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第13話:賽は投げられた 後編

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 その翌日——。
 鳥城彩花に包丁を突き刺した愚か者は、この世から去った。
 薄汚い牢屋の中で息途絶えてしまったという話であった。
 なぜ死んだのか。
 その原因は定かではないが、取り調べを行うと——。

『自分が殺した。それで全て間違いありません』と容疑を認めたらしい。

 鳥城彩花は、母親を殺した犯人は他に存在する。
 そう答えていたものの、これ以上警察は取り扱ってはくれなかった。
 容疑者が自白したので、調べる必要がなくなったのだ。

 欺くして、苔ノ橋剛は手詰まりになってしまった。母親を殺した犯人が別にいるかもしれないが、どうやって探せばいいのだ。公安の力も借りれないのに。

 それに唯一の手掛かりを持っている鳥城彩花は、あの日——病院に送られ、一命を取り留めた。容態は順調に回復へ進んでいるらしいが、今も昏睡状態のまま眠ってしまっているのだ。この先、もう彼女を巻き込むことはしたくない。

「先生が残してくれた手がかりは……【ジャスミン】か」

 たったこれだけで犯人を探し当てるなんて不可能だ。
 犯人が自白しない限り、到底見つけられるはずがない。
 何の力も何の知名度もない人間がどうやって探し出す??

「お母さん、もう……これで全部終わらせてしまってもいいかな?」

 母親の遺骨が眠る墓に向かって、苔ノ橋剛は問いかける。
 返事は勿論返ってこない。もうこの先、どうするべきか分からない。

「……それにさ、僕が生きてたら、この先迷惑をかけてしまうんだよ」

 鳥城彩花が目覚めたとしたら、そのときはまだ自分の罪を償おうとしてくるだろう。今ではもう対等な立場だというのに。一度助けられたのに。
 それでもなお、面倒見がいい彼女は保護者面して、妙なお節介を焼いてくるだろう。自分の人生を全て犠牲にして。それはとても虚しいことである。

「……僕はもうこの世界にいないほうがいいのかなぁ?」

 死に場所を探そう。
 もう自分が生きていい場所なんてないのだから。
 自分の味方になった人々は必ず不幸になってしまう。

 母親が死んだのも。
 鳥城彩花が重傷を負ってしまったのも自分のせいである。
 もうこの世で生きる意味なんて何もない。
 別に明日死んでも、いや、今すぐに死んでもいいだろう。
 未練も何もない。このまま死ねるとすれば、それは幸せなことだろう。

「でも、その前に……アレだけはやっておくか……」

◇◆◇◆◇◆

 苔ノ橋剛は日常の生活に戻ってきた。
 と言っても、以前として、状況は悪化したままだが。
 西方リリカに暴行を加えた上、強姦未遂の疑惑を掛けられたまま。
 だからこそ、彼の机には菊の花が置かれ、『死ね』『強姦魔』『消えろ』『学校に来るな』などの暴言が書かれている。
 それでも母親との約束があるからこそ、苔ノ橋剛はこの世の地獄を体現したかのような言葉にも目を向けず、毎日学校に通うのであった。

「ばっさーがいるから、今日も生きていけるよ」

 それも全ては、天使のツバサがいたからだ。天使のツバサが歌う曲を聴くだけで、心が癒されるのだ。彼女が歌う曲だけで、どんなことにも耐えられた。

 でも、そんなささやかな楽しみさえも突如として終わりを告げるのであった。

『【速報】ばっさーこと、天使のツバサが無期限活動休止を発表!』

 放課後の教室で一本のネットニュースを見てしまった。
 天使のツバサだけが、生きがいだった苔ノ橋剛。
 彼にはもう耐えきれなかった。

「う、うそだろ……ばっさーが……ばっさーが……」

 大好きな幼馴染みに裏切られ、強姦魔の冤罪を被ったときも。
 母親が死に、自暴自棄になっていた自分を救ってくれているのも。
 自分の身を挺して守ってくれた先生に対する罪悪感を打ち消すのも。
 全部、全部、天使のツバサがいてくれたからだった。
 そ、それなのに——。

「えっ? 豚くん~。どうしたの~? そんな落ち込んでさ」

 廃進広大とその一味が集まってきた。
 彼等はニタニタ笑顔で、実に楽しそうだ。
 今日も面白い動画を撮って、小金稼ぎでもするつもりだろうか。

「ん? ええ、豚くんが大好きな天使のツバサ活動休止?」

 取り巻きのひとりが言うと、廃進広大が同調する。

「なるほど。なら、今から卒業しないとな。そんなただの絵とはさ」
「ただの絵じゃない! 天使のツバサは、ばっさーは……ぼ、僕の」
「あぁ~。そういうのウザいから。ほら、お前らやるぞ」

