和と妖怪と異世界転移

【６５】

　覚醒しながらも現状が把握できていない美月を、傍にいた美月の母親が強く抱きしめる。

「美月ちゃぁあああんっ！」

　雄叫びなのかなんなのか、わからない声だった。美月の思考は、ますます混乱を強める。

　いったい、なにがどうなったのか。それを考えようとしたものの、耳元で泣き叫んでいる母の声と、母にきつく抱きしめられている息苦しさで、うまく思考がまとまらない。

「お、お母さん、苦しい……」

　異界の門を桜子とくぐって――それから、どうしたのだったか。

　思い出そうにも、今は母の雄叫びと、自分が息苦しい事実しかわからなかった。

　そのとき、美月の近くから控えめな声があがる。

　見てみると、美月のすぐ隣で横たわっていた桜子が、目を覚ましたところだった。

　彼女はぼんやりとした面持ちで、上体を起こす。長い黒髪が、桜子の華奢な肩から流れた。

　異界ではそれほど違和感を覚えなかった幼馴染みの黒い着物は、明るい空のしたで見ると強い存在感を放っている。

　美月が桜子に呼び掛けるより早く、彼女の傍にいた桜子の両親が自身の娘にすがって、泣き始めた。

　ぽかんとしながら、美月と桜子は無言で見つめ合う。ひとだかりの中心にいる当のふたりが、周囲から置いていかれているふうな気分だった。

　未だ戸惑いながらも、美月は己の母親に尋ねる。

「お、お母さん……私、どうしたの……？」

「どうした、じゃないわよぉ！　昨日、学校から帰ってこないまま朝までずーっと見つからなくて！　まったく、心配したんだからぁ！」

　母は答えると、またも雄叫びなのか泣き声なのかなんなのかわからない声をあげた。母の隣にいた父が妻の背中を撫でて、落ち着けようとする。

　母の回答から、美月は察した。どうやら、異界で流れる時間と人間界で流れる時間は、まったく同じであるらしい。つまり、一晩異界にいた美月は、そのあいだ人間界で完全に行方不明として扱われていたのだ。

　桜子の母親も、先程からずっと泣いている。が、それも当然だろう。突然いなくなった娘が、一年ぶりに発見されたのだから。

　周囲の人々からは「神隠しだ」との声があがっていたが、これも仕方がないと言えば仕方のないことかもしれない。

　美月はともかく、桜子は黒い着物姿で、しかも発見された場所が鳥居の前だ。そういった考えに繋がっても、不思議はないと思う。

　そのとき、ずっと母の背を撫でていた美月の父が、不意に美月へ意味深長に笑いかけた。その笑みはいつもの父と同じものであるはずなのに、どうしてか、いつもと異なる印象を美月は受ける。

　それだけではない。なんだか、父に違和感を覚えた。悪い意味ではないが、妙なことに、父がいつもの父とは違うふうに見えるのである。

　けれどもその理由がわからず、美月は内心で首を傾げた。

　まるで自分の中のなにかが、父に反応しているような……。


◇


　美月と桜子が人間界に帰ってきて、一週間が経過した。

　とある日の午後、美月は桜子の部屋でしみじみと、この一週間のことを思い起こす。

「なーんか、大変だったよねぇ……」

　そう、異界から帰ってきてからというもの、美月と桜子はなにかと落ち着かなかったのである。