和と妖怪と異世界転移

れーずん

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 鈴彦の胸に、桜子は顔をうずめる。それから呼吸を整えて、肝心要の内容をくちにし始めた。

「……そんな今の私にとって、あの子は……美月は、人間界の象徴なの。あの子がなにも悪くないのは、わかってる。でも、あの子を見ると思い出しちゃうのよ。……人間界でのこと……苦しかったこと……泣いた記憶……。思い出すだけで胸が痛くなって、どうすればいいのかわからなくなる。だから――」

「攻撃を……してしまったのかい……?」

 言葉の続きを鈴彦が受け継いだ。桜子は頷く。

「……体の中でね、痛いのと苦しいのと怖いのが、混ざってる感じなの。あの子は悪くない。でも、あの子の顔も見たくない……。私はもう、人間界のことは忘れたいの。全部わすれて、ふたをして、楽になりたいの。苦しいのは、もう嫌なの。人間界でのことを全部わすれて、異界で新しい人生を送りたいの……っ」

 涙で声がにじんだ。自分の台詞に、自分の心が傷付いているようだった。

 相変わらず、背中を撫でてくれる鈴彦の手は温かく、優しい。そのぬくもりと優しさが嬉しくて、桜子は嗚咽をもらして泣いた。不思議なくらいに、涙があとからあとからあふれてきた。

 鈴彦は、桜子が泣きやむまで背中をさすり続けてくれた。

 しばらくして桜子が泣きやむと、彼は包容力のある低い声で話を始める。

「――美月ちゃんは人間界の象徴……。そう言ったね」

 桜子は首肯した。鈴彦は続ける。

「それは、つまるところ、君と人間界の繋がりがまだ途切れていないことを意味している。美月ちゃんが君を見て、嬉しそうにしたということもね」

 意図がわからず、桜子は顔を上げた。鈴彦が柔和に微笑する。

「……君が人間界から姿を消してからも、その美月ちゃんの中で桜子ちゃんは生きていたんだよ。いや、美月ちゃんだけじゃないだろう。家族や近所のひと、友人や先生……。皆が君のことを覚えている限り、君と人間界の繋がりが切れることはない」

「……そんな繋がり……私はもう欲しくない……」

 鈴彦は、肯定も否定もしなかった。彼は静かな語調で、桜子に尋ねてくる。

「……君は、人間界に居場所はないと言った。でも、本当にそうだったのかな?」

 数拍の間をはさんで、鈴彦が半ばひとりごとのように言う。

「居場所がないように感じただけで、瞼を閉じて、耳をふさいでいただけだった可能性は――ない?」

 ぎくりとして、桜子の胸が苦しくなった。不安や恐怖と共に込み上げてくる吐き気を抑えて、桜子は反論する。

「……もし、そうだったとして……それが、いけないことなの……?」

 ふ、っと鈴彦は穏やかに微笑んだ。この表情の柔らかさは、あたたかさは、出会った当初から少しも変わっていない。そんな顔をされてしまうと、桜子は観念して両手をあげたくなってしまうのだった。

「……生きていくのはね、怖いことだよ。つらいことでもある。そしてそれは、人間界も異界も、同じことだ。……僕も、人間界での自分が、好きではないんだよ。息苦しいばかりの現実から解放されたいといつも思っていて、そしてそんなとき、偶然にも人間界と異界のひずみに巻き込まれて、こっちに来た」

 初めて聞いた話だった。聞き上手という性質も無関係ではないのだろうが、鈴彦は基本的に自分の話はあまりしない。

 なつかしそうに目を宙にやって、彼は続ける。

「……異界には数多くの妖怪がいて恐ろしかったけど、人間界に帰りたいとは……思わなかったな。……今も、思わない。異界が恐ろしい世界とわかっていながら、それでも、帰りたいという気持ちは湧いてはこなかった……」

 郷愁を宿していた瞳が、寂しげに揺れた。その眼差しは、桜子の心をも切なく締めつける。

「僕は、弱い人間だ。傷付くことが、すごく怖い。人間界で、僕はたくさん傷付いてきた。だから、人間界に帰るのが嫌だというより……怖かったんだよ。また、傷付くんじゃないかって」

 彼は桜子に薄く笑いかけた。

「……不思議だよね。どれだけ傷付いても、少しも強くならないんだよ。傷付くことに、ちっとも慣れない。だから、傷痕は増えていく一方だ」

 自身の胸をさすりながら、鈴彦は呟く。

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