 取り巻き連中が、苔ノ橋の私物を漁った。
 何をするんだと言い返すものの、数人がかりで首を絞められて行動できない。

「ふ~ん。気持ち悪いな、クリアファイル? その他にも、キーホルダーとか色々あんじゃん。今から、バチャ豚くんには、ネットの世界から現実世界へ呼び戻さないとな」

 廃進広大はポケットからライターを取り出した。
 普段からタバコを吸うために持っているのだろう。
 そして、苔ノ橋の私物——今まで集めてきた『天使のツバサ』グッズを燃やしたのだ。

「う、うわあああああああああああああああああ~~~~~~~」

 苔ノ橋は暴れるが、押さえつけられてしまえば何もできない。
 そんな怒りの叫びが聞こえているのにも関わらず、奴等は「面白いものが撮れた」とでも言うように、ゲラゲラ笑うのであった。

「……ばっさー。ご、ごめん……ごめん……ばっさー」

 苔ノ橋の前には、燃え尽きて灰と化した私物だけが残った。
 それを掻き集めるのだが。

「おいおい、何泣いてんだよ? でも良かったな。絵離れできてさ」

 廃進広大が言うと、それに釣られて取り巻き連中も言う。

「豚くん、よかったね。卒業おめでとう!」
「ただの絵に恋するとか、マジでキモいだけだし。よかったじゃん」
「ネットの世界から現実世界へおかえり、豚くん。金蔓としてよろしくね」

◇◆◇◆◇◆

 天使のツバサが、ネット上から消えた。
 動画サイト内に投稿されていたものも、全部非公開になってしまった。
 終いには、無期限活動休止というのだ。実質的な引退宣言に等しい。

 それだけでも、苔ノ橋剛にとって、最悪な事態だというのに。
 狂った歯車は一度と言わず、二度も不幸を運んでくるのだ。

「西方リリカのスクール水着が盗まれたッ!」

 そんな話題が飛び交ったのは、夏休みが始まる前の出来事だった。
 プール開きが始まり、生徒たちが授業を楽しみにしていたそんな時期。
 苔ノ橋剛は自分には関係ないことだと割り切っていたのだが。

「おいっ! お前だろッ!」

 苔ノ橋剛には、強姦未遂の前科がある。
 勿論、それは真っ赤な嘘だが、そう思われているのだから仕方ない。
 良からぬ疑いをかけられてしまうのも当然のことだ。

「僕がやるわけないだろ? そもそも、僕はずっとここにいたよ」

 幼馴染みの西方リリカに叶わぬ恋をしていた。それは事実。
 だが、本性を知ってからは、もうどうでもよくなっていた。
 苔ノ橋は自らの無実を証明するために、学生カバンを開くのだが。

「——う、うそだろ……ど、どうして……?」

 西方リリカと名前が書かれたスクール水着があった。
 どうしようと戸惑う苔ノ橋を押し除け、クラスメイトが奪い取る。
 中身に入ったものを見て、軽蔑の眼差しを向けられる。
 嵌められたのだ。違うと否定しようとするも。

「お~い。見つかったぞ、やっぱりこの豚が持ってたわぁ~」

 クラスの誰かが大きな声で言うと、廃進広大とその取り巻き集団が来た。
 彼等の後ろには、涙を流す西方リリカの姿もある。
 そして、リリカの周りには、一軍女子生徒の方々も。

「ぼ、僕はやってない……」

 苔ノ橋剛は断固として否定する。
 ただ、誰も信じてくれない。信じてくれる人はもうどこにもいない。

「やってないと言っても、もううざいんだわ」
「ほ、ほんとうにぼ、僕は……僕はやってない」
「うるせぇーんだよ。言い逃れしても無駄だぞ!!」
「あ、そうだ。豚くんが犯人だと思うひとー?」

 取り巻き連中のひとりが手を大きく上げた。
 それに釣られるように、クラスの全員も同じようにした。

「は~い。豚くん、犯人確定です~」

 続けて、取り巻き一味の誰かが言った。

「じゃあ、次は、豚くんに死刑が必要だと思うひと拍手して~」

 パチパチパチと拍手音。
 最初は少しずつだったが、途中からは大きくなっていた。
 まるで、夢の国で行われるパレードみたいに。

「は~い。豚くん、死刑確定。残念でした~」

 意味が分からない。
 苔ノ橋剛が、西方リリカのスクール水着を盗む。
 そんなことできるはずがない。というか、するはずがない。
 アリバイもあった。それなのに、誰も何も言わなかった。

