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第30章 恋心

恋心Ⅲ

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 そうだ、縁にアーガイル模様を入れよう。それならば間に合う筈だ。色はリリーの瞳と同じ、碧色にしよう。
 よし、決まりだ。
 パタリと本を閉じ、本を抱えたまま想像を膨らませる。
 
「ミエラ、決まったの?」
 
「うん。今回はアーガイルにしてみる」
 
「良いですね」
 
 キャサリンとヒルダにもお墨付きを貰えたし、後は自分の腕次第だ。
 一度、自分自身を落ち着かせる為にも、テーブルの上に置いてあるミントティーを口に含んだ。スッとしたミント独特の爽やかな味わいが口いっぱいに広がる。
 
「ミエラ、刺繍しておいでよ」
 
「でも、折角お姉様が来てくれてるのに」
 
「じゃあ、私も一緒に行くよ」
 
「お母様は?」
 
 それではキャサリンが除け者になってしまう。
 ヒルダと揃ってキャサリンの方へ振り向くと、当の本人はニコニコと笑っていた。
 
「大丈夫ですよ。私にはカイルが居ますから。ね?」
 
 キャサリンが手を差し伸べると、なんと、足元に居たカイルはその手に齧り付いたのだ。
 
「痛っ……!」
 
「奥様!」
 
 小さな悲鳴が部屋に木霊した。
 控えていた二人のメイドが、眉間に皴を寄せるお母様の元へと駆け寄る。その手には何か白色の小さなボトルが握られていた。
 
「お怪我はございませんか?」
 
「大丈夫ですよ。いつもの事でしょう?」
 
「念の為に、塗り薬を」
 
 大きな怪我にならなくて良かった。ほっと胸を撫で下ろし、てきぱきと薬を塗るメイドとキャサリンを眺めていた。
 それにしても、『いつもの事』とは、キャサリンはいつもカイルに噛まれているのだろうか。私たちが留守の時に大変な思いをさせてしまった。
 と同時に思う。貴重なカイルの子犬時代を一か月も失ってしまったのだと。
 
「カイルはじゃれて、嬉しくて嚙んじゃったんだもんね?」
 
  メイドに驚いて、テーブルの下に隠れてしまったカイルに、ヒルダはにこりと微笑み掛ける。
 
「おいで? 私とも遊ぼう」
 
  ヒルダは立ち上がると、トコトコとボールに駆け寄り、赤色のそれを片手で拾い上げた。それに応えるように、カイルも腰を上げて目を輝かせながら尻尾を振る。この可愛すぎる瞬間から、一時も目を離したくはなかった。
 
「やっぱり皆でカイルと遊ぼう? 多分、刺繍は夜からやっても間に合うから」
 
「だね」
 
 三人で「ふふっ」と笑い合う。
 ヒルダに負けまいと、私も傍らに落ちていた短めのロープを手にし、カイルを誘う。
 
「どっちで遊ぶー?」
 
 キョロキョロと二つを見比べるカイルに、ヒルダは意地悪気に口角を上げた。
 そこへ、タイミングが悪く、蝶番の軋む音を立てながら扉が開いたのだ。
 冷たいとさえ思わせる廊下の空気が入り込み、カイルの興味もそちらへ向いてしまった。
 
「もう、何で今なのー」
 
「えっ?」
 
 口をへの字に曲げるヒルダに、両肩にタオルを掛けたクラウが首を傾げる。
 先程までの不満が、心の中でむくむくと膨らんでくるのが分かる。
 
「む~」
 
 唸り声までもが漏れてしまった。
 
「どうかした?」
 
「どうかしたじゃないの~」
 
「ん?」
 
 戸惑っている様子のクラウに、頬も膨らませてみる。
 
「黙ってお姉様を呼び出す事無いでしょ? お姉様にだって予定があるのに」
 
「そうやって、ミユは遠慮しちゃうじゃん。急ぎの用事なのに。だから黙ってた」
 
「む~」
 
 言い返す事が出来ない。急ぎの用事があったのは確かだから。
 どう言葉を続けて良いか分からず、ただロープを握ったままクラウを見詰めてみる。
 そんな時に、ロープが引っ張られる感覚があったのだ。
 
「ん~?」
 
 そちらを見てみると、自分に寄越せと言わんばかりに、前足を踏ん張り、口でロープを引っ張っているカイルの姿があった。
 私も負けまいと右手でロープを引っ張り返す。自然と笑みが零れる。
 
「ミエラに負けたー」
 
「当たり前でしょう? 主人はミエラですよ?」
 
 ガクリと項垂れるヒルダに、キャサリンは小さく笑う。
 
「何の勝負?」
 
「カイルが好きなのはどっちだ勝負」
 
 勝手にヒルダに名付けられた勝負はこれで終わらなかった。
 片手ではカイルの力に耐えられなかったらしく、瞬く間に右腕は前方に持っていかれ、ロープは私の手から離れていった。
 遊び相手が居なくなってしまったカイルは、次の新しい遊び相手にしようとクラウの方へロープを持っていった。
 
「カイルは賢いなぁ」
 
「クローディオにも負けたぁ」
 
 クラウはにやりと笑うとしゃがみ込み、カイルが離してしまわない程度の力加減で、ロープで遊び始めた。
 遊びに夢中になっているのか、カイルから時折短い唸り声が聞こえる。
 
「賢いって言うか……クローディオは自分と同類って思ってるのかもしれないですね」
 
「言えてるかもしれない」
 
 頷き合う二人に、クラウは不満げに振り向いた。それと同時に、カイルの口からロープが離れる。
 
「ミユ」
 
「何~?」
 
「何とか言ってやってよ」
 
「え~? 言いたい事は自分で言わなきゃ」
 
 遊び相手の居なくなったカイルは青色のボールを目掛けて駆け出し、途中で電池が切れたようにパタリと倒れてしまった。そのまま寝息を立て始める。
 
「可愛い……」
 
 この寝姿、カイルは成犬になっても天使だと思う。
 撫でてしまいたい欲求を抑え、クラウと二人でクスクスと笑った。
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