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【10】
しおりを挟む紅希は美月を真っ直ぐに見つめた。
「なんにせよ、ここは人間を餌にするような妖怪がうじゃうじゃいるところだ。厳しいことを言うようだが、多少の覚悟はしておいたほうがいいと思うぞ」
返す言葉がなく、美月はただ黙って首を縦に振るしかなかった。
不安は重い。が、どれだけ不安がふくらんでも、期待を――希望を捨てることなど出来なかった。そのふたつの感情をかかえるしかないぶん、自然と心は重くなってしまう。期待や希望だって、決して軽いものではないのだ。明暗と重量は、比例などしない。
そのときだった。突如、美月の背後にある草むらが揺れて、そこから巨大な影が飛び出した。
大きな影は宙へ躍り上がったかと思うと、そのまま真っ直ぐ、美月に向かって落ちてくる。
月が逆光になって、影の正体はわからなかった。突然の出来事に、美月は動くことはおろか声をあげることさえ出来ない。
このまま正体不明の影に襲われてしまうのかと思った瞬間、隣にいた紅希が炎を鞭のように操って、影を弾き飛ばした。
影は地面に叩きつけられると、そのまま体勢を変えて低くかまえ、妙に高い不快な声を発する。その声は、夜の森によく響いた。
月光が影の正体を明らかにする。月の光に照らされたそれを認めて、美月は眉をひそめた。
美月を襲ったそれは――ひとの背丈をゆうに超える巨大な鳥だった。
深い緑色をしている鳥が、灰色の着流しを粗雑に着ている。感情の見えないぎょろりとした目玉は、美月にホラー映画の怨霊を思い出させた。
くちばしからは、得体の知れない液体があふれている。その液体は、時折痙攣するように震える鳥の喉でごぼごぼと音をたてて、気味悪く零れてきているのであった。
にぶい鳥の鳴き声から、目の前の怪物がひとの言葉を扱わないのであろう事実を知る。それに、美月は本能的な恐怖を覚えた。恐ろしい相手に言葉が通じないということに対する恐怖なのかもしれなかった。
葵が美月の前に立つ。
「美月ちゃんの匂いに誘われて来たみたいだね」
「に、匂い……?」
葵のさらに前に立ち、鳥と対峙している紅希が指の関節を鳴らしながら付け加えた。
「人間を食うやつは、人間の匂いに敏感なんだよ」
直後、紅希の周囲の地面から炎が噴き上がる。森の闇が撤退し、彼の姿が明るくうかび上がった。
右腕をかかげて「もっとも――」と紅希は言いさす。
「こういう連中が俺らに敵うことは、めったにないけどな」
笑みをふくみながら述べた彼の右腕が、鮮やかな炎に包まれた。葵が美月を自身の肩越しに見る。
「美月ちゃん、少しさがっていようか」
その表情と声音から感じ取れるのは、相棒に対する信頼だった。美月は頷き、何歩か退く。
周辺をも明るく照らすほどの炎をまとう紅希を見て、熱くないのかと馬鹿みたいな心配をしてしまう。そして改めて、彼が人間ではないことを実感するのだった。
下駄の底で地面をけずってかまえ、紅希は右腕を前に出す。
「……来いよ、鳥野郎。焼き鳥にしてやらぁ」
鳥が喉を反らして甲高く鳴き、紅希に突進した。
拳を強く握った紅希の炎が、勢いを増す。それは離れたところに立つ美月にまで熱さを伝えるほどだった。
葵が己の前方に、薄い大きな水の膜のようなものを張る。それは盾の役割を果たしているのか、おかげで熱さがずいぶん和らいだ。
疾駆する鳥の勢いは止まらない。紅希のかまえから、鳥の接近と共に迎撃する彼の意思が感じられた。
ふたりが正面からぶつかり合う――まさにその直前。
鈴を転がすような声が、森の奥から響いてきた。
「――ウメハラ、やめぇや」
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