「ここから飛び降りろよ、豚。今すぐに」

 廃進広大は容赦無く言った。

「飛べない豚はただの豚じゃね?」

 ガッハハハハと、甲高い笑い声。
 決して収まることはなく、盛り上がっていく。

「さぁ、みんなで手を叩きましょう。飛べッ! 飛べッ!」

 クラスの王者。
 学園の頂点に位置する男がそう言うと、簡単に下の者はそうするのだ。

「ち、ちがう……ぼ、ぼくは……ほ、ほんとうにやってない……やってないんだ」

「うるせぇーよ! 水着持ってる時点で、お前が犯人だってバレてるんだわ!」

 取り巻き連中が言う。彼等は他の生徒たちに「拍手も合わせて」と呟いた。
 集団の悪魔と化した生徒たちは手を叩きながら。

「飛べッ! 飛べッ! 飛べッ! 飛べッ!」

 苔ノ橋剛の心に、邪悪な意思が芽生える。
 絶望だった。クラス全員から見放された感覚。

「飛べッ! 飛べッ! 飛べッ! 飛べッ!」

 自分が死ぬことを強要してくる生徒たち。
 死んでやろう。

「飛べッ! 飛べッ! 飛べッ! 飛べッ!」

 そう思った日は幾度もあったが、『天使のツバサ』に助けられてきた。
 でも、もう限界だった。今日という今日は。

「飛べッ! 飛べッ! 飛べッ! 飛べッ!」

 もう既に、天使のツバサさえ、消えてしまったのだから。
 生きる理由は、全部見失ってしまったのだから。

「飛べッ! 飛べッ! 飛べッ! 飛べッ!」

 それに——。

——マジで最悪だよね。どうしてアイツが普通に生活してるの?
——先生を返せって感じじゃない?
——ていうかさ、よく学校に来れるよね?
——アイツのせいで先生があんな酷い目に遭ったんでしょ? それなのにどの面下げて来てるの?
——気持ち悪すぎでしょ、アイツ……マジで死んだほうがいいよね。
——アイツが死んで、先生が無事のほうがよかったよね……
——ていうか、どうしてアイツが死んでないの?
——アイツが先生を不幸にしたようなものじゃん。
——アイツが先生を刺したようなものじゃん。
——それにも関わらず、何をアイツは呑気に生きているの?

 生徒たちから漏れ出てきたのは、偽りのない本音だった。
 美人で優しい担任教師と、地味で気持ち悪いクラスメイト。
 どちらと一緒にいて、どちらが消えたほうがよかったのか。
 そんなの誰にでも分かる。
 苔ノ橋剛の帰還など、誰も求めていなかったのだから。

「あ……あ……あ、あああ……」

 生きる屍となった苔ノ橋は窓へと移動する。
 彼の口から出てくるのは、謝罪の言葉だった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 今も病院で意識を目覚めることもない鳥城彩花に対しての。
 そして、そんな優しい彼女を、この教室から奪ってしまったことへの。

「飛べッ!! 飛べッ!! 飛べッ!! 飛べッ!!」

 苔ノ橋剛の声を掻き消すように、飛べコールが強くなる。
 この教室の誰もが望んでいるのだ。苔ノ橋剛が飛び降りることを。
 それが彼等が選んだ苔ノ橋剛に課した罰だというように。

「…………ふふふふふ、そっか。そうだよなぁ……」

 鳥城彩花に対して、自分も同じ言葉を何度も言っていた。
 彼女に対して、何度死ぬことを強要してきたか。
 それが自分に跳ね返ってきただけじゃないか。
 それならば、もう自分がやるべきことはもう分かっている。
 彼等が自分に対して、何を求めているかなんて——。

「……これが僕の罰か。誰かの幸せを奪ってしまった罪への」

 苔ノ橋剛は覚悟を決め、窓側座席の机へと飛び乗る。
 教室があるのは四階。頭から落ちれば確実に死ねるか。

「あっっっははははははははははははははははははははははは」

 死に場所をずっと探していた。
 ちょうどいい機会じゃないか。
 自分が死んだところで、誰も悲しむことはないのだから。

「これでハッピーエンドの完成か。僕という悪役が消えて……」

 苔ノ橋剛は迷わなかった。
 躊躇うこともなく、まるで空を飛翔するように。
 彼は教室の外へと飛び出すのであった。

「……お母さん、僕もそっちに今すぐ行くね」

 真っ逆さまに空から地へ落ちる瞬間、生徒たちの顔が見えた。
 一緒に同じ教室で学んできた生徒が飛び降りているのにも関わらず、奴等は笑っていた。彼等にとって、自分の存在は邪魔者でしかなかったのだろう。
 実に愉快気に表情を歪め、豪快に嘲笑っているのだ。
 本当にアイツが死んだぞと。本当にあの豚が飛んだぞと。
 この世界に未練はもうない。
 それに、と苔ノ橋剛は心のなかで笑ってしまう。

(僕はここから落ちて死ぬ。だけど、ただで死ぬわけがない)

『でも、その前に……アレだけはやっておくか……』

 苔ノ橋剛は自宅に遺書を書き残してきた。
 自分が今まで受けてきたイジメの実態に関して。
 もしも自分が死ねば、警察が必ず見つけてくれるだろう。
 そうすれば——この世界の何処かで必ず正義の味方が現れるだろう。

(これでゲームセットだよ……残念だったね、僕と一緒に奴等も自滅だ)
(僕は物理的に消えるけど。君たちは、社会的に消えるんだ。バイバイ)



——第1部完結——
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