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第21章 オーロラ

オーロラⅣ

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 夕食を終え、ルイボスティーを飲みながら刺繍に取り掛かる。途中で眠気を催さないように蓄音機も鳴らし、準備万端だ。
 先ずは四隅の四葉のクローバーから刺繍していこう。
 新緑色の糸が通された縫い針を箱から取り出し、ひと針ひと針縫い進めていく。
 今はクラウの部屋に居るカイルの様子も気にはなるけれど、クラウと一緒に居るのならば大丈夫だろう。
 お茶を飲んだり、肩を揉んだり、休憩もきちんと挟んでいるつもりだ。それでも身体は段々と凝り固まっていき、肩こりや腰痛に発展していきそうになる。解す為にも立ち上がり、うーんと背伸びをしたり、前屈や反り等のストレッチをしてみたりしていた。
 再びソファーに座り、針を手に取る。あと三十分は休憩無しで刺繍してみよう。そう心に決め、息を吸い込んだ。クローバーには欠かせない三日月型の模様は避け、新緑色の刺繍を施していく。

「……ミエラ!」

 突然、扉が壁に衝突したような轟音を立てるので驚いてしまった。肩がびくりと震えると同時に、左手の人差し指に鋭い痛みが走る。

「痛っ……」

 痛みのした指の先端を見てみると、じんわりと血が滲んでいた。どうやら針が指に刺さってしまったらしい。

「ごめん、大丈夫!?」

「うん、ちょっと針が刺さっただけだから」

 振り返ってみると、血相を変えたクラウとカイルを抱いたライアンが部屋に入った直ぐ傍の位置で固まっていた。

「それよりどうしたの? 急に二人で」

「大変なんだよ! ミエラ、外に出て!」

「えっ?」

 二人の様子から只ならぬ事態は想像出来るものの、それ以上の事が何も分からない。

「何が起きたの?」

「良いから、早く!」

 今にも飛び掛かってきそうな勢いなので、慌てて立ち上がり、部屋を出るクラウの後に続いた。後ろからライアンも付いてくる。
 火事か何かなのだろうか。それにしては焦げ臭い臭いは全くしないし、煙も無い。それならば何なのだろう。
 兎に角、廊下を走り、階段を駆け下り、エントランスに飛び込んだ。そこにはルーカスとキャサリン、それに使用人が二十人程ざわめき立っていた。一階の奥から、更に使用人が雪崩れ込んでくる。
 尋常な様子ではない。

「ミエラ! 良かった、無事で!」

「これで全員だな!?」

「はい!」

 もう既に集まっていた人たちはコートを羽織り、外へ出る準備が出来ているようだ。私の元にもルーナが現れ、コートを着せてくれた。

「馬車は当てにするな! 良いか!? 全員、全力で走れ!」

 ルーカスはこの場に居る全員に声を張り上げると、エントランスの扉を押し開ける。

「ミエラ、行くよ!」

 クラウは私の手を握り、弾かれたように走り出した。それに合わせて私の足も動く。
 門の外では私たちと同じように、貴族や使用人たちが懸命に何処かへ向けて一目散に走っていた。

「何が……起きてるの……!?」

 声を上げると、クラウはちらりとこちらを顧みる。

「津波が来るかもしれないんだ! 辛いかもしれないけど、足は止めないで!」

「えっ……!?」

 王都は大陸の中央部にあると聞いた。まさか、そんな事が――
 こんな事、百年前の出来事と一緒だ。私たちは魔導師を辞めたのに、敵は存在していて、更に私たちを苦しめようというのだろうか。
 もし、津波が来る前に退避が間に合わなければ、この場に居る全員が死んでしまう。どうしようもなく怖い。
 息が切れようとも、足が縺れようとも懸命に闇夜の中をひた走った。どれくらい走ったかなんて気にしてはいられない。
 城に続く橋を駆け上がる中で見てしまった。闇の中で頭上に輝く光の帯――オーロラを。
 サファイア城の庭に辿り着いた所で、一斉に皆が倒れ込んだ。いくら呼吸をしても酸素が足りない。心臓が激しく鼓動している。目が霞む。

「ミエラ……! 大丈夫……?」

「うん……何、とか……」

 返事をする事すらままならない。
 とそこへ、先に到着していたらしい誰かが此方へと近付いてきたのだ。隣に居るクラウの横で足を止め、しゃがみ込む。

「なあ、ダランベール侯爵。貴方は元魔導師様だよなぁ。この津波止めろよ」

「ネールレイン、伯爵……?」

 ダランベール侯爵とはクラウの事だ。
 ネールレイン伯爵と呼ばれた男性は凄みを利かせ、クラウの胸倉を掴む。

「早くしろよ。なあ、出来るだろ? 何千、何万っていう命が消えるんだぞ?」

 脅されてもクラウがそんな事を出来る筈が無い。もう魔法は使えないのだから。

「止め、て……!」

 まだ息が整わないから、途切れ途切れになってしまった。それでも声は相手に届いたらしい。クラウの胸倉から手が離された。
 それは憎悪の対象が私に変わっただけだった。

「貴女もだな、ダランベール侯爵夫人。二人で津波を止めてみせろよ」

「えっ……?」

「出来るんだろ!?」

 凄まれても、脅されても、私たちには出来ないのだ。ふるふると首を横に振るだけで精一杯だった。
 いくら理不尽な目に遭っても、周りの人たちは誰もネールレイン伯爵を止めようとはしない。それどころか、一緒になって冷ややかな目を私たちに向けてくる。
 唯一庇ってくれたのは、ルーゼンベルクの人たちだけだった。

「クローディオ様……! ミエラ様……!」

 この声はライアンとルーナだ。
 後方から呼び声が聞こえ、その声は段々と近付いてくる。
 私の身体に何かが触れたと思ったら、誰かに抱き締められた。

「この方たちは……もう、魔導師様ではないんです……! 止めて下さい……!」

「苦しいのも、辛いのも、皆さまと一緒なんです……! どうか――」

「うるせぇ!」

 なんと、私たちを庇ってくれたライアンを、ネールレイン伯爵は殴り飛ばしてしまったのだ。周囲から女性たちの悲鳴が漏れる。

「良い加減にしろ……! 恥を知れ……!」

 遂にしびれを切らしたのか、ルーカスがネールレイン伯爵の頬を平手打ちしたのだ。乾いた音が響く。

「去れ!」

「チッ……!」

 舌打ちを残し、足音を立てながら殺気は去っていく。

「ライアン、大丈夫か……?」

「はい……」

 何故、私たちはこんな目に遭わなければいけないのだろう。

「クローディオ、ミエラ。気にするなと言っても、無理かもしれないが……。今は、皆が殺気立っている。気にする事じゃない」

「うん……」

 女王が現れ、貴族たちを城の客間へ案内してくれるまで、この痛い程の冷たい視線に耐えるしかなかった。
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