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しおりを挟む美月は、ふたつ年上の幼馴染みである桜子からネックレスをもらったことがある。
誕生日プレゼントだった。銀色の小さな三日月に鎖を通した、シンプルなネックレスだ。
美月はそれをたいそう喜び、そして相手の誕生日には、お礼に桜のブローチを贈った。桜子はそれをセーラー服の胸元につけ、片時も離さないことで喜びを表現してくれていた。実際、美月は彼女のそのおこないがとても嬉しかったのだ。
成績優秀な上、美人でもあった憧れの幼馴染み。
彼女と親しいということで周囲に胸を張れるような、そんな幼馴染み。
――一年前の夏、行方不明になって以降ひとつの手掛かりも残さなかった――今は姿なき幼馴染み――。
◇
小学校六年生になった花宮美月は、学校帰りに家の近くにある神社の前を通った。
夏の夕陽を浴びて輝く鳥居は、その朱色をいっそう鮮やかにして神々しい。
夏祭りや初詣など、美月にとって神社は比較的身近な存在で、その厳かな雰囲気が好ましくもあるくらいなのだが、何故か母親からは、あまりひとりで神社の前を通るなと注意を受けている。
どうしてなのか、理由はよくわからない。尋ねても「神様にさらわれるからよ」とはぐらかされてしまうのだ。
周囲にひとはおらず、美月の影が地面に伸びるだけだった。
夕方の神社には、独特の空気がある。それに魅せられるように佇み、じっと鳥居を見つめていると、不意に強風が吹いた。
腕で目許をおおって砂から目を守り、そうして風がおさまったのを確認してから腕をおろした刹那、美月はどきりとする。
いったいいつそこに現れたのか、鳥居の向こう側に、ひとりの女の子が立っていた。こちらに体の左側を見せるふうに立ち、そうして空を見上げている。
美月の身長は、学年の女子の平均よりもやや低いくらいだ。そんな美月よりも少女の背は低かったため、ひょっとすると美月より年下なのかもしれなかった。だが、女の子は夏用のセーラー服に身を包んでいる。
背の低い中学生なのかもしれない。しかし、気になる点は他にもあった。
彼女は、セーラー服に裸足で朱色の下駄を合わせている。そして、少し癖のあるふわふわとした銀髪のおかっぱボブから、大きな獣の耳が生えていた。
犬のような、狐のような形の耳が、頭から生えているのである。
美月はものを考えることも忘れて、目の前の少女を見つめた。まるで、知らない世界に突然迷い込んでしまったかのような感覚だった。
美月の存在に気付いたらしい相手が、こちらに顔を向ける。りん、と鈴の音がした。見ると、セーラー服のえりのしたをくぐらせて、鈴のネックレスをしている。
黄金の瞳をした少女は、美月と視線を交わして、目を見張った。
「……なんじゃ、お前。ワシが見えるのか?」
問われた意味が、よくわからなかった。が、美月はおそるおそる頷く。
女の子は空を仰いだ。そうして、誰に言うともなくぽつりと呟く。
「ああ……もうそんな時間か……」
風を受け、周囲の木々がざわざわと葉を鳴らしていた。少女の銀髪が、セーラー服の襟が、風をふくんで揺れている。
そのとき、彼女の胸元で光るものがあった。目を凝らして見た美月は、その光るものの正体を知って、息をつまらせる。
それは、桜のブローチだった。忘れるはずもない。過去、美月が幼馴染みの和泉桜子に誕生日プレゼントとして贈ったものだ。
苦しさが、記憶と混じり合って体内で増幅する。
桜子が行方不明になってから、一年が経過していた。去年の今頃、当時中学一年生だった彼女は塾に行くと言って、そのまま帰らなかったのである。今も行方不明のまま、手掛かりさえも見つかってはいない。
ふたつ年上の、憧れの幼馴染み。大切な、幼馴染み。
周囲の大人達はもう諦め気味ではあるが、美月は当然まだ諦めてはいない。今も、桜子が帰ってくるのを信じて待ち続けている。
そんな幼馴染みが持っているはずのブローチを、どうして目の前の名も知らぬ少女が身につけているのか。ひょっとして、彼女が着ているセーラー服も桜子のものなのだろうか。
