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第16章 お散歩デビュー
お散歩デビューⅡ
しおりを挟むそこへ茶髪の二十代くらいの男性が通りがかった。その人はクラウの顔を見て足を止める。
「ルーゼンベルク卿」
「あっ、ウィンダム伯爵」
どうやらクラウの知り合いだったらしい。クラウが足を止めたので、私もぺこりと頭を下げてみる。
「ちょっと待ってて」
「はい」
使用人らしい言動をした方が良いだろうと返事をすると、早々にクラウはウィンダム伯爵の元へと行ってしまった。カイルは私を見上げ、首を傾げる。
「犬のお散歩ですか?」
「はい。今日、初めての散歩で」
「そうですか。可愛らしいわんちゃんだ」
微かに二人の話し声が聞こえてくる。
「カイル~。もうちょっと待っててね~」
なるべく二人の話は聞かない方が良いだろうと、話し声を遮るようにしてカイルの頭を撫でた。
「くーん」
待てないと言わんばかりに、カイルは鳴き声を上げる。
「ごめんね~、もうちょっとだから」
「わん!」
「……えっ!?」
今、確かに「わん!」と鳴いた。今までは鳴いても「きゃうん!」だったのに。
今日はカイルの二つ目の初めて記念日だ。
「カイル~!」
嬉しくて、ついカイルを撫で回してしまった。そうこうしているうちに二人の話は終わったらしい。
「待たせたね」
声のした方を見上げてみれば、クラウも身を屈めてカイルの頭をひと撫でする。
「行こう」
「はい」
二人で同時に立ち上がり、再びウィンダム伯爵に頭を下げた。
ウィンダム伯爵から遠ざかった頃合いを見て口を開く。
「カイル、『わん!』って鳴いたの!」
「うん、俺たちの方まで聞こえてきたよ」
「ちゃんと成長してるよね」
二人で微笑み合い、カイルを見詰める。
そんな事をしていたから、すれ違う直前まで二人組の令嬢が前方から来ていたことに気付けなかった。
「ねえ、あの使用人」
はっと顔を上げると、令嬢たちが私を睨んでいるように見えた。
「やっぱり、だよね」
「スケート大会でスチュアート様の隣に居たご令嬢にそっくり」
背筋に冷たいものが流れたような感覚に陥る。
そのまま二人は私の横を通り過ぎた。
「左目の眼帯も同じだし。今度は何でクローディオ様の隣に?」
拙い。
咄嗟に振り返ると、二人は何事も無かったかのように後方へと歩いていった。
「スケート大会で見られてた、か……」
クラウは眉間に皴を寄せて「うーん……」と唸り声を上げる。
「クラウ、どうしよう……」
「屋敷に帰ってから考えよう。今はどうしようもないから」
「うん……」
そう返事をするものの、不安で仕方が無い。私の存在が世間に知れ渡るのは時間の問題なのかもしれない。
無理矢理笑顔を作って、カイルに不安が伝わらないように試みる。
「くーん」
どうやらそれも無駄だったらしい。動物は人の感情の変化に敏感だ。
「……今日は屋敷に戻ろう」
「うん……」
無言で次の角を左に曲がり、先程の令嬢たちと出くわさないように少し遠回りをして帰る事にした。
「カイル~、ごめんね」
言いながらカイルの頭を撫でてみる。すると、気にしていないよ。と言わんばかりの優しい眼差しが返ってきた。
「カイル、良い子。凄く優しいもん」
「そうだね。ホントに優しい」
クラウもカイルを見詰め、口角を上げる。
ようやく私たちに本当の笑顔が戻ってきた。不安は拭い去れないけれど、心の奥底に隠れていった。
カイルは片足を上げて用を足す。
「カイル~。偉いね~」
「うん、凄く偉いよ」
屋敷の中だけではなく、外でも用を足して良い事を伝える為に、少し大げさに褒める。と、カイルは今度はお尻を下げた。踏ん張る足はプルプルと震えている。
「クラウ、カイルがうんちする!」
「うん」
返事をすると、クラウは持ってきた小さな手提げ袋の中から紙袋を取り出し、てきぱきと処理をしてくれた。
「ありがとう」
「ううん、これくらい何でも無いよ」
雪が圧縮される音を立て、クラウの横を馬車が通り過ぎる。その弾みか、前方の街路樹に積もった雪が小さな低い音を立てて歩道に落下した。カイルに当たらなくて良かったと、ほっと胸を撫で下ろす。
それからは一人の男性とすれ違っただけで、特に問題は起きなかった。カイルの興味を引く臭いは存分に嗅がせ、ゆっくりと歩を進める。
そんなこんなで、三十分程度で屋敷に戻ってきた。クラウがドアノッカーを叩くと、エントランスで待ち構えていたのか、ルーカスとキャサリン、それに使用人たちに盛大に迎えられた。
「おかえりなさい!」
「カイルの調子はどうだった?」
不安と期待の目で、ルーカスとキャサリンはコートを脱ぐ私とクラウの顔を見比べる。
カイルは使用人にハーネスを外してもらっていた。
「カイルは順調だったよ。初めて『わん!』って鳴いたし。ただ……」
「ただ?」
「ミエラが拙い事になった」
「えっ?」
一瞬にして皆の顔が強張る。時が止まったかのようだ。
「取り敢えず、リビングで話を聞こう」
「ええ、そうですね」
ルーカスの声で、再び時間が動き出した。
コートを使用人に手渡し、ルーカスとキャサリンの後ろを歩く。カイルはまだ歩き足りないと言わんばかりに私たちの周りをぴょんぴょんと跳ね回る。
リビングの扉を使用人が開けると、カイルが一番で中に入っていった。私たちはと言うと、それぞれがそそくさとソファーの指定席に腰を下ろす。
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