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第7章 水

水Ⅱ

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「ミユ、すぐ付いてこい」

 返事をしようと口を開く前に、アレクはすっと瞼を閉じる。そのまま光に包まれると、その姿が消えてしまった。

「アレク! ちょっと強引過ぎるよ……」

 フレアは今日何度目かの溜め息を吐き、頭を抱える。
 一方で、クラウは訝しげに眉を顰める。

「何があったの? 殆ど話が聞こえてなかったけど」

「今日のアレクはちょっと可笑しいだけ」

「アレクが可笑しいのなんていっつもじゃん」

 こうなっては自棄だ。そんなに過去を見せたいのなら、此方だって意地でも見てやる。
 頭痛の事は一旦置いておこう。
 息を吸い込み、口をへの字に曲げる。
 クラウとフレアを思慮したりもせず、ずんずんと魔方陣へと近付いた。青い光を気にする事も無く、線を跨ぐ。
 そうして到着したのは氷の湖だった。湖の中央には中島があり、逆さにされた氷柱のような塔が見て取れる。あそこが目的の場所なのだろう。
 中島までは同じく氷の橋が架けられている。視界一面、白色と空の青色のみだ。
 唯一、風景に溶け込めないでいるのはアレクだった。
 やってやろうじゃないか。
 音が鳴るのではないかという程に、アレクの後姿に向かって鼻から息を吐き出す。
 一歩遅れて、クラウとフレアも到着した。

「行くぞ」

 笑顔も見せず、アレクは端的に言い放つ。

「ちょっとアレク!」

「フレア、今は止めよう」

 クラウは首を横に振って、今にもアレクに飛び掛かりそうなフレアを制止する。
 そうこうしている間にも、アレクは歩を進めてしまっていた。

「私、行く。意地でも過去の出来事見てやるんだから」

「ミユ、無理してない?」

「頭痛は嫌だけど……無理はしてないよ」

 今日の体調は至って良好だ。
 小さく頷いてみせると、クラウは肩を竦めた。

「後でアレクの事、叱っておくね」

 フレアもしかめっ面のまま、此方にくるりと振り返る。
 二人の反応には苦笑いするしかなかった。

「アレクは怒っても効かないよ」

 アレクの事を大して知っている訳ではないのに、ポロっと口から零れていた。
 何故、私は呆れているのだろう。こんなにも懐かしいのだろう。
 考えてみても分かりそうにないので、この感情にはそっと蓋をした。
 クラウとフレアは顔を見合わせ、小さく笑う。

「俺たちはミユのタイミングに合わせるよ」

「じゃあ、行こう~」

 此処で立ち止まっていても仕方が無い。マントを翻し、焦茶の髪を靡かせる。氷点下を思わせる寒々しい場所なのに、意外と寒さは感じなかった。
 塔の入り口を潜ると、其処はやはり異質な場所だった。青色の魔方陣を描くモザイク模様に溜め息を吐きたくなる。
 アレクは予想とは違い、私の姿を見ても口を開かなかった。僅かに此方を見やると、目線を下へと向ける。焦点が定まっていないようにも見える。

“話は他の者から聞いている。その魔方陣を潜りなさい”

 私への発言だろう。此処へ用事があるのは、私だけなのだから。
 やはり、いざとなると緊張してしまう。生唾を飲み込んだ。

“早くしなさい”

「分かってるよ……」

 心の準備くらいさせてくれても良いのに。頭を横に振ってから、深呼吸を試みた。
 駄目だ、速まる鼓動が収まってくれない。
 覚悟を決め、魔方陣を睨み付ける。
 進んだ先に現れたのは、又しても花畑だった。ネモフィラ、だろうか。青く煌めく無数の花が大地に散らばっている。空も抜けるように青い。
 青一色の世界で、そよ吹く風の心地好さに感情を奪われていた。

“準備は出来ているのだろう?”

 天から聞こえてくるかのような声に、はっと顔を上げる。

「……一応」

 この呟きは声の主に聞こえているのだろうか。言った後で口をへの字に曲げる。
 相手は何かをいう訳でもなく、気まずい空気が流れるかと思われたのだけれど、突如として景色がぐにゃりと歪んだ。

―――――――――

 今日、この日にオルゴールを渡すと決めてから一年、どの曲を渡そうか悩みに悩んでしまった。
 楽しそうで、優雅で、心が躍るようなワルツ――そのオルゴールが流れる木製の小箱に決めた。勿論、城下町には行けないので、店の主に注文をしたためてアリアに預けた。
 数日後、満足のいく品物が届けられたのだ。
 約束の時間の三十分前に、アリッサムの咲くダイヤの池畔に腰を下ろした。ハーフアップにした焦茶の髪は、地面擦れ擦れのところで風に揺れる。
 薄緑色の紙でラッピングされたオルゴールをぎゅっと握り締め、ぼんやりと日の傾く地平線を眺めていた。
 肩に柔らかな何かが触れる。

「お待たせ」

 声が聞こえた瞬間に、頬がほんのりと熱を帯びる。
 リエルは私の横に腰を下ろし、にこっと微笑む。

「今日は何してたの~?」

「うーん、カイルとお昼にケーキ食べたくらいかな」

「そっかぁ」

 誕生日くらい、日常とは違う、もっと楽しい何かが起きても良いのに。
 むうっと頬を膨らませると、リエルはあははと小さく声を上げて笑った。

「カノンとヴィクトとアイリスが祝ってくれるから、俺はそれで満足だよ」

「う~ん……」

 もう少し欲張っても良いのに。何処か納得が出来ない。気付かぬうちに肩を落としていたらしい。

「がっかりする事ないよ」

 リエルは笑い、空へと視線を移す。

「去年のプレゼントの本、面白かった?」

「うん。童話調なのに、話がちゃんと作り込まれてて面白かったよ。カノンはああいう本が好きなの?」

「うん! やっぱり物語はハッピーエンドが良いよね~」

 妖精が主人公で、世界を旅しながら、出会った妖精の心に触れていく心温まる物語――初めて読んだ時には、最終章で涙腺が崩壊してしまったものだ。
 薄い黄色からオレンジ色に変わった空を眺め、ほうっと息を吐き出した。
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