとつねった。
「あら、痛くないわ……。よかった、夢だったのね」
嫌だ。私ったら、変な夢見ちゃった……
ホッと胸を撫で下ろして寝直そうとすると、隣で眠っていた人の手が伸びてきて私の頬を摘んだ。
「そういう時は自分の頬をつねるもんだ」
「いひゃいれす……」
「当たり前だ。夢じゃないんだからな」
彼は呆れたように黒い瞳を細めて、小さく息をついた。私は先ほど摘れた自分の頬をさすりながら、彼の顔をまじまじと見つめる。
やっぱり何度見ても、部長よね……?
彼は杉原良平さん。私より五つほど年上の三十二歳で――父が経営する化粧品メーカーの商品開発部の部長だ。
ちなみに私はそこの研究員で、商品開発部とは新商品に必要な研究開発の打ち合わせなどでよく関わるので、当然ながら彼とも面識はある……。あるが、プライベートで交流を持つほどの関わりはない。
「杉原部長ですよね……?」
「ああ」
肯定する彼の言葉に、私は一気に鼓動がはやくなった。正常値を明らかに上回った気がして胸元を強く押さえる。
落ち着こう。落ち着かなきゃ……。父も常に冷静に物事を見なさいと言っていたじゃない。だから、落ち着かないと……
何度か深呼吸をして目を閉じ、けたたましい心臓を落ち着かせようと試みた。これが夢で、次に目を開けた時は自分の部屋だったらいいなと願いながら……
「……」
が、改めて目を開けてみても相変わらず見知らぬ部屋で、目の前には部長がいる。何も変わらない光景に、落ち着かせようとしたはずの心臓がまた激しく鼓動を刻む。
「嘘よ、嘘だわ……」
誰かこれは夢だと言って。お前は悪い夢を見ているんだと。誰か私を起こして……
「嘘じゃない」
どんどん血の気が引いていく私とは対照的に彼は楽しそうに笑う。そして私の乱れてしまっている髪に手を伸ばして、梳かすように指を通した。
「君が社長の娘だなんて知らなかったよ。こんな俺がお嬢様の処女もらっちゃって、社長に殺されそうだな」
「……」
けらけらと笑う彼に私はさらに青くなった。言葉を失ったまま硬直していると、彼が顔を覗き込んでくる。
「おいおい、大丈夫か? 俺なりに優しくしたつもりではあるんだが、椿が可愛すぎたせいで、少し自制がきかなかった自覚はある……。すまなかった。体、大丈夫か? まだ痛むか?」
気遣わしげに私の顔を覗き込んでくる彼の言葉遣いや態度に違和感を覚え、私は彼をジッと見つめた。
彼は優しい。今だって私の体を気遣ってくれている。だから優しいことには変わりはないのだが、やはり何かが違うように感じる。
どこが違うと言われると難しいんだけれど、普段の彼の口調はもっと柔らかかったはずだ。それに『俺』ではなく『僕』だったような……
いつもと違うように感じる彼に、私はひどく混乱した。
第一、彼はとてもモテるが浮いた噂などは今まで聞いたことがない。こんなふうに恋人ではない女性と一夜を共にするようなタイプではなかったはずだ。……少なくとも、私の知る限りでは。
「ぶ、部長? あの、言葉遣いが……。それに、名前……」
椿って……
いつもは私のこと苗字で呼んでいますよね?
戸惑いを隠せずにおそるおそる違和感の正体を訊ねる。すると、彼はなんでもないような顔でこう言った。
「仕事中とプライベートでの振る舞いの差が、そんなに珍しいか? 公私を分けることは何も変なことじゃないと思うが……」
仕事中とプライベート……。た、確かにそうよね。私ったら……
見えているものがそれらを表す全てではない。突き詰めれば色々なことを発見できるからこそ、研究は楽しい。それは、きっと人にだって言えるはずだ。それなのに、私は今まで見ていたものを彼のすべてだと決めつけていた。
知らない部分を垣間見たからって違和感があるだなんて、とても失礼だわ。
自分の浅慮さと愚かさに、ベッドの上で頭を抱えてうずくまると、背中を優しくさすってくれた。
「部長……」
「椿、本当に大丈夫か? そういえば、昨夜はめちゃくちゃ飲んでいたもんな」
「はい、大丈夫で……」
「だけど、酒を理由になかったことになんてさせないからな」
え……?
私の言葉を遮った彼の言葉にきょとんとすると、彼がニヤリと笑って、私の顎をすくい上げた。
「椿は本当に可愛い。今までも仕事に真摯に向き合う君をとても好ましく思ってはいたが、昨夜の君は今まで以上に俺の心を揺さぶった。それはもう感動に打ち震えるほどに……」
「あ、あの、部長?」
「俺の隣で父親の理不尽な言葉への憤りと、仕事への熱い想いを語り、泣く君を見て、俺はなんとしてでも椿の望みを貫かせてやりたいと思ったんだ。頼む。俺に寄り添わせてくれ」
「……!」
私の顎を掴み、射抜くような眼差しでそう言う彼の言葉に動けなくなってしまった。
昨夜、私何したの? 何を言ったの?
えっと、昨夜は確か……
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