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第23章 平行世界

並行世界Ⅴ

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「えっ……?」

 セドリックは何を言っているのだろう。頭の処理が追い付かず、理解出来ない。

「お兄様を庇われて、本棚の下敷きになったそうです」

 嘘だ、こんなの嘘に決まっている。

「直ぐに救け出されましたが、意識が回復する事は無く――」

「いやあぁぁっ!」

 もう充分だ。何も聞きたくはない。耳を塞ぎ、力の限り叫んだ。
 母が死んだのは兄のせいではない。地震を止められなかった私のせいだ。
 走馬灯のように母との思い出が脳裏を駆け巡る。
 兄と遊ぶ小さな私を温かな眼差しで見守る母、誕生日に私たちが用意した花束を満面の笑みで受け取る母、結婚記念日に家族旅行へ出掛け、王都の空気をひしと肌で感じる母――
 その全てがあの大地震の日に崩れ去ってしまったのだ。
 溢れる涙が止まらない。胸の痛みも気にならない。ただ、声を上げて泣き喚いた。

「ミエラ――」

「リリー、今はそっとしておいてあげた方が良いよ」

「うん……」

 ごめんなさい。本当にごめんなさい。
 疲れて頭が働かなくなるまで、泣き続けるしかなかった。

――――――――

 瞼を開けると、オレンジ色の光が飛び込んできた。
 窓を見てみれば夕日が差し込んでいる。太陽は半分ほどが建物に隠れ、上空は紫色に変化していた。

「ミエラ、起きた?」

 この声はキャサリンのものだ。視線を窓とは反対側――右側へと向けると、そこには椅子に座ったルーカスとキャサリン、それにスチュアートが心配そうな瞳を私へと向けていた。

「皆……?」

「昨日、ヒルダから話は聞きました。辛かったですね」

 キャサリンは私の頭を優しく撫でる。それに対し、首を振る事しか出来ない。

「お腹空いたでしょう? ご飯食べましょう?」

 空腹は感じない。ずっと眠っていたせいだろうか。
 また、首を横に振る。

「でも、食べないと元気が出ないから……。ルーナ、ミエラの食事を持ってきて頂戴」

「かしこまりました」

 扉が開閉する音が響き、部屋は静まり返る。きっと、三人とも私に掛ける言葉が無いのだろう。
 口から細い息を吐き、窓の外を眺める。日はゆっくりと沈み、しかし確実に空を夜色に染めていく。

「ミエラ、身体を起こそう」

 放っておいて欲しいのに。ルーカスは私の背中に腕を回し、身体を起こす手助けをしてくれた。スチュアートは背凭れとして昨日と同じ物を私の背後に置く。
 上半身を据えると、胸の痛みもあって「はぁ……」と息を吐き出した。
 控えていたもう一人のメイドが部屋のシャンデリアの蠟燭に火を灯す。
 一気に周囲が明るくなる。
 父と兄は今頃どうしているのだろう。私もハウランダーに帰る事が出来れば良いのに。
 物思いに耽っている途中で、ルーナが戻ってきたらしい。扉が開閉する音が聞こえた。

「ミエラ様」

 コンソメの香りがふんわりと漂ってくる。それを私に食べさせるつもりなのだろう。
 はっきり言って食べる気にはなれない。首を横に振る。

「ミエラ、お願いだから食べて。点滴から栄養が摂れるといっても……生きる気力がなくなっちゃうから」

 そんな事を言われたとしても、食べたくないのだ。再び首を横に振る。

「ルーカス、どうしましょう……」

「ミエラ」

 怒ったような、張りのある呼び声が聞こえ、肩がびくりと震える。
 条件反射で右側に顔を向けると、険しい表情をしたルーカスと目が合った。

「そんな事をいつまでも続けて、エメラルドのお母様が喜ぶとでも思っているのか? それに、クローディオはどうなる。ミエラの身を案じてこの部屋から離れたんだぞ? 食べないのなら、私にも考えがある」

 思わず首を傾げると、ルーカスは目を細める。

「此処を出て、一人でエメラルドに帰ってもらう」

「ルーカス……!」

「それはいくら何でもやり過ぎでは……!」

 キャサリンはルーカスの腕を掴み、スチュアートも目を吊り上げる。

「あくまでも、ミエラが食事を摂らないのなら、の話だ。食べれば済む事だ」

 キャサリンとスチュアートの視線も此方を向く。
 そんな事を言われては、食べない訳にもいかないではないか。

「……いただきます」

 呟くと、私の傍に来ていたルーナが此方にスプーンを向けてくる。小さく口を開けると、薬草入りのリゾットが口内に流れ込んできた。

「ちょっと……苦い」

「良薬は口に苦し、ですよ」

「うん、身体に良い証拠だ」

 ほんのりとは苦くても、その温かさが身体に染みる。心の感覚も戻って来たのか、感情が涙となって流れ落ちた。

「少しずつ……ほんの少しずつで良いから、前を向いて歩いていこう。私たちも応援するよ」

「今は泣いて良いの。だけど、生きる希望だけは忘れないでね」

 そうだ。私には生きなければいけない理由がある。こんな事を続けていては駄目だ。
 一日も早く元気にならなくては。クラウに顔向け出来ない。
 小さく頷き、涙を流しながらスプーンの中のリゾットを頬張る。

「『無かった事にされている史実』の全容はクローディオから聞いた。ミエラ」

 言い切ると、ルーカスの表情は一気に穏やかになった。

「その命はクローディオが与えた命だ。大事に使いなさい」

「……はい」

 大きく頷き、更にリゾットを食べ進めた。
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