気になって尋ねようとくちをひらいた瞬間、その疑問が美月の唇からこぼれるよりも早く、銀髪の少女が美月に向けて言った。
「娘、悪いことは言わん。今日は早く帰ったほうがいい」
出鼻をくじかれながらも、美月は戸惑って訊き返す。
「……は、早くって……?」
「今すぐじゃ。でないと、巻き込まれかねんぞ」
相手の言っていることの意味が、ことごとく呑み込めない。美月はかすかな焦燥を感じて、少しばかり語気をあらげた。
「な、なんの話してるの……? 巻き込まれるって、いったいなにに――」
美月の語尾を打ち消すふうに、鳥居から突風が吹く。その風の匂いを嗅ぎ、美月は眉をひそめた。
嗅ぎ慣れない、妙な匂いがした。
改めて鳥居を見やると、その中央――くぐり抜けるところが、歪んでいる。
まるで渦を描くように空間が歪み、そうして徐々に黒くなり始めていた。
鳥居の向こう側に立つ少女の姿も、共に歪んでいっている。
美月は唖然とした。夢でも見ているのではないかと、自分自身を疑った。
「見ればわかるじゃろう」
歪む空間の中で足を向こうにやりながら、彼女は言う。美月に流し目を寄越した相手の声が、僅かに反響しながら風に乗った。
「これに――じゃ」
その言葉を最後に少女は美月に背中を向けて、去っていってしまう。遠ざかる下駄の音と鈴の音が、本人の台詞を追って美月のもとに流れてきた。
セーラー服の後ろ姿が、黒い霧に飲み込まれて、じきに見えなくなる。今や霧は鳥居を囲むふうに広がっていた。しかしそれが発生しているのは鳥居の周囲だけで、その他にはなんの影響も与えてはいないのである。
眼前の出来事が現実とは思えず、美月は狼狽した。おそらく自分は今、とんでもない状況にいる。しかし、それでも逃げ出す気になれないのは、少女のセーラー服とブローチが気になったからだった。
脳裏に幼馴染みを思いうかべる。幼い頃からずっと一緒にいた桜子。ふたつ年上であるにもかかわらず、いつも美月と遊んでくれていた。
そんな彼女の手掛かりが、掴めるかもしれない。それを思うと、桜子に会いたい気持ちはいっそう募った。
半ば無意識に、足が一歩、また一歩と鳥居に近付く。しかし、得体の知れない黒い霧はやはり怖かった。
恐怖を振り払うため、美月はランドセルをその場におろすとこぶしを握り、呼吸を整え、勇気を出して鳥居に向かって走り出す。
鳥居をくぐる瞬間は、ぐっとまぶたを閉じた。薄い膜に飛び込むような奇妙な感触が、美月を包み込む。
一度走り出してしまうと、今度は足を止めることが恐ろしかった。なにか悪いものに捕まってしまうのではないかという不安が芽生えたのだった。
よって、美月は目を閉じたまま一心不乱に走り続けたのだが、不思議なことに、ぶつかるものはなにもない。
自分がどこを走っているのかわからず、どこまで走ればいいのかもわからずに恐怖を覚えたとき、不意に爪先がなにかに引っかかって、美月は転んだ。
走っていたため勢いあまって前転し、そこでようやく目を開ける。
最初に見えたのは、夕陽に染められた空だった。そして、空へと伸びる木の葉の緑。だが、沈みかけた太陽は木々を照らしきれずに、木の葉は影を多分にふくんで、色はにぶい。
仰向けになって空を見上げ、それから目線を横にずらした。
視線の先には、何本もの木が奥までずっと続いている。反対の方向も、同じ風景だった。
起き上がって、周囲を見る。前後左右、木が乱立しているだけだった。
神社の鳥居をくぐってきたのだから、ここは神社のはずである。なのに、どこをどう見ても、そんな気配は微塵も感じられないのであった。
完全に、森の真ん中だった。夕刻という時間帯のせいもあり、辺りは暗く、物寂しい。鳥の声が不気味に響き、それが美月を心細くさせた。
いつも肌に触れている空気とは、どこか違う印象を受ける。どこがどう違うのかと問われると答えることは出来ないが、しかし、その違和感が、美月の胸にひとつの確信を生んでいた。
――ここは、美月が生まれ育った町ではない。
「ここ……どこなの……?」
森の薄闇の中、美月はひとりぼっちだった。
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